反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

自民党憲法改正案の中身の検討、及び、日本の歴史的地政学的特殊とヨーロッパ型民主主義。

 自民党憲法改定草案の注目箇所。
 
 <全文>
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」
天皇を戴く国家>!という位置付けによって、国民主権はけん制されている。
「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」
国家の家族、家庭、煎じつめると個人の在り方への干渉。ここで謳う基本的人権とは国、郷土を自ら守る気概や、和、家族、社会のがんじがらめにあっているモノとしか思えない。
家族、家庭の在り方を書きこんでいる国家基本法を持つ国って、他の先進国にあるのか?
現在の閉塞状態をさらに促進。家族国家論的思考は戦前の国体論の蒸し返し。
第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴。
国民が統合の象徴として、戴く天皇をさらに国家元首と明記する。
天皇は強く権威づけられた。
(国旗及び国歌)
第三条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
国家が国民に向けて国旗、国家を尊重しなければならない、と国家基本法で決めつけている、先進国が一体どこにあるのか?
思想信条の自由への実質的国家規制である。国旗や国歌を嫌うヒトの人権も保障しなければならない。
法の下の平等の民主主義の根幹を事実上、否定している。
第二章 安全保障。
項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない
当該項目は現憲法9条を改変して付け加えられたもの。この記述の前文で9条の戦争放棄の平和主義が文言として形だけ付け加えられており、国家の武力行使自衛権に限定している様に書かれているが、
次の(国防軍)の項目には事実上、米軍下請けの日米安保体制における米の世界戦略に基づく先制攻撃に呼応する日本国防軍の参戦を憲法によって合法化する実質的な集団自衛権が謳われている。
 
 (国防軍
国防軍は~国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
当該、前文は米軍下請け国防軍の集団自衛権行使を憲法によって合法化。
後段は国防軍の米軍下請けの(緊急事態)出動時の<非常事態宣言>(公の秩序維持)おける国防軍の国内制圧軍事作戦を合法化。
国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く
規律違反の軍人への軍事裁判。その他の公務員~云々は機密保護法の拡大解釈の余地を残す。
 
 (元号
第四条 元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。
明治維新以前に皇位継承がなくとも、元号は武士その他の都合によって、度々変更されたと云う歴史的事実がこの規定の裏に或る。敢えて、明記した底流には明治維新以前の天皇皇族の過去を抹消して、明治維新後の天皇制を天皇制の真実であるかの装い、国民の前に押し出す。
一種の歴史の偽造である。明治維新政府の天皇制の利用と同じ次元の意図を認める。
おそらくこの観点からの批判は他にないと想う。
 
 (国民の責務)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は~国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
こんな(国民の責務)以下の、自由及び権利人への但し書きのある国家基本法を持つ先進国はない。
 
 (人としての尊重等)
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない
法律論はよく解らないが(間違っているかもしれない)、<生命、自由及び幸福追求の国民の権利>とは自然権である。公益及び公の秩序に反するかどうかを、敢えて憲法で限定する必要はなく、基本法の実質的運用の領域の問題。国家主義の理念丸出し。
 
 表現の自由
前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない
前項の人権の制限のさらにダメ押しで、<結社の自由さえ制限>。ここに自民党憲法改定草案の神髄がある。
ここまでの公益、公の秩序の個人団体活動への一貫した大きな限定の憲法精神はそれが時の権力によって、治安維持法に準拠する様な運用が為された場合、歯止めは一端どこにあるのか?
国家権力による民主主義の実体に対する大きな制約、圧迫に結果するほかない。
 
 (家族、婚姻等に関する基本原則)
第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
 
(緊急事態の宣言の効果)
第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか
 緊急事態宣言が発せられた時、非常緊急政令?が運用されるが、議会制民主主義の空洞化や国民の民意を汲むとか、緊急時の機動的な政治運用の必要性の名を借りた大統領への権限の集中がドイツワイマール法に明記されていた。
これが国難の下(緊急事態)で、大統領への権限の集中(同時に、多数派獲得政党の権限集中)を招いた。
繰り返すが、自民党憲法草案には、国家の権限権力の肥大化のへの歯止めが見当たらない。よく云って蔑。
 
 草案に書き込まれている中央ー地方分権道州制はむしろ、国家の権限、権力強化になる可能性が大きい。
戦前、敗色濃厚になった日本当局は本土決戦を想定して、実際は機能しなかったが、道州制導入を検討した。
なお、首都東京の在る関東では実施され、末期には関東州が存在した。
 
 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。
 
 
    <<色川大吉「自分史」から該当箇所の引用>>
 
>>色川大吉日本とヨーロッパの歴史の抽象的比較には異論があるが、<戦後日本の民主主義の制度、空気支える実体>に潜む大きな限界と云う観点から、一面の真実を含んでいる
異論の大本は歴史は各国、各民族、固有のモノがあり、ヨーロッパと比較する場合、対象は何処の国なのか、限定すべきである。各国によって、大きな違いが在り、この文中にある様なひとまとめにした抽象化した民主主義の典型はオランダの歴史にある、と想う。ドイツ、イギリス、そして、アングロサクソン新大陸移民国家等々~大きくパターンが違っている。
 
