反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

政治家、政党の基本的政治傾向は変わらない。大失敗、大間違い、したモノは何度でも繰り返す。自民、公明、管、前原の正体は明らか。騙されるモノにも問題アリ。

 民主党の代表選挙が昨日告示され、海江田、前原、野田、等が立候補して、週明けの8月29日には早くも民主代表=次期首相が決定される。
 有権者は国会議員だけ。運動期間も超短い。
東日本大震災復興事業、福島原発事故処理という歴史的な国民的課題を政権党として背負っている最中の党内政治活動になるのだから、当然の処置である。
 
 しかし一方で、大災害が発生する前に、問題になっていた社会保障に名を借りた財政再建と称しての増税アジア太平洋経済協力への加盟問題、官僚制度公務員制度の改革、政権交代時のマニフェスト転換問題、普天間基地移設問題、など今後日本の国家と国民の戦略的方向性を左右する根本課題が次期内閣に問われており、それらは大災害の緊急事態対応のドサクサに紛れて拙速で間違った結論を出すと、罪科は後で国民多数に降りかかってくる。
 
 今回の代表選。
運動期間の短さ、有権者国会議員限定はよかった、と想っている。
 
 党員やサポータを巻き込んだ党代表選挙をやるのは党側の勝手だが、ここら辺りにも、マスコミ報道の過熱による無用なポピリズム政治の発生源の様な気がする。
 何かマスコミ報道によってアメリカ大統領予備選の様相を呈している。政党内部の有権者の冷静な判断に委ねられるべき党首の選択権が部外者の自覚を全く欠いた野次馬根性によって、介入、蹂躙されている。
 
 党首選挙に党員のみならず、サポーターとかいう外野席まで設けるから、お祭り騒ぎが大きくなり、マスコミに迎合するポピリズムの発生源になる。
 
 イギリスに範をとった日本の議会制民主主義は議会多数派によって首相が指名される政治システムなのだから、党首選挙において、外野席まで設けて大騒ぎするのは、余計なぜい肉であり、アメリカ的政治システムとイギリス的システムのどっちつかずの政治に無用な混乱を招くだけのモノといえよう。
 民主主義の誤った運用であり、そのうちこういう処から、意思決定をスッキリさせるためのリーダーシップへの渇望が生まれてくる。
 
 一見すれば、党首選も有権者を拡大し、マスコミ報道で国民にオープンになったかの如く映るが、得をしているのは騒ぎ大きくしているマスコミだけで、これまで多数の国民にとって良い結果は生まれていない。
何か衆愚政治の発生源の様相を呈している。
 
 党首選に本当に関心があり、参加したいのなら、党員有権者になればいいのだ。
民主や自民は外に開かれた党。簡単に入党も脱党もできる。
 
 そんな党は全く支持できないとなれば、第三者的に冷静に見つめていればいいのだ。日本的議会制民主主義を踏まえて、マスコミがどう煽ろうが、冷静に見つめていればいいのだ。
 
 拡大党首選とマスコミ報道は主体的な政治行動と政治分別をスポイルし、衆愚政治の発生源となっている。
 
 結果的に自民党党首選では小泉の様な典型的なマスコミ利用のパフォーマンス優先の政治家を生んだ。
その選出過程、政権運営過程でマスコミは演出者として共犯意識関係さえもつに至り、実質的に報道によって政権を支えた。その結果として行き過ぎた市場原理主義が跋扈し、日本を急激にアングロサクソンユダヤ社会化した。
 
 民主党への政権交代もマスコミは同じ轍を踏んでいる。
 
ただ、政権交代自民党内の小泉の様な輩を担ぎあげるのとは事情が大きく違っていた。
 
民主党政権は戦後のマスコミも属する利権癒着勢力の一角を形成する自民党内の特定の人物をマスコミが担ぎあげるのとは大きく事情が違った。
 このため、普天間基地移設問題、鳩山、小沢一郎攻撃で、民主党の一部を屈服させる必要があった。
 
 政権基盤の脆弱な民主党の管政権はマスコミの吹かせる風任せで政権維持を図る道を選択した。
ということは、マスコミの政治綱領は利権癒着勢力の綱領なのだから、政権の片方の足をマスコミに置かざる得ない管政権は利権癒着勢力の政治綱領の基本を踏襲する。
 
 いずれにしても、国会議員に限定されることで、マスコミの介入度は低くなる。
まして、不正投票などと云うことは排除される。 
 
 いくらなんでも、国会議員が小沢VS反小沢の民主党の対立構造の宿命が今回の党首選でも明らかになっている、とかのマスコミ報道の政治設定に翻弄されて、政治選択を誤ることはないと信じている。
 
 マスコミが何を報道し様が、もう今の民主党各議員立場のなら、失うモノはないはずで、国政政治家として純粋で高度な政治判断をしてもらいたい。 
今の政治の延長線上には今現在の民主議員の過半数の落選が待っており、開き直るべきだ。
 
 その時には、今現在の主流派と称するモノどものよって立つ基盤は揺らいでくる。
 
 >>1998年民主党初代代表になった時点から、管直人の「よ」党と「や」党の中間の「ゆ」党的政治行動パターンや自民党と同一の経済思想は明らかだった。
 
 民主党結成の核になった時代から、鳩山由紀夫自民党への対決路線と管直人の妥協路線は際立っていた。
経済路線も管直人は民主初期の段階から、財政再建を理由とする増税路線だった。
 
 まだ民主党に合流前の小沢一郎は云わば、新保守主義の立場だった。。
小沢一郎が今の社会民主主義政策を取り入れたのは民主党合流以降、小泉市場原理主義による日本社会のアカラサマナ破壊を見てからだ。この点をしっかりと押さえておかないと、幻想に終わる。
 
 前原誠司はこれまで見ての通りの政治家で、有能な政治的人間にたまにいる、足元にいつも「抜け」のある欠陥人間。
政治家として周りに実害を与える。毒だらけで、薬にチットモならない。トップに立てば、それ相応の失敗をしでかす、一番危ない、絶対に首相にしてはいけない人。少なくとも戦後政治で前原の様な政治的欠陥人間が首相にまで上り詰めたことはない。
それなりのチェック機能は働いてきたが、今はそれさえあいまいになっている。
 
私は永田町政治に全く関心がなかったので、後から本を読んだり、ネットで調べて確認したが、改めて政治家や政党の本性は変わらない、と解った。
 
 当たり前のことである。そのくらいの一貫性、硬度がなければ、政争の一番に詰まったところでの活動は継続できない。国民受けする擬態をその都度、巧妙に駆使するから、勘違いする人、騙される人がたくさん出て来る。