反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

空に星があるように 荒木一郎 唄詩  ホンダラ行進曲 クレージーキャッツ、青島幸雄。「異邦人」アルベールカミユ、「結局のところ、30歳で死のうが、70歳で死のうが大した違いはない、もちろん他の男たちや、他の女たちは生きてゆくだろうし、それにもう何千年もそうしてきたのだから。今であろうと、20年後であろうと、死んでいくのは同じくこの私なのだ。

空に星があるように

海辺に砂があるように

 

僕の心に 

たった一つの 小さな夢が ありました

 

風が東に吹くように

川が流れていくように

時の流れに 

たった一つの 小さな夢は 消えました

 

寂しくて 寂しくて 星を見つめ

ひとりで ひとりで 涙にぬれる

 

何もかも終わってしまったけれど

何もかも周りは 消えてしまったけれど

 

空に星の降るように  秋には枯れ葉が舞うように

 

それは誰にもあるような

 

ただの季節の変わり目の頃

 W。 ↓     ↓


ホンダラ行進曲

 

ひとつ山越しゃホンダラダホイホイ

もひとつ越してもホンダラダホイホイ

越しても越してもホンダラホダラダホイホイ

どうせこの世は ホンダラダホイホイ

だからみんなで ホンダラホイホイ

 

どうせ女は ホンダラダホイホイ

だから男は ホンダラダホイホイ

あっちへ行っても ホンダラダホイホイ

こっちへ行っても ホンダラダホイホイ

 

行っても行っても ホンダラホダラダホイホイ

どうせどこでも ホンダラダホイホイ

だから行かずに ホンダラダホイホイ

何をやっても ホンダラダホイホイ

だからやらずに ホンダラダホイホイ

W。??

 ↓

引用 異邦人 第2部 P143最終段落

「そんなことがあったにせよ、結局のところ、心臓は破裂しなかったし、わたしはまた24時間を手に入れたのだ

 日中はずっと特赦請願のことを考えた。わたしなこの考えを、もっともよく利用したと思う。わたしは自分の財産を計算し、自分の反省から最大の利回りを手に入れたのだ。

わたしはいつも最悪の仮定にたった。すなわち特赦請願却下だ。

『そのときはしぬときだ」

他のヒトより先に死ぬ、それは明白なことだが、しかし、人性が生きるに値しない、ということは誰でしっている。⇒W、今と当時(第二次ヨーロッパ大戦争直後、しかし、少しは死が世界的に~日本は別~身近になったパンデミックの今とこれからはどうだろうか?)は時代精神が違う五輪森騒動に吐き気を催す。五輪絶対反対なら改良を拒否して森で良いではないか!東京の真夏の裸踊りをぜひ見届けたい!そこに人間の、いや日本の浅ましさ醜悪さが感知すべき人たちには丸裸のまま開陳されている。こんな見世物を見るのはまたとない機会だ!

結局のところ、30歳で死のうが、70歳で死のうが大した違いはない、ということを私は知らない訳がない。

というのは、いずれにしたところで、もちろん他の男たちや、他の女たちは生きてゆくだろうし、それにもう何千年もそうしてきたのだから。要するにこれほど明らかなことはないのだ。

今であろうと、20年後であろうと、死んでいくのは同じくこの私なのだ。⇒W.絶対命題だ!

このとき、こうした推論の中で多少私を苦しめたのは、それは、

これから先の20年間の生活を考えたとき、私の胸に感じたひどい興奮だった。

しかし、それは20年たって、やはりそこまでゆかねばならなくなったとき、自分がどう思うか想像することによって、息の根を止めてしまいさえすればよかった。

死ぬ時のことを、いつかとか、いかにしてとかいうのは意味がない。

それは明白なことだ。

だから、

(難しいのはこの『だから』という言葉が推論上表すところの一切を、見失わないことだ)

わたしは特赦請願の却下を承認せねばならなかったのだ。

~~~

わたしの人生について、来るべきあの死について。

そうだわたしにはこれだけしかない。

しかし、少なくとも、この真理をしっかりととらえている。

わたしはかつて正しかったし、今なお正しいのだ。

わたしはこのように生きたが、また別な風にも生きられただろう。

わたしはこれをして、あれをしなかった。

こんなことをしなかったが別なことをした。

~~~

君は解っているのか、いったい君はわかっているのか?

