反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

日独の解釈改憲に対する長い補足意見。~極東の日本の地政学的歴史的環境は米国と複数国の安保NATO、ドイツが超過利潤を獲得できるEU圏の枠組みのあるドイツのおかれた環境とはあまりにも違いすぎる。

 前日の記事の冒頭、
(1)伊藤真さんのマガジン9の記事から引用した部分と
(2)「憲法劣化の経済学」~ドイツと日本の戦後から考える~相沢幸悦から、引用した下記の項目に対して、自分の意見を補足する必要がある。(前回記事の長文記事の半ば以降の引用した部分)
 第2章ドイツの侵略戦争への謝罪
連邦軍の創設
>(3)軍事的国際貢献
解釈改憲によるNATO域外派兵
連邦軍の域外派兵
NATO域外への軍事攻撃
それぞれ、今、国会審議されている安保法制案に「直接、関わる問題である」。

(1)法律の専門家(弁護士)である伊藤さんのような論法に度々接してきて、それはそれで真っ当なものであると考えてきたが大きな引っかかりを感じてきたのも確かなことである。
原因の一つは自分の変えることができない、あるいは変えてはいけない思考パターンにあることは承知しているが、
世の中の全てのリアル状況から、憲法と云う国と住民の在り方の大枠を規定する理念的法律や様々な法的制度を、法的角度から「だけ」スクイ取って、取り上げている、という大きな限界を感じてしまう。
従って議論の枠組みの設定が法的に専門的でありすぎて、そこららこぼれおちる生々しいゲル状の現実は、スクイ取られていないで、そのままその場所に放置されている。本人が意識するしないに関わらず、その部分があまりの大きすぎる。
周りくどすぎる表現になっているが、コレが実際のところではないか。
法律の専門家が、そういう問題の立て方をするのはしょうがないし、それはそれで正しい見解である。
 
>しかし、我々庶民は、伊藤さんのような見解に踏まえて、それ以外の暗闇の部分を含んだ<現実>に照らし合わせて、考え行動する必要があるのではないか。
>同時にそうでなかったからこそ、我々の側にぜい弱なところがあったのでは、と。
 
まず第一に。
アベ政権は<真逆の方向>から、諸法制を立法化することによって、自民党憲法改正草案に明記されて項目を実現しようとしていると、この間の推移をまとめているが、Wが直後に示したように、ナチスドイツ時代は『ワイマール憲法は形骸化しながらも残っていたのであって、「ナチス憲法にとって代わられた訳でなかった。』
首相に指名されて以降、短期間のうちに、ナチス党の暴力を背景に、独裁政治に邪魔になる政治勢力を弾圧しし激流のように、ワイマール憲法解釈改憲を次々におこなっていった。
時代の流れは一気に圧縮されて、移り変わっていった。
もちろん国内事情だけではなく世界恐慌、賠償負担、敗戦による領土縮小など外因の相乗効果も大いにある。
 
コレも真逆の方向と云えば云えるし、極め付きの法の下克上、というかナチス秩序唯一の無法状態の出現、それが強制収容所や東西南北への侵略戦争として爆発した。もちろん実行者はナチスだけでなく、ドイツ軍とドイツ国民、国外の支持者である。
ナチス理論の基礎となったカールシュミットの民主主義議論まで立ち入って考えてみる必要がある。
ワイマール憲法の政治状況は、革命か反革命の独裁にしかたち至らないものであるとの論証がワイマール憲法観の根幹である。フランス革命の事例を挙げるまでもなく、民主主義政治は本質的に独裁政治に転化する内容を元から含んでいる。だからこそヒットラーナチスは、ワイマール憲法を利用して政権の座について、そののちも破棄することはなかった。
日本においても二大政党制は軍部独裁に転化した。
 
確かな歴史的事実から、アベ政権は、<真逆の方向>の特殊な手口を使って、いる訳ではなく、むしろ支配層として常道手段を行使していることを、指し示している。
 
政治の現実を法的角度から切り取った法律家の論理は正しいが、そこからこぼれおちる現実があまりにも多すぎて、実際の政治は、その次元で蠢いてきたし、今も蠢いている。これからもそうであろう。
 
