反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

花言葉<威厳、荘厳>のシャクナゲの華麗な大輪は不気味に周囲の空間を威圧する。北野武「hanabi」から欧州金融危機600億ドル大盤振る舞いの日本政府を論じる。

 散歩途中で薄暗くなりかけたが、4月22日(日)シャクナゲを詳しく記事にした以上、何か気になって、あの鮮やかな大輪の赤い花が咲く小さな事務所の庭に行ってみた。
 花言葉は<威厳、荘厳>。
確かにそうだ!低木の幹の先端に咲く大輪は赤いバラ状だが、普通のバラの花より、二まわりくらい大きいい。しかも同じくらい色鮮やか。
そういうモノがありふれた庭に何気なく咲いていると周囲の空間を威圧していると、感じる。
あの花の鮮やかな大輪が醸し出す、周囲の空間を圧倒する雰囲気を鎮められるのは、周辺に色鮮やかな花を配置するしかない。
 
 記事にする前、花が開花しているのは一本の木だけで、その周辺の植えられている木の枝の先端の蕾をジッと目を凝らし、コレが一斉に開花すると凄い事になるなと想っていた。一本の木の花でも周囲を圧倒する。全部、咲き誇ったら、やはり<威厳、荘厳>を人間感覚では納得せざる得ない。
 
 が、あの花を見ているとどこか不気味さを漂わせてる様に感じた。
その余りの華麗さで周囲を圧倒する<威厳、荘厳>は不気味の領域まで達している、と。
 
 そして、あの庭のシャクナゲ木々の先端の蕾は全部大輪に開花しているではないか。
少し前には閉じられたままの蕾はもう満開になっている。全部咲き誇っている赤白黄の鮮やかな大輪の花をじっと見つめていると、確かに<威厳、荘厳>を通り越して空間を圧倒して、不気味でさえある。
 
 
 >>北野武監督作品の「hanabi」。
 全編の構成のコマ回しの役割を果たしているのが、絵と花。
ま、その辺はジョン、ヒューストンの身体障害者の画家ロートレックロートレック役は小人俳優ホセ、ファーラーの名演技)の人生を題材にした「赤い風車」のコンセプトの完全なパクリなんだけど、北野武の「hanabi」の中にシャクナゲの華麗な大輪がスクリーンアップで使われていたと記憶する。
 主人公の元刑事が、ただひたすら己の非合法の暴力を破滅的に全開する復讐劇。狂気と正気が一体となったビートたけし演じる主人公の執拗な暴力は北野武流の東映やくざ映画の現代版ともいえる。
そういった意味で執拗な個人的暴力の行使のリアルな残虐性を徹底して見せられるとみているモノにヒロイズムや解放感を一時的に与える。
 この狂気と正気が入り混じった主人公がなぜだか、絵を描く事に荒んだ心のエア、ポケットを見出し、復讐劇を完遂していく。
 そこで描かれた絵画が物語りの進行の区切り区切りに効果的に挿入されている。
シャクナゲの花は単独でスクリーンにアップされていたのか、主人公が描く対象になっていたのか定かではないが、あの大輪の持つ不気味な空間を威圧する迫力は暴力的自己破滅復讐劇に実に日本的な情緒を醸し出す効果を発揮していた。
 花札の赤い大輪のツバキよりも、シャクナゲの花の威圧感が勝っていることは間違いない。
 
北野武シャクナゲのに目を付けるとは大したモノ。劇中に登場する絵も見る度に誰が描いたのだろうか、と想わせるほど、完成度が高い。もし本人が描いたとしたら、これまた大したモノである。
 
 北野武は処女作「その男凶暴なり」の後、イロイロナ回り道をして「hanabi」にたどり着いた。
hanabi」は良くも悪くも彼の監督としての集大成である。
映像芸術としての作品の水準は高度。万人向きではない映画を作り続けて、その細い道をこの作品によって極めた。
絵をコマ回しにすると云う全体の構成まで、模写しているのはいかかがなものか?
ジョンヒューストンの「赤い風車」は彼の作品の中でも何本かの指に入る名作と云う面から考えても疑問が残る。
ネタ元のヒューストンの「赤い風車」の物語の中身は身体障害を抱えたロートレックの愛と苦悩の芸術人生を描いたヒューマンなモノだが、北野作品は所詮、東映やくざ映画北野武流再生。
全体の映像美を抜きにすると、「hanabi」はスケール、ロマンの面で、かなり見劣りする。
 
 さらにこの作品の多くのシーンにさりげなく、小津安二郎成瀬巳喜男の手法が多用されているのは、白けてしまう。余りにもそっくり、そのままにパクリすぎ。一々挙げると切りがないほど。
 