誰でもが特権を持っているのだ。

特権者しかいはしないのだ。

~~~

あの大きな憤怒が私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、

このしるしとして星々とに満ちた夜を前にして、

>世界の優しい無関心に心を開いた。

これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、わたしは、自分が幸福であることを悟った。

すべてが終わって、わたしがより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、

わたしの処刑の日に大勢の見物人が集まり、嫌悪の叫びをあげ、わたしを迎えることだけだった。

最終回。高齢者配食弁当。①新聞配達の要領のFCシステムを二つの本部の提出する数値で比較。~絶対貧窮化、孤絶化、税と社会保障の一体改革の名下で~②各業者について探索した。③結論。冷凍弁当の方が旨い。一食配食弁当では最大手と他1社。本部とFC店舗が儲かることと利用者が良いサービスが受けられることの区別必要。

www.nabioo.com

                 高齢者配食とは

引用 

新たに高齢者の配食サービスを始めるためには~~

すでにノウハウを持ったフランチャイズ本部に加盟することが最短かつ安全な道のりだと言えます。

    高齢者配食フランチャイズの仕組み

「高齢者配食のフランチャイズは、フランチャイズ本部(フランチャイザー)と契約し、加盟金やロイヤリティを支払う~W。売り上げに対する%。会費の場合は定額~ことで、加盟店側はお店の看板や商品の販売権、経営ノウハウを得るという仕組みです。

フランチャイズ本部は、仕入れからメニュー開発、顧客獲得や販売など、ビジネスを成功に導くためのノウハウを持っています。

   

高齢者配食フランチャイズの特徴

経費を抑え、売上を伸ばす
高齢者配食フランチャイズの場合、地域のケアマネージャーや看護師、病院からの紹介によって配食の依頼を受けることがほとんどです。⇒W。「ケアマネさんに連絡して聞いたほうが良いよ」、とヘルパーが言うのは、そういう事情があるからなのか。情報ではその際にケアマネは二つの選択肢を示すのが通例という

すでに知名度のあるフランチャイズチェーンであれば、高額な販促費をかけなくても、ケア施設や病院への挨拶回りによって売上を伸ばすことができるでしょう

⇒W。シニアライフ系はネット販促に力を入れているようだ。出現するポップ画面は3回クリックしないと削除されない。もっとも介護の求人関係は同じような手法を使っている。求人アクセスすると山のような執拗なメールだ続く。拒否リストに載せるとやがて退散する。

 簡潔な業務W。新聞販売店舗方式をイメージすると分かり易い。店舗ではもちろん紙ではなく食品分配配達。

「高齢者に届ける食事はフランチャイズ本部の製造工場やメーカーで調理され、加盟店には完全調理済みの食材が届きます。

フランチャイズ加盟店では届いた食材を開封して盛り付ける、湯煎して盛り付けるといった作業がメインとなるため、調理未経験者でも安心して始めることができるというメリットがあります。

さらに、調理が不要なため大掛かりな店舗の施工も必要ありません。7~10坪ほどの小さなスペースがあれば、自宅や既存の店舗を活用してビジネスを始めることも可能です。

低資金開業、小規模経営が可能
配達はお客様の要望に応じて、1日1回~3回、車やバイクを使って配達します。

調理の手間が無いことから、1日50~80食程であればオーナー1名でも事業を始めることができ初期から高額な人件費を負担する必要はありません。

配食サービスの代金は、銀行振込や月末現金払いなどの方法で、お客様から直接入金されます。その中から、ロイヤリティや仕入代金を本部へ支払うという流れが一般的です⇒W。利用者は代金支払いに意外と手間どる。複雑系日常生活動作(IADL)が怪しくなっている利用者戸口での現金支払いに戸惑う場合が想定されるので口座引き落としを選択するしかない。例えば請求書と領収書の違いを最後まで理解できず、領収書を見てカネを用意する。

当たり前だが個別配食フランチャイズ店に対してカード決済は効かない。冷蔵一括配食弁当システムは本部振り込みなのでカード決済ができる。

銀行振り込みは論外。手間がかかる

銀行口座自動引き落とし手書き依頼書必要で1か月以上かかる。そこまで手間をかけて一つの配食業者を選択する必然性がこの業界にはない。業態そのものの公共性が希薄。

現金払いは月末まとめではなく、2週間まとめ払いが多い。契約以降、突然打ち切りに対する保障のためか数日分先払いする。

高齢者配食サービスの需要

 

「平成30年の日本における65歳以上の高齢者の人口は3,558万人、総人口に占める高齢者の割合(高齢化率)は28.1%現在日本は4人に1人が高齢者という時代になっています

さらに2025年には人口の30%以上が高齢者と予測されており、増加傾向は2042年まで続くと言われています。⇒W。「現在わが国においては、65歳以上を高齢者定義し、65〜74歳を前期高齢者、75. 歳以上を後期高齢者と呼ぶことが一般化」この文脈では65歳以上を」高齢者人口に数えているようだ。ところが、地方自治体の高齢者サービスを受けられる年齢を70歳以上としているところも多い。

なかでも都心部における75歳以上の高齢者人口は、今後急速に加速することが見込まれています。高齢者人口の割合が多くなっていることで、高齢者だけの世帯の数も増加しています。

その背景には、高齢者の受け入れが可能な施設には限りがあり介護施設への入居希望者全員が介護施設に入れないことが原因の1つとなっていますまた、介護施設には入りたくない、できる限り自宅で過ごしたいと望んでいる高齢者も多くいます(W。家族介護の前提条件が瓦解しつつあるのに、在宅希望とは矛盾希望と現実の股裂き状態

>そのしわ寄せを制度対応では埋めることはできず、最も弱い箇所~「家族」、個人~に行く⇒W.スウェーデン型。施設入所後の存命期間は非常に短くて、2年程度。コロナ渦における死亡者は施設入用の老人たちだった。スウェーデンでは姨捨山状態が常態化しているスウェーデンと日本の違いは命の選別以前の社会保障、福祉の受容具合、程度~

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「しかし、私生活をおくるうえで特に問題のない高齢者でも、3食の食事を用意することは年齢とともに大きな負担になります。

高齢者のみの世帯だけではなく、高齢者と一緒に生活する家族からしても、体調に合う栄養バランスのとれた食事を配達してもらえる高齢者配食サービスの需要は、今後さらに高まることが予想されます。

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     まごころ弁当&配食ふれ愛

沿革 | 株式会社シルバーライフは高齢者向け配食サービスを運営している上場企業です

 

小町 350円~ 低カロリー、低塩分で料金が手頃なのが特徴
普通食 500円~(おかずのみ450円~) ・70歳前後の高齢者の必要なカロリーや栄養素が摂れるのが特徴
・おかずのみだけでも注文可能
 
やわらか食 740円~(おかずのみ700円~) おかゆ、きざみ食を食べている高齢者向け
・おかずのみでも注文可能

W。省略しているが6種類のバラエティー。少ない方である。

COOk123は9種類(朝食を入れて)増量タイプもある。

3. フランチャイズへの加盟条件(加盟金・保証金・ロイヤリティ・会費・契約期間)

加盟金 0円
保証金(ただし審査あり) 0円
ロイヤリティ 0円
システム料 0円
会費(定額、税抜) 月30,000円
契約期間

 

5年間

 

 

「まごころ弁当のフランチャイズに加盟するにあたり加盟金、保証金、ロイヤリティ、システム料は必要ありませんが、会費という名目で毎月30,000円が発生します。

