反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

安保法制成立と市民の武装権、抵抗権。「冬の兵士~イラク、アフガン帰還米兵が語る戦争の真実~」反戦イラク帰還兵の会 アーロングランツ引用への道。

安保法制成立のときの問題意識を突き詰めていくと、人民の武装権、抵抗権を視座に置く従来の思考パターンに立ち戻った。
 
 過去の記事では合衆国憲法修正第2条やアメリカ独立革命戦争以降の歴史を問題に据えた記事を何本も書いてきた。
 
その中に小熊英二著「『市民と武装アメリカ合衆国における戦争と銃規制』(慶應義塾大学出版会 2004年)を取り上げた記事がある。
この著の主要問題意識は、次の通り。(当の記事を探す時間がない)。
入植マイタウンの建設拡大、住民自治と銃器による自衛武装対原住民戦争による処女地の獲得。
 
更に進んで18世紀後半の独立宣言、独立革命戦争におけるアメリカ軍と民兵VS近世ヨーロッパ傭兵によって編成されたイギリス軍の双方の戦闘力の大きな違い、戦争実態。
世界初の憲法発布。(市民革命の系譜について後述。日本付加体列島原住民の世界観?に行き着く)
 
19世紀半ばのアフリカ系黒人奴隷大量使用とアメリカ市民戦争(南北戦争)におけるアフリカ系の軍隊編入問題。

 わが身に起こったこの状況(成功物語)は特殊アメリカ的条件によるものにもかかわらず、絶対理念化して(国家と市民社会の物質的豊かさ、強さを積み上げきた普遍化=世界化であり、覇権国家として台頭したリアルなアメリカ史の実証を伴っているので単なる理念ではなかった)、戦争政治のリアルな哲学の問題として深めることができないのがアメリカの特性だから、ベトナムイラク侵攻占領政策が繰り返された。
 
クラウゼビッツの「戦争は他の手段を持ってする政治の継続である」と云うテーゼの戦争論が研究された出したのはベトナム戦争敗北以降であった。(その結果、低強度戦争戦略へ~テロとの戦い⇔『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』 上下巻 、岩波書店
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アメリカでは伝統的に自由主義の政治イデオロギーに基づいてクラウゼヴィッツ的な戦争理論ではなく(Wアメリカ史の)規範的な観点から戦争が論じられてきており、クラウゼヴィッツは評価されていなかった。したがって、戦争が政治の延長線上にあることを認めておらず、戦争の唯一の基準は敵の殲滅であると考えられていた(W。古代ギリシア、ローマ型の戦争観を引き継いでいる)マッカーサー元帥は戦時と平時の区分を明確にした上で戦時においては政治家から軍人に全面的に責任が移行すると考えていた。(W。アメリカ史から云えば、政治家と軍人の垣根は低い。現実に元軍人政治家も多い。それだけ戦争観が原理的なのである。)」

 現状のアメリカの戦争戦略の最先端は世界的に優位な軍事力に基づく経済利得発生効果を狙った<低強度戦争>状況の世界への散布であるが、テロの原因の除去を目指すのではなく、結果としてのテロとの戦いの戦略化の故にテロ発生構造は再生産され、拡散される。
 
しかし、その一方で今なお戦争論 - Wikipediaの「  」に引用した観点は基盤となっている。
低強度戦争戦略がベトナム戦争イラク戦争型の破壊的殲滅戦段階に突入する可能性を常に秘めている。
イラク戦争の制圧戦が殲滅段階に達している証言は「冬の兵士~イラク、アフガン帰還米兵が語る戦争の真実~」反戦イラク帰還兵の会 アーロングランツにしるされている。
 交戦規制は自由運用された。日本の安保法制の審議の中心であったが、東アジア的「平和」環境にドップリト浸かっているいる人々にはリアル感はなかった。
その場合、現状将来のアメリカの経済財政、軍事力では、その負荷を背負いきれないので、多国籍軍、有志連合軍の形の他国軍を戦乱地域に動員して軍事力を一翼とする。
 他方、他国の支配的政治勢力国家ーグローバル資本複合体化し、アメリカ支配層と同一利益基盤に立っているので、進んで軍事力を提供する。軍隊(紛争、戦争)を外交のアイテム化したい。そして、ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義。
 
