反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

佐々木潤之助「江戸時代論」及びウォーラーステインの世界一体化図式について

ウォーラーステインは、フランクやアミンら「従属理論」の影響を強く受けながらも、それが「中心」と「周辺」の関係が固定的にとらえがちな傾向にあったことを考慮して、
下表に示すように、両者の垂直的分業関係W。?のあいだに中間(混合経済W。?)領域として「半周辺」(「半周縁」)を設け、世界システム構造の複雑を指摘すると同時に、
内部における上昇や衰退の可能性(流動性をより的確に把握できるようにした。
 
1)重商主義による西ヨーロッパ諸国の争いのなかオランダが覇権を掌握。16世紀以来の世界の一体化が進展。
          17世紀後半以降、イギリスが環大西洋地域に市場を拡大、ラテンアメリカと西アフリカを従属化。<時代区分>         <「中核」地域>         <「半周縁」地域>       <「周縁」地域>
17C初頭~18C中頃 オランダ イギリス フランス    ポルトガル スペイン    南フランス, ラテンアメリカ
 (オランダの覇権)                                                                         西アフリカ東ヨーロッパ              
 2)フランスとの植民地抗争に勝利したイギリスが覇権を確立、世界の一体化がほぼ完成。
蒸気船の普及により、工業製品の大量輸送や地球規模での移民が可能となる。19世紀にはドイツとアメリカ合衆国が「中核」に加わった。
             <中核地域>  <半周辺地域>      <周辺地域>
18C中頃~1917年  英米独仏   欧州諸国、日露、カナダ  アセアニア、東南アジア、インド、中東、アフリカ (イギリスの覇権)                            ラテンアメリカ、中国  
3)2つの世界大戦を経てアメリカ合衆国がドイツとの覇権争いに勝利し覇権を確立、世界システムが地球全体を覆った。  ロシア革命以降の社会主義国家群が「反システムの運動」を展開。
ベトナム戦争によりアメリカ覇権が衰退し、多極化の時代となった。
           <中核地域>   <半周辺地域>           <周辺地域>
1917年~1967年 米、西欧、日本   韓国、シンガポール東欧  アセアニア、東南アジア、インド、中東、  
米国覇権       (ソ連)                         アフリカ、ラテンアメリカ
 
 >上の表に関した肝心な書き込みを失念した。
中核地域に表示されている経済発展段階として、現代日本は全うな周縁地域を求める時期に発展していたが、戦後日本支配層の至らなさもあって、経済発展する近隣から孤立し、「米コク」に包摂された、という落ちが付く。歴史は皮肉に満ちている。
1)の覇権国家オランダは(コレは分類者の鋭い洞察であって、政治センスのないのは批判する日本人学者の方だ。ただの学問上の問題としている阿呆!)第三期の西欧=EUに沈着した。
結果的に日本はっプラザ合意以降の経済長期停滞によって、この表の3極構造から、消えうせるだが、日本はオランダの国民的公論を経た英知、政策的合理性を持たなかった、というのが持論である。
 
>W。佐々木潤之助「江戸時代論」の冒頭の教科書的通史を読むと、鎖国を前提とする幕藩国家体制の年貢米収奪→市場貨幣交換=幕藩体制の基本政策に対して、前期資本制の進展という当時の先進世界の流れから、乖離した歴史への逆行を感じる。
 がしかし、
鎖国していても、純粋民族経済には独自成長する自力は備わっているわけで、余剰が生じて、商品経済が浸透する。
コレに対して幕藩体制中央の基本政策は年貢米収奪経済過程は身分制暴力支配とともに、日本的封建支配秩序の根幹に関わることだから時代錯誤的に維持しなければならないが、他方で、それ以外の成長する前期資本制的経済事物に税収を見出していかざる得なくなった。
 
 にもかかわらず、
「これらの藩政改革は、藩の支配が封建支配の枠から一歩踏み出したことを示している」が、「享保の改革(8代将軍吉宗、在任中1716~1745)の後の幕政は、積極的な動きもないまま過ぎていった」
「江戸時代論」佐々木潤之助。
 
