反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第三回。前回の記事への大幅追加、修正(政治手法<戦略>としてのレーニン、北一輝、岸信介、「小沢一郎」(格落ち)、安部普三。途中経過省略→国家権力を握った後の国家改造の系譜)。

W。2005年→2012年自民党憲法草案を比較し、その変化をみるのは現安部政権と自民党政治の現状と将来を確定し、想定する場合、大切。第1条に関しては2005年版と現憲法は完全同一文言。
 
2012年度版自民党憲法改正草案、
第1条 (天皇
 第一条
天皇は、日本国の元首であり
日本国及び日本国民統合の象徴であって、
その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
 
2005年度版自民党憲法草案
第1章 天皇 
 第1条(天皇
天皇は、日本国の象徴であり、
日本国民統合の象徴であって
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく
 
現行憲法第一条
天皇は、日本国の象徴であり、
日本国民統合の象徴であつて
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く
 
 2条~8条もほぼ同じ。違いは9条。
集団自衛権を認めることを明記。
自衛隊自衛軍と表現されている
 
ジャパン、セルフ、ガード、フォースのフォース正確な翻訳<隊>ではなく<軍>なのだから、
自衛軍は翻訳としては正確だが、
朝鮮戦争に向かって、警察予備隊から~自衛隊への内外情勢を踏まえた日米支配層側の日本国憲法の9条との整合性の政治的配慮を巧妙に文言に反映させた変転があった。
 
 逆の政治的立場からすれば、軍ではなく隊とすることを9条と現存在する国家軍事組織との矛盾に対して一定の歯止めがあるとの解釈も可能であるようだ。(現共産党の副委員長の動画インタビュー)
 
 ちなみに2005年自民党憲法草案は舛添東京都知事が直接タッチして仕上げてた、と本人が語っている。
舛添氏に関しては、東京都知事選公示中の記事で、自民党離党事情を政治的先見性のなさ、のように表現したことはあったが、実は不可解な部分があった
 
 結論的にいえば、下野した自民党内事情が【急速に凝り固まった】ことに対する反発も大きな動機になっていたのではないかと、この憲法草案の比較でわかった。
 
>>どうして自民党の内部事情がそうなったのか?ということは、大雑把な指摘ではなく、生の政治の動向を抑えておく意味から、厳密に考えておく必要がある。
 
まず第一に。
 190人程度の議員に縮小し、自民党の党是である自主憲法制定を政治課題として優先する議員の割合が増えた。
戦後の日本の保守勢力の本来の政治的結集点が、【朝鮮戦争、60年安保改訂、高度経済成長、プラザ合意バブル崩壊、経済低成長、ソ連東欧崩壊、中国改革開放、】の潜伏、変化期を経て、【政権交代下野、大震災、原発事故】を経て、元々の地金として、むき出しになった。 
 このリアルな歴史的偶発的政治過程と党内事情を押さえておく。
 
第二に。
 こうしたリアルな実情に便乗して、安部政権のような、日本の支配層のメインストリームからズレた政治勢力北朝鮮による拉致、尖閣領土も台頭する大きな要素】の自民総裁選出があった
 
第三に。
 そうすると、安部政権的政治内容【政治理念とその実行】というのは、現実の日本の基礎的な社会経済事情とはかけ離れている部分が多い、と考えることができる。
 それは著書の「美しい国へ」の全体の記述内容にはっきりと現れている。
彼等流の国粋主義的な【政治理念とその実行】と保守の伝統的な【内外の基本政策】の両者は、いわば【股裂き状態】になっているのが実情である、とみる。
 
第四に。
 日本の内外の現実に寄り添っていない政治理念とその実現の先行状態になれば、日本内外で大きな弊害が生まれる。
フレキシブル性に乏しいく、国内向けには、ミスリードになるが、対外的には利用されやすくなる。
 とりあえず、やめてもらう、ことであるが、別の視点も考えられる。
 
