事件当時、加藤氏の94歳の母親はちょうど日課となっている散歩に出かけており、不在だったため、難を逃れた。
男は加藤氏の自宅に上がり込み、ガソリンを振りまき、自らその場で割腹自殺を果たそうと試みたが、余りの猛火に動転し、腹を切り裂いたまま、家の中から逃亡しようと高い塀のところまで来て、血だらけになりながら、塀を乗り越えようとしたが、力尽き、駆けつけた消防隊員に身柄を確保された。
事件直前、加藤氏宅の近所のソバ屋で一番値段の張る天丼を注文したという。残った所持金は500円。男の車には漫画右翼、小林よしのり、の漫画本が見つかった。
加藤氏の著書「テロルの真犯人」はこの年の12月18日に出版されている。
私はたまたま、最近大きな図書館で何気なく手に取ったが、なかなかなの力作と感じた。尤も例によってザット読了し、フト想った。この本は終いから読むべきモノであると。
加藤氏の大切な主張は最後の方に集中しており、多分、放火男はこの点に関して短絡的に反発し、行動をしたモノと思われる。加藤氏も著書で放火犯やその奥にある「思想傾向」に怯むことなく、キッチリと系統的に反論している。
私のこうした行動に対する感想は次の通り。
日本兵が中国大陸で行った戦争行為は焼き尽くせ、奪いつくせ、犯しつくせ、の三光作戦だった。第二次大戦の日本軍の特徴は国内生産力の貧困や、制海権、制空権の欠如から、前線の戦闘部隊への物資補給、兵站ルートが極端に弱く、前線部隊は飢餓状態に放置される事によって、現地人への略奪、放火、殺人などありとあらゆる非人間的な戦闘以外の犯罪行為をしたことである。
同時に、大部隊がそっくりそのまま、飢餓と疾病の様な戦闘行為以外の原因で全滅することも珍しくなかった。
太平洋戦争中の日本兵死者の7割が飢餓、病死者と言われている。
また敵に追い詰められ戦闘能力の喪失した部隊は太平洋戦線で圧倒的な敵の銃火を承知の上で、バンザイ突撃で命を失っていった。だから、本当に戦って戦死したモノはもっと少ない。
これが、太平洋戦争の実態である。私の父の兄弟もサイパン島でいわゆる「玉砕」している。
何が英霊なのか!
そういう戦闘方法は間違いである。確かに実際の戦闘になれば、血路を切り開かなければならない時はある。しかし、特攻隊や自爆テロは貴重な兵士の生身の体を弾薬と同じように扱う、前近代的戦闘戦略であり、こういう戦闘戦略を恒常的にとる国の多数の国民も特攻隊兵士や自爆テロ兵士と同じように支配層から道具のように取り扱われているのである。
特攻隊を生み出した土壌は日本の半封建的軍事的天皇主義テロ独裁体制だ。
そして、この体制が戦後も形を変えて生き延びているから、加藤氏宅に放火する様な蛮行が一部でまかり通る。
日本にはそういう野蛮行為を肯定する社会的土壌が今も根強く存在している。
「戦場にかける橋」デビット、リーン監督。
この映画をじっくり、観賞された方で、捕虜になった米兵が脱走し、現地人の支援のもと生き延びて本隊復帰を果たすシーンに何もイデオロギー的なモノを感じないとしたら、マヌケである。
そこに彼らの側の太平洋戦争史観が込められている。いわゆる右翼といわれる人たちは、これに反発する。
それはある意味正しい。帝国主義戦争にどちらが正しいもない。
「戦場のメリークリスマス」大島渚監督。
この映画は「戦場にかける橋」の太平洋戦争史観への日本人の内在的なところからの返答である。
ビートたけし演じる軍曹の野蛮さばかりが突出して描かれている様だが、奥は深い。野蛮の裏側にある人間的な素朴さ、ある種の愛きょうのよさ、農民的な倫理観など実に立体的人物像が描き出されている。
たけしも監督の意図をよく理解して演技している。
素朴で人のいい田舎モノがどうして残虐にしかなれないか、ということである。当時の日本の圧倒的な社会的限界がそこにあったのだ。
もし書かれている事が事実で、それを真に受けている勢力が大きくなれば、日本は周りの国からは相手にされなくなり、孤立し、結局、アメリカにひざまずくしか道はなくなるだろう。日本は東アジアのイスラエルの様な国に成るしかないだろう。
今までそうした歴史観を検討した事もないから、断定はできない。
帝国主義戦争敗北の過程をABC包囲網がどうしたこうした、と被害者面をしても世界を納得させられない。
この点で日本に言い分があれば、連合国側にも言い分がある。
強盗同士の言い分である。
しかし、当時の中国、朝鮮は強盗に押し入られ、分け前の争いの舞台に国土と国民がされてきた。この事実を黒を白と言いくるめようとする勢力は間違っている。
日本人自らが彼らの立場にたったら、どうするか?
我々日本人が相手の立場に立てばよく理解できる事である。その程度の度量もなければ、これからの日本はキビシイ。ドイツでは歴史教科書の国際共同検証を行っている。
グローバル資本主義下、世界史の進行は早まっている。
急激な経済発展によって世界市場で韓国中国は日本の競争相手になっている事実を素朴に脅威に想う国民は多くなる。事実、軋轢もこれからますます増大していくだろう。
相手側にもかつての支配への怨念を描き上げる勢力もいる。
で、お互い、国民同士が争うのか? 中国人民の敵は日本ではなく中国共産党支配であり、日本国民の敵は戦後長く続いている利権癒着勢力である。
この正当な戦いを民族同士の戦いに仕立て上げようと敵はあらゆる策を弄する。
日本でいま反中で騒ぎたているモノどもは大企業、利権癒着勢力、アメリカの犬にすぎない。
戦前の日本を破滅させた奴らが形を変えて立ち現われてきているだけだ。彼らは自分の敵と戦わない。