引用 W。アメリカ目線では、敗戦「大日本帝国憲法主義者」以下のように見えた。
「しかし問題の核心は、次の点にあった。
日本の民主化を可能にしたのは、旧憲法でも『穏健派の』旧エリート文官でもなく改革に使命感を持った大君、すなわちアメリカ人というよそ者であったという事実である。
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←W。このレトリックが日本人意識を刺激するが、事実を指摘したまでだ。
第二次世界大戦参戦主要国のなかで、産業革命後の帝政国民国家憲法に何等の修正点もなく、その解釈替えで参戦した国は日本だけであった。日本に近い形の歴史コースをたどったのはイタリアであるが、国家統一運動を経た帝政国民国家成立、1922年ムッソリーニのファシズム制覇の歴史は日本とは違いすぎる。
ただし、日本の近現代史を相対的な視点から見て、客観視できる国はドイツではなくイタリアである。
確かに大日本帝国憲法はドイツ帝国憲法を参照して作成されたが、
第一次世界大戦時のドイツ経済はヨーロッパにおいてイギリスの対抗要因になるだけの金融資本の集中集積が見られた。日本産業資本の重化学工業化は一次大戦以降である。
敗戦後のドイツは皇帝を追放し市民革命が一応完成しワイマール憲法が生れた。日本は明治22年1989年発布の大日本帝国憲法は何ら修正されていないばかりか、1930年代にはその専制性を純化させている。
日本の「市民革命」は米軍事力による日本帝国主義の一掃によって行われたという紛れもない事実、を再三指摘している。
>言い換えると、日本の市民革命は未遂のまま経済成長の中でその事実は埋もれ、あるいは流されどこかに行って今日まで至っている。
ゆえに憲法なきイギリスとくらべると、日本国憲法へのアンビバレントなこだわりが生まれる、ともいえる。
>①上部構造状の中に米国流が埋め込まれているは、市民革命未遂の空白、欠如、不安によるものだ。
>②日本国憲法から1条~8条の天皇条項が取っ払われたときを想定すると、
日本国民の深層心理に生じる空白、欠如、不安は①と同じ位相にある。
だから、敗戦直後の大日本帝国憲法に拘ったエリート文官等を嗤えない、のだ。
憲法よりも人々の生活労働、様々な行為の実態が先にある。コレが現実なのに矛盾ある現場の実態的な戦い、運動の欠如を何とかして補うことをスルーして政治や社会構造の認識の仕方や社会観の在り方の如何にすり替え(要するに政治的な啓もう)、その究極に憲法判断を問うことで埋め合わせる傾向が続いてきた。
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>市民革命によって達成されるべき国家機構と距離を置いた市民的な自律的な価値観、諸法制が帝国憲法時代のまま残存した。
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*今日の日韓関係ももつれの深層心理を理解するキーワードは日韓両国の市民革命の在り方である。
日本側の主流派韓国認識は、韓国の開発独裁時代を自力で終焉させた長期にわたる市民革命から生まれた社会意識を理解の埒外に置き、植民地支配時代から日韓条約を通じて、開発独裁時代までにとどまっている。ところが今の韓国の政治文化状況を主導している世代は開発独裁以降の世代。
市民革命未遂の歴史目線では、韓国の市民革命がもたらした紆余曲折は理解できない。
日本側は戦後の自己認識に欠陥、空白がある(ダワー本はあくまでも材料に過ぎない)。
韓国側には民族分裂事情によって自己認識に到達できない苦難の歴史という制約がある。
もう一つ、韓国側の立ち位置は東西冷戦終結、ソ連中国の変容によって、以前の固定要素が薄れ、自由裁量性が増した。
言い換えると東西冷戦を大前提に中ソ等距離外交に固定されていた北朝鮮の地政学的な立ち位置が不安定になり、韓国急成長も重なり儒教的スターリン主義路線に固執で対応するしかなかった独裁支配層は、自己保身のために国民を犠牲にする要素をつよめた。だから内外要因によって核ミサイルに固執する。
東アジア激動情勢に関与する諸国の支配体制維持の立場に立てば、北朝鮮の現体制が平和傾向に変わることを望んでいるのは韓国の支配的な人々の一定部分と日本の支配層の極少数派だけだと、想像する。