原因は上記に示した、あくまでも特殊なアメリカ史を理念化(アメリカの成功物語)しているところにある。
(原点は南北戦争の黒人解放奴隷の部隊編入アメリカの戦争観は原理的に民族人種混合軍指向であり、軍内の民主が課題とされるが、コレが地上制圧戦へのぜい弱性となって表れる。)
 
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 この記事の最終目的は、「冬の兵士~イラク、アフガン期間米兵が語る戦争の真実~」反戦イラク帰還兵の会 アーロングランツ TUP訳(トランスレイター フォー ピース)岩波書店2009年発行の生の証言を引用することである。
しかし、安保法制成立以前と以降の事態の推移を念頭に置くと、この本に示された生々しい証言を、個々の自律的な思考、行動の基礎である人民(市民)の武装、抵抗権のフォーカスから読み込む必要がでてきたので、いきなり上記の本から引用する訳にはいかない。足元の地ならしが必要である。
 
>また実際に、この本のリアルな証言は、「個々の自律的な思考、行動の基礎である人民(市民)の武装、抵抗権」を承認する立場から発せられたものもあり、そのフォーカスから読み込まなければ深い理解は得られない
 
 普通、こういった翻訳本には、日本側の解説がつきものなのだが、ソレが一切なされていない。
どうしてなのか?と思いを巡らせてみると、できなかった、と云うのが正直なところではないか、と理解する。
結論的にいえば、これらの証言及び見解の根底には日本の戦後民主主義日本国憲法の枠を大きくはみ出す「政治思想」が本人たちが意識するしないにかかわらず、流れている。合衆国市民社会の歴史の中から兵士になると云うことは、そういうことである。
これらの証言は戦争と平和、人民の武装権、抵抗権の血塗られたアンソロジーでもある。吐き気を催すような殺人者たちの証言集でもある。
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 反戦帰還兵に一貫する思考パターンは戦争とリアルな政治と経済問題を直結させていないことである
アメリカの外側からみると、いわゆる経済徴兵の事実はあまりにも明らかなのに、当の本人たちにこの観点からの深い切り込みは乏しい。
 
 市民社会に軍隊勤務が浸透しているのが、昔も今もアメリカの現状であるが、徴兵制が廃止されて以降、大きな戦争が起こると、中間層や上層は軍隊に動員されず、貧困層を中心に国民のごく一部しか軍隊に動員されない現実が、露出する
だからこそ、軍隊に動員される生活労働の足元の証言がいる。これらの証言者は自分の足元を直視しているとは云い難い。戦争現場の証言は具体的だが、それを判断する価値基準は理念的領域に留まっている、と云わざる得ない。
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 証言者の多くは参戦前の州兵が、現地駐留兵14万枠を維持するために、そのまま、現地に動員されたのだから(駐留軍40%は州兵など予備役からの動員、しかも複数回派兵されているものも結構いる)参戦前の生活労働状況及び「政治観」との派兵後の繋がりは避けて通ることができないはずだが、派兵前の証言は軽くスルーされている。
 
 しかし、このような構造はアメリカだけではない。日本でも同じことが云える。現時点では程度の違いにすぎない。ワーキングプアーの多くは、中間層とともに橋下維新やアベの支持層になっているのではないか。
彼らの言動と、アメリカの経済徴兵されるモノは同質である。だからこそ、冬の兵士のような生の証言は大切になるが、批判も必要。
 