丸山真男日本国憲法を神棚に祭るようなことではあってはならない。民主主義制度は少数者の多数者支配の道具である。ならば、支配されている多数者は永続的に戦っていかなければならないといった。その戦いの一つは憲法の中身を日常的に現実化することである。この論法は自分固有の思考パターンではないが、賛同するものであり、この点からも引っかかりを感じる。
 
現実的なことを云えば、高度経済成長以降から今までに青春時代を過ごした者の多くは、それ以前の人たちのような日本国憲法への憧憬は全く抱いていない。イロイロ苦労したり、その環境にあったものは、日本国憲法の存在意義を政治的にt理解できるようのなったのだ、と考える。
現実がそういうことであれば、伊藤さんの法律家的論理を理解できる人たちの範囲は限定されてくる。
何よりも政治の現実は、<真逆の方向>の特殊な手口を使って、いる訳ではなく、むしろ支配層として常道手段を行使していることを、指し示している。
理念は正しいが、現実は間違っている、あるいは大きくづれている、と云う基本認識が、現実に対して、どこまで耐性があるかということだ。
 
第二。
先般、実施された大阪都構想住民投票
投票公報における橋下徹大阪市長のあいさつ文を繰り返し読むうちに、政策展開で克服できる領域の問題を
根本的な改革と称して、一気の制度改革に持ち込もうとしているとみた。そのような硬直した政治手法は多数の住民に一気の不幸をもたらすものである。
また、その一気の制度改革の結果もあらかじめ予想されるものであった。<反革命>そのものである。どのような想定をしても国家ーグローバル資本複合体に最適環境を提供するものにすら至らないところはお笑い草であった。稚拙で次元にの低い政治である。
 
 しかし、橋下徹大阪市長の「一気の制度改革に持ち込もうとする、硬直した政治手法」と憲法を神棚に置く政治手法は、立場は違っていても硬直という点において同質であるようだ。裏表の関係にあるのかもしれない。
 
 よく考えてみると、大半の日本国民の日常は形の上では法律と直接接触しない、意識しない習慣のなかで成り立っている。
イギリスには成文憲法はなく、統治する側とされる側の関係は、国王と議会の相克の歴史の中で、取りきめられたられた両者の実体関係を規定する歴史的文書で代替えされており、成文憲法などなくても、一般法の枠内で用が足りている。一応、世界史上最初の市民革命を引き起こした国の状態がコレだから、我々もこの角度からよく考えてみる必要がある。議会、住民、支配層が沈着冷静な分別を持っていれば、憲法はなくてすませることができる。だがコレは世界で最初に市民革命の期間を経験した固有の歴史によってしか形成されないものであり、日本には当てはまらない。
 
 世界初の憲法はイギリスから逃れた清教徒の流浪先である米国憲法であるが、崇高な内容ではなく、ドライに統治機構の要点を列記したものである。成文憲法のないイギリスからの移民者であれば当然のことである。市民革命精神は日常において具現化されていたのである。
その直後、フランス革命がその精神を引き継いだが、成文化された憲法を後生大事にしたと云う話は聞かない。
革命はジャコバン独裁から民会勢力の政治を経てナポレオンの出現に至り、フランスの国民国家が形成された。
いづれにしても、成文憲法のないイギリスでは城内平和が保たれたが、米仏の憲法平和憲法でないことは確かである。以前の記事で血なまぐさい歌詞の内容のフランス国家を取り上げたが、今回はそこまで立ち入らない。
 
 ドイツのワイマール憲法は世界初の民主主義憲法と云う人もいるが、1919年革命後の階層間、政治勢力間の妥協の産物であり、後の紛争の火種が記されていた。その意味では日本国憲法はワイマール憲法に似ている。
 