  享保の改革は、
A、中央ー地方の幕藩権力の集中支配体制を強化するための諸作。
イ)増税(五公五民強制。豊作凶作関係ナシ!)
ロ)コレよって混乱貧窮化する都市農村住民への監視、管理強化のための末端まで及ぶ統治機構の人材刷新(町奉行所、町役人の機構改革=南町奉行大岡越前<罰則強化と懐柔>、町火消し組合創設<とび職など町内強面顔役、前面化の末端監視、強圧>。
幕府足下で激増する飢餓線上の貧窮者の一部には貧病民収容所=小石川療養所。
ニ)風俗取締りや出版統制。孝行者、善行者への褒章
 
B、新田開発、殖産事業育成
 
C、米価、物価安定政策?
年貢米収奪を体制維持の根幹としている以上、できるはずもなく、
「幕府はさらに多くの職種の商人たちに、仲間や組合を作らせて、物価統制を試みてまもなくの、享保17年(1732年)、享保の飢饉が西日本を襲った。(W。豊凶に関わらず、キックバックの無いの五公五民も搾り取っていると、在地において土地質入など貧富の差は拡大し、住民側の経済体力は衰弱し、ちょっとした天候不順でも飢えに至る。当たり前の法則である。改革の度に都市農村の一部に財力が集中する。)
 
 米価は高騰し、江戸を始め都市で打ちこわしが起きた。米価で苦労した吉宗は米将軍と呼ばれた。
 
>そして、幕府は、またもや!貨幣を劣った質にすることを始めた。
その効果は一時的なもので、幕府財政の困窮は一向に収まらないままに、吉宗は引退して改革は終わった。
(W。引用ウィキ
「通貨単位としての文の歴史は古く日本では皇朝十二銭より始まるが、この頃はまだ全国的に広く流通するというものではなかった。W。日中の実情を知らずに、中国の律令制の通貨政策をまねて、都市部で通貨の発行しては失敗の繰り返しだった。
 皇朝十二銭の鋳造が途絶えてしばらくして、経済が発達するにつれ貨幣の需要が高まるが
>その後の鎌倉幕府および室町幕府は貨幣を発行するまでには至らず、
貿易により宋銭を始めとする中国の銭貨が多量に輸入され流通するという、渡来銭の時代が数百年続いた。W。大口の貨幣需要(金銀輸入銭でOK)はあっても、庶民レベルの商品経済の発展度合いは、税金を掛ける程でなく、銭の質を弄ることで、税収増加を画策する必要がなかったから、発行しなかっただけ。朝廷よりも実利的で、余計なことはしない。
何だかんだいってもズット庶民レベルでは自給自足が基本で、統治者はそこから政治暴力や権威を嵩に、ミカ締め締め料として、分け前を強奪していた。コレが基本実体。
 
 金貨および銀貨が家康により関ヶ原の合戦の直後から整備されたのに対し、
銭貨については江戸時代初期に慶長通寳および元和通寳の発行はあったものの、これらは少量にとどまり依然渡来銭の流通は続き、寛永通寳が本格的に幕府主導で発行されるようになったのは3代の徳川家光の時代、すなわち寛永13年(1636年)以降であった。
 
 >なお、ZAKZAK引用。
「秀吉は、新たな銭を流通させるなど抜本的な改革をしなかったのか。それはおそらく、改革をしなくても困らなかったからであろう。秀吉は太閤検地によって石高制を全国に広め、米を基準とした経済を作り上げた。」
 
 佐々木潤之助のこの項冒頭の引用部分の意味も、煎じ詰めると、こういうところにある。
 
>乱暴に言えば、徳川幕藩体制も、この秀吉路線の大枠からはみ出すことはなかった。
それで250年が経過した。
 支配層には都合がよかったから、大して変わらなくてもよかったが、収奪され続けた庶民の心根は何時の間にやら変態し、戊辰戦争から明治天皇絶対主義政権樹立に遭遇してしまった。
 
>そこで、時間もないことだから、今回の最初に示したウォーラーステインの表に関連したウィキ解説文を長々と引用。
>停滞社会に一々細々付き合っていると、何かやっているようにも、何かが起こっているようにも錯覚するし、事実、やったり、発生したりは事実はあるのだけれど、地球儀規模から、俯瞰し、元に戻ったほうが良い、と想った。
佐々木潤之助の本も、そういう構成になっている。
ただし、ウォーラーステインのような方法論は立ち入って批判していないが、やはり、ヨーロッパ中心史観だとしている。
しかし現物に接しなければ、自分は判断できないので、今回は引用する。
 
