反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第5回、「敗北を抱きしめて」ジョンダワー上巻、第6章 新植民地主義的革命。見解の相違はあっても、東部エスタブリッシュメントの人たちには、日本庶民への侮蔑があり、日本の支配層にもそれに通じるものがあり、敗戦直後の制度成立は合作。息吹を吹き込んだのは日本庶民の力。

  引用、P284

「戦争中、ワシントンで最もよく知られた日本専門家は、1931年から41年まで駐日大使を務めたジョセフ・グルー - Wikipedia国務長官であった。

1945年5月、グルーはトルーマン大統領に対して、天皇制はまさしく封建主義の名残り(W、「世界」資本制の領土拡大時代における欧米列強の強盗的侵略を受けた東アジアの封建制から資本制への飛躍的改変の時期に、欧米地域からもっと離れた東アジア東端の地政学的な位置ゆえに封建時代まで継続してきたて天皇制度の東アジア東端の古代「国家」、原住民の族長的祭政の象徴、権威が新権力への中央集権のための政治道具(政治容器)として人工的な宗教的意匠を付され利用された。)

>『長期的観点に立てば、日本において我々が望みうる最善の道は、立憲君主制発展である。

日本では民主主義が決して機能しないことは過去の経験が示している』と語った。

ユージンドゥーマ(W、参考資料、

https://ユージンドゥーマンplaza.rakuten.co.jp/ryu32/diary/200704220000/

引用する。 

「そのもとになる人物はジョセフ・グルーで1932年から太平洋戦争開始までの10年間駐日アメリカ大使だった。
 太平洋戦争末期は国務次官、国務長官代理となって対日初期占領政策の作成にあたる。
 戦後、ジャパン・ロビーの中心となりマッカーサーに圧力をかけたという。
 興味があったのは、グルーは戦前からアメリカの究極の敵はドイツや日本でなく、共産主義ソ連だという考えだったことだ。W。軍部、皇道派近衛文麿上奏文はこの見地。
 だから、日本の満州進出はソ連を封じ込めるのでアメリカの国益になると考えていたことだね。
 彼は日米両サイドから強い指示を受けたので大統領が変わっても10年間駐日大使となっていた。
 彼の部下のユージン・H・ドゥマンは日本生まれで、現人神としての天皇崇拝であったという。
 その他、グルー・グループともいうべき二、三の人がいて、日米開戦を避けるためにルーズベルト近衛文麿の洋上会談を計画するなどする。

彼とドゥマンは占領政策として天皇制の維持と政治・経済の集中を残すという考えだ。
 あまり厳しい懲罰的な占領政策をすると日本は混乱し、共産革命が起こると考えていた。←W?ありえない!
 だから、戦後は「アジアの工場」として復活させ、共産主義の防波堤にしようという考えだね。
 そのためには戦前の日本の支配層は利用すべきだという。
 そのため、ポッダム宣言では、天皇維持を明記しないと、日本側の受入が遅れソ連が参戦してくることを危惧した。←W。ヨーロッパの戦争情勢(地上制圧戦は徹底的に重要、今でもその教訓は生きている。)におけるソ連軍事力のはたした役割を過小評価。したがって、ポツダム宣言天皇制維持明記などありえない。

A氏:しかし、トルーマンはこの提案を採用せず、天皇制維持を明記しないポッダム宣言を行うね。
 案の定、日本は天皇制の維持が明記されていないため、国体護持を確認すべきだと、御前会議でもめているうちに原爆を落とされ、ソ連の参戦となる。」

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Wの見解。第二次世界大戦は第1次世界大戦という世界市場の再分割戦を引き継ぎ、20世紀の戦争と革命の時代におけるソ連スターリン主義体制を巻き込んだ第二次世界再分割戦であり、いわゆる枢軸国と連合国に世界の軍事力が二分され世界戦争に突入したのは<経済的>政治的な歴史必然過程であった。グルー等には日本庶民への徹底侮蔑があり、日本支配層の深層心理もそれに近いものがある。また、USA内には枢軸寄りの見解を持つものも少なからずいた。

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 引用に戻る

ドゥーマンは日本語担当で、グルーにとって日本関係のアドバイザーとしてももっとも重要な役割を果たした人物であるが、彼もまた、日本は

『共同体的社会、すなわち階層社会であり、そこでは、社会構造の最上位にいるものが目標を定め、下位の者はそれに従うだけなのだ』と強調した。

天皇はこうした社会階層の最高位に位置し、『日本人の人種的連続性(W。日本人って人種なのか?今もこういう使い方をする人がいる)生きた証左であり』社会の一体性をもたらすのに決定的役割を果たしているのである。

 米国務省内にはもう一人、日本語を話せる有力な専門家ジョセフ・ウィリアム・バランタイン - Wikipediaがいた。

彼は、日本に新たな政治的リーダーシップを作り出すという考えは、ばかげたものだと思っていた。

というのも普通の日本人は『惰性的で、伝統の拘束されている』からだ。

 イギリスのアジア問題専門家も同様に、

日本人を見下す傾向があった。

例えば、名門の王立国際問題研究所は日本の降伏に先立って、大きな影響力を持つことになる報告書を提出した。

その中で、日本人を、普通に使われていた表現であったが、『従順な家畜』と呼び

さらに『民主的な制度を運営する日本人の能力について深刻な不安』を表明している。

 アジア問題の専門家として名声を得ていたジャーナリストや学者が書いた著作の中でも広くいきわたっていたこうした見解には、東洋人は『従順な家畜の群れ』であるとか『巨大なミツバチの群れ』であるといった自己族中心的な軽蔑にとどまらない、複雑なものが含まれていた。