 低強度戦争拡散状況において、イラク戦争規模の戦争は想定内なのだから、イラク戦争で判明した米国の財政と政治の限界から、当然、安保法制成立後は、米世界戦略の下での自衛隊派兵など多国籍軍、有志連合軍による埋め合わせを米国政府は要求している。
 それに呼応して、政府の基本方針は自衛隊海外派兵を外交のアイテムに使用する、としている。兵士の犠牲を前提とした国家ーグローバル資本複合体の世界市場における利益追求であり、極めて階層的な問題があからさまになってくる。
 
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 現時点の国家の軍隊どうしの抑止力、軍事情勢は確かにリアルな現実である。特に東アジア、東南アジアでは大国の軍隊、軍事同盟の力の均衡状態が、軍事情勢を大きく規定してきたので(中国統一、朝鮮戦争ベトナム戦争)、その状況を日本国憲法と絡めて固定観念として戦争と平和の問題、課題をとらえがちである。
コレが戦後民主主義を育んだ土壌であり、現時点で意義もあるが限界もある。

安保法制論議、反対世論の動向を前にして、この思考パターンの底と幅をもっと広げる時期に到達したと考えていたが、実際の作業は、能力を大きく超えるものであり過ぎて、壁の前で立ち止まってしまった。
 
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 一揆研究
一連の一揆研究書5冊(東大出版会)にざっと目を通してみたが、なにしろこれらの本に一貫して流れる一揆観は、一揆を暴力や暴動とみなす現在の傾向とやらに抗して一揆の歴史的現実にライトを当てる、と云うのだから、的が外れていると云わなくてはならない。
そうするとしぜんに、今の限界ある政治基準を尺度とする一揆の政治イデオロギーや戦術の発展程度が問題になる。それと実証性を求める学者の込み入った分類作業に果たしてそれだけの意味があるのか疑問に思った。
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日本付加体列島の地政学的位置を除外して、純政治的に考えると、民衆側の政治軍事としての一揆が戦国期の頂点において、支配的軍事力によって圧殺され(一向一揆から島原の乱へ)、その後、軍事力を駆使した一揆が鳴りをひそめたのは、世俗権力軍事力体系に対抗、併存する形での宗教権威の権力ヒエラルキーのぜい弱性に、煎じつめることができる。
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日本仏教を含めた日本型イデオロギーは本質的に人民の武装、人民の抵抗の論理を内包していない自然主義
である。方丈記(民、宗教、自然)や平家物語(「貴」族的軍事~尚武精神~、宗教、自然)の世界である。
もう一つの別次元で補う必要がある。
『民」側武力と経済基盤を制圧した世俗権力は、地政的位置(鎖国可能状態)もあって絶対主義権力への転回の傾向を幕藩体制の諸改革を通じて潜在させながら、幕藩体制の再生産構造を確保し続けた。絶対主義への転回を内在させた近世封建体制は明治「いしん」に行き着く。
 
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 「冬の兵士~イラク、アフガン期間米兵が語る戦争の真実~」反戦イラク帰還兵の会 の引用
人民武装権、抵抗権を個々人の人権の重要な要素とする事が、日本の歴史と現状においてどのような生の姿になるか、と追求する場から、、「冬の兵士~イラク、アフガン期間米兵が語る戦争の真実~」反戦イラク帰還兵の会 アーロングランツは大いに参考になる。 
 
>例えば素朴な次のようなイラク帰還兵の証言。
ジェイソン、ハード テネシー州キングスポート出身 27歳 W。ナッシュビル北東400km 広大な国立自然公園がある山間部。アメリカは大陸国家であると改めて認識した。
テネシー陸軍州兵特技兵、衛生兵、第278連隊戦闘団第二騎兵隊大隊F中隊。
W。州兵部隊がそのままイラクに派兵されている。テネシー州兵のイラク現地派兵率は全米でも群を抜いている。
バクダッド中心部(2004年11月~2005年11月。
 