        
 
           世界の一体化」という言葉
 アーノルド・トインビーが文明史の立場から「ダ=ガマ以後」をそれ以前と峻別し、近世に着目して世界の一体化の進展を論じていることを受けて、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』を例示しながらコミュニケーション革命(運輸革命)の進展についてその重大性について説きおこし、二度の世界大戦を経て「世界の完全なる同時化」が実現したと指摘している。
 「世界の一体化」は、意味合いとしては「グローバル化」「グローバリゼーション」とほぼ同義である
 先駆者的な存在としてウォーラーステイン世界システム論を掲げている。
ウォーラーステイン自身は、『入門・世界システム分析』の用語解説において、グローバリゼーションという言葉は1980年代の発明だとしている。
 ウォーラーステインの所論は伝統的なアジア史研究者などから「ヨーロッパ中心史観」だとするような批判があるが、それは誤解であるとして、世界システム論における「世界」とはいわば広汎な分業体制W。?のことだとしている。
>それによれば、「世界」がグローバル、すなわち地球的になったのは近年の現象にあるにすぎず、それこそ近代世界システムの成長の到達点としての現象なのであり、かつては地中海世界、東アジア世界など、いくつもの世界があったのだとしている。W.同意。
 
 「世界の一体化」における分業関係には、ウォーラーステインが指摘し、平成11年改訂の高等学校地理歴史科「世界史A」学習指導要領が言及するように、経済的不平等・経済格差をともなっている。W。今は高校で地政学的見地を教えているんだね。戦争推進の方向に誘導しないように願う。
 また、ここでいう「一体化」とは、経済的不平等を生み出しながらも互いに結びつきが深くなることを意味し、切り離すことがいよいよ難しくなる傾向や様態をあらわしており、「同一化」や「平準化」は含意していない。
W。しょうがないから、諦めて上手く立ち回れという教えか。NHK日曜ちょんまげドラマ軍師「黒田カンベエ」
 
              世界システムという考え方>
 アメリカ合衆国の歴史社会学者イマニュエル・ウォーラーステインはアフリカ研究から出発して1970年代に「従属理論」の影響のもとマルクス主義に近づく一方、
 W。それはまったく知らないが、ローザルクセンブルクにも帝国主義国=中心部拡張ー植民地=縁辺浸透の帝国主義理論があったように記憶している。従属論が新しいわけではない。
レーニン帝国主義論」は金融資本蓄積の増進による本国での寄生性、腐朽性の進行、<金融寡頭制の強化と、超過利潤で養われている労働貴族(高級サラリーマン使用人層)、労働官僚(大企業組合幹部)の存在>と同時に、<必然する世界市場の不均等発展、市場再分割戦>ー世界戦争から、戦争を内乱として戦う道を提起している。原理的な歴史段階理論であり、現在も、そういう側面は参考にできる。

 歴史に長期的および短期的変動の組み合わせをみるフランスのアナール学派第二世代の中心的な歴史家フェルナン・ブローデルの社会史、「全体史」そのほか、カール・ポランニーの経済人類学の方法なども取り入れて、独自の世界システム論をうちたてた。W。中身がマッタク解らない。調べてみる。
 
>>彼は、それまでの歴史学は世界史を国家や民族の「リレー競争」のようなものとして描いていると批判した。
つまりそれは、どの国や民族も同じ段階をたどることを暗黙の前提としており、それゆえ、それぞれの国や民族にとって、いまどの段階にあるかを知ることが肝要となる。
W。確かに自分にもそういう視点で日本経済を捉えた記事があったが、リレー云々は別として、間違っているとは思っていない。全地球一体化市場なのだから、段階発展論の見方も必要。
 
  しかし、ウォーラーステインは、実際には世界、とくに16世紀以降の近代世界は一国史の寄せ集めではなく、一つの大きなシステム(「世界経済」)であり、個々の国や民族はこのシステムを構成する要素であって、それぞれの国の歴史は世界史の部分にほかならないとした。
W。上記と矛盾していることを書いている。
 
