反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

グローバル資本制に翻弄される現代日本に蘇る江戸中、後期の停滞の社会様相。総人口の推移、経済数値から。

 戦前、1920年~30年代の日本の世界工業生産構成比、第一次大戦後の軍縮条約における軍艦建造制限割り当て。コレに2010年度の世界各国の名目GDPを挿入する。
 1)1922年(大正11年)ワシントン軍縮会議。
 米5。英5。日本3。仏1、75。伊、1、75。
 
 >2)1929年世界恐慌直後の世界主要国、工業生産指数。
   3)( )は2010年度、当該国名目GDP構成比。
>米、44,5%(27、7%。-21,6%)。
>独、<11、6>(5,2%。-6,4%)。
>イギリス(3,6%。-5,7%)
>仏、7%(4,1%。-2,9%)。
ソ連、4,6%(2、3%。-2,3%)。
>イタリア、(3,3%。+1%)
>日本、2,4%(典型的な半封建的軍事的帝国主義)(8,7%。+6,3%) 
 
 >>1)、2)の数値は過去の記事で何度も取り上げている。
明治維新以来の富国強兵路線の行き着いた先を示している数値である。
日本資本主義は日清戦争勝利によって、資本の原始的蓄積を果たし、そこにおける賠償金を軍備増強につぎ込み、さらに列強からの借款を取り付ける事によって、日露戦争勝利に導き、本格的な資本制への離陸を果たした。
 その富国強兵によって、日露戦争から10年後の第一次帝国主義戦争を勝利して、1922年のワシントン軍縮会議の軍艦建造制限割り当て、米、5.英、5.日3.仏、1,75を早くも獲得するに至った。社会経済システム上大きな無理があった。
 
>戦前日本の経済社会構造は主要国も認めざる得ない軍事力1)ににもかかわらず(まだ当時は総力戦の概念は浸透しておらず、日本軍事力への過大評価があった)
2)の世界主要国、工業生産指数の最下位を総合すると、軍需産業が完全に主導し、民需産業の未発達な半封建的軍事的帝国主義国であった、と理会できる。
 
 この様な半封建的軍事帝国内の民主主義、大正デモクラシーはあだ花。
 
 >>法政大学大原社会問題研究所、太平洋戦争下の労働者の状態の該当箇所、要約。
ここは戦前戦後の日本資本主義理解のための重要ポイントであり、歴史の継承性から、単なる過去の話ではない。
 
 「戦前の我が国の農村は過剰労働力の貯水池。内務省解雇労働者帰趨調べによると、1930年(昭和5年9の
解雇労働者総数の39%、1931年44、3%、1032年、44、6%が帰農していた。」
 
 戦前の日本農村には膨大な潜在的流動的過剰労働人口が存在していた。農村に潜在的流動的に存在する産業予備軍は先に挙げた1)2)の数値から明らかなように、その軍需過大、民需過少の経済構造のために、一時的な景気上昇と反転するリセッションにおいて、解雇されたモノの約半分程度は農村に帰るしかなかった。
(戦前の農村は景気の調整弁つきの巨大な余剰労働力の貯水池だった。しかもこの貯水池は湧き水付き=多産多死の自然人口増毎年、30~40万。金融サービス産業などの手薄な戦前では労働市場に対する大変な人口圧力となる。何やら、今の中国の農村余剰労働力を想起させるが(現在中国の固定資本形成は40%であり、日本のほぼ倍。高度成長が止まれば、民族問題を含めた社会矛盾が激発する)、戦前日本の農村余剰労働力は、帝国主義の市場再分割激化の危機時代には兵士として、軍需産業の労働者として戦争に動員される他、吸収される道はあり得なかった。)
 
 農村にいても十分に食っていけなかったし、帰農できない多くの部分は都市の下層に沈められていった。
 
「解雇労働者を吸収する農村は、加えて、<自然増加人口は多数>(江戸人口停滞社会の封建社会の身分的重しが取れた明治維新後の多産多死の第一次人口爆発期の結果だ。)青年労働力の逞しい供給源であったが、新たに農家戸数を増加する余裕はないのだから、(資本制の景気変動によって、寄生地主の下に田畑、資金が集積したことも大きな原因。だから、米占領軍の農地解放が重要な政策になった)二男以下の農業以外に職を求めざる得ない<増加人口は年間、およそ30万~40万>と推定され、この新労働予備軍をいかに消化するかは我が国識者間の大問題だった」
 
