反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「在特会」、「主権回復の会」は現代ドイツのネオナチやドイツ保守拡張主義者「主権回復協会」の猿マネ。特定外来種。

 現在のザイトクの運動形式と「主権回復の会」との関係はドイツのネオナチと「主権回復の協会」の完全な猿まねである。
 
ネオナチは戦後ドイツ東西分割、ベルリンの壁崩壊、ドイツ統合などのリアルな歴史的経過に悪い意味で根付いている,下からわき起こった理由、根拠のある社会現象である。
 
 ネオナチとは通称で、ドイツ憲法ではナチの名称は禁止されているので彼らは其々別名を名乗っているが憲法監視局の監視対象となっており、後に述べるように政府は市民による包囲政策をとっている。
 
 ドイツ主権回復協会は戦後結成された歴史ある組織でキリスト教民主同盟の有力な支持団体である。
 この団体の傾向も後に述べる。
 
 
 ザイトクと構成員が重複すると云われる主権回復の会がドイツを真似て先に結成された。
 
 この構成員のメンバーの中にドイツの右翼運動情報を日本に適応できるだけの識者がいたモノと想われる。
主権回復の会はイデオロギーを固めた集団であり、これだけを形式的に取り出してみると、ドイツ主権回復協会の主張傾向と類似している。
 
 ドイツは2回の世界戦争で敗北した結果、領土など失ったモノは大きく、日本も敗北によって失ったモノはある。
ドイツ、日本の主権回復の会の主張の中身は其々の日独の戦前の歴史的特性から違っているが、
 
 共通するのは敗戦によって失陥した帝国時代の諸々のモノを戦後目覚ましい経済発展を背景に、本来あるべき主権が喪失させられたという認識で一括りし、国家と民族の「主権の回復」としている事である。
 
 ただこの次元であれば、日本の右翼運動の一部の思想傾向の枠内に収まっているように見えるが、昔の日本帝国の敗戦によるイロイロな分野の帝国主義者としての喪失観を「主権の回復」の概念にまとめ上げたイデオロギーの根幹そのものは、ドイツからの完全な借り物なのである。
 日本の識者はそこまでの政治センスがない。
 外来思想の紹介、輸入業者の本質を持つ日本の識者の基本傾向に忠実である。
 
 日本の主権回復の会の結成の時点で識者はドイツのネオナチの基本動向、運動スタイルは熟知していたはずだ。
 
 「主権回復の会」は、事実上、日の丸を掲げ他団体、運動体への介入、官憲の陰に隠れての挑発行為を繰り返すナチスまがいの「ザイトク運動」の始原、上部団体と断定できる。
 従って、この部分の構成員がザイトクの主導部分であり、責任政治主体と断定できる。
 
 とくにこの「運動」が電波的加害者=弱者を「基盤」に置く以上、主導する実体部分を明らかにすることが大事である。
ザイトク一般が問題なのでなくて、主導する実体、個々に重大政治責任がある。
 
 結成されたザイトクという「運動」体の基本性格、動態はドイツネオナチを真似たの「悪ガキスタイル」なのだから、今までの右翼の作法を超えるモノになることは確かだった。
 
 だが、この点で押さえておかなくてはならないのは、日本右翼の伝統を外れ、ドイツから密輸入された、風俗的な上からの移植、模倣に過ぎないザイトクが戦前の民間や軍人のテロリズムや翼賛体制前段階の武装蜂起のような苛烈な政治暴力の伝統を精神的に受け継ぐ要素を持っているかどうかであろう。 
 
 今はない。
 
彼らの中から右翼伝統の暴力は今のところ生まれる政治体質がない。
 
 政治内容が参加各人の内面に突き刺さるモノになっておらず、思想的根拠乏しく、個人的戦闘性を保証する思想ルートが全く確立していない。従って、悪感情を抱く運動体への情緒的反発の発露、風俗の次元にとどまっている。
 