 率直に云って、日本国憲法の修正すべきところは修正しても、一向に構わない。
しかし、敗戦によって事実上の市民革命をGHQによってやってもらって、冷戦体制から世界中で最大の恩恵を得て、史上まれな異常な経済発展を遂げ、現在の国家ーグローバル複合体体制下にある日本原住民の側から、真っ当な理念ある改憲案が提出できるはずがないし(自民党改憲草案はその例)、日本国憲法の旗が取り換えられたら、日本国民は内外に対して真っ当なアイデンティティーが保てるはずがない、というどす黒い暗雲のような疑問が浮かんでくる。世界戦争に2度も負けた今のドイツの現状に照らし合わせるその疑念は深まる。
日本は一度しか負けていないのである。
こういう本音を持っている人はかなりいると思う。唯、国民をばかにしたように取られるから、本音を公言しないだけだ。憲法論議は建前議論に流れがちだが、自分たちの欠陥をえぐり出して、議論しなければ、国家ーグローバルい資本複合体の利益のための改憲によって損をするのは、多数派の国民自身だ。
 
日本国憲法は戦前史と日本歴史の到達点でもある。同時に日本と近隣諸国、米国を中心とする関係国との関係のたまものでもある。米国は米国支配層の利益になるためならば、日本国憲法改憲に賛成する。
 
どうしたことか法律家は法律を中心に世の中が回っている、あるいは法律で世の中が変えられるという習慣に捕らわれているようだ。
ところが投票行動をする大半のヒトは、法律と直接接触しない、習慣のなかで日常生活を送り、判断を下している。コレは民主主義の世の中としては、少なくとも米国のような弁護士ウジャウジャの訴訟社会より、安心できる社会である。さらにもっといえば、法による統治の希薄な社会も世界中でたくさんある。
そういう意味からも、法的枠に限られた議論には限界と現実に即環ないところがあまりにも多すぎる。
 
戦前日本の政党政治の末期に、二大政党の政友会が民政党との政争の果てに、ワシントン軍縮条約締結を契機に、帝国憲法に明記された天皇統帥権の干犯行為であると騒ぎ出し、以降軍部の政界占領の道筋をつけ、政界のコントロール外に中国戦線が拡張していった歴史的事実も、軍事力による真逆の方向からの解釈改憲ではないのか。
 
このことを確認して、
総じて、第一次→第二次世界大戦の主導力は世界的金融資本の旧来の世界市場を、新しい勢力に応じて再分割しようとする流れと、それを阻止する流れの対立である。コレは<政治の他の手段である世界戦争によってしか解決できなかった>。世界戦争を止める手段はなかったのである。
新しく拡張する帝国主義は、世界戦争の時代における後発の社会経済構造から、歴史必然的に非民主的で残虐な政治軍事を実行した。
 
スターリン体制にも同じことが云えるが、この主導因ではない欠陥体制が第二次世界大戦を通じて一気に勢力を世界的に拡張したところに、当時の帝国主義の獰猛なベクトルをみる。
 
