wacwac初めに
ミシェル・フーコー|哲学と思想,狂気の歴史,監獄の誕生 - Hitopedia
<エピメーテ>
知が活動するための、基盤や土台のことをいう。
権力が知識に結びつき、人間の思考を無意識の内に支配する知の構造が形成されることを解明した。
こうした考察から人間は無意識のうちにその時代や社会の支配的な知の構造に規制されていることが結論づけられた。
ある文化のある時点においては常にただひとつのエピステーメーがあるにすぎず、それがあらゆる知の可能性の条件を規定する。それが一個の理論として明示される知であろうと、実践のうちにひそかに投資される知であろうと、このことに変わりは無い。 」
<狂気>
「中世においては、狂気は社会で通用している知識や政治への批判の源泉とみなされ、一定の社会的な位置を認められていたが、近代社会の成立とともに学校・工場・裁判所・監獄の制度ができると、一転、狂気とされて排除された。このようにしてフーコーは、「理性」「主体」などの西欧近代の既成的な概念を脱中心化していく。 」
<狂気の歴史>
「近代における(狂気)という概念の成立過程を明らかにし、理性と狂気の区別が、歴史的過程から生まれることを明らかにした。近代社会の成立と共に理性的な社会規範が人びとを規制し、その裏で社会規範からはずれた異質な者は、非理性的な〈狂気の人〉として排除された。」
『性の歴史』
「西欧の近代社会においては、支配的な知と権力の枠組みの中で、すべての人に規範的に強制される規格が<主体>とされるが、古代ギリシアやローマでは、自己を統制・訓練し、自己抑制によって適度に快楽を楽しみ、人生に美や倫理の価値を与える自己の主人が<主体>とされる。」
『はたして自分は、いつもの思索ととは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるために不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ』
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一、桶狭間
引用
「土台、言葉がない。言葉は人間の証である。信長の発した言葉を、我々はたいして知らない。「であるか」とか「是非に及ばず」といった類のものばかりである。ヒトの天才性を表すもの、言葉を鞭のように使って、一瞬現実の難局を切り開く名文句とか、ふと内部の深層を垣間見させる隠された詰めのような小さな言動、そういうものが見当たらぬ。
しかし、と人は云うだろう。
言葉の代わりに行動がある、と。
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信長の行動とは何か。戦争である。彼の行動のすべてが戦争の中にある。
~
この男の行動にあって不可解なもの、それは単に平和にあって日々の安全を保障された我々の目にそう見えるのであって、実はそこには、
戦争の精神 戦争の知性 戦争の論理といったものが中心を貫く一本線のようにあるいはピアノ線によっておられた蜘蛛の巣のようにあったのかもしれない。
この男はおぎゃあと生まれてきてから死ぬまで、ただただ戦争の時代に生きた。
1秒の休みもなしに彼の生を取り囲んでいたのは、戦争という現実である。彼は現実つまり戦争の声を、全身で聞きながら生きた。」
二、戦争の子
引用
『次は1549~51年、だから信長16,7歳のころの、日本に初めて乗り込んできた西欧的知性サビエルの見た日本の現状である。
「武器を尊重し、武術に信頼している。武士も平民もみな、小刀と太刀とを帯びている。
年齢は14歳に達すると、太刀と小刀とを帯びることになっている。」
「日本人は、武器を使うこと、馬に乗ることは、いかなる国民にも引けを取らないと信じ切っている。従って、彼らは、他の国民や国家をあまり眼中に置かない。
彼らは武器を大切にするので、良い武器を持っていることが何より誇りである。
それに銀と金とが極めてきれいにちりばめてある。太刀と小刀とは、家にあっても外出していても、彼らの絶えず帯びているところのものであり寝ている時ですら、いつも枕辺に置いている」
「私はこれほどまで武器を尊重する国民に未だ出会ったためしがない。
日本人は実に弓術に優れている。
国には馬がいるけれども彼らはたいてい徒歩で戦う。
彼らはその全財産を、衣服と武器と家の子郎党とのために使用し,財を蓄えることなどしない。
戦闘的で常に闘争ばかりやっている。一番大なる戦闘力を持っているものが、最も強い支配者となる。」
ルイスフロイスの、1585年における日本員の習俗の観察例を挙げておく。
「われら(ヨーロッパ人)においては、顔に刀傷があるのを醜悪とみなす。日本人は、それを誇り、よく治療しないので、一層醜さを増す。」
「われわれにおいては20歳の男でもほとんど剣を帯びない。
にほんの12,3歳の少年は刀と脇差とを帯びていく」
「われらの子供たちは、素行上、たいして思慮分別も優雅さもない。日本の子供たちはその点異常なほど完璧で、大いにカンタンに値する」
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信長は、こういう時代が、直接に生み出した子だ。つまり戦争の子である。
ではどういう子供だったのか。
この男は書物や教養や大人の知恵kらはほとんど学ばなかったらしい。すべてを、現実との直接の経験において悟る。あるいは自分の内部から純粋に~。
いつも単身、先頭を切って新しい世界異なった世界の中に突入していくのが信長の確立である。
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何が異常なのか。つまりこれは、生活上の常識、~シンボルであるもの、織田家という小社会、いわば自分の家、いわば自分の生の出場所への徹底した否定だからである。あるいは軽蔑。
こういえばよかろう。
信長が新しい世界異なった世界に入っていくのではない。単身きってかける信長が、常にあるところで、自分の周囲に、新しい世界、異なった世界を出現せしめているのだ、と。
~
桶狭間への決死突撃をしたのは友としてのそういう連中であろう。
友、友愛については、モンテーニュに開設してもらおう。
「およそ和合(ソシエテ)くらい自然がわれわれに進めたものはないであろう。
だからアリストテレスは、『良き立法者たちは正義(ジャスティス)よりも友愛のほうに心を用いた。』よいっている。
ところで和合(ソシエテ)の管制の極に達せるものがこの友愛である」
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さらにもっとも独特な点は、信長がここで、自分の生の最低点に達し、それを生きていることだ。おおうつけがそれである。
信長は誰にも依存しない。ただ一個の自分としてそこに立っている。
わたしはまえに「信長おおうつけのこころ」をかいたとき、こういう姿を証明するためにランボオの
『強気にしろ弱気にしろ貴様がそうしている、それが貴様の強みじゃないか』(地獄の季節)という詩句を引き合いに出しておいた。
十二、姉川の合戦前後
「総司令官の戦争への態度が、信長軍と反信長軍との戦争の明暗を分ける。
ナポレオンは王として戦っているような弟を痛烈に批判する。
「兵士でなければならない、次に兵士で出なければならない、そしてさらに兵士でなければならない。~~
20万の軍を率いて狙撃歩兵の先頭に立っているこの私から学んだとでも?」
こういう前衛の感覚、そして兵士の感覚が、反信長軍のリーダーにはなかった。」