 官憲の陰に隠れ、運動体への挑発を悪ガキ的に繰り返す半端な「運動スタイル」に留まっており、政治的影響力もたかが知れている。 
 
 かくして、この運動体は本質的に虚弱体質だ。
 
 >完全な官許の運動であり、激烈な攻撃にさらされると、単独ではまったく無能を曝け出し、官憲と旧右翼の暴力の懐に救いを求めるしかない。
 
 その程度のモノと自覚するから、市民運動を自称している。
 末端は悪ガキ的に暴れているが、核となる部分は脆弱である。
だから、官憲や既成右翼の走狗性が強い。
 
>日本のネオナチまがいの運動=ザイトクはネットウヨ層に培養されたと云われている。
 
 ネットウヨ層の形成背景はハッキリとしている。
 
 1)それまで右肩上がりで来た戦後経済が「日本の敗戦」とまで云われているバブル崩壊によって社会的激変、長期停滞に見舞われた。
 
 2)この中で金融部門を筆頭に日本の経済成長を支えてきた日本社会経済システムがアメリカ支配層を筆頭としたグローバル資本の外圧によってアングロサクソンユダヤシステムに急激に変更された。
 これが、日米貿易摩擦を頂点にしたジャパン、アズ、ナンバーワンの帰結だった。
 この行き過ぎが更なる長期停滞の継続を生んだ。
 
 3)このような日本社会経済の急激なアングロサクソンユダヤ化がむき出しのまま遂行されると、国民の多くは進行している事態にあからさまに知る。
 
 しかし、靖国神社強硬参拝や拉致問題表面化などの東アジアへの差別排外観と云う日本民族の奥底に燻っていた意識と意図的にセットとして提出された。
 
 要するに、支配層の狙いは日本システムのアングロサクソン化という国民生活労働の根幹にかかわる急激な舵切りを、目暗ましするために一貫して、東アジアへの差別排外主義を煽り続けたのである。
 
 マスコミ情報マシーンの戦後特権資本はその重臣リベラリズムの本質を自己暴露し、自らがアングロサクソンユダヤ資本化することで、支配層のアングロサクソンユダヤ統治方式への転換を率先して担った。
 
4)このような支配層の真実を隠す、主要メディアを総動員したイデオロギー操作に、今までの日本になかった長期不況による若者失業、不安定就労層の拡大の渦中に立つ部分が過敏反応してしまったのである。
 
5)従って、ネットウヨとは支配層が日本社会経済をアングロサクソンユダヤ型に急激転換する際のイデオロギー操作に直撃された被害者であり、その不平不満のはけ口を内外にスケープゴートを見出す事で差別排外する加害者である。
 
このような社会的疎外層の抑圧委譲は大衆社会における小単位に分断疎外されて、うっ屈した労働生活環境の個々人に情報資本が資本増殖のために迎合し、その圧迫感を解消するために、常にスケープゴートを内外で求める、加工された情報を日常的に大量に降り注ぎ、情報の受け手はそれがあたかも自分の周りの延長の生々しい現実であるかのように錯覚した時点に始まる。
 
 マスコミ資本はスケープゴートを用意する差別排外の埋め込まれた加工した情報操作している主導している頂点の加害者であり、受け手は分断疎外されうっ屈した大衆社会の一員である事から、伝達されてくる情報をうのみにすれば、いつでも洗脳された差別排外の加害者になりうる。
 
6)ネットウヨやそれに類するモノは、一定のスケープゴートを見出し、その対象に攻撃的になる事で自己の不平不満を解消するサイクルを頭脳に埋め込んでしまった、絶対的加害者である、と同時に絶対的被害者である。
スケープゴートに向かう彼らは攻撃的であると同時に常に被害者意識に突き動かされている側面が濃厚である。
 一人の人間の中に絶対加害者と絶対被害者が同居している、この奇妙なバランス故、彼らは特殊個体どうしとして集合できる。
 
 ザイトクのネオナチ風の運動スタイルはこうしたネットウヨ層に合致したものとなった。
 
 
 >>>>次に、ドイツにおけるネオナチ、と主権回復協議会の実態、政府の対応から、日本のザイトクの姿を立体的に見ていきたい。
 
 
 
 >旧東ドイツ領内では町じゅうネオナチだらけところまである。
 
 スターリン主義東ドイツ独裁体制下で集まってナチを語ることさえ、監視取り締まりの対象だった。
言い換えると、ちょっとナチぶって見せることでも、東ドイツ独裁への反体制的アッピールになった。
 