事業を始めるためには物件を取得する必要があるため、店舗の取得費や必要な改装工事費などで150万円ほど初期費用や運転資金の準備が必要になります。」

       5. フランチャイズ店舗数
株式会社シルバーライフは、まごころ弁当と配食のふれ愛を展開しています。

2019年7月の19期現在のフランチャイズ加盟店数は、まごころ弁当が430店、配食ふれ愛が299店合計729店舗となっています。

       6. 収益シミュレーション
株式会社シルバーライフでは、1日の販売数が50食の場合、200食の場合、600食の場合のモデルケースの収益シミュレーション。


        <50食 平均販売単価475円の場合>

売上
日食(1) 50食
客単価(2) 475円
売上(3)=(1)×(2)× 30 712,500円 100.0%
原価(4) 307,088円 43.1%
売上総利益(5)=(3)-(4) 405,413円 56.9%
経費
雑給 0円 0.0%
家賃 80,000円 11.2%
ロイヤリティ ゼロ 0%
会費 30,000円 4.2%
水道光熱費 20,000円 2.8%
燃料費 12,000円 1.7%
雑費 30,000円 4.2%
経費合計(6) 172,000円 24.1%
営業利益(5)-(6) 233,413円 32.8%

W。50食程度の収入ではFC店舗を開業する価値はないということ。

 

200食 平均販売単価475円の場合>⇒W。月6000食配達。COOK123に換算

売上
日食(1) 200食
客単価(2) 475円
売上(3)=(1)×(2)× 30 2,850,000円 100.0%
原価(4) 1,228,350円 43.1%
売上総利益(5)=(3)-(4) 1,621,650円 56.9%
経費
雑給 600,000円 21.1%
家賃 80,000円 2.8%
ロイヤリティ ゼロ 0%
会費 30,000円 1.1%
水道光熱費 60,000円 2.1%
燃料費 36,000円 1.3%
雑費 90,000円 3.2%
経費合計(6) 896,000円 31.4%
営業利益(5)-(6) 725,650円 25%

 

7. 運営会社情報

会社名 株式会社シルバーライフ
本社所在地 〒160-0023
東京都新宿区西新宿4-32-4ハイネスロフティ2階
関東工場 〒370-0603
群馬県邑楽郡邑楽町中野1678-1
受付センター 〒370-0503
群馬県邑楽郡千代田町大字赤岩字上宿北195-1
電話 03-6300-5622(本社代表)
代表取締役 清水 貴久
設立 2007年10月
従業員数 255人(パート・アルバイト含む)
※2019年7月末現在

宅配クック123(株式会社シニアライフクリエイト)

沿革 | 株式会社シニアライフクリエイト SENIOR LIFE CREATE

2. 高齢者配食のメニュー・料金
宅配クック123の高齢者向けメニューは、次の9種類です。

メニュー 価格 備考
普通食 594円(おかずのみ540円)まごころ弁当¥450

 ・少量ずついろいろなおかずを食べたい、バランスよく食べたい人向け
・おかずのみだけでも注文可能
カロリー・塩分調整食 820円(おかずのみ777円) ・カロリーや塩分制限が必要な高齢者向け
・おかずのみでも注文可能
たんぱく・塩分調整食 820円(おかずのみ777円) ・たんぱく質・塩分の摂取量の注意が必要な方向け
・おかずのみでも注文も可能
透析食 820円(おかずのみ777円) ・透析治療中の方向け
・おかずのみでも注文も可能
ムースセット食 820円(おかずのみ777円) ・噛むことや飲み込むことが困難な方向け
・おかずのみでも注文可能
やわらか食 820円(おかずのみ777円)まごころ弁当¥740⇒W普通食¥90差が¥37差に縮小。

 ・硬いものが食べられない、きざみ食が食べにくい方
・おかずのみでも注文可能
消化にやさしい食 820円(おかずのみ777円) ・消化器官に不調がある、消化機能が弱っている方
・おかずのみでも注文可能
健康ボリューム食 660円(おかずのみ606円)しっかり食べたい方、同居家族用、老人会の集まりに利用したい方など ・おかずのみでも注文可能
朝食 パンセット275円
おじやセット313円 ・朝食も手軽に準備したい方 ・朝食もしっかり取りたい方 ※昼食、夕食をご利用の方のみのサービスです

 W。多様な要求に対応している

3. フランチャイズへの加盟条件(加盟金・保証金・ロイヤリティ・会費・契約期間


加盟金 1,800,000円
研修費 200,000円
保証金(非課税) 500,000円
ロイヤリティ 月間売上の5%
備品 300,000円
暖房機器 店舗により異なるため別途見積もり
店舗設計費・施工費 店舗により異なるため別途見積もり
契約期間 3年間
合計 2,800,000

 

 お弁当を届ける際は必ず手渡しと安否確認を、本部をはじめFC全体で徹底しているのでお客様やそのご家族、ケアマネージャー、地域の関係者の方々から信頼されて、安定経営に繋がります。

5. フランチャイズ店舗数
直営店5店舗、FC加盟店320店舗

 

6. 収益シミュレーション

<月間6000食 スタッフ6名で運営する場合>Wまごころ弁当の200食×30日=6000食に相当。

売上 3,360,000円
原価(食材費等) 1,444,800円⇒W43%デアル。
① 人件費 977,300円⇒Wまごころ弁当は60万円に見積もっている!

② W.ロイアリティーは売り上げの5%=16万8千円
販管費(地代家賃・光熱費・ガソリン代・ロイヤリティー等) 596,800円
営業利益 341,100円⇒W、まごころ弁当 725,650円

  ①+②=約40万円~配達区域の利用者の密集具合の違い。手渡し拘り、盛り付けの手間のかけ具合などの要因で人件費が高くついているが、37万円も人件費が違うのか大いに疑問!あとは本部上納金の多寡(3万円と売り上げの5%)!拡張による市場占有率を上げる数がさばけるので1食当たりの単価は安くできて市場競争力がつく。さらには、FC店に物販をした時点ですでに大きな収入が確保できていること弁当の価格と中身の不釣り合い、がなければ本部の営業利益の幅は確保できないとみるが~

7. 運営会社情報

社名 株式会社シニアライフクリエイト
創業 1999年12月
設立 1999年12月
資本金 28,000万円
代表取締役 高橋 洋
所在地 東京本社 〒108-0073
東京都港区三田3丁目12番14号 ニッテン三田ビル6F
TEL:03-5427-3981 FAX:03-5427-3982
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大阪支社 〒564-0063
大阪府吹田市江坂町1丁目17番26号 エスプリ江坂8F
TEL: 06-6192-8101 FAX:06-6192-8102
事業内容 1)高齢者専門宅配弁当「宅配クック ワン・ツゥ・スリー」 フランチャイズ本部の運営
2)高齢者施設向食材卸事業「特助くん」の運営
3)高齢者向コミュニティサロン「昭和浪漫倶楽部フランチャイズ本部の運営
主要株主 株式会社ファミリーマート
取引銀行 三菱UFJ銀行虎ノ門支店 みずほ銀行虎ノ門支店
従業員数 正社員 96名(2019年2月末日現在)

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W参考資料一覧

器は使い捨てではない。各FC店舗で食器洗い機、乾燥機で処理しているのか?

一括処理しているのか?業態では最後に残った使い捨て拒否のシステム。


まごころ弁当 CM 30秒バージョン

 

W.冷凍弁当

  ↓

【評判】営業多め?メディカルフードサービスの実食口コミレビュー

 

nosh(ナッシュ)宅配弁当の口コミ。定期購入者の赤裸々な感想

