専門的な分野の本にもイロイロある。自分の主張を裏付けるため、ガセネタをコッテリし込んだ本。
近年ではこういう本ばかり。
しかし中には、読みやすくて、専門的な中身のある本がある。
「韓国経済の課題」と云う平凡な表題の本は実に面白い本だった。
何よりも公平な観点が貫かれている。
日本と韓国の専門家、学者が韓国経済の各分野について現状と課題を手短にまとめている。
日経新聞の韓国経済の報告の様な本も併せて読んだが、まるで日本も韓国をお手本に、社会経済を「改革」しなければ、世界市場でやっていけない、見たいな問題意識に貫かれている。
そこまで、日本を侮辱して得られるのは一部のモノたちの栄耀栄華じゃないのか?
私の日本国民の敗北説は奮起を促すという心が根底にある。
日本の支配層によくある観点である。
日本支配層にとって韓国の様な経済社会が己の利害を最も貫きやすいシステムに本能的に映る。
が、その裏側で多くの国民が資本の論理そのものに鞭うたれ続けて一生を終える過酷な状態に置かれることに目がいかない。
そのような環境は長い目で見ると民族としての独自的存在を失って、カネに貧欲、強欲丸出しのユダヤ金融の論理や単純な力の正義を正当化するアングロサクソンの論理がまかり通る、完全属国、属民に自らを変えてしまうことである。
今風、民族性の根本さえ塗り替えた植民地化である。その方が直接的支配よりも根深い支配である。
「韓国経済の課題」。
どこが面白かったか?
など諸々の事態を総合すると、ここまで国や民族を挙げて、グローバル資本、実はユダヤ、アングロサクソン論理に従順にならなければ、やっていけないところまで、自分を追い詰めてしまった、後進性、北と南への民族完全分断への「辛いな~切ないな~」という想いだ。
正直なところ、韓国に生まれなくてよかった。
ただ次の歴史的事実は日本人としては抑えなくてはならない。
歴史的に朝鮮半島は中国、ロシア、日本の覇権の狭間に位置してきた。
第二次世界戦争における、冷戦体制の確立によって、民族が半分に分断され、その中で外国軍隊の庇護のもと過酷な内戦を経験し、分断は固定化され、今もなお休戦状態である。
単なる仲良くしましょうではだめだ。
1960年中期の日本の賠償を切っ掛けに1970年代から始まった急速な軍事独裁下の経済成長は資本蓄積構造として財閥への富の野放図な集中を生んだ。この財閥支配と政治的上部構造の軍事支配が国民の先進的な部分の苛烈な民主主義的闘争を生み出した。
加えて国家はIMFの管理下に置かれた。
韓国国家と民族は世界に類を見ないIMFの優等生になった。それは結果的に元々歴史的に負の要素を持っていた民族性さえも、変えざる得なかった。従って、韓国朝鮮民族は歴史的に自らの民族性をじっくりと養う期間が与えられなかった、といえる。息つく間もなく、外部の強力な武力、政治力、金融力に翻弄され続けた。
反日的に傾く根っこを理解しなければならない。
この10年間を一部の韓国人は失われた10年と云うらしいが、この十年の間の経済停滞の中で韓国民と企業は民族のアイデンティテーを捨てて(正確にいえば確立の機会を捨てて)、ユダヤ、アングロサクソンに変身するために苦しんでいたのである。
この時期の変身の苦しみとは単純な政治過程ではない。
それは韓国の労働市場、労働運動の事情を見ると理解できる。
1)韓国の労働組合の組織率は15%弱でしかない。企業組合である。
2)民主化10年の中で政府は日本よりも、雇用に関する規制をした。
その結果、韓国では労働関係基本法規に上乗せする形で、各組合と企業が個別の労働者権利保護の協約を締結している。
4)その結果、社会全体は民主化された。非正規も日本の様に急激に規制を緩和されたわけではない。
ただ、正規雇用で組織する労働運動によってもたらされる雇用保護の高まり、との相対的関係からすると、変化がない分だけ、正規より保護程度が下がった。
<結論>
民主化の十年。
戦闘的労働運動はかつての日本の総評労働動の今日的韓国版といえよう。
後者は現在のイ、ヨンバク政権誕生を支持した。
私がこの本に記された事実から学んだのは、韓国民主化を冷静に見つめることができたこと、余計な幻想が払拭されたこと、だ。
日本民衆の政治と暴力の歴史的立場を確立するほかない。
それこそが、日本民族の歴史的立場を獲得する道である。