      
       丸山本文に戻る
 ポツダム宣言通達は7月なので、その後の国体論議のゴタゴタの間に原爆が投下された。
結局は受諾となったけれども、日本政府の最後の条件が、天皇主権の護持ですから、国体は天皇主権を前提としていたことは間違いない。
W.美濃部達吉の帝国憲法観は国家主権で、天皇=国体は国家機構の中心、国民の精神的支柱、国柄、国の形、国のキャラクター。
故に帝国憲法の運用の仕方が悪かった。
天皇は日本国を総覧する云々の軍の統帥権をどうするつもりだったのか不明。
 GHQへの法の論理による反発もおおきかった。
 
>戦後の美濃部達吉的位相も戦後保守の精神の構成要素と押さえておく必要がある。
 丸山は明治人の気骨と表現しているが、敗戦直後の憲法状況は即時的な政治判断が迫られ、対応力を喪失していたといえないことも無い
 
 敗戦直後の憲法状況に対して手続き論として、東大憲法委員会の見解として、若手の丸山が憲法制定議会を設けて審議していくことを起草した。
自分たちが作った憲法だということを浸透させていくためだった、と振り返っている。
 
 西ドイツでは地方から憲法審議をして中央に上げていったが
日本では政府案、政党案などを含めて多くの憲法草案が作成され、その中には現憲法の基本線に沿ったものもあったが、
帝国憲法を継承する保守的な憲法草案の政府とGHQの秘密交渉によって、現憲法が確定され、敗戦の12月選出の保守派圧倒的多数の国会承認された。
 
 
           丸山本文に戻る
 かくも自民党長期政権を続かせら来たのは、ほかでもない主権者としてのわれわれの責任なんだということ。そこまで自覚しないとダメなんですね。
 
民主主義というのは理念と運動と制度との三位一体で、制度はそのうちの一つに過ぎない。
理念運動としての民主主義、【永久革命なんですね。
資本主義も社会主義永久革命ではない。
その理念はあるけれども、やはり歴史的制度なんです。
ところが民主主義だけはギリシアの昔からあり、しかもどんなな制度に担っても民主主義が終わりということは無い。
>絶えざる民主主義しか存在しない。それが主権在民ということです。
主権在民憲法に書いてあるから、もう種偏在民は自明だというわけではなく、絶えざる主権在民に向けて運動していかなくてはならないという理念が掲げられているだけです。
決して、制度化してお終いということはないんです。
その理念と運動面とを協調していくことがますます大事になっていくと想います。
 
W。上記から、小沢一郎純粋野党になった今でも、講演会で主張している、民主主義とは選挙論はいかに
民主主義を内側から掘り崩していく政治屋浅はか、一面、皮相、予知性無き理屈であるかわかる。
著書「日本改造計画」では【多数決原理の尊重】などという天に唾する文言が飛び出している。
 
 コレなども一種の一端、政治権力を握った後の改革論で、
後に挙げるレーニン北一輝岸信介→安部普三とおなじ国家権力を握った後の改造論の系譜であり、大切な途中、政治過程省略の省略、跳躍、時間短縮、手続きを蔑ろにした後発国型政治論として括れる。 
 
 がしかし、丸山の場合、民主主義を少数者の多数支配の道具として、永久革命の対象としながらも、その内実にふみ込む論評は国民に結集することへの個々人の個別的体制外的思考ルート(いったん外の出て、考える)を辿った絶えざる決断にということに成っており、それ以上の次元は開かれていない。
 
 あのヒトは基本、【後ろ振り返りの達人】で、【イマと将来に寄与】するヒト。
現状の仕分けして、リアルな政治的インスピレーションを与えるヒトではない
 
 そこで、丸山が放置している民主主義、自由の問題を探求する。
 
  
         【恒常的危機としてのデモクラシー
 「物質」の蜂起を目指してレーニン。【力】の思想より。白井聡(あきら)より。
 
>「戦争の方便(にすぎないもの)としてもデモクラシーという状況は、否定しがたく存在しているのである。
W。古代アテナイの民主政は奴隷主の戦士同志の民主政だったのも事実。
<デモクラシーの危機論は万年危機論と呼ばれるべきものに他ならない。
それは政治について思考することを人類が始めて以来、飽くことなく繰り返して語られてきた、その意味では手垢にまみれた主題である。
 
