反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

キチンと原発事故調査委員会を立ち上げ議論し、責任の所在を明らかにしてから、賠償機構問題に着手するのが筋。完全な国民負担による東電救済だ。

 まず、日本の様な最悪立地条件の所に全国54基も原発を林立させてきた、という責任問題がある。
 
 中性子を減速する触媒に水を使う軽水炉原発は山の中に作れるわけがない。
日本は山ばっかりで平地はごく限られ、そこに人が密集して暮らしている。現状の原発銀座いと云う、10基以上の原発を並べたところでも、外国からすれば決して過疎地でなく、多くの人が暮らしている。
 近辺に都市もあるし、大きく言えば、日本の中枢の様な東京、大阪もある。
 
(ところが、先日のたねまきジャーナルで元原子力安全員会の住田健二は日本の様な狭い国土だから原発は必要と主張していた。未だに真意が計りかねるが、要するに中曽根康弘の日本不沈空母発言に見られるような深層心理が原発村には働いている、とみるべきであろう。わき目も振らず、経済効率第一に純化せよ!。それが日本人の生きる道、と。)
 
 
 さらに言うまでもなく、日本は世界有数の地震津波国である。全国、隈なく、活断層の亀裂が走り、山を見上げると、至る所で活火山が噴煙を上げている、日本を象徴する山、富士山、自体が休止中の火山である。
 
 日本列島粗製の太古の傷跡のごとく列島を串刺しにした中央構造線が東西に貫いている。
その北の日本海側と南の太平洋側では地質の組成が全く異なっており、共通するのはどちらも地下深くから隆起してきた、というところだ。日本列島は浮いたり、沈んだりを繰り返してきた。
 
 日本列島のすぐ近くでは地球プレートが軋み合って、海溝を作っている。
今回の東日本大震災は丁度ここが、海底深くで激しく軋みあったが、地球規模で考えてみると、わずかなずれであり、津波の大きさも海の深さに比較すれば、大きなものでない。
だから日本の様な激変地異の所では同じ様なことがまた起こる。
 
日本列島は太古から山と海が荒ぶって、今日に至っている。それが日本人の特質に影響を与えているのは間違いない。日刊ゲンダイがいうようにDNAレベルとは江戸時代の様なつい最近を持ち出すことではない。
 もちろん、だから仕方がない、で済ますことはできない。
 
 フランスの様な安定的な地形と荒ぶる日本列島は比べようがないのに、原発村は列島に地球環境、大自然に挑戦するように原発を林立させてきた。だから、原発の安全性を古代の神話のように仕立て上げる歪な必要性が生まれた。原発安全神話とは、戦後日本の最大限に間違った日本人固有の物語だった。
 
 日本の今現在の福島原発事故現場に戦後日本の間違った歩みが象徴されている。
 
今は福島原発事故に焦点が当たっているが、福井、高速増殖炉もんじゅの異常事故、真っ最中の現状が同時並行的にあぶり出されると、多くの日本国民は自分たちの今現在の到達点の異常性がハッキリと認識できるのではないか。
 
これができたらマスコミを見直すが、絶対に無理。
 
 解決不能事故は福島だけでなく、ある意味、同種の危険性を秘めた事態が福井の高速増殖炉もんじゅ進行中である。
 
 >管政権は早々と、東電救済策を既定方針通り決定した。
これまで原発を推進してきた大間違いの方向性は何ら是正されていない。
是正するためには、キチンと事故調査委員会を立ち上げ、関係者を取り調べ、事故発生から時系列に沿って、現場ー東電本社ー保安院ー官邸の対応をリアルに白日下に晒す必要がある。
 
 想定外という言葉で総括できない、事態がそこに確かにある。
其々がそれぞれの立場で責任を負っている。
その責任とは抽象的なモノではなく具体的行為の中にある。
刑事責任が問えるとか問えないとかの問題ではない。
 
 >今回の事故調査委員会を立ち上げず、早々ととどのつまりは、東電救済策=国民負担を決定した真逆の管政権の対応は敗戦直後の日本の「政府」の対応とそっくりだ。筋が通っていない、自らが厳しく責任の所在を追及できない。
 
 敗戦直後はGHQという超法規的軍事権力が存在したから、まだ「改革」はできた。
当時権力を掌中にしていたのは一握りの宮廷政治家であり、彼らの意図は戦前体制の上辺だけの修正だった。
彼らと占領軍の力関係の中から、日本の戦後体制のスタートが切られた。
国民は戦後初の普通選挙をしても、旧体制支持の政党に投票した。
占領軍当局が報道管制を背景にマスコミの旧体制に強引に手を突っ込んで、初めて、新体制のマスコミに洗脳されて、国民意識が変わった。
 
 今の日本にGHQはいない。
特捜検察は支配層の道具だ。原発村に異議を唱えた知事を葬っている。福島県の。
 
そして、原発村の政治担当、自民党長期政権に、NOを突き付け政権交代をさせた国民に選ばれた民主党管政権が原発事故調査委員会も立ち上げず、東電救済策を早々と決定している。
 
 原発事故には水管も石棺もできないモノどもが、事故の真相の隠ぺいだけはできるのか!
 
石川啄木の詩を想い出す。
結局はそういうことなんだと想う。附けは全部回されてくる。
 
ジット、手を見つめて、怨念を掻き立てよ!
 
       <追記>
東電株の配当は据え置きらしいが、転換社債はそのまま。
東電を国債発行で助ける本線があるからそういうことになる。
しかもこの国債は随時、換金可能という。
政府が東電株を買い支えることも視野に入れているらしい。
 
 要するに現状の東電という会社が、リストラのふりだけして、そのまま存続するということだ。
 
細野豪志首相補佐官によれば、電力供給の日常業務は単純作業の繰り返しだそうである。
それが骨身にしみわたって、体質化してしまっていて、緊急事態への対応力がなかった、とか。
言葉で抽象的に云えばそういうことになるが、扱っているモノが原子力だよ。
 
 ルーチンワークが骨身にしみわたって、緊急事態に対応できず、オロオロしたり、保身のことばかりを考えていたでは済まされない。
 彼ら、東電の上から下までがこの事故の対応でやってきたこと、その責任は他に転嫁できない部分がある。
余りにも酷過ぎし、一線を大きく越えている。
責任ある技術者の姿がどこにも見当たらない。現場を任された技術者は、一旦事が起これば、本能的に全能力を集中し事に当たる。
 
 ベントのために建屋内に入って、バルブを開けに行くことも、怖がって躊躇っていたフシがある。
 
 敷地内で作業中の作業員にベントを知らせず、いきなりやった、と事なんかから推察すると、そういう想像もできる。
 これだったら、超緊急事態の遭遇したそこらの保守管理要員のと変わらんよ。
 
その時点まで彼らがやったで記録されているのはこれだけだ。
状況把握も甘い。使えるモノも使っていない。
 
大した仕事らしい仕事をやっていない人間、代わりに誰でもできる仕事を毎日、根気強く繰り返している人間がいっぱいる会社などは、そこまで手厚く、保護してやる必要はない。
 
東電という会社がなくなっても電力供給事業は存続できる基盤がある。
 
 メガバンクが潰れた方がよっぽど社会的的経済的影響が強い。