しかし、誰がそこまで丁寧に帳簿を調べているのですか?
複式簿記にすれば、解りやすくなることは当たり前なのだが、国地方の予算、政治家の資金報告書をバランスシートにしている先進国なんてあるわけがない。
記載にある程度の専門的知識がいる。例えば、小沢さん秘書時代の石川さんなどは専門知識不足で政治資金報告書を書くことができない。
高校の商業科程度の知識がったら大丈夫ということらしいが、知識と実際に細かく記載できる能力は別問題だから。
だったら、結局、専門知識のあるものに依頼するしかないということになる。
それで、どうなるか、といえば、国や地方、政治家の業務が複雑化して停滞するのは目に見えている。
銭勘定を基本とする企業活動と公共のサービスを機動的柔軟にする活動は完全に区別されるべきだ。
今の政治家も大変だと思う。
いつ何時、政治資金の記載で大騒ぎされるかわからない。
重箱の隅まで目配せしておかないと、ダーティの刻印をべったり押される。
当然、こういう傾向が続くと、政治が一つの鋳型に入れられてしまう。
しかし、誰がその鋳型を作っているのかが、問題視されるべきだろう。
この国の実質、支配するモノどもが、金型成型をしている。
また、そこからはみ出る部分に自分たちの都合で判定基準を適応できる。
だったら、彼らが間違った方向を、間違った判定基準を選択すれば、国民は惨禍に放り込まれる。
さらには、国民側にもよ~く見渡してみると日本的特殊性があることが解る。
ヨーロッパでは全部つぶれている。
彼らは政権を目指さない目指せない政党であり、組織存続のポイントはクリーンな政治である。
完ぺきな組織活動を基本とする政党だから、一般の綺麗な政治の基準とは別の基準で国民はこれらの政党を評価すべきだと考えるが、どうもそうなってない節がある。
これら政党の存在は国民間のそれなりの精神、政治風土を抜きに語れないと思う。
マスコミを含む権力側の国民への調教の成果とばかりは言い切れない。
国民側にも何かがある。
ヨーロッパやアメリカを基準とする日本の遅れ一般に解消する意見が常識論としてはあるが、そういう観点で問題を立てていてもいつまでも収まりがつかない、と思う。
日本には日本の歴史的地理的に与えられてきた条件がある。
これを一気に踏み越えることはできない。できるとすれば暴力革命で国家機構を粉々にしてしまうしかない。
当然血が流れる。支配層は難民化する。
が、また復活する可能性が強い。ならば、流血はなんだったかのかということになる。
ただ、国民性はその時は変わっているだろう。前には戻らない。
徐々に変えていくということは、口では綺麗に聞こえるが、実際は日本国の全てのシステムの行き先を小沢さんではないが「お天道様に」任すということだ。
大きな船は行き先に突然障害物を見つけても、急旋回して回避できず、そのまま衝突するしかない。
乗務員や乗客はその時どうすべきか?
大体からして、行き先の突然の障害物出現は乗務員は気付くけど、乗客は知らせを受けるまで、解らず、各々思い思いの船旅をしている。
TTPへの国民全体の危機意識のなさなんて、その象徴だろう。
<3月19日東京明治公園、13時一万人集会が開かれる。集会後デモ>
行動することが大切な時代になってきた。事情があってできない方も連帯できる。
個々人の想いを全体で共有する必要がある。そしてまた、分散し、思いを広める、強くする。
時代が変わるときは、この回路が大切。
時代に生きる機会が恵まれた、と想っている。