反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

一揆、内乱=戊辰戦争から明治維新へ。日清日露戦争と日本資本主義の本源的蓄積。敗戦、戦前戦後の天皇制。戦後の経済成長。大震災原発事故TPP。日本国家の歴史的在り方を問う。

 kim hangさんの「帝国ノイリ」の論旨に沿って、考えていくのは仕方がない。私には最良のテキストがなければ自力では考えられない。
 
>彼の日本帝国批評の基本視座は植民地支配の歴史的経験である。コレは彼固有に存在するモノであり、私が彼の立場を代替えできない。
 
>ようやく、kim hanngさんの帝国日本批判の基本視座=植民地支配を受けた韓国人でもなければ、坂口安吾でない視点が見つかった。(と想いたい)
 
彼の「日本帝国」は煎じつめれば、
「日本における国家への眼差しに<最も致命的な影響を与えている自然主義
つまり、古代から日本民族が自然的に共同体を構成し、それが近代日本国家へと発展したという観念」に戦後民主主義の思想を深めた?と云われる丸山真男も越えられていない。」
 
 この論旨の中に置いて、天皇制は古代日本民族の原始的共同体の自然成長的近代国家獲得の族長、祭りごとの結集軸、唯一の象徴として埋め込むことができる。
 
 その論法を私流に解釈すると戦後の日本国憲法下の民主主義の現状もこの限界を超えていない、と。
 
>果たして実際の日本史はkimさん的一面的総括でOkなものか?
 
>かれは丸山の福沢諭吉論を取り上げる際に明治維新を歴史に与えられた絶対前提として、すでにあるモノとして取り扱っているが、明治維新自体は徳川封建体制の自然的崩壊によって、生み出されたモノでもなければましてや古代中世からの日本史の自然成長に置いて出現したものでもない。
 
 列強の黒船来航の外圧とそれへの中国、朝鮮、日本の対応によって、日本は自らを守るために積極的に国を開いた。
ここから福沢諭吉丸山真男の論点は始まる。kim hangさんも自明の理の様に彼らの明治維新論の出発点を是認する。
 
>が、その視野は、この時期の激動する日本史の実際の政治軍事過程を埒外に置いている。
 
>ローマは一日にして成らず、とまでは云わないが
 
 維新達成の前には戊辰戦争と云う日本の支配層を二分した内乱がある。その際、維新勢力側に有利に情勢が展開すると判断した幕藩体制下の諸藩の軍事力が動員されている。
 
>それ以前の幕末には百姓一揆はそれまでの領主の仁政を期待した江戸一揆全般的傾向の自重を取っ払った暴力闘争の側面の強いモノも激発している。幕藩体制に支配が動揺してきたのだ。
 
>勿論、徳川幕藩体制約250年余りの間に記録されているだけで3000件を超える一揆が在った。
 
 記録によれば、数万の百姓がカネなどの鳴りモノを合図に、またそれによって威勢を付けて、地元支配者や領主に対峙した。
力関係などから暴力行使の限度は弁えられていたが、反百姓の有力者の家屋は打ち壊された。
こうした行動はたいてい夜陰に乗じて決行された。
 だから、群衆の半ば非公然大衆行動として性格を帯びて、対峙するモノに恐怖感を与えた。
 
 対象への憎悪の余り、殺害に及んだら、その死体を焼いて、人肉を食した場合もあった。
それ程の凄まじい憎悪とエネルギーが徳川幕藩体制3000件の百姓一揆の根底にあった。
そのぐらいのモチベーションがなければ、法治の世でない時代に百姓が集団で権力にモノ申す事は出来なかった。ギリギリの決起だった。
 
明治維新後の世直し一揆、新政反対一揆西南戦争を頂点とする士族反乱も苛烈を極めた。
 
>最後のとどめは
明治新の元勲たちの出身藩、薩摩、長州の列強に対する徳川幕府を差し置いての攘夷武力行使の独断専行と敗北、敗北の軍隊の彼我の軍事力の大差の自覚からの、近代的藩政改革=明治維新の予行演習と云う道筋を辿って、薩長土肥は徳川封建権力に挑んだ、と云うリアルな歴史のダイナミズム。
 