 一面の真実とは日本では歴史的地政学的特殊条件によって、欧米型の民主主義は定着し辛い、と云う事だ。
コレは悪い側面だけでなく、良い面、幸運な面が多い。がそれが却って、近代以降、悪い結果をもたらす場合があった。
 
 自民党憲法草案は悪い結果をもたらす可能性のある日本的条件を敢えて明記し、それに対抗する明確な法的歯止めが事実上、見当たらない。
その類のモノにはすべて、公益、公的秩序最優先の限定事項を設けて、空文句にしている。
政治上部構造のファンダメンタルズから遊離した独自運動、暴走への具体的歯止めは自民党憲法草案には明記されていない。
戦前の軍部独走が違った形で繰り返さないとは限らない。そもそも危機に時代には軍と政の区別は不明確になりがち。トータルとしての国家機構の独自運動化である。
 
 >自民党憲法草案は見せかけは文言上、理念的装いをしているが、本質的に理念はなく、現憲法にツギハギしただけの安易な折衷憲法であり、日本的特殊条件の裏表を強く認識し、日本にあった民主主義を創造しようと云う志が感じられない。
TPP事態も勘案すれば、憲法よりもTPPが実質的に上位に来る可能性が大きく、こんな民意を一貫して蔑にし、強く限定する憲法草案では、統治者が間違った判断をすると、日本国民の生命生活労働の保障はない
 統治者性善説憲法草案である。統治者の独走への対抗物、歯止めがない
 この点に置いて、イタリア、ドイツの憲法と大きく違う。
 
 日本軍国主義体制は既存の国家行政機構のなし崩し、総ぐるみのファッショ体制への移行で在る。
特定の政治党派、と運動が国家権力を握ったモノでない。支配的体制への国内的抵抗要因もほとんど無き等しく、また、そうしたモノが生み出される民主体制も乏しかった。
 
 日本の軍国主義体制への移行の基本動機は当面の世界市場の再分割戦に相応する国内体制の安易な強権的硬直化だった。
 
 従って、敗戦による国民の自主的な責任追及も対象の特定が曖昧になり、甘くなる。
論理的に云えば、統帥権を有する天皇が最高政治責任をとって、その下で各々権限を行使し、戦争遂行した責任者は国民によって裁かれるが、そうでなかった以上、当時の戦争遂行者は政治責任を回避した弁明に終始する。
勝者の軍事法廷と云う事実も重なってくる。
そして当時の支配層はマスコミの如く、一億総懺悔の様な、国民に政治責任を転嫁できる。
 
 米軍による極東裁判のみ、と云う現実は戦後イタリア、ドイツではなかった。
コレが良いとか悪いとか、云うのではなく、歴史的地政学的に日本と日本人の置かれた、逃れられない歴史的条件である。
 
 自民党憲法草案はこの点を克服する志と具体的法制措置がない。
 
 現憲法9条を欺瞞だとか、国家の本質からそれている、とか何とか簡単に片づける人たちがいるが、象徴であろうと天皇制を1~8条で明記すれば、その政治バランスとして9条の如き措置は当時は必要だった。日本人の本質的政治意識は敗戦によって変わった訳ではない事は直後、総選挙における戦前、継続政党の圧倒的多数獲得で明らか。故にGHQはマスコミに特権を与えて啓もうに腐心した。
 
 コレが敗戦直後の戦前戦後の継続と云う、リアルな日本の政治力学であり、この事態が戦後日本の思想政治の本質と断定できる。
その後、市民革命の実行がなかった以上、そういう本質的断定が成り立つのだ。
 
 9条を政治バランスとして必要な戦後日本の政治思想の本質を我々が痛感する機会が希薄になったのは、経済成長による経済下部構造の膨張による政治的希求の減少、つまりは本質の表面的な風化現象に過ぎなかった。
 
 日本国憲法の文言はフリーズしたままで、運用が時々の情勢に基づき改変された。
運用によって改変され続くけていた状態が時々の戦後日本の政治思想の本質を潜在させた、時々のリアルな表層の政治力学である。
 
 自民党改憲草案はバブル崩壊後の日本閉塞状態の常態化、グローバル資本制の台頭などの外的要因による戦後日本の政治思想の本質がアカラサマニなってきたモノと位置付けられる。
 
 そして、日本と日本人の逃れられない歴史的地政学的条件(持って生まれた幸運な条件でもある)が再び悪条件に転化する。自民党憲法草案はこの歴史的政治過程を促進するモノである。
 
 
 >>「日本にとって隣国が朝鮮中国だったことが幸いした」。色川大吉「自分史」から引用。
色川大吉「若者が主役だった頃」岩波書店刊。ー1925年生まれの戦中派、民衆史観の歴史学者の自分史ー
 2012/10/14(日) 午後 3:36をクリックして参照。修正記事の追加による字数制限のため今回掲載できず。
 
追記。
韓国大統領選挙(朴元独裁者の娘の与党候補優勢)、日本衆議院総選挙(自公、維新優勢)は共にグローバル資本制下における利潤率低下にブチあったった経済支配層の、株式市場で云う<利益確定>の様なモノ。売られているのは多数派国民の生命、健康、生活、労働、なけなしの資産だ。
コレらの輩の本懐はその程度のレベル。
先を見据えた反撃態勢の構築が求められている!