反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

暫定結論。危機はチァイナシンドローム型。再臨界はない。新収束法(汚染水循環冷却)は実現可能性低い。

 いつまでも事故現場情報に集中しているわけにいかない。
そのためには今までの情報をもとに暫定的に結論を出す必要がある。
 
 この事故の受け止め方は、個々人によって違う。従って究極的には個々人が判断することだ。
 
再臨界になる要素が乏しい。燃料棒が溶けていまっているのだから、核連鎖反応を引き起こす、ウラン235や3号機のプルトニウム原子核うしの核分裂連鎖反応の間隔がなくなっている。制御棒も溶けて核マグマに渾然一体になった状態だ。
  
再臨界、爆発の危険が一番あった時期は全停電によって、冷却水循環がなくなり燃料棒が露出して溶け出した時期である。
 
 このとき、再臨界の条件がもっともあったが、ペレットを覆うジルカロイド合金が溶けてペレットはバラバラに落下し、圧力容器底で核マグマ化した。
 
 >一番、再臨界の条件にあった時に、再臨界が発生しなかったのだから、その後の再臨界はあり得ない。
 
 >圧量容器内の放射線による底に溜まった水の分解、水蒸気爆発はなかった。
こういうことを言う専門家もいた。
 
 >また、核マグマの熱によって圧力容器底が溶けて、落下する核マグマが格納容器内の水と急激反応し、水蒸気爆発を引き起こしすというシナリオもなかった。
 メルトダウンした核燃料はすでに格納容器の水の中に垂れ流されているのに、水蒸気爆発は発生しなかった。
 
従って、従来指摘されていた、一連のカタストロフィー連想は適応されない。
 福島原発事故現場は巨大な科学実験の様相を呈して、実験結果のもたらした結果は明らかだ。
 専門家の理論は想定できても実験しなけれ想定通り事が進むかどうか解らないことがある。
 
自動車事故ではないが、原発事故は純科学の分野から、はみ出る部分が多い。
 現場には固有の事情がある。
 
今進行中の事態はチァイナ、シンドロームである。
 
 比重19の20トン程度の冷えない核マグマが圧力容器、核の容器の鋼鉄を溶かし
落下する方向にある。
 
 1~3号機の圧力容器底は核マグマによって鋼鉄が溶かされ、大きさはさまざまだが、穴があいている。
其々の穴の大きさは、これまでの注水量、各所に溜まっている汚染水の量から、東電側も大体の推測はできているはずである。
 今現在は1号機のみ穴の大きさを発表しているが、2、3号も穴が開いている。
 
 >3号機温度圧力上昇は注水が底に溜まった核マグマに十分届いていないと説明されている。
 
 圧力容器内の150本の燃料棒集合体を支えている枠に当初の海水注入によって、塩がこびりつき、注水している配管出口がその上にあるため、下まで届く間に蒸発している。当然、底に溜まっている核マグマは冷やされず、炉内温度は上昇する。十分冷やされない、核マグマの表面部分の温度上昇は圧力容器の鋼鉄を溶かしやすくする。
 
 >水につかった核マグマの様子を京大の小出さんはアンパンに例えた。
外の皮の部分は水につかっているから冷やされ、比較的固くなっているが、中身はアンパンに例えられるように高温でゲル状になっている。
 
 各号機共通に言えることは、核マグマ=アンパンの重さは想像以上に重く、大体、20トンほどと推察され、温度もアンパンの中身で2000度ぐらいになるのではないか。ウラン溶融点2800度から推察される。
 
 鋼鉄の溶融点は1600度だから、注水によって、温度管理を続けなければ、アンパンの皮の温度が上昇し、鋼鉄を溶かし、穴を拡大する。
 
 私が、収束工程は気長にやるものでないという理由は高温のアンパンのような核マグマの取り扱いの困難性(チァイナ、シンドローム的落下)とすでに10万トンにもなる汚染水処理の問題、核種飛散、蓄積、被害の問題からだ。
 
 >圧力容器、底の景色は多数の計器の差し込み口が林立しており、鋼鉄に溶接されている。
圧力容器底にあいた穴とはそいう云う溶接部分弱い所にできた穴。
 
 もう一つは燃料棒は容器下に穴をあけた状態からさしこまれているので、鋼鉄との接合部分ができている。
ここも弱いところだ。
 以上の情景は原子炉設置時の写真で確認している。
 厚さ16センチの1枚岩の鋼鉄をイメージしていては実際と違う。弱い部分は多く、核マグマはそこの周辺を溶かしていくだろう。
 
 >新収束工程は石棺作業という今までの長期的目標が事実上除外さたが。
 
 >>新収束作業が目標としている汚染水の循環冷却系で、核マグマを冷やしていく、という大方向は厳しいんじゃないかな、と想っている。
 
 高濃度放射線量の原子炉建屋に熟練した作業員が入って、配管工事をしなければならない。
 
 限界被ばく量を250に上げても、一人の熟練作業員の確保できる作業時間は延べ何時間になるのか?
限界に近づいた作業員は2度と現場に復帰できないのだから、代替え作業員が必要。
 
そういう細切れ作業を現場で指揮する人もいる。各作業員がいくら作業前に打ち合わせもしても、現場作業が継続していなければ、作業感に乏しい。
 
 また原発の検査、修理作業で今まで確保できている作業員の技術レベルの問題もある。
平井憲夫さんの書いたリアルな記事を熟読すると、作業員の技術向上が望めない環境があるようだ。
 
 基本的に事故現場作業をするのは原発建設作業員ではないとみている。
 
>>>想定される膨大な現場作業の量、困難作業に質に対して、作業側に制約が多すぎる。
やはり国家プロジェクトでなければやりきれない。
 
 もう1点。
注水しながら、別の配管を見つけて、冷却循環系の配管工事しなければならないのだが、そのような都合のいい配管はあるのかどうか?
 