>コレらの政治的軍事的過程に置いて、天皇制は基本的に蚊帳の外である。
 
 徳川封建体制に置いて京都に封じ込められていた古代的中世的天皇皇族、残存貴族がこうした歴史の表舞台に登場するきっかけを作ったのは、
 
 政権衰退期で支配の脆弱化していた幕府が、黒船来航で動揺を深め、開闢以来の難局に朝廷の意見を求めてた事による。
それまでの政治過程の思想的主流は外圧打倒の攘夷の機運であって、それを王政復古思想に結合させたのはパックストクガワーナの長期平和で支配体制の衰退と決断量力鈍っていた幕府である。
 
>なお、江戸時代を通じての天皇家族、近親貴族層がどういう生活実態にあったのか。
歴代将軍家とどのような政治的実態関係にあったのか、まるで研究されていないのはどういう事か、理解できない。タブーなんじゃないだろうか。天皇関連の古墳の調査が阻まれている事と同じく。
 
>貴族支配の末期状態の16世紀の九条政基には(摂政関白まで務めた)、自分の領地支配が戦国武士や根来寺の僧兵勢力に脅かされて、直接、統治に赴いた日々を克明に記した有名な日記「九条政基旅引き付」がある。
 
 それによれば、当時でさえも、残り少ない領地支配が危機にひんしている。
もはや自らの武力を持たぬ者の支配は通用しない時代とよく解る。1550年ごろの話である。
 
 その後、戦国の様相はさらに進行して半世紀、彼らの食いぶちがどうなったか簡単に想像できる。
ちなみに、大きな社寺は本願寺を見るまでもなく、武装力を保持していた。
 
>今回の大震災関連を調べていたら、元禄時代から宝永時代の転換は、江戸直下型の元禄地震の厄払いとして、行われたと解った。
その甲斐なく、未曽有の宝永大地震に至る訳だが、この事から、少なくとも徳川時代には将軍家の対朝廷への主導性が余りにもハッキリしていたこと解る。天皇制などなくても世の中は回っていた。
 
>>以上だけ見ても、明治維新天皇制が日本史に密着した予め日本住民に与えられた条件でなく、苦難を持って勝ち取られ自らの権力を絶対化するため明治維新の政府が人工的に創造した権威と権力であることが解る。
 
>増して、明治維新に至る激動の政治軍事過程に疎外されたままの日本住民にとって、天皇制はなきに等しい遠い存在である。
 
>そういう、リアルな歴史過程をまるっきり切り捨てて、明治維新やその後の日清日露戦争の歴史過程を抽象して、日本国家と国民の関係を論じるのは云う処の<観念論><思想と言葉の高級遊戯>に陥ってしまうのではないだろうか。
 
>歴史を総体的に論じる場合、抽象化、編集は必要だが、その際、日本人の場合、大きな勘違いを起こしやすい。
 
 戦前の国史は最後にはドギツイ皇国史観に陥った。
 
 戦後憲法解釈の礎を築いた宮沢俊義さんは云う。
「国民が全部死んじゃっても国体を守れと云う掛け声さえあった訳で、それが戦後になっても(他人事の様に云っているが自分の)頭に中で尾を引いている。だから憲法を改正するにしても半年やそこらで、今の様な憲法はできると想っていなかった。~~
 
