反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

珍しい造形美の花、トケイソウ(時計草)。英語名ではパッションフラワー(passion flower)。パッションは「キリスト受難」を意味する。日本では果物トケイソウをパッションフルーツ。サテ如何に。

  珍しい花を見かけた。見たこともないような造形的な花だった。
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いつも公園の植物を手入れしている人に聞いてみた。トケイソウ(時計草)。
「周りの花弁の数が12枚あるからトケイソウ」との説明だったが、花弁の数を勘定してみると、12枚あるものはなかった。ネット検索の結果、「花の形が時計のように見えることから、この名前がつきました。花をよく見ると、雌しべが時計の針に、花の形が文字盤に似ています。」住友化学園芸
今まで見かけたことがないから、近年になってやってきたのかと想っていたが、「原産地は中南米。日本へは江戸時代の初期に渡来。和名の由来は、3つに分裂した雌しべが時計の針のように見えるところからきている。」ーみんなの花図鑑ーhttp://minhana.net/wiki/%E3%83%88%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%82%A6
以上はこの草花の日本名の由来。
 
欧米では、時計の形とは全く関係のない十字架に貼り付けの刑に処せられたキリストの受難の図
先入観抜きに、どちらがこの造形美の花の呼び方が的を射ている?
 ーみんなの花図鑑ー引用
「英名はパッションフラワー(passion flower)である。この場合のパッションは「キリスト受難」を意味する。これは、花の形を十字架にかけられたキリストに見立てたものである」「雌しべの柱頭をはりつけにされたキリストにたとえ、放射状の副花冠をキリストの後光にたとえた。」~W。Passionの意味にキリストの受難が含まれている?とは全く知らなかった。確かに辞書の最後に載っている。
 
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トケイソウはつる性植物
花の形は造形美があって実に個性的だが、つる性植物としての全体像は平凡。
 
>熱帯性の植物なので寒さに弱いが、温暖化によって、首都圏の戸外でも生育するようになっている。
 
 
 
 
 
 
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一般にパッションフルーツと呼ばれる物クダモノトケイソウPassiflora edulis)の実で、これ以外にもP. ligularisP. mollissimaP. quadrangularis等が食用(果汁の採取)目的で栽培されることがある。
 
またパッションフラワーはハーブとして、鎮痛・精神安定・抗痙攣・不眠の緩和・血圧の降下・ヒステリーノイローゼの緩和・更年期障害など「精神や痛みを静める」働きがあるといわれている。」


  W。いつものようにイチャモンをつける
「英単語 passion には「情熱」の意味もあるが、この植物の名称での passion は「受難」の意味であって、「情熱」の意味ではない」のだから、欧米流でいえば、キリスト受難果実!
日本ではトケイソウ(時計草)という花の造形からきた呼び名を使用する一方で、その種属の果実を<情熱>果実と呼ぶ!
 
 トケイソウパッションフルーツの関係は「カウ」(cow)、「オックス」(ox)→ビーフ、ピッグ(Pig、豚)がポーク(Pork、豚肉)、シープ(Sheep、羊)がマトン(Mutteon、羊肉)のような事情とも違うようだ。
単純に適当、都合よくトケイソウ→まさか時計フルーツとはできないからなのか、格好よく、パッションフルーツを使い分けている。
少なくとも言語を非論理的極まりない方法で適当に使い分けているわけだから、論理としての筋は通っていないナ。


  引用。引用先は特定しないことにした。
「英語で「牛」は「カウ」(cow)、「オックス」(ox)なのに食べるときには「ビーフ」と呼び方が変わる理由は、イギリスでは、「牛」は元々食べるときも「カウ」又は「オックス」と呼んでいましたが、それが「ビーフ」という呼び方に変わったのは、イギリスがフランスに支配されたことに由来しています。