したがって、今とこれからの世界情勢が、一次と二次の世界大戦と
その結果を受け継ぐ戦後世界体制である冷戦時代とどこがどう同じで、どう違うのか、主観的観点をなるべく排除して明確にする必要がある。
Wが過去の記事で1930年代論を中心に書いてきたことは、この問題意識に基づいている。
歴史はできるだけありのまま、リアルに直視しなければ、現状に対する判断はづれてくるし、一部にしか説得力は及ばない。
あれだけはっきりとした判断材料が目の前に転がっている、大阪都構想住民投票の賛否の結果が、たった2万票未満とは恐れ入った。説得の仕方が間違っていたとも思えない。
要は、大きな抽象論と、リアルな現実の一端を結びつけた巧妙な宣伝、扇動に対して、自分の足下の利害関係を蔑にして、ムード的にしか反応できないと云うことである。情報化時代において多元的な情報収集に労を惜しまなくてよいと云う習性も影響している。一元的な情報で済ませることができるのである。
改革をやっていればそのうち何とかなるだろうぐらいにしか考えていない。しかし、これからの国家ーグローバル資本複合体の時代の制度改革とはそんな生易しい次元の問題ではない。ほどほど、なあ~なあ~にとどまることはない。立場によって良い悪いが極端に表れる。
同じ敗戦国でも2度負けたドイツの人たちはようやくわかってきたが、日本国民多数はまだ分かっていない。
欧州と極東の政治軍事問題を目の前に突きつけられないと云う地政学的環境の違いも大きい。
次の第3の項目で述べることになるが、ドイツ国民多数が事実上解釈改憲に同意している事実と日本の内外状況と歴史はあまりにも違いすぎる。戦後の応酬は広域経済圏の枠組みが早くから実現し、冷戦体制崩壊後、ユーロ導入に至った。NATOの集団安全保障の枠組みもあり、日本のように直接、米国との軍事同盟に依存しなくてよい。米国と欧州と云う複数で対峙できる。
>政治は基本的に1対1の関係の中からは生まれず、3以上の関係の中で機能する。
アジア諸国の米国との関係では、米国はハブのような個別関係のプレゼンスを得ている。
ということは本質的に政治を有効機能させているのは、米国の身とすら言える。
>以上のような日独のおかれたあまりにも大きな地政学的歴史的環境の違い、において、ドイツの解釈改憲による、作戦行動の域内(これもNATOと云う安全な枠組み内)から域外への拡大と日本の今、国会で議論されている安保法制の内容が同一テーブルで論じられるはずがない。
>更に昨日の記事で見指摘したが、ドイツはEU圏の枠組みのなかで超過利潤を得られる構造を獲得しており、域外軍事行動は、云ってよければその見返りである。日本はプラザ合意以降、日米軍事同盟によって、経済的果実を得てきたとは云い難く、むしろ経済面ではことごとく譲ってきた。にもかかわらず、米国経済の空洞化は止まないと云う必然性がから、米国は更なる進化した要求を打ち出していく。
>日本の今国会で議論している安保法制の要請も米国の要請が主導したものである。米国に対してEU圏やNATOの複数国の政治が打てない。またドイツに対するフランスのようなプラスマイナスの補い合える国が存在しない極東の日本では、安保法制は結局、米国の都合によって日本軍事力が世界展開することにしかならない。
おまけに、政治軍事面の以上の事態と経済面のTPP日本参加がぴったりと符合している。
したがって、結論的にいえば、今の安保法制審議とTPPは日米にわたる国家ーグローバル資本複合体と、そこにインクルードされた者どもの利益のために、それ以外の国民を収奪するためにだけある。
1930年代のナチスドイツではないが、一気に従来なかった種類の重要法案が立て込んできている事に注目する。コレが偶然ではない。圧縮された歴史の転換点を今目の当たりにしているのある。
この政治状況を包括的に明らかにできない、ところにも問題がある。
2020年以降に結果は、あまりにもはっきりする。
 
第三。
(2)「憲法劣化の経済学」~ドイツと日本の戦後から考える~相沢幸悦
第2章ドイツの侵略戦争への謝罪
連邦軍の創設
>(3)軍事的国際貢献
解釈改憲によるNATO域外派兵
連邦軍の域外派兵
NATO域外への軍事攻撃
の各引用部分の内容から明らかになように、「それぞれ、今、日本の国会審議されている安保法制案に「直接、関わる問題」、そのものである。
ドイツでは、1968年の非常事態法の成立から、それぞれ立法化し、基本法NATO域内派兵原則というドイツ統一以前の解釈部分をNATO域外派兵に拡大解釈替えし、派兵部隊の武力行使を可能にしてきた。
 
 NATO域外派兵の決定的契機は次のようになる。
「*1995年。連邦議会は、ボスニアの平和実施部隊への兵士4000人派兵を承認」(W。ボスニア紛争を調べたところ、当地では1995年10月の停戦まで文字通り血で血を洗う大量虐殺こみの激しい内戦が繰り広げられいた。
したがって、ドイツ国防軍の大部隊の派兵はホット極まる平和維持活動、(自衛隊が派兵されているような単なるPKO活動ではなく、自衛的武器使用も可能になっていたと思われる)を通じて、
 