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W.冷凍宅配弁当業者が多い

shokuji-takuhai-life.jp

coop-bento.com

coop-bento.com

shokuji-takuhai-life.jp  

第2回。高齢者宅配弁当の探究。前回記事のタイトルの一部、訂正。⇒「後者は新聞全国末端配達店網(←〇。FC本部代表インタビュー発言で同じ表現あり図星!)のような超労働集約物流業態。収益を確保しようとすれば調理工場を全国一か所にまとめ(←×W。大疑問符だったがアップ。直営工場は一か所、提携先の調理工場に委託)<冷蔵>長距離輸送の店舗分配の必要←×イメージ⇒創価学会の全国紙を毎日新聞印刷工場に委託。関東エリアだけ直営の印刷工場。

 まず、この情報に注目する。業態の内情を公開してくれている。

今まで調べた中でここまで語ってくれる経営者はいなかった。

反俗日記は冷蔵弁当宅配網を全国紙の販売システムに例えたが、代表者はインタビュー記事で同じたとえをしてい(本日確認2021年1月31日)。

不可能に近いが、初っ端にこの記事を見つけていたら、無駄な時間が省けたし、業態の全貌をもっとよくつかめた。

    ↓

まず、インタビューを行っている事業所について押さえておく必要がある

signifiant.com

上記の事業所との関連で次の情報も押さえておく必要がある。

W参考資料①

ビッグチョイス社長ブログ : さらばベンチャーリンク

 引用

さらばベンチャーリンク
ベンチャーリンク倒産。⇒W、2012年、平成24年
そんなショッキングなニュースをききました。」

 

>W参考資料②

https://ja.yourpedia.org

引用

ビジネスの種を見つけ、それを自ら支援してFC本部として成功させ上場させる」という当社のビジネスモデルは、世間から大注目された。

株式会社C&I Holdings(シーアンドアイ ホールディングス)を持株会社とし、東証1部に上場していたが、

2012年平成24年に倒産した。

W資料⇒


なぜ失敗したか
最大の原因が「コンサルタントの弱さ」である。「コンサルタントの弱さ」とは何か?具体的には、人に教えたり人を叱ったりは得意だが、本当は自分でやったことはない。」⇒W.代表者の経験は後述する。

 

>さて、代表者インタビュー第1回

引用

平成10年4月 警視庁入庁

平成11年9月(1999年) 株式会社ベンチャーリンク入社

                    ↓W。FC手法+経験値

平成14年2月(2002年)有限会社マーケット・イン設立代表取締役          W。宅配店舗営業経験

平成21年9月 2007年 株式会社シルバーライフ入社 FC開発部長

平成24年9月  株式会社シルバーライフ代表取締役社長

******

  引用

「2007年創業の株式会社シルバーライフは、

①高齢者向け配食サービス「まごころ弁当」「配食のふれ愛」フランチャイズ本部の運営と加盟店への食材販売、

②高齢者施設等への食材販売「まごころ食材サービス」の展開⇒W。高齢者施設の食事自給率は低い!

③相手先ブランドによる冷凍弁当のOEM販売 の3つを事業の柱とする食材製造販売会社。

>高齢者向け配食サービスでは、2ブランド合計店舗数563店舗(2017年7月末)と業界第一位

2017年10月にマザーズに新規上場。2017年度業績は売上52億円、経常利益5億円。⇒W.下記の業務推移のグラフより毎年10億増加ペース+コロナ渦で2020年度の売り上げは90億円~100億円と想定できる。ちなみに業界の売り上げに占める原材料費は約40%少し弁当の中身の量が少ないのは必然計算上、収益のキモだろう。

>利用者側が物足りなくなって、追加で他の物を食すと結局、一食の弁当にケチったカネは無駄になるばかりか余計な食費の出費になる。足りずにカップ麺をくっている、とかいう話をヘルパーさんから聞いた。食費の出し惜しみは体に良くないぞ!病院に入院した場合も、病院食では飽き足らず、売店で買い食い普通にしている。ましてや在宅の弁当食に物足りなくなれば、追加でかなりの食費が出ていく。この辺のリアルな事情はあまり語られていない。

経験上、弁当を取らなくて済む人は食費節約と栄養補給の意味でも宅配弁当を取らないほうが良い。

貧すれば鈍する、という言葉が当てはまるようだ。

経済学上も資本増殖運動と他人の労働に頼ればそれだけ財布の中からその分だけカネが失われていく。弁当を取るということは、もう二つの食糧調達ルートを設けるということ。一本化したほうが安上がりのあるのは当たり前。

 

 引用続く

ビジネスモデルとしては、

①原材料を仕入れて、それを自社工場や提携先の工場で調理し、冷蔵の食材パックにして全国の加盟店向けに送ります。

②加盟店は、そこでお弁当箱に盛り付けをして、周辺のお客様に配送します。ルートを決めてルート通りに毎日配達していく、いわゆる新聞配達方式です。

>別の展開として、配送ルートを活かして全国の老人ホームや障がい者施設に食材パックの状態での販売も行っています。1パックから送料無料にしているのですが、

@今は人手不足でどこの施設も手作り調理ができなくなっているので需要はあります

 

清水:高齢者の方が我々のサービスにたどり着くまでには3つの段階があります

、好きなところに買い物に行って料理したW⇒調理する必要はない!

都会ではおいしくて健康に良く量があって安いパックおかず売っているよ。

スーパーではなくて地元商店街の店頭販~副業が多い~。これができるのが第1段階です。

それが難しくなってきたら、第2段階では大体の場合、家族に頼ることを考えます。しかし、この場合の家族というのは主に独立した子どもたちで、それぞれ生活があるのでほとんど助けにならないんです。せいぜい、週末に交代で様子を見に来てくれるくらい。そもそもお子さんがいらっしゃらない方もいらっしゃいますし。

@地域コミュニティで頼りになる人がいれば、上記のパックおかずの買い物を頼むこともできる。

@Wの理想から言えば、地域コミュニティーコーディネイター地方自治体が寸志を出し(純粋ボランティアの時代は終わった。有償ボランティアに時代)、孤立した独居高齢者の援助システムを構築すれば、こういった高齢者宅配業者の世話にならなくて済む。

@孤立気味の高齢者が直接、日本社会の現実に向き合わなければならない状況があるから、こういった高齢者宅配ビジネスモデルが成立する裾野が大きく広がっていく。

 

W.インタビュー記事の状況認識は実にリアリティーがある!

第2段階は難しいということになると次の第3段階では、国などの公的機関に頼れないかと考えます。

この場合、主に介護保険制度(W。ヘルパーの家事支援、食事作り)を使うことになるわけですが、これで全てを賄うことはできません(介護度によって保険内の利用限度があり、オーバー分は自費)。そこで、我々が選択肢として出てくるんです

例えば、週2回、火曜日と木曜日はヘルパーさんが来て、土日は息子さんが来るから、月・水・金の穴を配食サービスで埋めようとなるわけです。⇒W.配食サービスをこのように細切れに利用する在宅はいない。たいていは週中通しで利用する

清水:高齢者向け配食サービスの業界ができたのは15年くらい前ですが、その頃からシルバーライフと同様の事業者は存在していました(介護保険制度成立前に創業したCOOk123である。代表者のこのヒトもそのFC加盟店を営業していた。)。ただ、自力で食事の準備をできないといった方がほとんどいらっしゃらなかった。高齢者人口の増加に伴って必要になってきたビジネスんです。⇒W.増加というよりも存命率が高くなりスーパー高齢者が蓄積した。

@コロナ渦で、スウェーデンと日本のノーガード方式はスーパー高齢者のジェノサイド狙いの下心が丸見えだ!