 今から約1000年前の1066年、戦争によってイギリスはフランスに支配されました
 
その後、支配者であるフランス人が牛肉を食べるときにフランス語の「牛」の意味である「ブフ」と言っているのを真似て、牛を食べるときに限って牛肉をブフと呼ぶようになりました。
 そして、この「Boef」(ブフ)が転じて「Beff」(ベフ)になり、更に転じて「Beef」(ビーフ)になったと言われています。
(W、?ノルマン人、アングロサクソン人という歴史用語を使用しての説明はこちら→http://jack8.at.webry.info/201307/article_2.html
 
 ちなみに、豚や羊もピッグ(Pig、豚)がポーク(Pork、豚肉)、シープ(Sheep、羊)がマトン(Mutteon、羊肉)と、食べるときだけ言葉が変わっているのも牛と同じ理由で呼び方が変化していったからと言われています。
よって、英語で「牛」は「カウ」「オックス」なのに食べるときには「ビーフ」と呼び方が変わる理由は、イギリス人がフランス人の貴族文化に憧れ、牛肉を食べるときにフランス人が「ブフ」と言っているのをイギリス人が真似たからです。」


上記は西洋史の肝心なところにまつわる話題を取り上げているが、
トケイソウパッションフルーツとするところと似通っている。
硬い用語を使用するが仕方がない。
 
     ブリテン島を巡る各民族集団と支配層が出たり入ったり、押しきられたり、の複雑な歴史 
 まず、中世初期の後進地域ヨーロッパイギリスとかフランスをイメージする国は存在せず、大陸ヨーロッパでは王と家来が農民大衆を支配する封建領域国家?の時代。先にあげたようなノルマン人、アングル人サクソン人という正確な用語を使用すれば、歴史的事実に沿った誤解を生まない簡単な説明もできる。
*バイキングの子孫であるノルマン公国の王の軍隊にブリテン島先住民のアングロ人サクソン人が敗れた(ブリテン島には大陸的封建領域国家は発達していなかった。地域共同体の拡張、連合した共同体的領域国家だと想われる)。共にゲルマン民族ゲルマン人の元々住んでいたユーラシア大陸東中央部からの移動距離によって、風習の残存度が違ってくる。遠くまで移動したアングル人サクソン人には移動の間にゲルマン人としての風習にそれなりの変化が見られる。アングロサクソン人の特異性の源流(家族形態、自由と民主主義の受容具合)はそこまでたどることができる。~未開性、暴力支配指向、自由と民主主義度の限界性、~契約関係重視、最後の頼りは暴力とカネだけ~。
その前のブリテン島の支配者はローマ人、その前はケルト人。
ブリテン島支配を巡る民族の入れ替わりの順序。
したがって1)最先住民族ケルト人のブリテン島に
2)ローマ帝国が侵入し支配者となっていたところ、故国の帝国支配体制の動揺によって急遽、帰国し、
3)次にやってきたのがゲルマン民族の一派アングロ族、サクソン族はケルト人を周辺のウェールズスコットランドアイルランドに追いやった。
4)最後に侵入して支配者となったのが、ブリテン島の対岸のノルマン人の王国。
 
 
圧倒的多数派の原住民言語が言語交雑関係の流れの中で極小支配層の言語を圧倒し、残ったフランス単語
 W。主要な食料となる家畜を飼うアングル人サクソン人農民大衆は飼育現場ではカウ、オックス、ピッグ、シープと呼び、おそらく非常に長い期間、食用肉も同じ名前で呼んでいた
領地を支配し、食するだけのノルマン人は現地語を使用しないでフランス語で押し通していたので、一括してフランス名で呼んでいたが、何百年の間に次第に現地人の言葉を使用するようになった。
フランス語⇔古代英語?の間の言語の大きな交雑の流れは以上と理解する。
だから、ブリテン島に侵入して支配層を形成したノルマン人の側に次第に現地語が浸透して、ピッグ、シープと呼ぶようになった逆方向の流れの方が、この言語交雑関係の流れの中で極小支配層の言語を圧倒した。したがって食用肉のフランス語の呼び名の方が言語交雑の中で奇跡的?に残ったのである。
 