 以下のドイツ国防軍の軍事行動は空襲による相手の戦闘能力の壊滅と云う攻撃段階をドイツ国会が承認したことを意味している。もちろんそれは、ドイツ国防軍の戦闘地域をNATO域外に拡張する、新解釈によるものであるが、その論理に注目する必要がある。ユダヤ人大量虐殺の歴史的事実を逆手に取り、自分たちの都合を押し隠し、作戦行動域をNATO域外に拡張したものである。同時に、ドイツの戦争責任の取り方の歪さを露呈させている。
もちろん一番肝心なことは、政治と軍事の世界で、どうして、ドイツ国防軍が三度、攻撃段階に転じるのかである。
コレは政治や軍事の流れの中だけでは、理解は全く不十分である。
「正常な」判断力に基づく軍事行動は経済的利益に即応するものとするならば、国防軍を三度、攻撃に転じさせた経済的動員を重視する必要がある。
EU圏の衣は競争力の著しいドイツ国家ーグローバル資本複合体には、ぴったりとはまり、利潤を積み上げていくアイテムになった。その補助要員としての攻撃的軍事行動段階への解釈改憲である。
詳しい内容は憲法劣化の不経済学に記されているが、昨日の記事で一部しか紹介できないのが残念である。
 
「>1999年3月26日、NATO軍によるユゴスラビアく空襲ででドイツ政府は、戦闘爆撃機を攻撃の第一陣から4機参加させその後の攻撃にも加わった。」
*この攻撃の前年
>「1998年10月、連邦議会は、580票のうち賛成500票の圧倒的多数で、(W。社民党みどりの党の賛成した勘定になる)戦闘爆撃機などユーゴ空襲に投入する計画を連邦裁判所の判決道理事前承認。」
 
その理由は、とんでもないものである。
「*当時のシュレーダー首相(W社民党)はユーゴ空襲の必要性を「歴史に責任を負うドイツ人W?!だからこそ虐殺や民族追放に目を閉ざしてはならない」とのべた。
平和主義と非暴力の原則を掲げる緑の党の党首フィッシャー外相も空爆実施を支持したが、それは『アウシュビッツを繰り返してはならないと云う歴史の教訓』がコソボ紛争に対する基本姿勢を決める基盤となったと云う。
 
 W。第一次世界大戦の火ぶたが切られたのは、クロアチアサラエボでのオーストリア皇太子狙撃であったように、バルカン半島からトルコにかけての地域は、旧ドイツ帝国主義の利権を結ぶ回廊で、(レーニン帝国主義論」~ベルリンーバクダッド鉄道構想など~に詳しく記されている)その後、ナチス支持者とその政治軍事部隊が蛮行を繰り広げてきた地域である。拠点のクロアチアではセルビア人の大量虐殺もあった。チトーのパルチザン部隊の攻撃対象は、ドイツ占領軍と現地の支持者たちであった。
 
 そういう歴史を踏まえると、社民党緑の党の党首のユーゴ爆撃を支持する発言に、ドイツの戦争責任の取り方の特殊性、ご都合性、問題のすり替え、がくっきりと浮かび上がっている。
その基本は「責任はヒットラーとナチズムにあるので、戦後責任を取り、戦後の克服を果たす方法は、徹底したナチス戦犯の追及W?、ユダヤ人に対する十分な補償(ユダヤ人個人ではない)と云うことのなった。」~憲法劣化の不経済学~
 
 
 
 
 ウクライナ紛争における親ナチ勢力の動向が話題になっているが、当地はもともと、旧ロシア帝国勢力圏ではドイツから移民の一番多い地域であり、ポグロムユダヤ人虐殺暴動)の多発する保守的地域であった。
 
 
 
 ソ連邦崩壊のゴルバチョフエリツィンの10年の時代に、ソ連国営企業の職を失ったり、国内状況に見切りをつけた高級技術者の移住先は圧倒的にドイツになっている。総数5万人~8万人未満の規模だったと記憶する。~大前研一ロシア情報~ソ連崩壊によって、人々は政策のために大量死するばかりでなく、技術の流出も大きすぎたが、敗戦ドイツにとって、ヨーロッパ大陸において<あらかじめ約束された地位>への復帰の歴史的結節点だった。
>余りにも大きすぎる制度改革は、<革命>か<反革命>にしか行きつかない。コレは政治の法則である。
ドイツの敗戦、分裂国家は<革命>の転化する内外要因を予め含んでいた、と云うことだ。
資本主義の経済史の推移から、ロシア革命はドイツ革命に連続しなければ、やがて潰えていく条件を含んでいた。それはスターリン体制になり、70年後に瓦解した。よく70年間もった方である。よほど、金融帝国主義には問題があったのだろう。冷戦体制崩壊後、4半世紀が過ぎた今、産業資本主義から帝国主義の時代に転化する19世紀の後半から20世紀の初頭の歴史の階梯を螺旋的に繰り返していると、イメージしている。ただし世界戦争はもうない。低強度戦争状態が世界的に日常化する。バブル循環の国家ーグロ複合体は、軍需と戦争ななければ立ち行かないのだ。その場合、低強度戦争の世界的日常化状態こそが、自らの統治と収奪機構の維持の最適環境である。
 