W。父はタラワ島、ガダルカナル島参戦者。戦争マニアの鉄砲好きだが、息子のことになると軍(常勤の州兵)に入ることを頑なに反対。
 
『私は父の望みに逆らい、1997年8月衛生兵として入隊することに決めました。
>最初は、4年間の軍務をこなしたら現役を離れて(W、予備役にとして登録)、テネシー州ジョンソンシティーにある大学に入るつもりでした(W。故郷に一番近い田舎の大学)。けれども現役を離れる一か月ほど前に募集係が接触してきて、←(W。2001年7月除隊1か月前イラク戦争の年表 - Wikipedia  2000年4月17日 - コフィー・アナン国際連合事務総長 イラク経済制裁についての懸念表明。2001年9月11日 - アメリカ同時多発テロ事件で約3000人が死亡 2001年10月7日 - テロの報復としてアメリカ合衆国アフガニスタンを攻撃(対テロ戦争アフガニスタン戦争)。2003年開戦~<おい、きみの故郷の町に拡大部隊ができたんだその部隊に入隊すると決めれば大学の学費をたくさんやれるんだがな。
多額の学費提供をも意思出たので、後6年、テネシー州兵に留まる事に決めました。
W。除隊して田舎の大学に進学するころ、28歳になっている。この証言には経済徴兵前の証言はあるが、その後が全くない。
結論。わが身に起こった経済徴兵の実態を直視ていない。経済弱者が現地の紛争弱者を殺す道具に使われている。
 現地イラクの証言
『わたしはこんなふうに説明したいと想います。とくに南部では地元の人々にとって現実味を持って響くので。
もし外国の占領軍がアメリカに来たら、ここに来たのは私たちを解放するためだとか、民主主義を与えるためだとかいったにせよ、散弾銃を持っている者ならだれでも、丘から出てきて自決権のための戦うに違いないと想いませんか』
 
 W。素朴なヒトである。
『道路わきにいた男に通訳と一緒に近づいて、こう質問しました。
すみません。わたしたちがここにいることで、あなた方の生活は良くなっていますか。
より安全になっていますか。以前より安心感がありますか。
わたしたちはあなた方を解放していると感じますか。』
 
 その男は私の目をまっすぐ見て云いました。
『兵隊さんわたしたちイラク人は、あなた方が善意でここにいることは知っています。ですが実際のところ、アメリカが侵略してくる前は、車両爆弾の心配をすることはなかったし、歩いて学校に通う我が子の安全の心配を登校前に心配することもなかったし、
自分たちの町の道路を車で行き来するときに米兵に撃たれる心配をする必要もなかったんです』

人民の武装権抵抗権は個々人の自律的人権の基礎であると云う観点を持たなければ、現中東情勢から発生する現地と外部の事態の大切なところに目を閉ざすことになる。
しかもこの内外の状況が、今後の紛争の主流になる。グローバル資本制下では旧来思考パターンのいうファシズム軍国主義はいつまでたってもやってこない。このような姿勢は事態を直視しているとは云えない。むしろはぐらかしている。
 
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安保法制ついてのリアルな解説は、現実に安保の生の政治を動かしてきた山崎、岡田対談で語られている。
 
 >ただし、Wの課題の設定の仕方は両者とは根本的に違う。
 
 ><人民の武装>の次元から問題を立てる。
  人民の武装の基礎は個々人の自覚した自律的行動原理である人権である。
個々人の自覚した自律的行動原理である人権の中核は、人民の武装権、抵抗権である。
 
 

