韓国の高校検定歴史教科書が明石書店の世界教科書シリーズで出版されています。
この間、国定韓国高校歴史教科書、「韓国の歴史」と検定高校近現代教科書、「韓国の近現代史」を読んでみました。
韓国の高校社会科では1年生で韓国歴史の通史(日本で云えば日本史)を教え、2、3年生は各分類社会科(日本で云えば、政治経済など)を学ばせています。
日本の高校では未だに日本史は高校3年生に教えているようです。
その為に受験シーズンに近づくに従って、日本史を受験科目にしないモノにとって、日本通史の授業は上の空になってしまいがちです。日本史授業の進捗具合もその頃には日本の近現代史に差し掛かる頃になって来る。
尤も受験に特化した教育カリキュラムでは、高校1,2年の間に国が定めた高校教育課程は大体終えて、3年時代は受験対策に絞っています。
>その後、こういう事態はいっそう強化される環境にあるのではないですか?
受験体制の弊害は昔からのモノです。
が、さらに事態は悪い方に深化している様です。
受験勉強は本来、生徒によって、向き不向きがあるのに高校3年になると2カ月余りで部活動を引退し、塾通い、補習、テストに追いまくられた揚句、秋には学校推薦枠で私立大学の入学が早々と決定するとはどういう云う事ですか?
大学の数が増え過ぎて学生が少なくなって経営状態に不安が出てきた私立大学資本の経営安定化への方便のための学生の青田買いとしか言いようがないです。
有名大学を含め全国の私立大学の学生のかなりの部分は、こういう方式で調達せれています。
そうすると、高校3年の半ば過ぎでしかない、秋に大学合格の通知を受けた生徒の後半分の高校生活は大過なく適当に過ごすと云う事に成り、授業はそっちのけに成ります。
半ば義務教育化された高校教育は事実上、2年半で残りの半年はモラトリアム化されている。
受験勉強の苦手な生徒の辿るコースです。
全国の大学進学予定の高校生の半分程度は受験勉強不向きです。
それでも昔の様に放置され、普通にやっていても、世間に出ても十分生きていけるのが実情であって、現状の高校教育のシステムの実態に沿って過ごしていて得をする事は、内申書の点数を挙げる目的の既存の枠からはみ出ない服従精神の培養だけです。
全国半分程度の生徒が、以上の環境に置かれている訳です。
大学生になったらなったで、3年の頃から就職活動をしているのが実情です。
大勢順応、周りの空気を読み、イジメ、バッシングの衝動を内在するモノを製造する世界に冠たる日本の教育システムです。
日本はそれさえ改良しないで、その国がその国の歴史があると称して、自分たちに都合を優先するばかりの歴史観を植え付けようとしています。
であれば、二重の意味で間違った歴史教育の場ができあがっています。
>日本の高校の歴史教育のまま社会に出たモノは、今実際に発生している領土問題のような事態に対して深く多角的な自分の意見を持てる基礎的素養を持つ絶好の機会を逃しているが実情です。
従って、こういう場合、あれかこれかのチョイスしかなく、多数で声の大きな方に自然と引きづられて行く。
>韓国の近現代史の歴史教科書は本文の記述をできるだけ少なめにして資料などを基に、考えさせ、複数の意見を討論させるように工夫されています。
また、通史を含めて共通しているのは、歴史的事実の記述の連続だけでなく、今の民主化した韓国を肯定する立場に立って、過去の限界、問題点、過ちを指摘しているところです。
コレは方法論としてオーソドックスなものと云えます。
日本の新しい歴史教科書などはこういった観点が現代の時軸にいるモノは過去を結果、解釈するのではなく、当時のヒトの立場になって考えてみようなどと冒頭に記し、こういうオーソドックスな歴史教育の方法論の根幹を揺るがせています。
温故知新が一面的になってはいけません。
>記述の中身は日本に厳しい見方があります。
しかし、植民地支配の時代は日本の統治の主導にならざいるえなかった韓国の他律的な歴史を民族の自律性の立場から、描かざる得ない今の韓国と民族の立場は我々が十分考慮すべきです。
我々も彼らの立場になれば、同じように苦慮するに違いありません。
正当な方法論を踏まえ、近現代史も含め、韓国の歴史教科書はイロイロ、どうしてそうなのか?と深く考えさせてくれる大きな糸口を提供しています。
当たり障りのない記述を連ねたモノよりも、考えさせてくれるし、ズット面白い。
それを列記すれば、以下の様になる。
1)日本の明治維新以前の1963年、長州と英仏など列強との間で戦わた攘夷戦争で、無残な敗北に終わった下関戦争の乗れk詩的意味は大変大きい。
これは同年の薩英戦争にも云える。攘夷で突出した薩長は先行的にもっともよく戦ったが故に敵を知り己を知り、明治維新に先駆けて、近代化を実行できた。明治維新は予行演習され、そこで選抜された精鋭が指揮をとれた。
2)地政学の重要性。
日本が韓国に位置だったら、多分にかよった運命を辿っただろう。
3)中央官僚集権国家は歴史の大転換期に柔軟な対応にかけることが多い。
コレらは文官支配であり、軍事情勢の優先する列強の植民地化時代への対応力にかけていた。
日本が機敏に立ちまわれたのは世俗の軍人階層の支配の所為もある。
維新に際して、天皇の権威を担がなくても、そのときもその後も何とかなったのではないか?
