反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2年スパンの政治過程の予測。ファシズム受容<F>層を政治基盤とする新市場原理主義政権誕生。民主暫定政権、党は壊滅的縮小。小沢氏の政治生命は風前の灯。

 イロイロなブログ記事を見ると、小沢氏に近いとされる民主党輿石東の野田代表下の幹事長就任に、小沢氏の政治勢力の減退を危ぶむ立場からの危惧が載せられている。
 
 輿石東は幹事長に就任しても
1)小沢氏の無期限党員権停止を解除できない
2)衆院選挙時に掲げ、民主政権下で一部、実行に移されているマニフェスト見直しの民主、自民、公明3党合意は破棄できない。
 
 3)よって、政権交代時の民主党の国民との約束であるマニフェストは破棄され、自公前政権時代の政治方向に回帰する。
 
4)政権交代を先頭に立って指揮した小沢氏を今でも支持している党内政治勢力の重要構成員は輿石東民主党幹事長就任を筆頭とした、野田民主代表のポストを餌とした取り込みに応じて、取り込まれ、引き剥がされていく、と。
かくして小沢氏の支持勢力は確信的支持者とその周辺部分のみの丸裸になり、
 
5)秋には公判中の秘書たちの裁判の大筋が明らかになり、党員資格無期限停止のまま、自身の政治裁判に拘束されざる得ない小沢氏の政治生命は先細って行く。
 
 私に言わせると、もうそんな、1年スパン程度の政治過程はアレコレ云っても仕方のないこと。
これが生きた政治ノダイナミズム。押しとどめることは外野席にも入ってないモノにはどうしようもない。
ホッーそうなるんか、と眺めていく。自分の考え方、見方の参考にはなるし、証明でもある。
 
 そもそも、自分の立場から、民主党内プレイアーの実際の姿も解らない、場所にいて、誰かに期待し、誰かを貶し、勝手に政治ゲームをやっていくほど、非生産的な時間消費はない。
 
それよりも、もっと先にスパンを延ばして、見ていきたい。
すると、現在進行形の政治過程の全体像、大きな政治の流れがつかめる。
 
 民主党が政権を降りる前にアメリカ大統領選挙の結果が出る。
ただし、オバマは現役大統領でありながら、民主党員から次期大統領候補の指名を得られない可能性もある。
 
いづれにしても、オバマの再選はない。
 
共和党の大統領が選出されるだろう。
オバマ政権下の野党、共和党の支持層の動きで注目すべきはティーパーティーのポピュリズム運動。
この「運動」はアメリカ独特の個人の自立精神に基づく伝統的ポピュリズムとは違うようだ。
ブッシュ政権支持層のキリスト教原理主義には少なくとも教会的相互扶助があったが、それも乏しいようだ。
 結局、オバマ大統領登場、民主党政権の健康保険法の制定などの社会政策を、不況時に遂行した反動として生まれた運動とみなされる。
 
差別排外意識を基軸とするアメリカ的ファシズム運動ではないのか?
 不況が長引き経済が落ち込むと、1930年代の民主党ルーズベルト大統領時の様な政府によるケインズ的需要創出政策が採用されるしかないが、歴史の判定ではその政策は上手く機能せず、政府はヨーロッパ戦線への参戦に消極的な国民多数派を戦争に誘導するため、日本軍を真珠湾攻撃に誘い出し、それへの国民的怒り湧き立たせることによって、国民意識を統一し、膨大な過剰資本、過剰生産を戦争体制で解消していく。
 
 1930年当時のアメリカの世界の経済に占める割合は50%弱。次がドイツの10%。
日本はナント3~4%でソ連以下。所詮、アメリカにとって日本との戦争はインディアンとの戦争だったか理解できる。
いかに、1930年大恐慌アメリカの経済に与えた打撃が大きく、そこからの回復である、過剰資本過剰生産状態の解消は世界戦争への参戦によるしかなったか、理解できる。
 
 今のアメリカの世界経済に占めるポイントは28程度。
戦後長い時間をかけて相対的地位は低下してきた。
アメリカ経済停滞の状態も、急激な右肩上がりで躓いた1930年代と様相がまるっきり違い、ケインズ有効需要創出もできず、戦争によるはけ口は戦費が調達できない。
 アメリカの一国的矛盾を内外に解消するやり方は変わってくる。
 
となれば、ティーパーティーの様な社会の中に国家を生み出し、社会の中から、国民自らが自らの仲間を差別排外的に切り捨て、そういう民間運動を支持基盤に政府が棄民政策を実施する。
衰退する国の政府と国民の最悪の選択である。
 
 日本もあらゆる経済数値が指示しているのは停滞と衰退への道である。
次の自公、みんな、有象無象の政権はファシズム受容層<F>層を一つの支持基盤にした新市場原理主義政権である。
 
 民主党政権はそこに至る架け橋の暫定政権に過ぎない。
それ以外に何もない政権だ。
 
 今現在、と短い先に民主政権内の誰と誰がどうしたを内向きに云々するよりも、将来を見越した陣形を提起したほうが、建設的批判である。
 
 小沢一郎を、このような政治方向のキーワードすることはできない。
彼は政治のダイナミズムによって過去の政治家のフォルダに加えられようとしている。
押しとどめることはできない。
トロツキーの失脚と重なる。
彼への政治弾圧が開始される前の絶頂期に小沢一郎論の記事を書いていてそう思った。
 
 民主党代表選の時、ザ、ジャーナル、サイトに平野貞文さんの記事が載ったことがある。
そこで彼はナント、小沢反対派にかつてのトロツキストがいて所詮傍流に過ぎない、それよりも元共産党の正統派であり信用できる、自分たちは自分たちは政治の本流を行くモノで、管直人らは所詮傍流の寄り集まりにすぎない、とか。
 
 それを読んで瞬間的に想った。
こんなわきまえのない正統意識丸出しの政治姿勢では小沢氏を勝たすことができない。
 
ちょっと考えて見たらわかることだ。
 民主党国会議員、有権者の多数派は永田町の政治レベルではみんな傍流。
それらに向けて多数派工作しなければならないモノが正統派を押し出しても、どんなものか?
 
 民主国会議員の多くは自意識過剰。自分のキャリアで国会議員にたどり着いた。
上から目線で指令されたら、その内容が正しくても反発する傾向にある。
 
 ここら辺りの心理状態をわきまえているかいないか?も大きな分かれ目になってきたような気がする。
解らない人が周りに多すぎたということだ。