  参考資料 引用 <世界史の窓>
 
*(市民社会)成立の系譜、問題系。  イギリス革命 - 世界史の窓2 アメリカ独立革命 - 世界史の窓フランス革命→「産業革命
W。資本の原始的蓄積。原始的蓄積期の特徴は、強制力の発動による、経済外的過程である。新大陸との三角貿易、及びアジア植民地支配による富の蓄積が大前提。
産業革命は資本と労働の関係の生成発展と並列する市民社会の形成成熟欧米史に固有な長期の歴史過程。 日本には産業革命は存在しないし、もちろんその史跡もあり得ない。現在の大衆操作に都合のよい歴史の改ざんである。
東アジアの中の日本近代史における資本の原始的蓄積は日清戦争による賠償金獲得を最重要要素とする。明治維新以降のインフレ政策→松方デフレ政策による農民分解だけを資本の原始的蓄積とするのは大間違い。
>日本には、近代的生産手段の移植はあっても、ソレは産業革命とは云えない。
資本と労働の関係の発展はあっても、市民社会の形成成熟は、第二次世界大戦の敗戦までなかった
志賀直哉司馬遼太郎を点検した結果、敗戦までの日本文学には市民社会は描かれていなかった、と結論付けた。特に、国民的人気作家と云われる司馬遼太郎の小説の舞台が歴史小説に限定されていた意味に注目する。どうして現代が描けなかったのか?ノモンハン事変が遂に描けなかったのか。
 
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以下、近代史における受動的歴史~(イタリア、ドイツ)~~同類とできない<日本>を課題とする。
 
 ベネデット・クローチェ - Wikipedia→『現実的なものはすべて歴史的であり、歴史は現実的なモノのすべてであり、歴史でないようなものは何一つ存在しない』~グラムシ獄中ノート解読」片桐薫著より引用
この基本認識は丸山真男政治学の初講義に学生に贈る言葉でもあった。 
 
 
 
 同上、グラムシ~<市民社会>の私的組織を通じた国民全体への<ヘゲモニー>と<歴史ブロック>と云う考え方が、日本に適用できる。
国家は普通、政治社会(すなわちその時代の生産様式と経済に人民大衆を適応させるための独裁または強制装置~W。レーニン「国家と革命」の独裁国家論は国家消滅まで視野に入れて論じた過渡的社会論だが、ロシア革命における国家は現実的には西方ヨーロッパへの連続革命を大前提にしていた以上、ヨーロッパ革命の退潮は、必然的に『その時代の生産様式と経済に人民大衆を適応させるための独裁または強制装置』に転化する傾向にあった。~と理解されていて、政治社会と市民社会との不均衡(すなわち教会、組合、学校等々の私的組織を通じて国民社会全体に対して行使される社会集団のヘゲモニー)として理解されていません
しかし、重要なことは、こうした市民社会の中でこそ、とりわけ知識人働いているのです。」
W。市民社会が事実上、なければ、グラムシ流の市民社会のただなかに存在する私的組織を通じて、国民に影響を及ぼす、ある社会集団のヘゲモニーもあり得ない。この状況が戦前日本である。戦前、戦後の歴史はつながっている。市民社会は日本軍事力の一掃によって、外部から移植された。よって、結論的にいえば経済主義市民社会であり、社会的市民社会はぜい弱である。国民経済が相対的に後退すれば、市民社会の社会性も委縮していく。コレは現状であり、その延長線上にインフレ、イベント、大衆操作しかない国家ーグローバル資本複合体の国体政治化の道程が透けて見える。
 
 歴史ブロック 参考資料 「グラムシ獄中ノート解読」片桐薫
W。市民革命のないところでは国家と市民社会の不均衡はなく、国家=国民である。その場合、歴史的に形成された上部構造(観念、風習、道徳的態度、人間的意欲。国家権力。)が下部構造(社会的生産関係)を規定する。そういう歴史的事態を踏まえて、丸山真男グラムシが「現実的なものはすべて歴史的であり、歴史は現実的なモノのすべてであり、歴史でないものは何一つ存在しない」との歴史主義的立場を取った。
言い換えると、日本東アジアにおいて歴史認識がリアルな政治問題になってきたのは、市民社会の未成熟による所が大きい。国家と不均衡な市民社会は、歴史問題を自律的に解決する力がある。
日本資本主義の原始蓄積をはっきりさせることが、そういった円環堂々巡りを突破する道である。倫理問題を大きく超えた経済歴史の現実である。
 