近代国家の制度、と思想からしか生まれなかったが、清朝鮮の王朝は儒教によって選抜された文官の中央官僚統治であり、修正ではなく、破棄するしかなかった。ヤンパン層も肥大化し過ぎた。しかし、その様な体制は破棄する勢力の台頭の余地はなかった。
5)TPP参加はは20世紀の日米関係の21世紀の着地点。日本歴史上、明治維新、第二次大戦敗北に続く、
第三の<<解国>>。これまでの国民国家の利害は大きく毀損する。
穀物法。イギリス、1815年~1846年。「長期に渡って大陸に比べて穀物価格が高くなっており、労働者の最低限の生活費の上昇をもたらすので、産業資本家は反穀物同盟を組織して、安価な穀物の供給を狙って賃金の引き下げを狙った。
他方、単純に安価なパンを求める労働者は国も地方廃止廃止と云う点で利害の一致を見た」
「処が大方の予想に反して、農業資本家が導入した高度集約農業によってイギリス農業は高い効率性を発揮して、1870年代まで成長した」
イギリス資本主義の黄金時代は農業の黄金時代でもあった。今の小規模零細の日本農業に全く当てはまらず、日本では安価な食料品の供給が最低限の生活費を下げると云う当たり前の古典的経済原理を経団連などは狙っている。
>>先日、フトした切っ掛けで、ネット上に出ている新しい歴史教科書づくり委員会の記述した、黒船来航から日米安保条約までを概説した通史を読む機会があった。
そこには歴史記述だけに留まらず、戦後の歴史教育への批判や自分たちの歴史観を滔々と全面展開していますが、、偉そうなことを云うのだったら、まず何よりも高校歴史教育の場の歪みを指摘するのが、歴史教育を云々するモノのなすべき順序ではないでしょうか?
と云う事は、マスコミによって伝播されている現状の歴史感すら否定する構造になっています。
明治維新から日清日露戦争までの維新の元勲たちの政治軍事感覚に基づき、内外の時代の進展や政治軍事行為に対して、その感覚の修正の必要性を無視して、軍部の主導した全ての事態は無理をしても、できる限り肯定的合理的に描こうとする意図は在りありで、また厳然たる歴史的事実を前にそれがどうしても叶わない場合は、対抗する勢力との力関係による不可抗力や相手への糾弾として描かれています。
こういう自分(日本の当時の支配層)の都合に甘えた歴史観がこのヒトたちの特徴です。
東アジアの近隣国民に通用しないから、其々の国によって歴史の違いはあるなどと開き治っている。
だったら、近隣諸国の歴史教科書が反日的だとか、声高に言うべきじゃない。
その論理でいくと、向こうは向こうで勝手にやっている訳だから。
所詮、戦後支配層の補助要員、米国を批判するそぶりは大衆の目をごまかす為、米国流市場原理主義の手先となるしかない。
>だから当然にも韓国、朝鮮半島への植民地化の事態を正面から見据えないで、当時の日本一国の目先の意地汚い利害の立場からしか見ず、戦後の米軍占領統治時代の戦前の半封建的軍事的制度の改革の前進的意味にも、日本近代史の原理を否定しているとして、安保条約にも外的条件に従って、微妙な流動性、含みを持たせる。
彼らが日本近代史の原理としているモノの敗戦による解体によって、戦後日本の柵から国民を開放し、経済成長をもたらした現実は否定できないです。
民需生産を蔑にして軍需に異常に特化した経済政治体制は、どう足掻いても、既存の世界体制と衝突して、瓦解する運命でした。
その証拠に世界市場の再度の分割戦に後発で参戦したドイツイタリア日本は第一次世界大戦の勝敗に関係なく、全て、ファシズム、ナチズム、軍国翼賛体制の全体主義に陥っています。コレは偶然ではなく、帝国主義の時代に後発で市場参戦した国は出発点に置いて、全体主義に至る歴史的必然性を内在させていた。
あなた方は歴史の論理に忠実と云う意味で正しいく、後代のモノが今の正当性に確信を持って、自らの過ちを歴史を振り返る権利を否定したと云う意味では間違っているのです。
>こういった歴史観はそれ以上、考える糸口を提供できないで、信じるか信じないかの信仰の対象を提供しているにすぎません。
それに比べると、云う処の韓国の反日教科書の方がズットレベルが高いです。そこでは歴史を見る角度は違っても、少なくとも歴史駅事実は否定されていないです。