 東西統一後、旧東ドイツ地域の住民は今でも西ドイツに比べて、生活状態が良くないし、社会不安もある。
 
こういった条件はネオナチが旧東独内で繁殖する条件となっており、連邦当局は彼らの活動を憲法で抑制するばかりではなく、有給のボランティアを町に派遣して市民の力で包囲しようとしている。
 
 そこまでしなければ、民族の中にある悪い因子は条件がそろえば、再び台頭する、とドイツ国民は自分を断じたのだ。
 ドイツ憲法は左右の全体主義との戦いを明記している。
 
 だが、ネオナチは東西ドイツ統一前から西ドイツにあった運動であり、その背景にナチスドイツを生んだドイツ保守右翼、ドイツの伝統的軍国主義の根強い存在がある、と言わざる得ない。
 
 >その組織的象徴が「ドイツ主権回復協議会」である。
 
 これは、日本でいえば、「日本遺族会」に相当するが、もっと厚かましい保守右翼、架空のゲルマン民族主義を信奉する団体で戦後いち早く創立され、多数の会員を擁し、キリスト教民主同盟の支持母体となっている。
 
 2回も世界戦争で挑戦し、ナチスという究極政体生み出し、敗北したにもかかわらず、現在EUの中軸に復興してもまだ、民族的不利益を被っていると被害妄想的に歴史総括、現状認識するドイツ保守右翼の一貫した想い上がりに依拠するのがドイツ主権回復協議会である。
 
 ヨーロッパではEUの統合主義を隠れ蓑に経済力背景としたドイツの拡張主義が懸念されている事情はこんな国内事情にも原因する。
 
 また、EUそのものが、統合した地域、現代帝国主義として世界市場の再編期に世界覇権に乗りだしてきている。
 
>ネオナチはあくまでもドイツ憲法が監視する対象である。
追加して、政府が市民の包囲網で政治的に孤立させる積極策をとっている。
  
 エマニュエル、トッドは独特の家族論によって、ドイツと日本民族に類似点を見出している。
確かによく似ている面が多い。
 
 ドイツ当局にとって、ネオナチの様なアカラサマな存在は国益の観点から、その膨張が内外で政府の行動の手足を縛るモノとみなしている。
 
 ドイツ主権回復協議会は自分の活動領域は守っているドイツ右翼的保守層の団体である。
 
 ところがネオナチの活動形態は日本のザイトクと瓜二つ、押しかけ、挑発をする。
戦前のナチ党の初期の活動も突撃隊がこれを専門にやっていた。イタリアのファシストも同じような事をやっていた。その活動実態は本ばかりでなく映画でも描かれている。
 
 ドイツ人は2回も戦争に負けた結果、やっと、反省ができたから、ネオナチの様な輩はを抑え込むしかないと割り切った。こういう奴は言葉で説得できる対象ではなく、民族の暗いところから湧いてくるゾンビ様な存在。
力で押し込めるしかない、と。
  
ザイトクの他団体の集会、デモ押しかけ、差別排外の汚い言葉をまき散し、弱者いじめ、何から何までネオナチそっくり。ただ、特定在来種としての限界が大きく、脆弱性、表面性、風俗性がある。
 
 ザイトクと主権回復の会は
極々一部のモノが思い付きと政治的投機とでドイツから日本に密輸入し、ネットウヨ界に放った「特定外来種」である。
 
 しかし、そこに留まっているうちはいいが、仮に奴らが、日本古来種を駆逐して一杯繁殖しららどうなるか?
ナチス的運動形態を採用している以上、金融資本の危機的事態に運動体が急膨張する可能性を秘めている。
 
一部のモノの主観で、気に入らないとして、集会やデモ、表現活動は押しかけてこられて潰される。
そういう事が連続し、恒常化する世の中とは何か?
 
多くの国民が息苦しい生活労働を強いられる世の中であることは間違いなかろう。
集会、デモ、表現の自由、の抑圧監視は必ず、そういう方向に向かう。
 
 古今東西を見渡しても、これが真理とハッキリわかる。
 
 彼らの「運動」は超えてはならない一線を越えてしまっている。
 
戦前は国家権力、機構側の民間ナショナリズムへのコントロールが甘く、文武の官僚主導の無責任の体制であったが故に、その運動を契機に国家機構側がズルズルとなし崩しで翼賛体制に変質し、世界情勢の中で間違った選択をした。