反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

国のかたち。国民のかたち。日本、中国、アメリカ。-丸山真男対談集(1946年、1960年)より抜粋ー論証過程は丸山の頭の中だけにあるのだが、識者が良く使うフレーズのネタ元満載。

 産湯とともに赤子を流してしまう。日本の識者は今でも外来思想の紹介屋、輸入業者。オリジナリティに乏しい。
はやりの思想に飛びついて、過去にあったいいモノまで簡単に捨てる。
ドイツ政治の現状を調べていて、ドイツ人政治家の渋とさ、継続性に感心した。
 
 丸山真男に学ぶべき点は多い。ただあくまで、知識=教養=啓蒙の範囲に留まっており、彼の発するモノを読んで、それをよりどころに動き出そうとするモノはいないのじゃないか。インパクトに欠けている。
解り易く言えば、池上彰を超高級にした感じか?
 
 しかし、彼の提出する見方、考え方を知ったら新しい基礎的知識の世界が開けることは確か。
 
イロイロナ識者がこっそり彼の編み出した見方、考え方をネタ元を明らかにせず、さも自分が考え出した様な顔をして使用している。
従って、以下に抜粋する箇所は無知を自慢する私でさえ、何処かで読んだ、聞いたことのあるフレーズ。
 
 
  1)<諸君!発砲せよ!しからば国民は団結するであろう>
と云うヨーロッパで昔から言われた非常に単純な政治の論理。(BY丸山)
>これは知らなかった。埴谷雄高の政治の原理を評したフレーズはしっていたが。
<奴は敵だ奴を殺せ!> <政治家は世の中の森羅万象を全部知っている振りをしてしゃべる。> 
 
  2)日本古代と大陸との関係
{日本みたいに、古い文化を持ち、世界から孤立して、その文化をずっと守ってきた国は大体滅びちゃった。
大陸からあまり離れ過ぎていると、原始そのままで発達しない。大陸にあまり接近していると、圧倒的優秀な大陸の文明に同化される。~日本の歴史は水田稲作様式から、何から何まで文化と云うモノは中国からもらっている。(しかし接近し過ぎず、離れすぎず、の位置だから)神話の時代から文明的の段階だが、逆に原始的要素がいつまでも残っている。もっと大陸に近いと原始的要素は圧倒されてしまった。}
 
>文明、文化の発信地、中国と陸続きの朝鮮史を想う浮かべるとこの丸山発言に納得できる。
海を隔てて、中国の影響力の程々の影響力の及ぶ日本の地政学的位置が日本に大陸からの先進的影響力への選択性(古代日本天皇制の中央集権官僚制)と原始的要素(祭政一致的原始性神秘性、氏族族長性)をもたらした。
 
>すでに古代において大陸の先進である中央集権統治の摂取と後進地としての日本独自の遅れが併存していた。明治維新は摂取先が先進地欧米に代わっただけといえよう。
先進と遅れの共存は日本を理解する上でのキーワードであり続けるが、
 
 {コミュニケーッションの発達によって世界が一体化して、手軽に世界と行き来できるようにな状況は~日本の歴史ではなかった}
{維新と敗戦の時は優秀な外国文明に溺れかけるほどだったが、大体において支配層がその中での良いモノ、悪いモノを選択的に摂取してきた。天皇制を作るのに都合の悪いモノは危険思想と云った選択が可能だった。
しかし、これまで続いてきた状況は変わり、-世界に対する日本と云うよりも、本当に世界の中の日本と云う歴史が始まるだろう}
 
>丸山は1960年の時点でこういう将来の大枠を提起できていた。
処が未だ日本国民はもとよりマスコミ報道、政治家の多くが「世界に対する日本」の一国主義次元で世界と対峙している。大状況の世界の中における日本と云う舞台設定が為されていない。
 
どうしてなのか?
 
云うまでもないだろう。
 冷戦終結後、世界市場の再編急な時期にアメリカの世界戦略に従属し覇権を求める冷戦時代の旧来の立場に日本の国家戦略が留め置かれているからだ。
 
 日本支配層はその環境で国民多数を「人買い船に乗せてグローバル資本の餌食」にすることで半買弁として生き残る道を選択しているからだ。その様な半買弁に世界の中の日本とその独自の国家戦略などあろうはずがないし、また、は許されない。
 
 鳩山内閣発足時の日本の独自戦略への希求は戦後利権癒着勢力の力によって抑え込まれた。
小沢政治弾圧、普天間基地移設。
 鳩山政権時代の国家戦略部局の設置、東アジア共同体構想は今何処?今やTPP「日本の開国?」への急展開である。開国って労働奴隷、債務奴隷を国内で一杯生み出すことだろうか?
 モタモタシていたから、一気に付け込まれた。世界政治の非情さである。
 