 この後、研究所の記述は1932年33年の為替安に乗じた海外市場の輸出攻勢と輸出産業の一時的好景気における農村余剰労働力の低賃金労働力としての動員を指摘し、(典型的な貧困の輸出、近隣窮乏化政策であり、コレでは世界恐慌の生産と消費のかい離は世界的に解決できず、逆に各国内では関税障壁を設けたブロック経済の衝動を深化させる)
 
 1931年9月からの世界恐慌まっただ中の大失業の時代の満州事変を契機とする軍需産業の拡張、それ以降の大陸での占領政策の拡大による準戦時体制の進行により、軍需産業に労働力の需要が喚起され、
「我が国の労働人口は完全就業状態を見るにいたった」、としている。
 
 >>今日本の政局は「税と社会保障の一体改革」が政局の様相を呈している。
しかも、このままでは、通常国会の会期を最高で半年近く延長して、延々と消費税増税論議に費やして行くしかなく、その政治的泥沼の過程では、多くの国民は冷静な判断力を喪失していくのではないか?不必要な不安感ばかりを高じさせたり、排他的になったりするのではないかと危惧している。
 
 国会議員多数、国政政党、地域政党も、この機に乗じての陣取り合戦を優先させていくだろう。
 
>>熱く冷ややかに見つめていきたい。
 
 その場合、今回の記事で少しは触れた基本的数値、情報は押さえておく必要がある。
 
 悲観ばかりしなくていい数値もある。
基本的経済数値を主要国と比較すれば、今現在、どうして日本の国債に投機資金が積み重なるか理解できる。日本の経済パフォーマンスは特殊性があるが悲観すべきモノではない。
 
 それよりか、政治的混沌の中で、ツマ先立って、国民意識が在らぬ方向に突き進むことを危惧する。マスコミの果たす役割はこれまで以上に重要性を増している。
大問題を取り上げる場合、多元的な視野で意見を並列し、市国民の選択能力を鍛える必要があるが、それができていない。
今ここに至って典型的な寡占市場の弊害が出てきている。
 
しかし、マスコミなどのもたらす政治的高揚感の中で、自分も含めて、うっ屈した不平不満の手ごろな代弁者を見出し、それが煽る漠然とした政治目標や仮想敵への憎悪の共同性に同調しがちになる。
この点では反省するが、政権交代による民主党政権実現は今でもよかった、と考える。
 
 民主党に一票を投じた方の多くは余りにも政治的辛抱が足らなさ過ぎる。私に政権交代の早い段階からそう見えた。
 
 日本人の良き習性として、ある職業を選択したら、その道を極めずに途中放棄できるか?
それと同じ質の問題である。少なくともヨーロッパのでは、本来政治とはそういうモノであった。階級政治、党派政治が基本だったからそうなってきた。
ここの処を実感しなくても、多くの国民がなんとなく生活できる環境が戦後日本に整っていた。それだけ戦後の日本人ま恵まれた政治環境にあった。
しかし、戦前は完全な無知。戦後は国民自身の怠慢である。
 
 が、戦前の数値にまで辿ると日本以外の主要国の構成比の低下は著しく、日本だけが例外で構成比を3倍以上高めてきた。
列強の中で一番、政治的経済的に遅れていた国が、その遅れを戦後冷戦構造の世界体制的安定期=世界市場の安定期に比較優位に転じて発展してきた。
この面では戦前戦後の社会状況の関連、変化を押さておく必要がある。
 
 >>今回の記事では深入りできなかった「歴史的に見た日本の人口と家族」と云う官製報告書をネットで探してきた。
 
 次回の記事で取り上げるが、今の日本の人口停滞と家族形態は江戸の中期後期に先祖がえりしているとする興味深い報告書。
言い換えると1950年代後半から1970年代後半までの<皆婚、子ども二人家族の時代は特殊な時代>とするものだ。国家、家族、会社、団体と云う利益共同体への隷属者が多くなると身分制の様相が現代的に再現される。
 
