人民の人民による人民のための政治、government of the people, by the people, for the people)はエイブラハム・リンカーンが1863年11月19日、南北戦争の激戦地となったゲティスバーグで戦没者を祀った国立墓地の開所式での、272語、3分足らずの短い挨拶(ゲティスバーグ演説)の中のことば。民主主義の本質を語ったものとして世界的に知られる。1958年制定のフランス共和国憲法第2条の『原理』としても採用された。
ーグーグルよりー
民主政に関する、自分の記事に一貫して流れる基本視点は対外戦争と、国内においては敵と味方の激しい争闘、究極的には内乱内戦を見据えた<民主>政治観である。
この様な歴史観?は日本において少数派といおうか極小派である。
が、世界においてその通りなのか?
ーグーグルよりー
アメリカ合衆国内では内戦 (Civil War)がこの紛争に対する最もよく使われる言葉である。
また、アメリカ合衆国議会によって戦場跡の保存を信託された政府組織であるアメリカ合衆国国立公園局がこの名前を使っている。
その他、例えば、戦後(内戦以降という意味)南部では州間の戦争 (War Between the States)とも称していた。
以下別の呼称を列記する。
反逆の戦争 (War of the Rebellion)。
南部独立のための戦争 (War for Southern Independence)。
第二次アメリカ革命 (Second American Revolution)。
北部侵略の戦争 (War of Northern Aggression) 。
諸々の呼称の中に<南北戦争>は一切、見当たらない。
グーグル解説記事にないということは、理論的にも列記もできない次元の極めて日本的呼称ということだ。
言い換えると戦争の実態を正確に伝える世界普遍の用語ではなく、日本的政治判断の範疇に基づく、呼称選択ということだ。
日本民主政治の議論からは歴史的に一貫して、対外戦争、内乱内戦と民主政の事実や観点が取り除かれている。
日本支配イデオロギーの意図的刷り込み、というほかない。
>グローバル資本制の現在と将来において、支配層は世界的に連携し、国の枠を超えた共通利害を見出している。
そうした趨勢にあって、あの輩どもが国民的利害を踏まえて、上から国民のために、よろしくやってくれる、などというのは単なる今までの日本的政治習性に身を任せているだけの時代錯誤。
現在のアメリカではアメリカ独立革命( The American Revolution)もしくは革命戦争(the Revolutionary War)と呼ばれ、主にイギリスではアメリカ独立戦争と呼ばれている。
>アメリカ革命戦争と呼ぶのは、対外的には立憲君主制の宗主国イギリスとの独立戦争だったが、対内的にはカナダを含めた北アメリカにおける本国に通じる王党派の追随者と戦争して独立と同時に共和制を勝ち取った、歴史的事実を適切に表現している。
アメリカ独立革命は1770年代末期のフランス大革命の精神が手本とした市民革命だった。
その一部はアメリカに活路を見出した。
独立革命の急進化は必然だった。
>自分の民主政観は日本では極少数派であるが、世界ではそうともいえない。
現時点や将来の日本で少数派であっても、一向に構わない。
多数派を啓蒙しようなんて、政治意思は今まで、考えたことも実行したこともない。
できたら、100人ヒトがいたら100通りの正義はご免こうむるが、100通りの意見があったらいいな、程度にはおもっているが。
>古代ギリシャの民主政と戦争を論じていく前提として、内乱、内戦、対外戦争と民主政の基本視点は必要であると考える。
そういった視点から、フィンリーによる、アテナイの直接民主制の全期間を通じて、流動的な政治情勢にもかかわらず、大きな内乱は一切なかった、という指摘を重く受け止める。ソクラテス、プラトンらの哲学者の反対にもかかわらず、アテナイ民主政は概ね十分機能していた。
民衆政治参加や全うな政治関心が深まること、によって都合が悪くなるのは現代支配層である。
また衆愚政治に云々があってもなくても、アテナイ民主政の発展はアテナイ帝国主義の利益の増進と共にあったのだから、当時のギリシャの均衡的政治軍事情勢や都市国家の延長の領域国家の域を脱し得ない社会政治構造から、
>>古代ギリシャの民主政を論じた結論めくが、西欧でいう古典時代の民主政(制度も含む)はそれまではアテナイ民主政に対するソクラテスープラトンーアリストテレスの反民主政の言動を出発点として、一貫して嘲笑や蔑ろにされてきたものが、18~9世紀以降の急進民主主義者たちの流血の戦いによって、近代に蘇ったものである。
そして、アベチャンやジャパンハンドラーのように民主政を当たり前のように前提にする輩の支配するグローバル資本制の趨勢において、先進国では民主政は寡頭支配の様相を呈してきているのである。
グローバル金融資本制の進展とともに、フィンリーが著書で指摘した1970年代初頭のシュンペーターの<エリートの民主主義>の遥か上を行く民主主義の寡頭支配への転換が先進国共通の事態となってきている。
この様な流れを確認すれば、アテナイ民主政の精華を我々が汲り、現代的に再生する必要がある、のはいうまでもない。
現代においては民主政の制度論は限界に来ているし、支配層の政治アイテムに摺りかえられる恐れも増してきた。
国家と市民社会、公と私の区別は倫理的論理的実際的にますますはっきりとしてきている。
支配層はますます、国家共同幻想を振りまく。
コレは何の物的手当ても要らない国家の独壇場である。
日本的特性の、経済状態が傾きだすと<安易、急速>に寄らば大樹の陰になる傾向は強まってきている。
選挙結果は政治マジックではなく、国民の現状の政治意識の反映であることは、民主党政権交代後の各種選挙結果をみれば十分、予測できたことである。
多くの人々は民主政権交代に単純素朴に期待し、当て外れになったと<感じている>。
こうした政治意識の行き先は弾みがついているので決まっている。
維新の会やらが積み上げた票のかなりの部分は、こうした政治傾向から流れ出したものである。
>アベチャンは訪米の際、戦略問題研究所において、ナイ、アーミテイジ等の有力ジャパンハンドラーを前に、一々その名前を呼びかけた、英語演説で、「日本はアジアにおいてアメリカと共に、デモクラティック(W.。この部分は民主政を指しているが、アテナイではデモス=市民は数で云えば少数派。クラシイ=支配)でリベラルな(W。この部分は資本制の金儲け、生活危機の自由を指していると解釈する)な価値観を擁護するために戦って行きます。」などと誓いを立てている。
アベチャンにはアベチャンなりの民主主義観がある。
センセイ方の他者との共生の一般論は論理的にそういうアベチャン等との共生を含むものである。
新しい思考形態のように見えるが実はそのような議論は実質的に安易な国民統合論や共栄圏論としてしか機能してこなかった。
耳障りは良いが、戦前の日本思想の焼き直しになりかねないのである。
我々は共生以前にやらなくてはいけないことがある。
そこを飛び越えている思考形態を内包しているから問題にしている。
しかし、それに替わる適当な統治形態が歴史上、見当たらない以上、国民は民主政を永続革命しなければならない、としている。