W。参考資料 アーロン収容所 改版|新書|中央公論新社

捕虜になっても西洋知性をくぐったヒトは、冷静にかれ我を観察する。

大岡昇平「俘虜記」。敵兵を射殺できるのに実行しなかった。日和見なのか、同じ同士という感情のなせる業なのか。いずれであろうともこの躊躇が普遍的価値に準ずることのリアルな在り様。

引用

>多くの西洋の専門家、とりわけ外交官たちは苦心して日本の上流社会に取り入ろうとした。彼らは、日本の普通の人々の自己統治能力を馬鹿にしたが、それは、彼ら自身のエリート主義的な思い上がりであっただけでなく、

>彼ら日本の友人たちが、天皇崇拝や「大衆」に対する恐怖と軽蔑が入り混じった感情を繰り返し語ったことの反映だった。

 もしこうしたかつてのアジア問題専門家たちが自分たちのやり方を押し通していたら、日本に民主主義革命を導入しようなどという考えは、早い段階で嘲笑され葬り去られていただろう。

 実際に起こったのは別のことであった。

他の専門家たちが、そうした嘲笑を押しのけたのである。

>すなわち、日本人の『国民性』にみられる『適応力』を強調した行動科学の専門家や民主主義の価値はその本質において普遍的であり、人の心に訴えかけるものであると心の底から信じているリベラル派や左派の政策立案者たちである。

戦時中、行動科学の専門家が動員されたのに続いて、米英の優れた人類学者W?や社会学者、心理学者、精神医学者W?たちが、情報分析や心理戦の研究領域へと参入した。←W、1945年4月30日にナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは総統地下壕で自殺した。当然、あとは日本の抵抗だけという事になって蜜にアリがたかるように~

 戦争の最後の年には彼らは次のような結論に達した。

>すなわち、日本人の国民性は、振り子のように極端から極端へと揺れ動く。

>つまり、日本人は狂信的な軍国主義から、ある種の民主主義へと立派に移行してゆくことできるのだと。

いずれも、個人についての臨床心理学の知見を集団としての日本人に当てはめたのであった。←W。ここまでいうなら捕虜収容所にける実験的観察から導き出しとというほかない。アメリカは太平洋戦争において原爆投下を頂点にいろんな実験を敢行しその成果は軍事だけの及ばず文化的側面にまで及ぶ。

>そう考えた場合、どのような結論が出るか。

>その代表的な例が、1944年12月の戦時情報局OWI向けの文書である。

そこには

>『日本の文明の型は、臨床的に見て強迫ノイローゼの病状に極めて近いように見える』と記されていた。

>この症状は、『儀式と忌避』への日本人の関心の持ち方にはっきりと表れており、また日本人のマゾヒズムやフラストレーションに対する暴力的な反応、『行動全般にみられる硬直性』の中にも表れていると論じた。

>こうした診断がもたらした最も興味深い『実際的な結果』はOWIの調査員が提起したつぎのような疑問の中に表現されている。

*『すべての日本人に模倣されるような思考や行動のパターンを(W、GHQが)設定するのは

どんな個人あるいは社会集団だろうか?』←W。ジャパンハンズの日本観を緻密化し日本国民全体にリアルに適応した内容でしかない!どんな個人?=天皇!どんな社会集団=中央ー地方の官僚!

この問題提起に対する現実の反応には、いくつかの種類があった。

>もっとも有名なのは、OWI諜報チームの一員であった文化人類学

 引用

「、アメリカ軍のために人種的な偏見について学問的な解説を企てた著作も発表している。軍は、軍事的な効率と関係する人種的に動機付けられた行動に関心を持っていたと言われている。これらの活動を通して、racism(人種主義、人種差別主義)の語を一般に定着させた人物でもある」

の議論である。

>彼女によれば、日本人は、西洋の伝統にみられるように、いわゆる普遍的諸価値に基づいて行動するのではなく状況に即した特殊な倫理に合わせて行動するとされてきた。←W。徳川250年の年貢村請負制度を遂行する組織体制と心理明治維新政府は支配に利用しその後の政府は帝国膨張成功物語によってそれをDNAに刷り込むがごとく発展させた。

引用に戻る

>つまりある状況では礼儀正しく寛大な人間が、別の状況では粗暴で冷酷な行動をとりうるということである。

>問題は、ある人間が置かれている社会的な文脈と、個々の状況の中であらかじめ決められている役割なのだ。

役割や制限が課せられていない例外的な状況の中では*個人はいかなる中核的な価値も、主体化された明確な自己も持つことができなくなってしまうのである。

 とりわけ日本人は、権威に対して従順に反応すると、ベネディクトはいう。コレは『従順な家畜の群れ』社会学者らしいより慎重な言い回しで語ったものである。

>この議論は、間もなく、天皇の庇護の下での民主主義を推進するという政策を合理化するのに好都合な根拠を提供することになる。

 後に有名な学者になるクライドクッルホーン、アレキサンダーレイトンなどOWIの分析家たちは、日本の至高の権威である天皇は、基本的には空っぽの容器のようなものだと主張した。

これまで天皇超国家主義を具現化した存在としてすべての人に支持されてきた。

もし天皇天皇制民主主義の象徴へと変身したとしても、まったく同じようにすべてのヒトの支持を得られるだろう。

こういったことすべて、日本人捕虜を扱ったアメリカ人の経験によっても裏付けられているようにも見えた。

                   引用終了

W感想。アメリカ合衆国にもいろいろな人たちがいる。この論説に登場する人物はほとんど、東部エスタブリッシュメントの人たちであり、その意味で相互に意見の違いはあって底流の哲学思想は一致している。