反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

4月29日。体調もう一つ時のウォーキング。四天王寺古本市。春の天皇賞、小沢、政治とカネ疑惑マスコミ報道に呼応する日本庶民の<清貧美化>習俗の岩盤。

 起床後、腰の懲りを確認。そこまで運動した覚えはないのだが。昨晩のアルコール過多が堪えたのか、と想いつつ、再開した筋トレを軽くやっていると、スクワットで、腰がかすかにギクッときた。
外に出るとやっぱり今日は調子が悪そうで、シャキッとしない。
 今日は無理はできない。慎重に体調をうかがいながら、調子が出てくるのを待つ。平行線だったら、切り上げるつもりだった。
 
 この前記事にした、事務所の庭のシャクナゲの大輪の花をフェンス越しに窮屈そうに、カメラに収めようとしている老年の方がいる。
 
 記事にした手前、その後何度も観察しているが、始めてみたときの感動はなかった。
大げさに書き過ぎたのか、妄想が過ぎたのでは、と自分の目を疑い出した処で、カメラを構えている老人の姿を見て、気を取り直した。
 
 草花は素晴らしい瞬間があるのだと、想う。花の命は短い。最盛期に見ても、イロイロナ事情でよく見えないときもある。
 
 最盛期を過ぎたシャクナゲの大輪の花が、たくさん地面に落下した無残な様子を見ると、日本人が桜の花を愛でる心境が解る。地面一杯に散った桜の花びらもそれなりの素敵な風情がある。
 
 先日、雨に濡れたアスファルト一面に八重桜の淡いピンクの花びらが散っていた。想わず目線を下に落として、ピンクの花びらを踏みしめながら歩いた。記憶に残る朝だった。
 
 調子が出ないときも、体調を測りながら、上昇気配に転じるまで、チェンジオブペースで我慢して歩き続ける事も毎日ウォーキングのコツ。兼ね合いは難しいが、いつも中止していると、ある壁を乗り越えられない。体調の優れない日が多いのは当たり前なのだ。
 
 今日は大きな橋の階段を珍しく向こう岸まで渡った。そのまま真っすぐ歩いていこうとしたが、無理があると断念。Uターンだ。橋の由来を記した記念碑を読みながら、息を整え、帰りの階段を上がり、長い坂道を戻ってくると、なんだか、シャキッとしてきて、いつものように、横とびから、一気にダッシュができた。
 
 毎回、このダッシュで自分の中にある真のパワーと体の締り具合を測る。
最大瞬間風速がどれくらい出せるか、ここが真のパワーの目安。敏捷性、柔軟性も心がける必要がある。
 
 もう一つの公園を周回する途中、背もたれが湾曲しているベンチにエビぞって、背中をほぐし、前屈をユックリやる。ぶら下がり器具の腰のリラックスは今日は特別2回やった。
小高い丘の坂道を登る頃には腰のOKを確認した。
 
 帰路、大きな国道の青信号めがけて、公園内から一気に突進。
コレがスムーズにできる時は最終的にOK。
 
 帰宅して、風呂でリラックス。
 
 今日の四天王寺、古本まつり行き。
あそこに行けば、買いたい本が山の様にある。
昨日も終了間際、行って4冊。
こういう古本市に集まってくる本好きの客に、本の売買のプロが売れると目利きした本を厳選して運んできているのだから、一杯並んでいるどの本も、それなりの存在理由がある。
 
 天皇賞
場外馬券売り場や競馬場の雰囲気に昔から居心地の良さを感じるという特異体質。
凝縮されたスリルとサスペンスの結果が思わしくないのはやる前から解っている。
が、一青期の夢を見る。
そして案の定、敗北に終わる。
が、何処からか、再びチャレンジャー精神が湧いてきて、また賭ける。
日本人はギャンブルをあまりやらない民族だと想う。
 理由ははっきりしている。
農耕だ、狩猟だ、牧畜だというのは、この際、置いといて、天変地異の激烈な日本列島と云う特殊性が大きく影響しているのだと想う。生活労働の基盤そのものが、たび重なる天変地異で揺らいでいたら、その上に賭けごとで揺るがす事は出来なかったのだろう。日本人には本質的に「ケセラセラ」はなかった。
日本の封建領主も激烈な天変地異で農奴の生活基盤が揺らいでいるうえに、賭けごとやられたら、収奪できないので、極端な賭けごと禁止令を出していた。収奪される側は<清貧>を旨とせよ!と。
 小沢さんへの政治とカネ報道やそれに呼応する市民たちの在り様を考える場合、私は<日本人における清貧の庶民「美学」>の習俗的岩盤の如きものに、ブチ当たらず得なかった。
どうしてそんなンか?と。そこまでセコイのかと。
 
ま、能書きはこのくらいにして、馬券を買う気がしないけど、2012年春の天皇賞は場外馬券売り場で迎えることにした。