 日本の直系家族は修正され以外なほど強固に存在している、という指摘もある。
トッド理論を応用すると、直系家族の国民的特徴は親は子に対して権威的、兄弟間は不平等。基本的価値観は権威と不平等。秩序と安定を好み、政権交代が少ない、自民族中心主義。
 
>さらに面白いのは、日本は1947年~1949年のベビーブームを短期間で終わらせた世界でも稀有な例、との指摘。
ベビーブームまっただ中の1949年成立の人工中絶合法化が効力を発揮しした。
1957年の出生数157万人+中絶件数117万件=274万人?であり、団塊時代の出生数260万~270万人と変化がない。
こうした人工中絶件数は1953年~1961年まで継続している。
コレなどその時、真理であった政策が後の世で悪い方向に展開した見本である。
まさか、1949年時点で今日の少子高齢化の日本は読みとおせまい。
スーパーコンピュータがなかったから?
それはある程度云えるな。
 
 だとしたら、アメリカCIAが出している程度の未来予測は日本でも公表して議論のたたき台にしてしかるべきだ。その方が議論の一応の目安ができる。
が、それができない大本営発表原発安全神話の究極の処で、政治幻想の主導する日本である。
日本人はカネにうるさい割には最後に観念にしがみつく。
 
 論者は日本には人工中絶を拒絶する宗教的背景がなかった、とだけしているが、それだけだろうか?
貧困や社会保障の不備、戦前の多産傾向の名残の割に戦前的共同体の戦後資本制による急速な破壊など宗教以外の原因も大きい。
この辺になるとこの報告書もおおざっぱで信用できない。分析対象が現在に近づけば近づくほど、報告書の生彩が乏しくなる。まるで教科書みたいだ。
いづれにしても次回。
 
日本の戦後経済発展を跡付ける場合、軽武装経済重視の政治路線に集約するが、それが可能だったのも、朝鮮半島の動乱と危機、中国、ロシア共産主義体制、インドシナ戦争という日本を後方兵站基地とせざる得ない国際政治軍事の環境があったからこそであろう。
 
 >こうして日本経済発展に有利だった内外条件をあげてみると、今までの日本は非常に<<特殊時代的な内外環境の恵まれていた>>と云うべきである。
 
 >その特殊時代的環境が潰えていけば、必然的に日本と日本国民の後退は避けられない。
ただ、その後退は民主主義的先進国の様な経済発展が国民生活の安心の基盤である社会保障制度の充実に結びついたものとは云い難かたく、資本の強蓄積に重点が置かれたままの状態から、転換する途上の後退である。
トッド家族形態比較による直系家族の国民的特徴や、戦前戦後の遅れた人口爆発期の大きな余剰労働力の存在による労働組合の組織率の低下を考慮すると<仕方がなかった>ともいえるが。
 
 政権交代がなかった、と総括するだけでは結果論であり、一面的だ。
 
>>冒頭の数値に挙げた様に欧米先進国は戦前からすると経済構成比を大きく低下させている。
しかし、それにしては、政治的経済的な覇権は維持している。
 
世界戦争など激烈な事件はあったが、歴史の長期スパンで見ると、ユックリとマイルドな過程を通じて、後退が始まった。
 
 今からの日本が参考にしなければならないのは、こういった後退する先進国の様々な工夫ではないのか?
空元気などは事実をありのままに直視する邪魔をするだけだ。
内外において、冷静さ、柔軟さ、強かさが何よりも必要である。
 
>他方、日本の主要な経済的数値は財政の赤字(今のところ国内で90%は消化できているし、できなくなると云う見通しは今のところ成り立たない)と云う特殊性はあっても主要国の中で健全であり、悲観する必要はないと素人ながら考える。
日本には各分野で今でも世界的に見て有力な企業が多数存在している。
行き場のなくなった世界の投機マネーが日本国債買いをする根拠も、日本の主要経済数値を挙げればよく理解できる。
次回、この点も主要国との比較を簡単な数値を挙げるのでヒト目で解る.。