デモクラシー=民主主義とは、危機に陥っているのが常態であるような様式であることが明らかにされなければならない。
 
現在のデモクラシー=民主主義は、デモクラシーを実現させた暴力が閉じ込められ、闘争の現場が言論へと移し変えられることによって成立するのであるが、封じ込められ抑圧された暴力が回帰する必然性危険性、すなわちデモクラシーに内在する危機のモメントを明らかにする
 
W。日本の明治維新戊辰戦争の内戦によってなった歴史的事実。
『封じ込められ抑圧された暴力が回帰する必然性危険性、』とはここでは指摘されていないが国民国家による対外戦争に典型を見出すことができる
 
 次に問題になるのは、実力による闘争が言論に移し変えられる先の場所としての民主主義的コミュニュケーションの場の固有の構造に迫る
W。ここではマスコミ、メディア云々ではなく、政治哲学の領域を課題としている)
  
       
            暴力封じ込めとその回帰
     現代デモクラシーの成立条件
パりコミューン鎮圧(1871年)の事態を引用して~。
 ここで語られているのは、現代民主主義が成立する起源である。
(W。もともと、支配層との武力衝突の中から西洋民主主義は確立していった)
 
最後の権力の乱用に対して武装して立ち上がる代わりに、それを諦めて、既成の機構の中で民衆の声を大きくしていくという一説が議会制民主主義の確立を示唆することは明らかである。
民衆の力の発言する場が武装から声へと移動するというプロセスを経つことによって、フランスのデモクラシー=民主主義は、現代的形態に転化していった
 
 つまり、デモクラシー=民主主義が今日、我々が知るような制度として確立されるためには、一般国民の武装が無効化され解除されることが決定的だった
 
 W。日本の【兵農分離の歴史】を棚上げして、西洋民主主義の論理を追い求めても片手落ち。
江戸時代のムラ年貢請負、一揆、打ちこわしに民主主義の歴史をたどることができる。
 
 日本的封建時代に民主主義はあったのかという議論になるが、
古代アテナイを民主主義の源流とする場外乱闘が西洋民主主義に関しては許されるのだから、
江戸時代に日本的民主主義の萌芽を見て何ら、論理矛盾は無い。
むしろそういう努力をしないほうが不思議、間違っていると敢えて言う。
 
 それは次のカールシュミットの民主主義観に表明されている
 
         白井。「物質の蜂起」より。
   カールシュミット。
『民主主義は、軍国主義的でも平和主意的でもありうるし、絶対主義的でも自由主義的でも、集権的でも分権的でも、進歩的でも反動的でもありうる。
 そしてさらに、全ては時期ごとに様々でであり、だからといって民主主義であることを辞めない。」
W。固定観念ではなく多角的視点から民主主義を捉えて、何が原理的かつリアルなのか探り出していく。
 
「それならば、民主主義について何が残るのか。
民主主義の定義にとって、同一性ということが残る
下された決定は決定するもの自身にとってのみ妥当する、ということが民主主義の本質に属する。」
 
  白井
「シュミットにとって、デモクラシー=民主主義とは何を置いてもまず、【同一性】の原理にほかならない。
それは多種多様でありうる個々の人間を一つの集団として纏め上げ、差異を抹消された同一なるモノとする原理なのであって、人民が纏め上げられた結果として成立する政体がどのようなものであろうと、
あるいは集団の奉ずるイデオロギーとして何が選ばれようとも、それは副次的な事柄に過ぎない。」
 
「故にデモクラシー=民主主義は、軍国主義民主主義でも平和主義的民主主義でもありうるし、さらには参加型民主主義でもありうる一方で、カエサル主義的民主主義でもありうる。」
 
「つまり平和主義や人民の政治参加といった原理は、民主主義の内在論理と基本的に無関係である」
シュミットの言うところ、デモクラシー=民主主義はそれ自身の内容を持った政治思想や政治原理なのではなく、【組織形態】にほかならない。
それゆえあらゆるイデオロギーや政治制度と融通無垢に結びつく可能性を持つ。
 