 底に沈んでいる核マグマのどの辺まで水位が確保できるのか?水位を上げることができたら、冷却配管の出と入りは確保できるが、できなければ、ポンプは空回りだ。
溜まった核マグマや炉内の残骸が配管を塞ぐ可能性もある。
今までは循環させず、上からジャブジャブ水を注ぎ込んでいればよかった。
 
 イロンナ事態を想定すると汚染水循環冷却系の無理筋なんじゃないかな。
 
そもそも、これができるとしたら、最初から、東電現場は水棺方針は採用しなかったはずだ。
当初、一番やりやすいと、想ったから、石棺を選択した。
 
ということは、汚染水循環作業は石棺作業よりももっと難工事になるということだ。
 
>>水棺と石棺の違いは、冷却循環に新鮮な水を使うか、汚染水を使うかどうかの問題。
新鮮な水を使えば、ダダ漏れなのだから、汚染水の量が増え、貯蔵場所がなくなる。
 
ところが、汚染水使用は一見、汚染性を循環させるのだから、増えない分だけ良いと想われがちだが、果たしてそうだろうか?
 
 1)高濃度汚染水の配管の工事は難易度はどうなるのか?
 2)炉内を循環すれば、もっと高濃度に濃縮する。
  対策が必要ではないのか?
 汚染水ダダ漏れさえなければ、石棺の方が簡単作業であることは間違いない。
 
辻褄合わせで、目先を変えて、自分たちも含めた、気休めに汚染水循環を公表している様な気がしてならない。
紙の上での書き換えであると想う。
 
 じゃ~どうすればいいのかは分からない。
 
もうこの問題は、今日で終わりにする、ために書いた。
 
 
  <<<追記>>>
粗末、新工程表を考えると、
 管直人首相は福島原発事故現場によって止めさせられるのじゃないかな?
 
ヘンな表現だが。
 収束させる国家的な体制を取ろうとしていない。形式的であっても大事なことじゃないかな?
それ程、事態は厳しいくて、国家的気力がいることなんだ、と認識している。
  「がんばれニッポン」??
 ボケてる!
一点集中、一点突破、の気力だ。
自粛とかは間違った方向でマイナスの要素だ。
  マイナスをチャンスに変える、気構えが必要な時がある。
 
 今回の収束工程表も東電には発表させて小手先の構えになっている。
どうするのか注目していたが。
 
 統合対策本部って何なんだということになる。理屈からいっても。
 みんなして現場の東電を応援していていくなんて、保安院の西山さんは堂々と記者会見で述べていた。
 
 この事故の対応の核心は人の要素をどう発揮するかに尽きる!
 
被曝さえなければ、作業自体の内容は大したことはない。
ヒトの要素をもっとも発揮する体制を取っていくためには、管直人首相の存在が障害になってくることも考えられる。
 身を引くことでよくなる方向に向かう、場合が出てきたが。
国民全体が日和見主義で決断できなくなって、漠然とした従来の体制の下に寄り添う傾向にある。
民主党政権のなれの果て、管直人首相でも否定できない所がある。
石原東京都知事も新東京銀行、やオリンピック誘致の破廉恥なでたらめにも拘わらず、圧倒的多数で4選されている。
 こういう思考停止、日和見主義から一転、過激方向に扇動、洗脳されるのが日本人の支配的イデオロギーだった。
日本のは戦前から歴史的になし崩し性があって、問題をこじらせてきた。
 
 これから、ジット、冷めた目で見つめていきたい。
 
    <<<追記の追記>>>
今、読み直した所、重要な論点でかきまちがいがあります。
 
水棺、石棺の違い、の部分は
 
水棺ー汚染水循環の間違いでした。
 
とても重要なところ。
 
水棺は冷却循環を作らず、ただ水に漬けておくのではなく、事前に新しい水を使った冷却循環で冷やし、そのままの状態から冷温停止に持ち込みたいという願望。
 だから、いうなれば、冷却循環の継続だ。
 当然、ダダ漏れ汚染水の問題は出るが作業は汚染水循環より、やりやすい。
 
一方、汚染水冷却循環は先に書いたように汚染水は比較的少量で収まるが、難易度の高い作業である。
チァイナシンドローム状態で時間との戦いである作業現場はできたら、新鮮水の冷却系を構築したいのは当たりまえであり、その方向を追及していた。
 
 次に取られた方向はより難易度の高い当初、選択したくなかった方向である。
チァイナシンドローム状態の核マグマに現場対応が後手に回り追い詰められている、と云うのが本当の姿だ。
 
 汚染水循環は紙の上で進行する深刻な事態を誤魔化しているにすぎない。
 
>>もっといえば、この状態を的確に「たねまきジャーナル」で発言できなかった京大小出さんにも限界がある。
私は彼の放送を数回聴いて限界に気付いた。
でも、人間は万能でない。彼はあくまでも良心的な原子力学者さんである。
作業現場の実態を知らない。
 問題になっているのはハードボイルドな世界。
小出さんは立派な学者さんで、「政治には期待しない」と公共放送で云いきる姿勢は私にも学ぶべき点がある。
彼が思想の人でもあったから、原発村の一員にならなかった。
いくらでも機会はあったはず。
 が、限界はある。
 
賢明な彼はそれを知っている。
東電作業現場を大切にする意見を必ず、挿入している。
 
が、人間は自分の与えられた限界を超えられない。
 
できるのは革命家だけだ。
 
彼は原発革命家でない。