 だからだらしのない話だけれども~マッカーサ草案を見て非常に喜んでその熱しな支持者になっちゃた」
 
 グーグルによれば、宮沢にはGHQの圧力があって意見を変えた、とあるが、都合のいい解説ではないか。
 
 戦争末期の国体観は日露戦争から大正デモクラシー至る過程でいったん片隅に追いやられたが、関東大震災、1920年代後半の経済不況、軍部台頭の中で表舞台に躍り出た。
 
 天皇制の道徳や道義が政治に浸透すれば、内外のバランスを考慮した冷徹な政治が蔑になる。
同質性が過剰な日本人は異物を排除しての集団暴走を起こしやすい。
 
 ワイマール憲法情勢下のドイツ国家学が押し並べて主張したのは、民主主義体制には同質性が前提になる云う事である。
諸団体、諸階級の分裂状態の妥協を基礎に成立していた、体制における民主主義は経済不況の中から左右への政治分岐を促進し、古いドイツの実効力=軍部、官僚、大土地所有者と企業家の、先延ばしにしない決断>の政治から、最後はヒットラーナチスを選択させた。
 
 ナチス党は政権獲得前の反ユダヤ人煽動を政権に就いた後も実行に移した。
丸山真男が日本的ファシストナチスの違いをこの政治責任の実行力に見た。
 
 日本ファシスト天皇制の無責任体制の中で個人としても政治集団としても政治責任を曖昧にして、事態の勢い、成り行きに身を任せた。
重大な事態の進行の過程における自らの政治意思の責任性や冷徹な情勢判断をイデオロギーや道徳にすり替え、トータルとしてなし崩しで、歯止めの利かないまま暴走した。
 
 <日本の様な同質過剰故の暴走もある>
 
 軍部暴走だけに責任をなすりつけ、当時、政治主導があれば云々は関係ない。その政治主導の中身が問われる。戦後のお手軽、耳触りのいい論理である。
 
>日本政治が天皇制や国家などをことさら持ち出すとき、そういう傾向が今もあると感じるから、強く批判する。
 
>かの戦後民主主義を十分に基礎づけたはずの丸山真男の内面でさえ次の様な代物であった。
 
「敗戦後、半年感も思い悩んだ挙句、私は天皇制が日本人の自由な人格形成ー自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して自ら責任を負う、つまりは甘えに依存するのとは、反対の行動様式を持った人間類型の形成ーにとって致命的な障害をなしているとの帰結にようやく達した。」
 
>大正期に青春を過ごしたオールドリベラリスト特高体験も兵隊経験もない)が天皇制から「自由だった」のは
大正リベラリズムの環境が自らと天皇制の関係を疎遠にしていただけであり(ここら辺りは今の風潮と似ている)、敗戦の物的精神的崩壊状態になると天皇と日本国家に日本国民の礎を見出す結果となった。
 
 個人の自覚ある人格主義、教養主義と民主主義、天皇制日本国家は本質として融合していた。
敗戦時の日本国憲法などのイデオロギー装置を先導していったのは彼らである。
その思想的内実は先にあげた宮沢のあっけらかんとした日本国憲法事情の説明に或る通りであり、実に空疎極まりないモノである。
 
>>そうすると、結論的に云えば、危機的事態になれば、日本人が再度、集団暴走を開始する根強い根拠を摘み取られてないと、論理的に断言してもよい。
 
過去の日本史や、グローバル資本制などの基礎的内外条件から、それはファシズムの形態をとらないと想う。
そんな労働集約的政治は必要ない。
 
>が、ハッキリしている事が一つだけある。
 
 このままいく先には、多数派日本国民にとって、手ひどい生活労働環境の悪化が待っているという予測である。
 
 もはや資本と国家にとって国民経済の維持は口先だけであり、資本は最大限の利潤を求めて海外に出ていくのである。国家はその後押し役だ。そしてトリクルリンクが国民には回ってくる、と云う図式だが、コレまでの経験はそれを否定している。
 
 さらには、彼らの国内活動に都合のいい国内諸制度、社会状態の構築が展望されている。
 
 TPPを第三の開国と云う場合、丸山に準拠すれば、明治維新、敗戦が二つの開国となるが、第三の開国の内実は私にはどう考えても、それしか思い浮かばない。