 こうした立場に立つと、重要なことはむしろ、このシステムの内部においてどのような役割を果たしているかということになる
W。地球市場の視点から個別国家や民族の動向を捉えることがキーポイントというわけか。であれば同意する。
 
 こうした考えは従来の歴史像を一新するほどの影響力をもったが、それにもまして、それに先立って1966年に発表されたアンドレ・グンダー・フランクの論文「ラテンアメリカにおける低開発の開発」は、
それまでの先進国と後進国の対比によって語られる「低開発イコール発展段階の遅れ」とする見方を否定し、サテライト(衛星)諸国の低開発はメトロポリス(中心)諸国の開発によって作り出されたものであると主張して衝撃をあたえた。
W。ここから、フランク理論に移っているわけか。それは具体的に証明してもらわないとなんとも判断できない。
 つまり、フランクによればイギリスにおける開発とインドにおける低開発はいわばコインのオモテウラのようなものであり、一つの歴史的なプロセスにおける 2側面である。
世界資本主義(W。歴史を理論的断りもなく飛び越えている)とは、このような裏表をなす2つの部分より成り立つ構造なのであり、開発と低開発の問題を考慮するには、この構造そのものを検討しなければならないとした。
W。そういう側面はキチンと経済学で証明したほうが良い。
 
 エジプト出身の経済学者サミール・アミンは、このフランクの考え(従属理論)を踏襲し、経済学的に展開することを試みた。
W。アッ!ヤッパリやっているわけだ。
 
 彼は世界資本主義を「中心部」と「周辺部」とに二分して、両者の関係をフランクが単に経済余剰の獲得と充用の対立として説明したのに対し、彼はこれを分業構造であると把握し、
1.輸出品生産部門ー周辺部資本主義の産業構造
2.大衆消費財生産部門ー中心部資本主義の産業構造
3.奢侈消費財生産部門ー周辺部資本主義の産業構造
 
 4.生産財生産部門ー中心部資本主義の産業構造
 
の4つに分け、このうち「周辺部」資本主義が1.と3.を、「中心部」資本主義が2.と4.を引き受けることによって、後者が前者を支配するとした。
 そして、世界資本主義の2つの部分をマルクス主義でいう「社会経済構成」であるとし、それぞれが資本主義的生産様式の組み合わせではあるが、
>「中心部」が資本主義に純化する傾向をもつ一方、「周辺部」ではいくつもの生産様式が残り、いつまでも併存するものとしてとらえた。
W。1~4をみて瞬間的に沸いてきた疑問点に答えているが、そういうのはあくまでも生産様式限定であり、マネー主導世界資本制の現状を加味するとどうなるか教えてもほしい。「金融資本論」でトータル的に論じたほうが良い。
 
ウォーラーステインによれば、近代世界システムは「中核」、「半周縁」、「周縁」の3部分から構成され、それ自体の内的運動によって不断に膨張しつつ変化する史的システム」であり
そのシステムは資本主義的な「世界経済」の形態をとっており、この「世界経済」は「長期の16世紀」にその起源を持っていること、
W。世界帝国の盛衰に目を転じよというわけか。学者さん得意の領域。

 そして、そこには、特有の生産物再分配様式、つまり貢納による再分配の様式(これを、ブローデルは「経済上のアンシャン・レジーム」と呼ぶ)から、全く異質な社会システムへの「移行」があった、としている。
また、資本主義的な「世界経済」は、単一の分業によって結ばれておりながら、政治的には多中心であり、文化的にも多様である。その点が、16世紀以前の「世界帝国」とは異なるとした。
W。「江戸時代論」の教科書通史の次の項目は中国を中心とする貢納体制とその変態の分析。
それは貢物など大してしなくて良い、国家同士の上下関係というもの?ようだ。
遊牧牧畜系の生産性の低い略奪に走りがちな社会構造ではなく、東アジアの伝統的農耕社会は他所からの収奪を当てにしていない、のでは?
 