 歴史ブロックの「アメリカニズム」と「フォーディズム」への適応
W。片桐薫の論点は1930年代論とアメリカの台頭の20世紀的特殊性と云う意味でなんとなくわかるが、掘り下げていない。歴史不在ゆえにアメリカ史の金融資本化独占以前まで、上部構造が下部構造を否定してきたのである。この状態を国家原理、市民社会の原理としているところに内外への暴力的暴発が常に内在する。
巨大な金融っ資本力、軍事力がそういった原理主義(歴史不在の原始的原理)で運用されているところが大問題なのである。
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 この項はイタリア、ファシズムの特徴を取り上げる。
W。グラムシの『政治社会と市民社会との不均衡』ー市民社会の各種私的組織におけるある社会集団のヘゲモニー→国民社会全体への影響力行使、と云う先行的問題意識は、市民社会の発展した北部工業地域のイタリアでの活動によって育まれたものであり、イタリア全土にそのような先行性はなかった
第一世界大戦後の産業に吸収されない大量の失業帰還兵南北、都市と農村格差を一挙的に「解決」を目指す中間層と農民の全体主義イタリア統一運動が急速に発展し(全体主義は条件がそろえばいつでもファシズムに転化する。橋下「いしん」の都構想を全体主義としたのは、この理由からだ。前期ファシズムである。)、軍と政治支配層は無力化し、最後は国王がファシスト党に支配権をゆだねた(1922年ローマ進軍)参考資料 「黒シャツ党のローマ進軍」アンドレ、ファルク 世界ノンフィクション全集筑摩書房
>このリアルな政治過程は基本的に1930年以降のドイツでも再現されたと確認できる。
 
 
>戦前日本では、イタリア(部分的市民社会)、ドイツのような市民社会の環境は、成立していなかった。
近代化以降、市民社会の形成しない日本では国家と国民社会は常に一体化しており、国家の政治社会がそっくりそのまま、なし崩しで全体主義化、軍国化して国民社会をリードした。

 第二次世界大戦ソ連東欧体制崩壊、中国改革開放までの半世紀を大きく超える歴史は自由主義的金融資本主義の不均衡発展の社会矛盾がいかに大きいモノだったか、を証明している。
 
/1848年革命 - 世界史の窓←上記の市民社会の歴史的背景の解説 / フランス、パリ・コミューン - Wikipedia
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(1)市民革命の結果、成立した国民国家は個々人の自覚と行動原理の人権の基礎として自然権である自衛武装の権利を有している、との論理は成立する。
  
(2)だからそれをわざわざ個別的自衛権とする必要もないが、
  個別的自衛権とした場合、国連憲章第51条の最大限に見積もっても、既存の国民国家の軍隊の自衛戦闘能力を指し個々人の自覚と行動原理の人権を基礎として自然権としての「人民の武装権」は含まれていない。
 
(3)日本近代国家と軍隊の形成過程で人民の武装は極一部でしか実現しなかった。
   明治維新は旧支配階層の入れ替わりであり、市民革命的要素は皆無だった。
 日本における『市民革命』的要素は第二次大戦敗北によって、外から持ち込まれ、その重要な精神的構成要素は未発達なまま、経済成長の濁流に押し流された。
  アベ等の台頭のイデオロギー的要因には、日本における市民革命の未遂がある。
 
(4)日本の法制官僚の日本国憲法第9条を解釈替するときに使用してきた個別的自衛権とは、
 「国連憲章51条の個別的又は集団的自衛の固有の権利」の個別的自衛権を抜き出したものであるが、
 51条の個別的又は集団的自衛の固有の権利は、つまり国家の有する自然権とみなして、その「自然権」の行使を国連安保理の権限行使までのタイムラグを埋め合わせる措置として、 国連中心主義の文脈の中で使用されている。
  
 次回に続く