反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

3、11東日本大震災、福島第一原発事故を祈念。第1回。ー安部普三「美しい国」を検討するー

1)2012年、安部普三はどのような党内力関係から自民党総裁選出されたか?
>現時点及び将来の日本支配層の政党、自民党内の政治状況をリアルに把握しておく必要がある。
 
  イ、第一回総裁選。5候補者乱立のためで過半数を獲得した候補者はいなかった。
A)5候補別の国会議員獲得票              B)地方党員党友票
1、石原幹事長(55才) 58票              1、石破     199票     
2、安部(58才)     54票              2、安部       38 票
3、石破(55才)     34票              3、石原      96票 
3、町村(67才)     34票              4、町村      34票 
4、林  (51才)    27票               5、林        27票 
 
  ロ、A+B
1、石破   199票(34+165)
2、安部   141票(54+87)
3、石原   96票 (58+38
4、町村   34票 (町村+林=地方票10票)
5、 林    27票 (同上)
 
 ハ、決選投票(国会議員のみ)
1、安部 108票
2、石破 89票  曰く「一般党員と国会議員の意識の差」
 
  2)総裁選までの安部の動向
2012年9月15日ー側近たちと総裁選の支持母体となる勉強会設立
8月29日ー盟友、麻生太郎、自重を即す
9月13日麻生派高村派支持を表明
9月17日ー2位狙い。石破との連携を模索しながらも、石原も加えた三つ巴情勢。
>安部と親しい石原陣営と連携。
     
    安部支持議員の中核(側近)
甘利明経産相、塩崎、官、中川秀直上げ潮派+お友達。
 
W。既に第1回投票の国会議員票の安部+石原は過半数を制している。
石破は第一回投票で過半数を制するほか勝ち目はなく、それは5候補乱立では絶対に無理だった。
国会議員票1位の石原と安部の立場が逆転したのは、地方票であるが、石原に地方支持層へのネット脆弱。
従って、第一回総裁選において、石原連携を前提にすれば、このとき既に2位、安部候補の総裁選出は決定済みだった。
 
>以上の総裁選の情勢から安部は石原と石破を操縦しながら、君臨するというトップレベルの人的支配構造になる。
 
>両者以外は今後の総裁選から脱落した。
衆院選参議院選で水ぶくれした議員の政治傾向は党内政治の大きな要素を握るが実情不明。
安部の党内支持基盤は必ずしも磐石ではないが、他に結集軸がない。
 
自民党各候補の顔ぶれから、党内政治傾向は大同小異とわかる。
でなければ、あのような憲法草案は起草されない。硬直は甚だしい。
 
自民党の全国会議員は民主党政権交代時の敗勢の中で当選した利権など強固な支持基盤の議員たちであった。
 
 総裁選挙に国民全般の声は反映していないが、政治権力掌握によって、与えられた権力を利用して、より一層の世論の多数派形成が可能になる場合がある。(1920年代後半~30年代ドイツ、カールシュミット)
 
 それは日本の場合特に、政治主体の側の働きかけというよりも客観情勢によるものである。
 
 表面的には全体の政治的座標軸が移動したかに思えるが、そうではなく巨大事案によって加速された面はあるが、長く続いた政治状況の継続である
 現在の政治状況は急に始まった事ではない。
 
民主党政権交代はモラトリアム期であり、それ以前の小泉時代の政治風潮が、大震災原発事故、経済停滞によって、加速されて復活した。
 
 民主党政権は政治によってコントロールできない課題を背負ったのであり、ここの認識具合によって、小沢らの立場が発生するが、リアルな政治過程への先を見越した認識ができず、中道政治勢力として政治展望の開けない道を選んだ。後出しジャンケン、自分も判断ミスがあったが、小沢氏は民主党を離党すべきであった。
それは自民党長期政権の慣習でもあった。政治経験の豊富で長い小沢氏だけが、理解可能だったが、政権交代その他の直近の事情の流された。
その後の「国民の生活が第一」→「日本未来の党」→「生活党」の政治結果が全てを証明している。
小沢一郎政治責任はきわめて大きい。)
 
*この総裁選全般の特徴は自民党地方政治勢力の存在が今後の党の支持基盤の焦点に浮かび上がってくる、ということである。
特に安部と石原の帰趨が決したのは地方票だった。
安部氏が今までの自民党政治の傾向の中にドップリと浸かっていることは「美しく国へ」の余計な国家主義ナショナリズムを切り取った政策部分をみてもはっきりと解る。
安部政権は地方の自民党支持基盤に利益供与をしていく。
 