スウェーデンは本音をあまり隠す必要がないほど高負担高福祉のコンセンサスが行き届いているが、日本はホンネを隠して建前の分厚い壁を設けざる得ないなぜなら人生に置ける高福祉は保障できていないからだ。

高齢者人口は、2000年時点では2200万人でしたが、2017年時点では3514万人です。その間人口は殆ど変わっていませんから高齢者の割合が急速に増えているんです。

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⇒W。例えば2000年の時点で70歳で買い物に行って調理できたヒトの17年後、87歳。2020年90歳!

老々介護や独居率も高くなり、調理はできないし、危ない。

デイサービスで昼食を済ませても夕食は自宅。

介護保険制度の等級によって保険適応内で利用できるサービスにも限界が出てくる。

在宅独居で週中デイ利用とヘルパー調理の両方を利用できるのは施設入所も迫っているほどの要介護度の高い人オーバー分は自費だ。

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社会保障の費用を見ても、1990年前後では約47兆円程度でしたが、今では約120兆円に増えています。そのうち半分が年金です。このまま同じレベルの社会保障を維持したとしたら2030年代には170兆円必要になると言われています。働ける世代が減少していくのにこれは不可能な数字と言わざるを得ません。だから国は社会保障を減らしていかざるを得ない。⇒W,モダン、マネタリー、セオリーは無効である。なぜなら、日本の実体経済の現在位置は世界経済との相関関係の中にアリ、国民経済と国家の財政の視座において、海外にモノを売ること海外からモノを買うことは長期的には諸外国との実体経済における国民経済レベルの力関係によるからだ。日本の金融資本力~究極的には世界的な覇権によるところが大きい=円の権勢力~は実体経済の後退をカバーする程の力はない。別の表現で言えば、日本の先進企業が世界で後塵を拝するとMMTでいくら金融財政の拡張を行っても、長期スパンでは、庶民の台所を圧迫するインフレ=実質賃金の低下、スタグフレーションは避けられず、経済破綻の道を転げ落ちる。

そうすると、売上の大部分を介護保険に頼っているようなビジネスはこの先10年15年で立ち行かなくなると思います⇒W.訪問介護なども介護保険適応外の利用者実費負担のサービス収入が増加している。

すでに介護保険ではカバーできない部分が出てきていて、そこで我々のような介護保険制度がなくても実費だけで成り立つシルバービジネスが最後の選択肢として出てくるという状況なんです。

 

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清水:そのとおりです。私は実は、この業界を作った「宅配クック123」というチェーンの加盟店を15年前にはじめて、オーナー店長として売上ナンバー1とナンバー2の店舗を持っていました

業界自体ができたのが15年くらい前なので、正直言って私以上にこの業界で店舗での販売実績を作った人はいないと思っています。だから、店舗の経営のことだったらわからないことはないと言えますので、「全てお教えします」といって加盟店さんにお話をさせていただいています。

小林:加盟店側で行うオペレーションとしては、基本的に発注、盛り付け、配送だけですか?注文数の変更なども簡単にできるんですか?⇒W.注文数の変更というよりも柔らか弁当などの手間のかかる弁当は割高。

清水:そうですね。店舗調理を行わないのは、食中毒防止も兼ねています手作り調理というのは個人に資する部分が多いのでリスクが高いんです。衛生的に管理された工場で、食材を調理し菌検査も行い、リスク低減をはかった食材でないとお客様に安心・安全は提供できないのです。また、食数の増減に関しては柔軟に対応できますが、この業界では、顧客はずっと同じパターンで注文してくるので、加盟店さんから見れば発注の時点で将来のその日に何食売れるかがほぼわかっているんです。だからその部分は特に難しい事はありません。⇒W。柔らか弁当などはどの業者もかなり割高に設定されている。

   

【シルバーライフ】成長市場で差別化するのは圧倒的なスケール Vol.2

2017.12.12

引用
小林賢治(シニフィアン共同代表。以下、小林):2014年からフランチャイズのブランドとしてそれまでの「まごころ弁当」に加えて「配食のふれ愛」を増やし、2ブランド展開にされていますが、この2つのブランドにはどのような違いがあるんですか?

清水貴久(シルバーライフ代表取締役社長。以下、清水):実は違いはありません。業界内での我々のシェアを高めていこうと考えているので2つのブランドで展開しています。やりたいこととしては、1つのビルにいろんな店舗が入っていて店舗を選べると思ったら、実は経営は同じ会社だったといったような、飲食業界でやっていることに近いですね。屋号は違うけれど経営は同じ。

>最終的には、この業界内で、セブンイレブンファミリーマートとローソンを一社でやれるような存在になりたいんです。⇒W??

清水:そういうわけではなく、その時期に関東工場を作り、第2のメニュー群を作ることができたので、第2のメニュー群の生産を増やして小売を上げるために新しいブランドの店舗を意識的に増やしていったという背景です

清水:そうですね。この、まずシェアを取っていくという戦略は、今から40年くらい前の国内向けマーケットで伸びた会社はみんなやっていたことです。マーケット全体がどんどん伸びていくときには有効な戦略だからです。この戦略は、マーケットが頭打ちになっていくと通用しなくなっていくんですが、今の我々の業界は40年前の国内向けマーケット(W。スーパーマーケットの意味と解釈するが高度経済成長時代の庶民の食を預かるスーパーと日本経済停滞の時代の高齢者の食事情(絶対的貧窮化法則が起動している!を対比すればこのビジネスモデルの全体像が解る)とほぼ同じ環境なので、この戦略でやっています。そのころのダイエーさんやすかいらーくさん(W。後者はなかった!)の戦略も参考にさせてもらっています。

一般的な食品工場では大きな機械が同じものを大量に生産することで一個あたりの単価を下げます。しかし、我々の配食サービスは日常食で、毎日出すものがまったく違っているのが望ましいので、それに最適化した。日々まったく違うものを作る工場が必要になります。しかも、それを適切な単価で出せる工場です。そのような多品種ランダム生産の工場は、非常に効率が悪いので、あまりこのような工場は日本にはありません⇒W。ワタミ宅配の利益率アップも特別な生産ラインの確立にいるという。

@超労働集約産業における労働力商品の剰余価値率を高める方法は二つしかない。

長時間労働、単位時間内の労働強化

@もう一つは、生産手段への投資、改善

@しかし、利潤率を普遍的に挙げる方法は前者しかない。

そのことは、販売面で必要になることにもつながります。

多品種ランダム生産の工場で、適切な単価で生産するためには、販売規模がないといけません

>だから我々はまず店舗網を作り、販売規模を作り、工場を後から販売規模に合わせて作るということをやってきたんです。モデルとする工場がほとんどなかったので、かなり苦労しましたが、私自身も4ヶ月くらい工場に泊まり込んで一から全部工程を組み直して、なんとかノウハウは作ることができました。

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W参考資料 

工場の特徴がよく出ている写真が固定できないので本文記事参照

@建設現場のモルタル練ミキサーの要領の機器や、菓子製造ラインの改造型とおもえばよい。

見た目、食品生産にありそうなラインを工夫した感じで、そんなに複雑、高級な機器とは思えない。衛生管理はキッチリしている。仕方がないが機械生産の仕様枠内は限られているので消費者はある期間内で同じ調理品が繰り返し出現していると察知するその場合のバリエーションの付け方は機械生産ではできない。手作りならひと手間、アクセントをつけられる。