そして、史的システムとしての「世界経済」の変動にはイ)「循環運動」とロ)「長期変動」があり
 
 イ)前者は資本主義生産の無政府性と有効需要の限界から生まれ、ほぼ4、50年の周期で繰り返される拡張と好況、停滞と不況の2局面の交替に代表されるのに対し、
 
 ロ)後者は利潤増大のための生産諸要素(財貨・土地・労働力)の不断の商品化、生産における機械化、世界経済の地域的広がり、さらには社会運動、労働運動ないし民族運動のかたちをとった反体制運動としてあらわれる。
W。イ)が40年~50年の樹幹運動であれば、ロ)はモット長期の浮き沈みとなるはずだが、中身の説明がないから解らない。
 
 この二者の相互作用のうえに「世界経済」は生命のサイクルにも相似する発生・成長・衰退・死滅の経過をたどるであろうとした。
W。ロ)よりモット長く、文明の盛衰のごとし。 
 
 また、ウォーラーステインは「世界経済」における「循環運動」に呼応して、その上部構造である「国際システム」に「勢力均衡」と「覇権(ヘゲモニー)国家」の出現の周期的交替が起こるとした。
 「勢力均衡」を支えるのは列強、すなわち中核」「半周縁」の諸国民国家であり、これは本質的にはそれぞれの国の支配階級が「世界経済」のなかで自己の利益を追求し、実現していくための手段であるが、それはあくまで国際システムの構成要素にすぎず、必ずしも自律的な存在ではない。

 諸国家間の「勢力均衡」は「中核」のどれか一国が「世界経済」を一元的に支配する「世界帝国」となることを妨げる。
 
 世界システム内において、ある「中核」の国家が他の「中核」に属する諸国家を圧倒している場合、その国家を「覇権国家」と呼ぶ。
 ウォーラーステインによれば、表に示したように、覇権はオランダ、イギリス、アメリカ合衆国の順で推移したとされる
 
 ウォーラーステインは、オランダの「覇権」を1625年から1775年にかけてとしており、「オランダ以外のいかなる国も、これほど集中した、凝集性のある、統合された農=工業生産複合体をつくりあげることができなかった」と評している。

 しかし、ウォーラーステインに師事した山下範久は、「覇権」と呼びうるか疑問を呈している。
これらに共通するのは、その国が「覇権」のピーク時に生産、流通(貿易)、金融の各分野であいついで優位に立ち、軍事・政治そして文化の各領域でその支配と価値を他国に強要できることである。

 しかしその「覇権」は全能でも永遠でもなく、やがて上述した各分野・領域における優位が次々に失われ、再び列強が対峙する「勢力均衡」へと道をゆずる。
 
>なお、ウォーラーステインは、世界が資本主義の「世界」と社会主義の「世界」に分断されていると理解されてきた冷戦期にあっても「世界経済の一体性」を強調した
W。当時からそういう見方は一部に流行っていた。世界の新左翼といわれた部分は大体そういう見方をしていた。

>彼は、ソヴィエト連邦が近代世界システムのなかでアメリカ合衆国と政治的には敵対することで、むしろ機能的には世界経済を安定化させていると論じている。
 W。この世界情勢認識も現在でも普通にあり、自分もその一派かもしれない。

 このように整理されたウォーラーステインの考え方は彼の学問上の師であるブローデル??に逆影響して、その『物質文明・経済・資本主義』において、「世界=経済」というかたちでより広い視野のもと多角的な視覚から考察されている。
 
 さらに国際政治学にも影響をあたえ、ジョージ・モデルスキー??の覇権循環論(長波理論)に共感をもってむかえられるなど多方面にわたる影響をおよぼしている。
W。暇があったら、ウィキで調べてみる。
彼は、
 イ)フリードリッヒ・リストによる、未開状態→牧畜状態→農業状態→農工状態→農工商状態
 ロ)カール・ビュッヒャーによる、家内経済→都市経済→国民経済
 ハ)マルクス主義弁証法唯物史観)による、原始共産制→古代奴隷制封建社会→資本主義社会→共産主義社会。
 W。よく言われるが、マルクスはそこまで自分の歴史論をモデル化していない。他の人がわかりやすく定式化した。主としてエンゲルスの解説本とその理論的証明である「家族、及び国家、私有財産の起源」に源がある。
 ニ)ウォルト・ロストウによる、伝統的社会→離陸の準備段階→離陸(テイク・オフ=産業革命)→成熟への前進段階→大量消費社会
など、<一連の経済発展段階説を乗り越え、世界を一体として把握>する、巨視的で新しい歴史学の道を開拓した。