 アベノミクスとはバブル破綻から雇用なき景気上昇で復活した欧米経済事情を背景にした、日本内外マネー経済へのカンフル剤及び、旧来の地方支持層へのカネのばら撒きである。このままいけば、強力な内外上層への資産移転が発生する。
結果、日本経済の後退の趨勢を推進するものである。この点に関する安部氏の基本政策は、海外進出企業からの資本収支増をあてするしかない(美しい国への記述のみでは)が、資金の日本還流は条件的に制約される。
(現状の国際収支の黒字は資本収支の黒字による。貿易収支の赤字は言われているような、円安による資源エネルギー価格の上昇だけではなく、中間財輸入に依存するようになっている、当たり前の経済構造の発展段階に日本産業構造が立ち至っていることが大きい。
勿論、今後資源エネルギー価格の高騰の趨勢は不変である。
 また従来から指摘されているが改善しない高付加価値商品は少なく、後発との市場競争に晒され、利潤率の低下傾向歯止めが掛かっていないことに原因する。
安部のような国内に閉塞感を充満させる基本政治方向では、産業構造、経済環境にも悪影響を与える。
なお、この点では韓国の交易条件の悪化は日本を上回り、この様な経済環境の変化を政治家が日本に排外している側面は見逃せない。だからといって韓国政府が日本を挑発しているだけとは全く想わない。お互い様である。であれば日本が自重できる立場である。安部のような政治傾向は不必要な政治摩擦を発生させる。何処がおかしいか「美しい国へ」を参考資料を基に、立体的に読み込めば、解る。そのような考え方が間違っているというのではなく、最高政治責任者としてふさわしくないというのが眼目である。)
 
*決選投票での逆転勝利は1956年自民党第二代総裁選以来。党員党友投票導入後、初めて。
1位岸信介、2位石橋湛山→決選投票で石橋総裁が選出されたが、数ヵ月後、風邪をこじらせ体調不良であっさり辞任して、岸信介総裁、首相へ。1960年安保改訂を迎える。
 
*歴史は繰り返す。今回は逆パターンだが、安部の演じているのは茶番。与えられた役柄を立ち入って理解していない。戦争は政治の継続であり、それでどうした、というのが自分の基本視点である。
 
*安部は「美しい国へ」の中で叔父、岸信介を強く意識しているが、この著書全体を貫く積極的要素は国家主義偏狭ナショナリズムでしかなく、時代錯誤も甚だしい。
保守論壇で嫌というほど練り上げられた政治手法を駆使しているから、一見するともっともと感じる人は多いと想う。【ただもっとましだとは想うが】
他の資料を駆使して読み解かなければ、全体像とその政治結果は明らかにできない。 
 
 首相としての歴史的使命の錯覚(仮に政治的上部構造の改訂が想い通りいったとしても、それで我々の生活はどうなるの?)、時代錯誤の思い込みが激し過ぎるが(岸信介チャーチル観)、この情緒的国家主義、偏狭民族主義靖国、特攻隊への一方的な思い入れ、125代の天皇制、日本歴史のタペストリーの縦糸!繰り返すが、首相としてどうかということだ。)はアメリカの経済政治軍事世界戦略の完全な手の内に踊らされる性質のものである。
それゆえに、お釈迦さまの手の内で踊る何とやら、ということもいえる。
 
>「日本の支配層における反米は非常に逆説めいて、反米をやればやるほど実は従米になっていく。」
「実態としてのアメリカと、アメリカ的なるモノと、どちらに対抗しているかが、あると想う。」
「リアルポリティックスでアメリカに行くけれど、逆にアメリカ的なるモノを拒絶する、とか。逆のパターンもある」
以上の込み入った事情を汲み取ると「美しい国へ」の文面論の部分は、より解りやすくなる。ここは中西の執筆部分だと想う。
 
 戦前も基本的にそのような方向にあった。←中国戦線を拡大すればするほど、資源エネルギー獲得とそのための国際通貨の必要から米国やイギリス、オランダのアジア植民地との貿易の重要性(依存度といってもいい)が増していった。
 
『温故知新:1935年の日本、日米戦争は論外だった。ー数字からみる日本の石油需給構造ー
計量分析ユニット。なお、この文中に戦前の石橋湛山のリアリスト振りが素描されている。

 
 基本的な視点として小沢一郎の「日本改造計画」の延長線上の【普通の国】論(湾岸戦争における認識の一致を後に引用する)を国家主義的偏狭民族主義に取りまとめたモノ、と見ており本人たちに抗米感覚はないに等しく、アメリカ的な歴史文化に特殊日本を無理矢理対置した拒絶に留まっている。
 
>それはもう少しで愛国党赤尾敏星条旗、日の丸並列路線に近づく。
次のような決め付けはやりたくないが、親米右翼そのものである。(右だの左だの区分けは本質的に日本で成立せず、どうでもいいが)
 
