反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「敗北を抱きしめて」政府憲法委員会松本のいう日本国憲法草案に対する西洋と日本の文化衝突とは、大日本帝国憲法=ドイツ法思想体系と英米法思想体系の対立。

 第12章 GHQ新しい国民憲章を起草する

        明治男の難題 

W、日本政府、憲法委員会松本46年2月GHQ説得文書。

~「西洋」と「日本」の文化の違い、をもって、政府案で主導権獲得を試みる~~

W。ジョンダワーは大日本帝国憲法の由来(筋)は「過度に単純化して言えばドイツの立法及び行政法とドイツ流の『国家機構論』としている。

そして、「東洋の土壌に適さない白人の植物、あるいは「西洋」と「日本」の文化の衝突という単純化というよりも、はるかに大きな問題が存在している。」と指摘。

①「ドイツ法思想体系」を基礎とし、ドイツ<皇帝>の位置づけに、

古代族長豪族連合を束ねた中央豪族の長(<天皇>君主)の祭政一致極東列島地政学的残滓

大日本帝国憲法策定時に神秘的宗教的に衣替え代替えしたことを、

日本一国主義にどっぷりとつかった頭脳は看過

②米法思想体系にある人民主権や人権主義に「ほとんど興味を示さなかった。」

>「基本的な対立は、欧米の二つの法思想体系①②の間の対立だった。」

事を法学者として見過ごしたという現実こそが

西洋と日本の文化衝突という単純化した図式よりも、「はるかに大きな問題」を含んでいる、とダワーは指摘している。

>要するに松本らが大日本帝国憲法を純日本的な憲法だと思い込んでいる、日本の法制学者トップの視野狭窄のドツボ性が問題なのだ。

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ドイツの法思想は英米の実利主義、経験主義、人権主義、人民主権とは違った国家観を基軸にした観念の世界を拡張しその中に自己を位置づける思想体系を持ち、強烈な求心力がある。

 カールシュミットの反民主の魅惑的露悪的論理次々に積み重ね読者をひきつけていく(読者を論理の狭路に追い込んでいく)政治論は今でも論じられている。

カールシュミットを今でも論じているのは日本だけじゃないかな?

戦前日本の法政治学者は大日本帝国憲法の法思想の導入口として魅了されたのだろう。

 

*W参考資料①

カール・シュミットと言えば、議会制民主主義を真っ向から否定し ...

軍師の条件 - The Condition of the Strategist -

カール・シュミット―魔性の政治学 単行本 – 1992/4/1

上記の書評 
W。カールシュミットの政治思想をザックリとまとめると次のようになるが、シュミットの政治論には政治とは何か?という民主政を超えたところにある原理的な問いかけが内包されているので斜に構えた知識人(奴は敵だ!奴を殺せ!が政治の本質。埴谷雄高をいまでも魅惑する。
レーニン「国家と革命」の冒頭の展開されている独裁論は後段の世界各国の統治形態の分類と実際の革命の形を細かく記述していることからも分かるように過渡期社会経済を想定した場合の政策遂行をする統治形態は政治のリアリズムとしてコレしかないと言い切っているのである。
引用 強調アンダーライン部分は卓見である!
カール・シュミットと言えば、議会制民主主義を真っ向から否定し、独裁を正当化したドイツの政治学者・公法学者である。

彼は、第一次大戦後のワイマール憲法下のドイツを生き、ワイマール憲法の無力さを批判し、同時に議会制民主主義に対して痛烈な攻撃を加えた。

そして、遂には、独裁が最高の統治機構だと説いた。

このシュミットの思想をそのまま受け入れたのが、ヒトラー率いるナチス・ドイツなのである。

加えて、カール・シュミットは、「友ー敵理論」と言う概念も主張した。「友ー敵理論」とは単純な政治理論で、友は政治上の盟友、だが敵は一切妥協を許されない殲滅すべき存在だとシュミットは説いた。非常に単純な理屈だが、単純の割には政治の本質を表現しており、また単純故に万民受けし、当時のドイツにおけるナチ台頭の理論的根拠となった。

ナチスはその後、「敵」をユダヤ人、西欧民主主義、ソ連共産主義と決めつけ、第二次大戦に突入していくことになる。

だが、カール・シュミットの「友ー敵理論」を始めとした政治理論には決定的な欠陥があった。それは、彼の政治理論には、「戦略」という概念が全く欠落していたのである。

案の定、「戦略」の欠落したシュミットの政治理論に基づいたナチスは無謀な戦争と殺戮を繰り返し、最後には、「敵」によって抹殺されてしまった。

カール・シュミットの政治理論は愚論でしかないが、だが、時として愚論に乗じて無謀な行動に走るのも人間の業である。

シュミットの「魔性の政治学」の帰結は、自滅に他ならないが、人間はその「魔性の政治学」の虜になり得ることもあるのだと自戒せねばならない。

本書は、そんなシュミット思想の入門書と位置づけられ、反面教師としてのカール・シュミットを学ぶ上では好著と言えよう。」

W参考資料②

議会主義の基礎づけとその限界について
カール・シュミット「現代における議会主義と大衆民主主義の対立」を素材として-

                       眞次 宏典

https://core.ac.uk/reader/234932576

引用

「 要  旨
 本論文は、第一次大戦後のドイツにおいて最も注目を浴びた議会制批判を提出したカール・シュミット
の議会制論について検討する。彼の議論は、社会技術的」な制度として議会を見るものではなく、精神
的原理的な基礎としての「討論と公開性」にもとづく制度として議会を位置づけるものだった。シュミット
の分析方法によって近代議会のあり方は明確なものとなるが、当時のドイツや西欧では精神的原理的基
礎が失われてしまっていたので、彼の議会制批判は破壊的なものとなった。本論文では、そのような彼の
議論を議会主義の基礎づけとその限界という視点から整理した。」

W。観念的な論理の組み立て次々と提出し英米統治形態批判にもっていくのがシュミットの手法である。なかなかのスリリングな展開である。

一見いまでも通用しそうな論理の道具立てであるが、じっくり考えると無茶な課題の提出の仕方をしている。レーニンは「国家と革命」の中でイギリス、スイス、アメリカの共和的連邦的議会の社会技術的な制度に注目しそこにおけるプロレタリア革命の形態に軽く言及している。精神
的原理的な基礎としての「討論と公開性」にもとづく制度として議会を位置づける

のは、日本で今でもよく議会主義者から聞かれるセリフである。それを何か精神原理的な基礎と強調しすぎると、アンチテーゼとして決断と実行の政治、その向こうに独裁や翼賛政治の機能的合理性が登場する。戦前日本の政党政治時期から軍国翼賛への転回がまさにこのパターンだった。また、おしゃべりな独裁政治、というのも日本では想定できる。

そもそも、シュミットの云う精神的原理的な基礎としての「討論と公開性」に基づく制度が実際に行われていたのは、古代ギリシアアテナイのプリニュスの丘の民主政である。Wの理念的政治原理なのだが、その原理論を現状批判の武器にすることはいくら少数派を辞任する者にもできない。アテナイ市民一人一人がデモス、戦士であり、その決定は明日の命を託すものだった。シュミットの云う精神的原理的な基礎としての云々はバラバラな民衆を群集としてひとまとめにして反英米ワイマール体制打破の群衆としてひとまとめにする道具立てに過ぎない。そこに「討論と公開性」の精神的原理的基礎付けなどない。

したがって、政治戦略なき戦略としての回答がナチス独裁なのだ。

そして、ナチスの東西2方面軍事作戦は暴発の類だった。

戦前日本の軍事にも戦略性など最初からなかった。