シュミットの見取り図をさらに検討すれば、
デモクラシー=民主主義の根本原理が同一性にあるのだとすれば、実のところ議会主義の根本原理はその対極にあるという。
 
 >W。上記のシュミットの理屈は民主主義の多様性までは妥当であるが、その延長線上に深入りして論理の世界を追い求めていくのが、ドイツ的政治哲学の特徴。
 イギリス、アメリカ流はもっと経験主義的統治機能的に民主主義を思考するし、フランス流は自由、人権、自律と民主主義をリンクして思考する。
 
 日本の政治思想はともすれば、シュミット型に流れやすい。
本家本元のイマのドイツは批判をキーワードに制度を駆使してでも、自重している方向に、進んでいる。
 
  したがって、この線に沿って、これ以上、追求するのはやめる。
 
 白井の、シュミットを引用を突破口にハーパーマスなどから民主主義におけるコミュニュケーション重要性を導き出し、最後はレーニンの「何をなすべきか」に独創的なコミュケーーションを観る方法論には、かなり論理的に無理がある。
 
 レーニンの「何をなすべきか」は当時の制約された状況の中で政治新聞の配布網建設の重要性、配布者と編集者の政治意識のあり方を論じたものであって、コミュニュケーションとして捕らえる方法はユニークだが、コミュニュケーションのあり方の本質的な思考とは次元が違う、無理がある。
 
 が、「物質」の蜂起を目指してレーニン。【力】の思想より。白井聡(あきら)著。
の第三章は非常に興味深い。レーニンの「帝国主義論」1917年の白井流の新解釈である。
  次の項目全部が現状認識の興味深い参考資料となる。丸山を終われば、取り上げる
Ⅱ不均等発展の』理論
A,不均等発展の概念
B、不均等発展と帝国主義
C、不均等発展の含意
Ⅲ不均等発展とロシアにおける革命(W。白井は社会主義革命としているが、違うと想うのでただの革命とする)
A,レーニンの確信という問題
B,不均等発展論の帰結
C、ナロードニキ主義への実質的回帰
 
レーニンの客観概念
A,【客観的なものの獲得】という思想
 
   例えば今の日本の現状に通じる観点→行動
『事物の客観性に達することはいかなることなのか?という故オtがここで極めて明瞭に語られている
>状況を分析するだけでは結局のところ客観性に接近することはできても、そこに到達することはできない。
>それによって人々は判断のジレンマに陥る。
>このアポリアに対するレーニンが与えた打開策とは、客観情勢に働きかけること=蜂起の実行によって、客観的な諸状況それ自体を変えてしまう。
レーニンの言う反抗力は客観的な諸状況からして、蜂起以前には存在しない。しかし、効能名kyっ間敵情居を蜂起によって組み替えること(権力がプロレタリアートの手にいること)によって、
それまでの関係の中では存在しなかった。
 
「我々がまだ見たこともない」力が「はじめて」存在するということになる。
 
W。次の文節の解釈は非常に難しいが、厳密に言えば、それは決断主義、決意主義を超えた次元であるということだ。
 インスピレーションの世界である。しかもリアルな。
 明日でも明後日でもダメだ、蜂起のチャンスはイマしかない。
 
一方に憲法制定会議、二重権力状態の力関係、蜂起勢の軍事力への冷静なよみがあった。
他方で密集する反革命、外国干渉に対抗する全国的な政治軍事力<労働者、兵士の力>は読み取れる領域でなく、想像力の範囲でしかなく、現にここに存在しない訳だ。
 
 したがって、蜂起行動することによって、ペテルブルグの労働者兵士評議会が権力を握って=事実上のクーデターここの読みは正確無比、彼はリアリストである。)、全国的反抗力を引き出して、客観情勢を変えていく夢想であるが、強固な政治思想である)。
 
>抑圧し続けられてきたものの、未知の潜在する欲望、爆発力、の一点突破した全面展開である。
 
『なぜなら反抗力はイマここに存在するものとしては想定されておらず、(そのような想定は、現に存在しないものの想定=空想である)、
蜂起によってもたらされる新たな客観的な関係の中においての味噌の存在を得るものとして、それは定義W?されているからだ。』
 