そいう意味を込めて当時のロシアの革命家は<永続革命>と自らの権力奪取の展望を見出した。だからこそ、戦時中に書かれたレーニン帝国主義論」や「背教者カウツキー」のなかで、ドイツ社民党の理路音的主流派の流れをくむカウツキー2執拗な批判を繰り返したのである。
日本の敗戦は<革命>をもたらした。明治維新も中身は旧体制の支配層の一部の横滑りだが、一種の<革命>効果をもたらした。
 ドイツは第二次世界大戦後、国土に二分され分裂国家を強いられたが、冷戦体制の恵みも受けてきた。
戦争責任を人道に対する罪に限定され、東京裁判のように平和に対する罪は問われなかった。(東京裁判は人道に対する罪は問われなかった。)徹底的に追い詰めずに、逃げ道を開けておくのが、賢い統治の仕方である。
日本の国体は形を変えて新しい日米にわたる統治機構にすっぽりと組み込まれた。
今上天皇の発言を憲法擁護であると云々する人たちは、国家ーグローバル複合体に真剣に向き合う必要のない人たちで、基本的に現状維持派である。政権が変えようとしている方向への反対が主導因。の立場から、アベ政権の動向に危惧をし、反対をしている。生きて生活労働ししていくためには、現状を自分たちのために変えていく必要がある、と云う人たちの中から、現状変革のエネルギーがもたらされる。
東西連戦の最前線と云うことで賠償金は求められることがなく、主としてユダヤ人組織に対する保障である。
米英軍は戦後世界体制の構築を見越して、工業地帯の西ドイツの生産設備を温存した。
なお、戦前日本の生産設備の70%は破壊からまぬがれたと、専門書に記されていた。修理すれば再利用できるモノが多かったのだろう。全部、焼けのが原は都市伝説だろうか。でなければ、朝鮮戦争終了時に戦前ピークの生産力を回復できるはずがない。
このため、戦争責任問題をヒットラーとナチズムへの追及と賠償の枠に留めることになり、ドイツ国民の侵略戦争に参加した、と云う問題意識は一般化しなかった。ドイツ国防軍と国民は戦争責任のらち外に置けれ続けた。戦後ほとんど政権を担ってきたキリスト教民主党の大きな支持基盤は、ユダヤ人の虐殺までは、しぶしぶ認めても、侵略戦争は認めたがらない層と団体であり、ヒットラーとナチズムを抜きにすれば、日本の自民党の支持層とよく似ている。ドイツ社会民主党は、日本の民主党とほとんど変わらないと思った方がいいが、なにしろ19世紀後半からの歴史と伝統のある政党なので、政治力や政策能力がある。
日本の政界の決定的違いは、みどりの党、左翼党(リンケ)が、半数に迫る野党の議席の4分の1弱を占めていることである。
憲法は歴史と時代状況の真っただ中に存在する。日本国憲法は、日本支配層の支配と搾取の
基本動向に理念的に縛りをかける性格があるのだから、その時代状況に適応した自分たちの都合の良い統治と利益追求機構を是認する憲法に変えたいと、長年欲求してきた。理屈だけではなく、戦前戦後を通じた日本支配機構とその構成員の欲求である。日本国憲法はGHQに押し付けられたなどと主張するが、昨日の記事で挙げたリアルな戦前史の立場に立てば、太平洋戦争における米軍による日本軍事力の殲滅と日本占領統治こそが、実質的に、日本の市民革命の代替えをしたと云う、まぎれもない現実にぶち当たる。
自民党の2012年憲法改正草案にはその欲望がもろに開花している。
 
時間不足で終了。