村上:スケーラビリティが価格競争力を生んで、それが参入障壁になるということですか?

清水:そうですね。まず販売規模がないとランダム生産の工場ではラインが維持できないので、まず販売規模を作らないといけないわけですが、すでに我々が低価格の販売網を全国に拡大したあとなので、今から同じような規模を作るのは難しいと思います。我々も10年前は550円で弁当を提供していたのが、スケールメリットで現在は450円でできるようになっているんです。そこに今から参入するのはかなり難しいですね。

村上:他の差別化要因は考えられないんですか?

清水:日常食の業界では、外食系のようにいわゆる付加価値戦略、ブランド戦略、差別化戦略はほとんど通用しません。肉じゃがはどこが出しても肉じゃがで、そこに付加価値をつけてストーリーをつけて高く売るということは難しいんです。

朝倉祐介シニフィアン共同代表。以下、朝倉):シニアビジネスというと豪華列車のようなラグジュアリーなものを想像しますが、現実には逆側のほうがほとんどということですね。

清水:前期高齢者(65歳から74歳の方)の場合は、ラグジュアリーな戦略もありますが、我々のメインとなる後期高齢者(75歳以上の方)に対してはまた違った切り口が必要になります。

後期高齢者の方たちは、お金の使い方が保守的で、お金をとにかく使いたくないんです。自分が何歳まで長生きするかわからない、いつ病気して入院するかわからない、定期収入はごくわずかのお金しかない、そういう状況ですと、怖くて1円でも使いたくないと思ってしまいます。第一優先が医療費で第二優先が食費なので、そういう人たちに付加価値戦略で売るといっても難しいんです。⇒W。弁当の量は付加価値と関係がない。この業態には弁当の量を増やせない、というジレンマがある。増量は価格上乗せ。

結局ターゲットは、体力が弱り食い気の無くなった年寄!

言葉は悪いが終末食業態!究極の核家族化も背景にある。

だったら、「税と社会保障の一体改革に当局が邁進すればするほど、この業態の販路は拡大するという比例関係が成り立つ。

     スケールがあれば他社は入ってこられない

小林:伸びる市場だということは、競合が参入してくる市場だということでもあると思うんですが、競合はどのような状況なんでしょう?

清水:ある程度工場も作ってやっていこうというプレイヤーも現れています。しかし、その中でも我々が最も勢いがあって伸びています。今までほとんどが地域の小さなプレイヤーだったところに我々のようなチェーンが現れて、スケールメリットを活かした販売価格でシェアを伸ばしているという状況ですね。

W個人商店が潰れてスーパーができる、という資本制の不可逆な道筋が、高齢者の食事の領域で進行しているのか。後者は命と健康に直結する領域である!

小林:そういう状況で、競合として思いつきそうなのは給食のような業態ですが、そういったプレイヤーが入ってくることはないんでしょうか?

清水:過去に何回も入ってきていますが、うまく行かず撤退していっています。実はこの事業は店舗の経営を成り立たせるのが結構難しいんです

@需要はあるので売上は立つんですが、配送コストが高くつくので、事業としてなかなかペイできないんです。

そこをペイさせるために、どのような店舗づくりをし、どのようなルート作りをすればいいかというノウハウを我々は持っているので、それを加盟店さんに提供できるということが一つの差別化要素なのかもしれません。

小林:弁当製造業から来るとラストワンマイルができず、逆にラストワンマイルを持っている人は製造のノウハウが無いということなんですね。よくわかりました。

朝倉:新聞配達に近いとおっしゃっていましたが、朝日新聞出前館と業務提携して、飲食店の宅配代行などをしていますね。

清水:彼らに製造が出来れば高齢者向け配食サービスに参入することも可能だとは思いますね。ただ、我々はそうならないようにダブルチェーンモデルでまず店を出し、シェアを獲得するということをやっているんです。

この業界はスケールメリットがかなり強めに出るんです。仕入れから製造を一括で行うことによる効率性の高さに加え、

@店舗密度が高まることによる店舗間物流の効率性向上で大きく優位に立てます。(需要の伸びとの兼ね合いもあるが、ふたつのFC システムの配達地域が競合すれば1店舗の売り上げは落ちる、という臨界点はできる。)に立てます。こういった日常食の業界では、どちらがより良いものをより安く出せるのかが完全に差別化要因になるんです。だから、後から参入してきた他社さんに対しては競争力が違うとは言えると思います。

 

@W。業界売り上げナンバーワンのワタミの配食弁当も同じことをやっている、と思うが。

@W。以前の中身のままだで改善されていないとすればワタミ配食の方がワンランク以上、上。1食当たりの価格差も¥50程度だったと思う。

第一回。「高齢者向け宅配弁当」の必要に迫らたので事情を調べてみた。大別し<冷凍>配達と<冷蔵>配達の2種類の業態。前者は産直冷凍パック、運輸業者まとめ個人宅配。後者は新聞全国末端配達店網のような超労働集約物流業態。故に収益を確保しようとすれば調理工場を全国一か所にまとめ<冷蔵>長距離輸送の店舗分配の必要があり、当然味と鮮度は落ちる。

 今は関係していないがある団体の会員になっていた頃、中心人物の一人が高齢者向けの宅配弁当を配っていると知って事情を聴いてみると、最低賃金を少し下回る時給しか出ていないという。配達時間は1時間をオーバーすると思われるので、冗談で労基法違反ちがうの?といっておいた。

 しばらくして、その弁当を見守りケアの相手にとってみることにした。手間を取らせてはいけないので配達順路で待ち構えていて、受け取り早速夕食に出してみた、ところ、即座に「コレは食べられない」と拒絶された。その日のメニューはとんかつがメインだった。見た目も貧弱なとんかつと脇にはキャベツのみじん切り、その他はあったのかなかったのか忘れるほど、申し訳程度の品だった。内心、これでは日ごろの食習慣から食えないだろうと思っていたが、今日は偶々、こういうメニューだったが以降はいいメニューが揃っているよと一々読み上げて説明したが聴いてもらえなかった。

 

 高齢者向け宅配弁当に拘るのも多少、訳があった。

2000年初頭、ある車いすのヒトはデイサービスで昼食を済ませるが、夕食は宅配弁当を取っていた。木製の勉強机のような机に車いすを寄せて机上に四角の大きな宅配弁当、足元には地方の銘酒の一升瓶。マグカップになみなみとうまい酒を注いで宅配弁当を酒の肴にやるのが一日の楽しみにしていた。その宅配弁当はなかなか豪勢だった。「すごいものくっているねぇ~」。「少し高いものを注文しているんだよ」と本人は云った。バラエティーに富んだ品は酒の肴にはもってこいだ。メインもがっつりしている。残りのおかずでご飯も食べられる。家庭料理でこういうモノを用意しようとすれば相当な手間とカネがかかる。

 以来、高齢者宅配弁当といえば、少し奮発すればいいものが食えると想いが刷り込まれた。

所があれは一時代も二時代も昔のこと。新規参入しヒトモノカネを全国規模で集中投下する収益追求型の企業が短期間に市場占有率を高め、ビジネスモデルを確立すると従来の地域企業の経営は成り立たなくなった(ワタミの宅配は熊本県の宅配業者を買収し立ち上げられた)。

先に紹介したある団体関連の配食弁当システムも顧客がすくなく広範囲で分散しているので新規参入した企業のサービス内容や労働条件に見劣る結果になった。

酒の肴の豪勢な宅配弁当も今は前の価格帯では手に入らない、とおもう。

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     余談、書き記しておくこと。

 ちなみに、車いす一升瓶の彼は脳出血で倒れたとき、偶々救急搬送された病院がその道では全国有数の手術数を誇る有名病院だったせいか、一命をとりとめたが本人曰く、後遺症で頭痛するといっては、飲酒と鎮痛剤を両用してよくらりっては、周囲をやきもきさせていたが不思議な魅力のある人だった。