残った理由?
アングロサクソン現地人の支配層としての成長によって、「フランスの貴族<封建文化>に憧れた」とみることができる。その次に庶民に広がり、言語として定着した。(なお、フランス、ノルマンジー地方の1930年代の大土地所有制の封建的風俗の実態が垣間見える映画としてジャンヌ、モロー主演映画1964年「小間使いの日記」。
エロチックコメディー?ノルマンジー地方の風俗を丹念に描写した映画?60年代の不条理映画の系譜?1930年代の政治状況を取り込んだ映画?どうとも思える主題が解らない不可解な異色の雰囲気の映画である。
傑作だと想う。http://movie.walkerplus.com/mv13607/死刑台のエレベーターよりも面白かった。)
(議会勢力と王党派の対立による清教徒革命に始まり、名誉革命を到達点とするイギリス市民革命の終盤に縁戚関係から議会がドイツから呼び寄せた王は最後までイギリスに感心が無く、ドイツ語しかしゃべれなかった、といわれる。この辺の市民革命の気質は単に王党派と議会勢力の対立から、議会勢力が強かっただけでは説明できず、イギリスの古代中世史の固有性、アングロサクソン人の特質と絡めて説明すべきと考える。
言い換えると他の民族は、なかなかまねることはできないということ。
まねのできないことをお手本にすると何時までたってもできないので、そのうちお手本を投げ出し、固有の歴史の偏重が始まる。
 
11世紀12世紀ノルマン人支配層と現地人の間には言語を修正するほどの接点は余り無く、言語交雑には長い期間を必要とした。勿論、その交雑の順序としては、長い期間を経て、まず現地人支配層がノルマン人大支配層の言語を取り入れたが、アングロサクソン農民たちはその間もズット食用肉を自分たちの言語で呼んでいたとしたほうが正解ではないか。
階層間の格差、断絶はそれほど大きく、それが修正されるためには、世界史上に先行したイギリス市民革命の内戦の暴力が発動されるしかなかった。そしてその渦中で国民国家が形成の途上に付き、産業革命の内的要因は蓄積された。イギリス市民革命→アメリカ革命戦争(日本では独立戦争としているから中身の訳が解らなくなる。)→フランス革命の順序。
 
 なお、ブリテン島東部沿岸地方では、ノルマン人侵入以前の時代に侵入したバイキングが土着しており、スカンジナビア系の言語に由来する地名がかなり残っている。グリムスビー、セルビーなど**ビーなどなど。
 
 ブリテン島を巡るでたり入ったり、押しきられたり、の歴史は同じ島国の日本と比較すると、参考になる。
有史以来の日本歴史は世界史的見て、特異なパターンであり、良い方向に作用する面と、悪いほうに作用する面の両極端を内包している。
一端バランスを崩すと、なし崩し的に悪い側面が出現していくと想う。


 改革委員会は理研ー小保方騒動は世界三大不正研究事件であると、指摘しているが、アメリカ、韓国ケースと比較して、不正研究としても一番、辻褄の合わない、幼稚、愚劣な案件であるとしか思えない。
しかも、解りきった不正研究の実態調査を一貫して隠蔽し、論文を取り下げた今も不正研究を先頭になって実行してきた当人による、実在証明を今頃になって、長い期間かけて行う。
 元々が不正研究としても、うその上にうそを積み重ねた直ぐばれる様な荒唐無稽のお粗末なものだったが
さらにその後始末も、幼稚、愚劣の積み重ねの極みである
検証実験の目的が実験現場と全く関係のない政治次元に横着している。
だから、こんな幼稚、愚劣、異様がまかり通っているのだ。
 他方に目を転じると、モット構造的に大掛かりな、幼稚、愚劣を象徴する事態が現存し、先が見えない。
今までが幸運に恵まれ過ぎていたと良いてそれまでだが、悪いことは重なり、修正する力を自らつぶしている。