『ここでは客観的なジレンマが、客観性のカテゴリーの内部で、そこから逸脱せずに、言い換えれば決断主義主意主義を援用することナシに内在的に溶かれている』
>『客体において観照的に客観性を見出す立場からは、この「我々はまだ観たことがない」モノを理解できずに、客観的状況が熟するのを待つ。
しかし客観的状況の成熟とは行動によってもに証明されるものである以上、彼らが際限なく待ち続ける他無い。
そして好機は失われるであろう。』
 
 
>>【現在の状況を組み替えることによって、そこから新たに出現してくる力を基盤に~権力を維持すること、コレが10月革命という政治的な掛けの内容であった】
 
W。戦前の北一輝は国家権力をまず握って、それを拠点とする上からの日本改造計画(一部はイマの日本国憲法を先取りしている)を企画した
若いころの岸信介北一輝を高く評価していた
満州国革新官僚としての実務指揮には、北一輝の方法が参考になっていたと想われるし、その後、東条内閣の大臣になってからの政策にも国家に権力集中した戦時体制への再編が企画された。
 
このとき日本に社会保障制度が導入されたことは「美しい国へ」でも記されている。
 
安部普三著「美しい国へ」の文中では父への言及は親子の情だけだが、叔父の岸信介への評価は政治思想的であり全面肯定である。
 
現在の安部首相には明確に国家機構を掌握し、拠点とする社会再編(政治的構造の改変に集中しているようである)の目的意識的追求がある
 
 問題は先に記したように、それが内外情勢において、妥当であるかどうかだ。
 
 偏狭なナショナリズムを台頭させ(美しい国へでは盛んに反論しているが、内外の文明比較論にすり替えている)セルフコントロールの困難性は増していくと想う。
 
 政治体制を含めそうしたものは、一見強固、同一性思考であるようだが、そこが逆に、日本と日本国民にとっての弱点、不利益をもたらす。
 
 日本のナショナリズム(神社系、天皇イデオロギー系、東アジア排外主義に収斂するナショナリズム)には、そういう政治傾向が長い歴史を通じ、特に近代化以降、埋め込まれている。
 
>続く
 
          
      <追記>
     <若手弁護士のシンポジウム「崖っぷち!表現の自由 ~今、報道と漫画で何が起きているのか~」講師 金平茂紀氏ほか【IWJ_MIYAGI1】
金平茂紀氏の発言に触発されて書き直しました。
ワシントン駐在員時代のザ、ジャーナルへの時折の紀行文時代から、ジャーナリストらしい視点に注目していました。
ジャーナリストは雑音、圧力に屈しないで、受け手に考える生の材料を、キチンと提供してくれるヒトだと思う。
彼の淡々とした紀行文にはそれがあったから、今アメリカはこうなっているのだと、素直に受け止められた。
 
 文中に何気なく、【戦争国家アメリカ】と書いている姿に感銘を受けました。
このときはキューバグアンタナモ基地に海外でテロリスト、リスト容疑で「拉致」してきた囚人たちへの各国のジャーナリストを招待した公式取材の報告記事だった。
淡々とした報告の中に現在のアメリカの姿を浮き彫りにしつつ、そこにおける各国の取材者の生の姿が垣間見える生きた記事だった。
 
 所謂、告発糾弾調とは全く違った記事だからこそ、アメリカと世界の現実を生々しくに描写していたように思えた。修羅場を括って場馴れしているしていることもある。
 
 刑務所囚人人口230万人の国では9,11事態の関連ということで、国境を無視して、外から容疑者を連れて来てキューバの基地に収容しようが、国民の一部を重罰化でぶち込んでいる獄産体制の国では普通の行為
 
 勿論、そのほかのインフォーマル行為を内外で職業的に平気でやるヒトも公認されている。
他方で、それとは違った人間も多数、包含できる。
 
 それがアメリカなんだが、問題はその歴史段階的な1%VS99%の国内の階層編成の変容している現実なんだと、想う。
コレはエマニュエルトッド的な政治思想的尺度を持たなければ計れない。
自動的に解るシロモノではない。
 
 彼はソ連邦崩壊も駐在員として目の当たりにしており、そのドサクサで交流していたのが、当時、日本大使館員として活躍していた佐藤優で、亡くなった作家の米原万理さんもいました。
 