 「美しい国へ」のなかでイロイロ御託を並べているが結局、そんなものは底の浅い安物の文明評論にすぎず、そこに落ち着く。
 
 安部独自の積極的な政治路線の提示は、(それ自身ジャパンハンドラーの要請ではあるが)、改憲、集団自衛権など対内的面に限られており、対外的には完璧にジャパンハンドラーの枠内に留まる。

>日本国民過半の経済的権益をアメリカを筆頭としたグローバル資本に差し出す事にしか結果しない。
自民党のTPP反対派は安部氏支持派である。
 
>何より、60年安保改訂において、岸信介の果たした役割を過大評価しない。
このような現時点から過去都合よく解釈する歴史の味方は歴史の偽造に等しい。
 
 同じ敗戦国、西ドイツの戦後政治と対比してみると、安保改訂によって岸のアメリカから引き出した事項は中国革命、朝鮮動乱などの激動の東アジア情勢の日本の戦略的重要性から、アメリカ政府側の冷戦構造における世界戦略上、当然の帰結であって、岸が引き出したものとはいえない。
西ドイツには1950年代後半に早速原発技術が供与されている事実から見ても、60年安保の改訂事項は岸信介の主体的政治力というよりもアメリカの極東政治軍事戦略の主導による日本の位置づけによるものである。
 それが今変わってきているから、現時点の日本支配層政治の対応が発生しているのであって、逆読みは絶対にできない。
しかし、日本は属国性が顕著になったのも、以前から潜在していたのだが、アメリカの相対的力の低下に伴う世界戦略の転換によるものであって、急に露見したように見えるだけだ。高度成長経済以降、日本はアメリカに従属した高度に発展した金融資本の覇権国家である。
 
  軌道修正し本論へ
美しい国へ」は2006年文春文庫発行。小泉政権官房長官として自民党総裁選の最有力候補とみなされ、実際に首相に就任する直前に発刊された。
 
 前書きから、拉致事件にタッチした時のリアルな状況報告は同一の文体であり、(この部分は日ごろ文章を書きなれたものが大幅に介入して仕上げたものと想定している。多分、文春側の編集者掴みとしては非常に上手く機能しすぎており、その後の文体の分析からも安部普三、本人の執筆した部分は一言半句ないものと想定する。
 
 本人執筆部分と他の部分の文体の違いが明白な小沢一郎日本改造計画」と読み比べると、はっきりとわかる。
 ちなみに小沢は<まえがき>の最期にはっきりと次のように明記している。
「本書をまとめるにあたっては、大勢の各方面の専門家の方々から2年間に渡って協力をいただいた。」
 これが書籍を責任を持って世に問う、知識に弁えのある人間の立場である。
 
 2006年度版の<あとがき>部分は安部直筆であろう。
非常に素朴な文体であるが、小沢一郎のような断りは書きされていない。
それでは本人が執筆したことになる。
情報、知識分野の根幹の大切なものに注意が向いていない、蔑にしている、といわねばならない。
 
 ただ彼は読書、芸術文化ジャンルにも不断から接する習慣があることは「美しい国へ」から読み取れる。
 
 この本から唯一、共感を覚えた文節は次の通り。
 
    第6章少子高齢化の未来 サブタイトルー健康寿命と平均寿命は違う
「そこで注目されるのが『健康寿命』という考え方だ。
コレは、高齢者が何歳まで自立して瀬ウィかつできるかに注目した数字で平均寿命とは違う。
 日本人の塀近所妙は女性が85歳を超え、男性は78歳を超えているが、健康寿命はそれよりも6歳から8歳ぐらい低い。
つまり、本来の序妙が来るまでに病気で苦しんだり寝たきりになったりしている期間があるということだ。
この不健康な期間は何処の国もだいたい同じで、日本の高齢者が取り立てて不健康なわけではない。
>もしこの期間を短くして、平均寿命と健康寿命の落差を小さくすることができれば、医療費や介護費用が大いに節約できる(W。ナンダだか、危ない発想だが)」
 
 そうではないらしい。
 
「2005年からの健康フロンティア10カ年計画では、がん、脳出血脳梗塞などの究明率に数値目標を立てた。
脳出血は最初の3時間が勝負だといわれている。
どの程度後遺症が残るかは、初期治療が適切だったかどうかに大きく影響される。
健康寿命を伸ばす鍵はここにあるのだ」
 
   第1章、私の原点 サブタイトル  ーたじろがず、批判覚悟で臨むー
チャーチルは若いころから、優れた伝統と文化を持つ大英帝国の力を維持するには、国民生活の安定が不可欠だと考え、安全保障と社会保障充実を唱えてきた。
安全保障と社会保障ー実はコレこそが政治家としての私のテーマなのである」
W。安部はチャーチルが保守党と自由党(経済学者ケインズも所属)をいったり来たりしていた経歴を紹介している。
 