術後視力が極端に落ちてTVをつけていたも画面が見えないといっていた。

座頭市のような雰囲気のある人だった。頭が良くて感がさえていた。顔を背けてジッと空間を見つめながら、相手のことを推し量っているような気配を漂わせていた。身体障碍者になって特別な感性が立ち上がる人もいるのだ。

車いす生活をおくっていても向こう意気の強さは堅持していた。それでも憎めないところがあった。妙にしおらしいときもある。「ありがとう」とはっきり口にできた。

 このヒトは目がよく見えないので机上の灰皿で煙草を消せないのが度重なってある時ぼやを起こし、アパートを追いだされ、今度は施設に入った。

一度だけ訪ねていった入所先は中規模の新築分譲マンション一角に設けられたグループホームだった。広いテーブルとキッチン、周囲に7~8部屋の個室が設置され、半分ほどしか埋まっていなかった。料理を作るという世話役の女性は元小料理屋の経営者で癖のない性格のヒトでまさにピッタリはまり役だと思った。介護責任者がどういうコネを使って入所させたのか知らないが、15年ほど前にはそういう最終の処遇ができた。

 

 知っているアルコール依存で死んだヒトは違った。

向こう意気の強さだけのまま死を迎えた。ある程度根回しの結果入った病院を飛び出して自宅に帰り、しばらくした日に部屋を出て階下の喫茶店の前に座り込んでいた。顔は末期肝臓疾患で黒ずみ、眼は黄ばんでいた。一種の狂気、むき出しのまま搬送先の病院で死んだ。一つの死にざまとして記憶に残っている。価値判断の入り込む余地のない、人間的事実だった。「酒に人生をかける」といっていたが何がそう言わしめるのか今でも想像できないが、どう生きようと何をしようと人性に意味はない。だから自由なのだ。

 今から思うとあの頃は周りが動けば、制度側にも動きがあった。今はやり過ごされるか、押し出される。

 

 横道、それ序に書き記しておくと、「座頭市」の介護責任者の死を最近知った。

事業所は規模を縮小し奥に引っ込んだ。

助けてもらいたくて電話したところ、去年死にました、と簡単に言われた。

「ガンか何かですか?」「複雑な病気で死にました」それ以上問う立場になかったのでやめたが今でもその死の事情を知りたい。

介護の世界で(知っている限り)最後まで責任を負うしごとをしていた。そういう仕事ぶりのヒトは希少だ。負荷がかかっていたのだと思う。もっとも介護の世界で仕事をするヒトではなかったが。   付録終了

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それもあって、知り合いの宅配弁当の蓋を開けたときは、愕然とした。いったいこれはなんだ、と。たぶん、見守りケアの相手よりも自分の方がびっくりしたのではないか

 それからしばらくして、高齢者宅配弁当へのこだわりが捨て切れなくて、自分でほかの業者のものを取ってみることにした。

その名を「まごころ弁当」という。近所でネームいりの特性荷物箱を取り付けたバイクにたまにお目にかかる。

 試食だけだったのか、1週間ぐらい取ったのか忘れた。

あきれ果てた。猫のエサ程度のしろものだ。それしか感想は浮かばなかった。味がどうこう言う以前にとにかく量が少なすぎる。病院食の方がワンランク上だ。

こんなものをくっていたら気分が落ち込んでくる

もっとも自分の食習慣とかけ離れていることが最大の忌避感の原因だ。

食いたいものを充分に食う。バラエティーにも気を配る。ご飯はあまり食べない。

それがなんだ、このめしは。自由の束縛である。

空っぽの弁当箱の上に張り紙で、中止してください、と張り付けた。

 

 それからかなりして、見守りケアのヒトから古い近所の友達がワタミの宅配弁当」を採っているという話がでた瞬間、ピンときた。これを糸口に偏食気味のこのヒトのために「ワタミ弁当」を取ってもらおう。そのころ、ワタミの過労死などの労働問題が噴出した後だったので、その方面からも「ワタミべんとう」に引き寄せられた。いったいどういったものが来るのだろうか。「一緒に取ろう!」

という訳で、まごころ弁当に懲りずに、怖いもの見たさも手伝ってワタミ弁当を取ることにした。

 配達の初日、配達人は「イロイロと問題を起こしていますが」などと当方が何も聞かないのに唐突にその方面の話を切り出したが、その話をこれ以上深入りさせないつもりで「そうみたいですねぇ~」と興味なさそうに返答した。

というのも、配達人の風情は、その方面の問題点に関して、何となく自分と意見が一致しているように思えたから、それ以上何を話せばいいのだという感じたった。

見守りケアのヒトとは何度か、配達人について話題が出た。いわゆるジェントルマンなのである。いろんなことをよく知っている人という感じがどことなくにじみ出ていた。ヘルパーの講習会に通っているといっていた。請求書と領収書を区別できないボケている人の対応も控えめでキチンとしている。

 ただ一つ配達に難点がある。朝が早すぎる。7時過ぎに弁当を持ってくる。戸外に置くことができるが、集金もこの時間帯になる。

今、高齢者宅配弁当について調べ切ったので、その事情は解る。

早朝配達後、自分の本業に就いている。

あるいは、あまりにも請負配達箇所が多すぎて、早朝から配らなければならない事情がある。

 肝心のワタミ弁当の中身。

まごころ弁当がネコのエサならば、ワタミ弁当は完全に人間の食い物の領域

上手いまずい、など諸々の評価基準の対象になり得る

しかし慣れてしまえば、同じ調理、素材パターンの繰り返しだとわかる。

味が食材にしゅみていない。濃い味のごまかしがきかないので決定的な欠陥である。

大きな調理容器で大量の食材を短い時間で処理すればこういうことになる。どのような手練手管を駆使しようとも所詮、調理の法則には逆らえない。食材の量と調理容器の大きさのマッチングは味を食材に行渡らせる決め手になる。

ただし、長距離<冷蔵>配食弁当配送の手順を踏まなければならない、宅配弁当業態長距離郵送途中の味の浸透具合は調節できない調理した時点で味が食材にしみ込んでしまうと、食する時点でぐちゃぐちゃになるから、中途半端な状態でやめているのではないか。

<冷凍>配食弁当の業態では上記の欠陥がいくらか回避できる

味が良いといわれているのは冷凍配食弁当の手法を取っている会社である。6食分ぐらい一編に宅配業者が送ってきて、解凍して食べていく。クレカ決済も効く。<冷蔵>業者は口座引き落としなので手続きの手間と日数がかかる。安否確認兼用などとしているが、商品手渡し、まとめて代金現金支払い、や口座引き落としがフランチャイズ各加盟店舗?(法人ではない)の独立採算制、対人密着方式に基本的に都合が良いのでその派生事項として謳っているだけじゃないのか。

 だったら、冷蔵弁当の業者は近場で食材調理をしたほうがよさそうなものだが、そうはいかない。

この業種は基本的に労働集約産業であり、労働力商品の経費節減には限界がある。調理品種は多種に及び、大量生産できる生産設備にも限界がある。

以上の条件下では、一か所に大きな調理工場を集中し各食材調理に対応力のある生産設備を開発し生産性を高め、収益をアップするしかない

例えば、まごころ弁当。群馬県の工場以外に工場を持っているという情報はない

多分ここから、冷蔵された商品が全国配送拠点に輸送され、そこから各地域の配送所に転送されているフランチャイズ制の地域末端配送所(コンビニ各店舗よりも超単純作業)は段ボール箱に入った商品を容器(使い捨てではない)に分配するだけだ

どちらかといえば、新聞配達店舗とよく似ている業態である

そもそも、普通にやっていれば、大きな利益の出ない業態である何事かの荒業が必要になるが、堅実に儲かる業態であるのは、複数の会社の報告で確認できる

 ワタミ弁当を止めたのは、自分の取っては元々その必要は全くなかったということ。正直に言えば、割に合わない。2か月取ってやめた。見守りケアのヒトにはその必要性を説き続けたが、かわいそうになってきて止めようといった。わざわざ窮屈な思いをすることはない。食いたいものが食える人はその幸せを満喫すべきである。