 そういう「日本の独立?」が支配層の一部に出て来る冷戦崩壊後の情勢であるにもかかわらず、グッとアメリカの腰にしがみついていく半買弁の道を明確に選択している支配層は形振り構わず、独自戦略指向の推進翼をもぎ取ろうとした。
 
 ただ、一つの観点を確認しておきたい。
アメリカ、マスコミを含めた利権癒着層との戦いとは何を意味しているか?
支配層が戦後営々と築き上げてきた支配体制への戦い。つまりは反体制的戦いの要素を含んだ、リアル攻防戦にならざる得ない。
 事実として支配層の検察マスコミを最大限利用した攻撃に対する防御の質はやはり問われなければ、ならなかった。
 これをやらないと将来の事態への備えを弱めさせる。敵の進化に必然性があるのに、その辺の反省をきちんとやらないと、進歩と云うモノがない。
 
 管内閣時代の尖閣列島沖中国人船長逮捕事件も今現在の東アジアの米中の力のバランスが根幹で、対米隷属の日本支配層に重要な外交決定権はないという、リアルな情勢を示唆している。
 
 日本もアメリカ国債を大量保有しているが、中国はその上をゆく。この関係を言い換えると、日本よりはるかに独立性の強い中国も日本と同様にアメリカなしでやっていけないということだし、アメリカはコントロールし辛い中国の国家意思を従属化の日本よりはかなり上位においている。極論すれば、アメリカは日本を軍事戦略上は中国への噛ませ犬化している。
 
 以下、丸山対談のトピックを拾い出すと
A,日本ファシズム歴史的形成過程を
 
戦国時代の信長俗権による神権(教権)の弾圧、自治都市の自主性破壊。
徳川幕藩体制によるお寺の行政機関化を通じた団体としての独自性の破壊。国家権力への民衆の拠り所としての中間組織の脆弱性。それでも存在していた幕藩体制の多元性は中間団体の自主性が少ないのであっという間に明治維新政府の中央集権化に収斂。
 
 そういうファシズムまでの民衆抵抗力の団体的拠点の脆弱性に踏まえ、
 
B、{一君万民でもって天皇への忠誠心に集中して云ったけれど、同時に家族(家族国家の概念)とか、半官半民の地方団体に忠誠を配分していく。家長とか地域的な集団の親方を捕まえてゆけば、その下にあるメンバーを丸ごと捕まえられるような仕組みを作っていった。
  すると中世が直接天皇だけに集中しないで、一種の媒介物がたくさんある。
ロシアだとツァーリズムは巨大な国家官僚権力で、しかもこれと教会が癒着している。自主的な団体が何にもない。社会的基盤から言えば、地主と農奴だけで中間層がなにもないので、強い様でもろい。
あらゆる反逆がツァーリズム打倒の一点に集中する。だから一か八かになる。
 日本は自主性のない中間層が大量に生産された。}
 
C、「中国では中央集権官僚制国家とまったく別の社会と云うモノが牢乎としてあった。
つまり、国家と云うモノは極端にいえば、税と取る関係で社会と繋がっていて、人民の生活は社会の中で営まれていて国家の恩恵をほとんど受けてこなかった。
個人は社会との関係でいえば、非常に強い宗族とかギルドで横のつながりがある。
役人であっても止めて社会の中に帰れば、権力に対して自由な一個人。}
 
D、{日本は上から下まで貫徹している様な政治や社会の仕組み。
部落共同体の人間関係が、のんべんだらりと政治機構の中に入ってしまう要素がある。
同時に政治社会のモラルが最下層まで降りて来る。
この要素があったから、明治以降、容易く、統一国家ができた。
 
Eアメリカは{社会があって国家がなかった。タウンシップから発達したんで、国家とか中央集権的なモノや官僚組織は全部後からの産物。
1030年代の不況を克服するため連邦政府の権限が強化されたのでその歴史は非常に新しい。
 しかしアメリカは世界で指導性を発揮しだしてから、ヨーロッパ的な意味でのナショナリズムを意識した。
アメリカのデモクラシーがアメリカ内の人間関係だけでなく、国家の制度であり、守るべき国体と強く意識され出した。
 アメリカは元来国家がなかったから、つまり国家と社会の2元性もない。
そこで社会的デモクラシーが全体として敵対者を意識しし始めると、内部における抵抗の契機は出にくくなる。
マッカーシーイズムもアメリカンデモクラシーのための運動と云うことで出てきた。
大衆を基盤とした国体擁護の運動がアメリカでは起こり易いという面がある}
 
  時間不足でコメントは後日に。
非常に含蓄のある、現在の状況に応用できる観点が披歴されている。