 だが、安部さん。19世紀と20世紀初頭の世界覇権を握っていた英国と日本のでは余りにも歴史と地政学的位置が違い過ぎます。
 
 また、チャーチル首相は戦争が終わって早速、罷免されているのは、英国民の政治意識が戦争屋はもうイラナイ戦後復興は別の人でという、民主的合理主義の基づいているからだとみるがー。
その昔には王様をオランダやドイツからトレードしている。 
  
  ウィディペギア引用。
チャーチルは1944年10月にドイツとの戦争が終結次第、解散総選挙を行うと宣言していた
労働党も1944年の党大会で戦争終結後の総選挙では、挙国一致内閣を解消して野党として戦うことを決定していた。
 
 チャーチルは日本の降伏までは挙国一致内閣を続けるべきであると主張したが、労働党はそれを拒否した
 
 ドイツが降伏したことで労働党から解散総選挙すべきとの声が強まった。
総選挙の結果は労働党394議席、保守党213議席自由党12議席という労働党の大勝に終わった。」
 
 安部氏の「美しい国へ」の根幹部分に民主主義に不可欠な合理主義的判断を国民に即する側面が乏しく、その部分がほとんど情緒的価値観に置き換えられている。
 
 それで安部の使用する用語で言えば、日本という国柄が上手くやっていけるのかどうか、いや、うまくやっていけたのかどうか振り返ってみることも情緒主義の歴史観で逐一、否定しまくっている。
(この部分に割かれは分量は相当なものである)
 
 それが「美しい国へ」の根幹部分を形成しており、本人曰く、戦う政治家、といことで、他に政策的に前向きで目ぼしいものは全く見当たらない。
教育再生のための公教育に学校序列を明確にするクーポン券制度などは、ただでさえ崩壊著しい地域社会の破壊に直結するものである。
 
 社会保障政策の歴史は戦争政策と共にあった面があるが、アメリカ流のグローバル、スタンダードの席巻する現在では両立しない。
過剰な戦争意識の醸成は社会保障の切捨て、と軍拡の同時進行に至る他無い。
一部の企業、一部のものが富んで大半の国民が貧しくなるとにしか結果しない。
それがグローバル資本制、マネー経済の特質である。
 
 首相復活と共に完全版の発行があるらしいが、中身の修正はないらしいから無視する。
・まえがき☆
 ・はじめに
 ・第1章 わたしの原点
 ・第2章 自立する国家
 ・第3章 ナショナリズムとはなにか
 ・第4章 日米同盟の構図
 ・第5章 日本とアジアそして中国
 ・第6章 少子国家の未来
 ・第7章 教育の再生
 ・増補 最終章 新しい国へ☆
 
※☆印が新たに加筆された部分だが、安部に好意的な普通の読者評でも目新しい部分が無い、とのことだ。
 
 なお、この著書の実質的な執筆者陣は次の各氏とみなしている
中西輝政、*西岡力、*八木秀次、*島田洋一、*伊藤哲夫と共に安倍晋三のブレーン「五人組」
    
 ウィキペディア当該箇所の引用
>>2006年春以降は五人組の一人伊藤哲夫と安倍政権に向けた政権構想の推敲を重ね、
>>また安倍が自民党総裁選直前の7月にアメリカの『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿を予定していた論文は、中西と安倍の対話をまとめたものを「五人組」で読み合わせしたものだが、諸事情により掲載は見送られた。」
       
 安部氏の著書の重要項目を捻じ曲げずに、キチンと挙げていくが、大衆向けの啓蒙、政治宣伝の色が濃過ぎて(大衆意識に迎合している部分が大きい)、限界があり、これらの各氏の政治傾向について立ち入って検討する必要がある。
この5人の中で最大の論客は中西輝政であり、頻繁に登場する日米欧の文明論的比較や政治哲学めいた部分は彼の主張であろう。
それでも政治理論書として小沢一郎日本改造計画」と純粋に比較した場合、一回りも二周りも「改造計画」の方が内容緻密で意義深いものである。安部の書は政治宣伝のパンフレットの内容を豊富化したようなもので、政治理論としての独創性がまるでみあたらない。
現時点で安部のような類のことを発する人は世の中にはいて捨てるほど降り積もって、醗酵し、腐臭を放っている。
 
 また、北朝鮮による拉致被害者関連の情報、2012年のアーミテージ、レポートにも立ち入って検討する。
そうでなければ、この政治のリアルな全体像は浮かび上がらない。
 
    続く