反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ヒトとヒトの戦いの究極=戦争は降伏、停戦で終わりにできるが、原発事故は人と原子力の暴走との戦い。ヒトの側に停戦や降伏の選択肢はない。打ち勝たねば収束はない。

 柄にもなく高尚なことを考えようとしてきたが、やはり、無知ゆえ後が続かない。
今日はおまけに寝不足で頭が余計にボッーとしている。
 調理をやらず、料理を出す様なものになる。
 
 福島原発事故ってなんだろうかと考える時がある。
 
 火事にたとえてみると、まるっきり、違っていると解る。
 
火事は火元を消し止めたら、収束する。煙は出なくなる。
 
 ところが、炉内の原子の火の残りかすはなかなか消し止められない。この種の火は、この世に原子力の火、以外にない。
 
 煙はどうか?
 
 「きっこ」さんがツィッターで毒舌を吐いている。
 
 「石の上にもセシウム
 
 新ことわざだそうだ。多分、セシウム半減期30年を知っていて、3年を30年に引っかけたのだろう。
 
原子力事故による煙?もまた、普通の火災の煙と全く違っている。
環境、食物、ヒトへの汚染被害が連鎖する。
 
 火元も煙も強烈な持続性、毒性があり、人間の細胞を破壊し、死に至らしめる。
 
 これまで私が原発事故で俎上に乗せてきたのは、火元の方である。
 
ところが、火元得御を消し止められても、煙のもたらした毒性は持続する。
 
だから、両方の局面を俎上に乗せなければ、片手落ちになる。
 しかし、解っていても得意分野しか書けなかった。
火元から発せられた煙の毒性まで知識が及ばないから、意識的に割愛してきた。
 
 が、多くの人に被害をもたらしているのは煙の毒性の方である。
だから、原子炉事故に関しては、火元(原因)を消し止めることに集中せよ!とばかりはいえず、両面作戦を強いられる。軍事作戦で両面の敵と戦うのはキビシイ戦いである。
 
 まだ問題点はある。
 
 火元の燃えカスは普通だと、処分の見通しは簡単に立つ。
原子の火も燃えカスは処分場さえ目途が経っておらず、適当に所蔵され、増える一方であり、それ自身が毒性危険性がある。
 
 太陽の原子核の融合のもたらす光と熱で地球の自然と生物が生成発展してきた。
 
発展した生物の頂点?に生じた人類は原子核の分裂から、「自分たちの太陽」を生み出したが最初の目的はナント超大量殺人だった。
 
 ヒロシマ、長崎で米軍によって、実行されたことは原子核の分裂のもたらす本質が発揮された。
 
すぐその後、原子核分裂のエネルギーを減速して利用する道が開かれたが、これは、原子爆弾の裏面の事態であり、原子力の表側の顔は必ず、付きまとっている。
 
 裏面でしかない平和利用の表の顔が大量殺人兵器としての顔で両者は不可分一体のものである。
全世界の原発が抱える殺人力よりも全世界の核爆弾の威力の方が圧倒的に大きい。
 
福島を筆頭とする原発事故は原子核分裂の表の顔を人類が本質的に制御できないことを証明している。
 
 福島原発事故原子核分裂の表の殺人兵器としての顔が暴走している事態である。
 
日本人が一致して止めなければ、止まらない性質の暴走が、今現在、福島で進行中である。
 
政府の対策は、この事実に正面から向き合っていない。
 
しかし正面から向き合ったとして、解決できるとは限らない。
とにかく、この戦いは人類史上最悪の厄介な戦いであり、戦いに勝ち抜く為には、総力を結集することが前提となる。
 決して人と人との戦いルール?は適応できない。相手は宇宙の組成を司る原子の魔モノである。
 
>>マスコミや日本人一般は原子核エネルギーを相手の超特殊な戦いをヒトとヒトとの戦いにすり替えがちである。ヒトの問題をクローズアップしすぎている。ヒトや組織の問題はこの戦いの別次元で論じなければならない。
目の前の事態はあくまでも
 
 人々VS原子力の暴走である。
次元を混同しているから、いつまでたっても光明が見出せず、後手後手に回っている。
 
>水棺とは何もしないで水浸して冷温停止に持ち込むことでなかったはず。冷却循環を通しての水浸し冷温停止だ。
>汚染水冷却循環はもっと困難な作業である。
 
>もっと困難な工事方法を選択せざる得ないところまで追い詰められている。これが正しい見方だ。
 
>とすれば、困難な工事方法以外に他に道はないとすれば、後はみんなの力を合わせ易い体制を取るしかない。今までのやり方ではだめだった、ということだ。
 
現場は東電が担当するしかないが、バックアップ、責任体制は明確でなければならない。
 
これから、膨大な人と物量を投入しなければならない。
今こそ国家プロジェクトとして国家が前面に出ていかなければ、いつ出ていくのだ。
 
この戦いは降伏停戦はない以上、ある意味、ヒトとヒトとの戦いである戦争より、厳しい戦いである。