親日派として知られていたベニト、ムッソリーニの1936年10月の中国の駐イタリア大使との会談にふれた発言より。
「なぜイタリアが中国を支援しないかと聞かれたが、端に仏英とは同じ立場に成れないからだ」
「もし仏英が日本側につけば、我々は中国につく」
「中国人は頭が良い。だが日本人はとてつもない。猿みたいに何でも真似をする。彼らは凄い。直ぐ学習する」
 
>グーグル解説はムッソリーニが人種差別的な感覚を持っていたとこの項を締めくくっているが、天皇制帝国憲法教育勅語下の日本ですら、その様な傾向が外国の政治家に認められていたのは紛れもない事実。
明治維新以来の和気洋才は世界危機の深化の中で股裂きにあって、最後は一方に傾き遂にはハレーションを起こし鬼畜米英に至った。
 
>コレからは日本にアメリカシステムがキッチリと移植される時代が到来しする。
日米支配層はその事に共通利害を見出している。
多数派日本国民は日米支配層にその労働となけなしの富を共同収奪されるのだ。
 
>>「G20財務相中央銀行総裁会議における欧州金融危機に際してのINF支援資金増強にに際して、日本は600億ドルの資金拠出を表明した。
 
 各国拠出額は以下の通り
日本     600億ドル
サウジ    150億ドル
韓国     150億ドル 
イギリス   150億ドル
スイス     100億ドル
ノルウェー  93億ドル
ポーランド   80億ドル
オーストラリア 70億ドル
デンマーク    70億ドル
シンガポール  40億ドル
 
日本政府は円高回避のため、断トツの大判振る舞いをしているが、
 
>カナダ政府は「現時点ではIMFに追加融資する用意はない。ただ欧州以外の国に支援が必要になるなど、状況が変わる可能性はあるはあるとして含みを持たした」
 
>中国、ロシア、インド、ブラジルは6月の国際会議で金額を明らかにする。
 
>>安住財務大臣は「目標の4000億ドルは上回る見込み」などとし、日米財務合同会議でガイトナー財務大臣と欧州問題について協議した、と云うが
 
<<アメリカはIMFに資金拠出しなくていいのか>>
 
<<目標の4000億ドルが達成される見越して、そのカネを自分のカネの如く勿体ぶって貸付、欧州国民にこの間の欧米金融資本のしでかした投機の尻拭いを強制するのか?>>
 
コレはグローバル資本制下のアメリカを軸とした国際支配層の世界の人々への共同支配の露呈だ。
 
>その中で日本支配層は600億ドルも拠出し、尤も馬鹿な役割を演じている。
大震災、原発事故に見舞われ、90兆円の財政規模に40兆円しか税収がないなどと喧伝し、逆累進性も甚だしい消費税増税を強行しようとしている国の首脳が海外に出ると他方で、600億ドルもの大判振る舞い。
 
>これほどまでに国民生活労働を蔑して大資本に露骨に寄りそった政府が世界中どこにあろうか?
 
円高の趨勢はユーロ危機に対して、日本が大盤振る舞いで尻拭いした処で長期的に変えることはできない。
アメリカ政府の基本方針がドル増刷による金融の量的緩和にある限り、円のすう勢は不変。
日本国民が必死に働いて自分の生活を何とかしようとする真面目な願いが、アメリカの紙くずドルの国際的使用貯め込みに繋がる。それで円高になれば、またドルを買い込んで円安誘導するしかない。
コレは日本多数国民への労働収奪の一形態である。IMFへの日本政府の大判振る舞いも相手が変わっているだけで、同じ次元の事だ。
またカネを出している割に国際的プレゼンスは高まっていない。
コレも日本的な弩壷である。
 
 日本政府のIMFへの600億ドル拠出はグローバル資本の結果的に形を変えた、多数の日本国民収奪である。
この様な多額の資金拠出によって真の利益を引き出せる日本国民は極小部分でしかない。
 
 >カナダ政府の云っていることが正しいと考える。
 
 この欧州金融危機は、アメリカンバブル崩壊に連動いたモノであり、それは究極の処、世界市場の激烈な再編過程に噴出している問題であるから、今後、欧州以外の国に支援の必要となる可能性もある。
 
 慌てて大盤振る舞いするのは腰の座っていない馬鹿の真誇張。ましてや、国内はそんな状況でない。
世界の先進国の中で最もグローバル資本制に寄りそった政府である。
己のやっている事の異常の自覚が全くない。
経団連会長と官僚が直接政治をやった方が手間が省ける。