 結局、ソ連邦崩壊は中国も同じだが、支配体制変革期に伴う、国有資産の私有化、階層分解の大きな問題があった。
超遅れてきた明治維新期の旧体制の公有生産手段の私有化の時期がグローバル資本制の本悪的発進期と重なった問題系列が今でも拡大再生産されている。
ウクライナの現政権幹部もそうした時期にソ連との利権的つながりの中で培養されたものどもである。
 
 ではどうしてそうなったのかという源流を辿っていくと、前回記事の大幅修正の記載になった。
 
 レーニンは白井の政治論の如く、政治思想の範疇で評価されるべきヒトで、現在の自分の特殊な感慨としては、ロシア文学の系譜からも再考察されるべき思想家。
 
 とにかく膨大な文章は、今読んでも非常に難しく、ある程度以上の知識と教養、あるいは物凄い元ベーション
がなければ読みこなせないものである。
 
 ということは彼の書いたものの最良の読者は独特の気風を持っていたロシアインテリゲンチャ及びそうなろうと志していたものたちであった、ということである。
 
 彼等を伝道者として彼の思想が広まっていったが、その原点(精神の核)は、結果的に彼が批判して止まなかった、ロシア土着のナロードニキ思想だった。だからあれほどの先進分子、人民のパワーが結集できたのだと、と思う。中国における毛沢東思想の農民的世界の土着性、特殊性に寄り添った位相と同じだが、後発資本主義大国のロシア社会の主導権はムジューク(ロシア農民)になかった。
 
 それは徹底した自己犠牲的英雄主義を根底にすえた体制変革の思想だった。
 
 ゴーリキー「母」の描くのは、そういった革命家群像であり、冒頭からの描写は黒澤明の「七人のサムライ」のが次々に登場する場面展開と全くコンセプトは一緒である。
あのような形で母の元にロシアインテリゲンチャの徹底した個性的な男女の革命家たちが、労働者階層出身の息子とのつながりで次々と現れてくる。
 
 ゴーリキーの母を読むのは二度目だったが、黒澤の七人の侍のネタ本は、コレに違いないと確信を持った。
コンセプトが余りにも似過ぎている。
大発見と思っている。
多分こういう指摘をしたのは、私以外にいなかった、思っている。
 
 ちなみに、コレは有名だが、「用心棒」はダシール、ハメットの「血の収穫」である。
 
>ところで、ここまで長々と書いてきた動機は小沢一郎のような政治家の命である政党を大切にしないレーニンとは対極にいる政治家を思わずタイトルに加えてしまった己の節操、弁えのなさを弁明したいがためもあった。
 
 彼は安部普三と比べてみても、中身はさておいて、政治家としての基本姿勢において、ワンランク落ちる政治家である、と考える。
 政治家として旬の時期の問題もあるが、弁え、節操のなさでは北一輝→の人物と同列に扱う者ではない。
 
 彼は普通の国の提唱者として日本政治思想史に明記しべき政治家である。
その後の政治活動は日本型民主主義の破壊への専念活動と一括りにできる。
 存在自身が日本の反政府勢力政治の障害になっている。
 
次に安部的な国家機構を握ってその改変によって政治的野望を達成するレーニン北一輝岸信介→安部的政治手法から、NHK人事介入も位置づけて実体的にみたほうが状況が読み取りやすい。
日本社会の現状の空気感、風潮と絡めて云々すると、アベ等の押しすすめる方向の実体的な見方ができない。
 
 同じ位相の地方版が傍流から急台頭した橋下政治であり、アベ政治の定着と共に、新鮮味がなくなり、人気が移行している。
アベ+橋下維新の支持層が一定の容量とすれば、アベ↑橋下↓関係にあるのだから、この理屈はわかりやすい。ただし相乗効果はある。
 
 アベ自民党側とすれば【キープ橋下】、【調教橋下】を当面維すれば、言い訳だ。
従って、反ファショ統一戦線などと言い出し、利害対立するモノや事態を見てみぬ振りをするのは愚の骨頂であり、情勢分析を放棄した政治馬鹿であり、このグローバル資本制の時代に棹差すモノたちである。
コレが単純な現状。