それに1食だけだと、物足りないので結局、今までとあまり大きく変わらないほど外に買いに行くので、不経済。食料の供給源がスーパーと配食の二つに分かれているのは輸送費が掛かっている分だけ結局不経済ということだ。

 

 ところがいま、再び高齢者宅配弁当の必要に迫れれてきた。

理屈はさて置き、もう一度、宅配弁当を取ってもらった方が、見守りケアをやり易くなると考えた。

そして徹底的に調べた。

ベテランのヘルパーさんに「どこがいいですか」と聞いたのは、簡単に言えば、クチコミみたいな調子で教えてほしかっただけだった。

「ケアマネさんに聴いたら」という。

クチコミレベルの情報でよいのだ。

とりあえず、話をする前に調べてみると、もうほとんどこの業界の全貌が解ってしまった感がする。

>調べていた当初、まごころ弁当配食ふれ愛を立ち入って調べていると、こんがらかってきた。会社の概略を筆記メモするとすぐわかった

>両者は同じシルバーライフという運営会社が二手に分かれて運営するフランチャイズシステムだった

>その理由は代表者自ら語っている。要するに市場占有率を高めるために二手に分かれて、市場新参者の参入障壁を高め、同じ業態で先行しビジネスモデルを確立した同格他社を蹴落として、経営の管制高地を獲得し、収益率を高めたいのだ。

>ネットのコメントを見ると、この事実さえ知らないものが多数ある。つまり二つのフランチャイズの運営元の思う壺にはまっているのだ。

事実を重んじるWは近在の一方に何度電話しても繋がらなかった。前まで出向いて外景を確認した。配車バイク1台の荷台ネーム無し。とりあえず場所だけ確保しているといった状況丸出しだった。もう一方の方も航空写真ではうらぶれた駐車場に多くの配車が並んでいる。

要するに両者とも日々の仕事に追われ、安否確認などと云うきめ細かいレベルに配達員が対応できる状況にないと見て取れる。新聞配達店の方がもっと小奇麗だ。もっとも大きくは伝統的な制度の規制に守られた新聞業界と新しい制度の業界の差はあるが。

                時間不足で今回を第一回とする

>次回は調べ上げた事項を具体的に並べていく。

2020-03-25反俗日記の編集再録。日本及び日本人の国家「共同幻想」は構成員に自己犠牲を強いる構造。ケガレを、 人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ、不安と結びついていると定義すると、それは現実に対する動物的忌避感に。2021年五輪固執はケガレに対する禊、ハレ願望。

twitter.com

反俗日記wacwac。

 下記をハレとケ、ケガレを探究する目的で4本の記事を去年メモしたが、アップせず、自己学習にとどめた。

>下記のダワーの文脈が異常に気になり、そのままやり過ごすことができなかった。

         ~ジョンダワー本より

この本の全体像は歴史家として特記すべき細部のディテールをきちんと押さえ、その積み重ねによる叙述という実証主義の基本スタンスがはっきりしているが、文脈から受ける印象は日本の原住民性を逆なでするところ。

「敗北を抱きしめて」とかいう岩波書店の邦題も本の中身にディテール、文脈を反映していない。原典のタイトル、「第二次世界大戦における日本の目覚め」に添うようにすべきだった。そうすれば当時のアメリカと日本の立ち位置がはっきりし、ダワーも批判する占領軍とアメリカの欠陥も読者は想起できる。

 

   ダワー本。引用開始
外国人が『従順な家畜』の心理と嘲笑った大勢順応主義は、日本人の間ではもっと当たり障りのない言葉で表現されるのが常だった。
@世の中の上下関係に敏感で身の程をよくわきまえるという感覚が、この順応主義を生み出すうえで欠くことのできない要素であったが

W。日本人の深層心理における戦前と戦後の継承性はどういう具体的な事例によって遂行されていくのか、すりこみの具体例。丸山真男の論法をまねている。

@同時に、それは、人々にとってなじみ深い価値や行動や象徴といった要素を含んでいた。
 占領時代にはGHQによって禁じられていた日の丸や国歌「美俗」の一部と意識されていたし、
 ①W。習俗。村祭り、みこし、盆踊り、伝統的な結婚式や葬式、感傷的な流行歌、茶道、武道、親孝行、勤勉さ、年長者に対する尊敬の念、女性の美徳の数々、『義理』と『人情』の葛藤を美化する感覚外見やメンツを気にする態度、そして和の尊重といったものも『美俗』の一部であった。
 ②天皇に対して感傷的になったり、卑屈な態度をとることも、民衆意識の一部であった。
 ③W。当時の雰囲気を再録しなければならない⇒このことはマッカーサー元帥個人に対して、また一般的にGHQに対して日本人が見せた態度の中に劇的な形で現れた。
>あらゆる階層の日本人が、それまで天皇にしか抱かなかった熱狂をもって、この最高司令官を受け入れ、ごく最近まで日本軍の指導者に示してきた経緯と服従を、GHQに向けるようになったのである。

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W。

 >もちろん、①新型コロナウィルスの現状と、

福一原発事故のザ、シュチュエーション イズ アンダーコントロールという2020年東京五輪誘致に向けた発言と誘致運動

を重ね合わせ、その根底に何かを読み取りたいという意図もある。

 

@<OMOTENASI>とかいういけシャーシャーシャーとした恥知らずな発言に今の日本の一部のリアル動態が集約されている。

@そこには外国人観光客頼みの極一部日本の現状がある。

@にもかかわらず、日本の観光客誘致は世界的に見て大した位置にない。

各国・地域への外国人訪問者数ランキング|統計・データ|日本政府観光局(JNTO)

W.リピーター数が少ない!

 

さらには、感染当初、検査数増加を求める当たり前民主政の要求に対する、湧き上がる反対の声

>事態は新型コロナ以後を見通す視座が必要なのであって当初の段階で検査数の増加を求める民主政として王道を行く要求をスルーする政府や当局の行為、およびそれにピッタリ寄り添って民主政の要求を攻撃する政治構図は後に、庶民レベルに災いとなって降って来る。

民主政は最初から予定調和できず、ジグザグは織り込み済みでなければ機能しない検査数増加の要求に答える政策は長い目で見ると間違いではない!

 以上が日本の政治を動かしている顕在的潜在的動因の一部なのだ。

 

>もちろん、ダワーはハレとケ、ケガレを探究する研究書を踏まえたうえで日本人の「美俗」を列記しているのであり、この分野について探求しておく必要があると感じて、公開することに決めた。

 さらにCVID-19を取り上げた前々回の記事を書きながら浮かび上がった問題意識と根深い疑念なぜ日本の当局は当初の段階において、検査数を増やすという民主政の常套手段を踏まないで、多数の市中感染者の検査ハードルを高く設けて放置できるのか。への探求という意味もある。

>この対応は世界に類を見ないものであり、その根底には日本独特の何かが潜んでいると考え過去のハレとケ、ケガレメモを公開する。

 結論的に言えば、

日本及び日本人の「歴史」、文化伝統的国家「共同幻想」はその構成員の内輪の自己犠牲を強いる構造を持っている古事記日本書紀平安時代藤原氏系の朝廷内権勢の正当化、と言われている)。

そして階級差が顕著になれば物質的生物的家族的弱者の犠牲に結果する

@もっともこの傾向は日本だけではないが日本当局だけが最初からその道を選択している。

      

wacwac。①は何となく感覚的にわかるが

    >②とは何か?①との関連は?

ほんとうにこのような事態があったのか!

民衆意識の根深さ=根深い軽薄さ=根深い衣装性、を感じる。

 このような心情はGHQアメリカが天皇を自らの占領支配や以降の日米関係に利用する強固な意図がなくても、眼前にリアル欧米強者が提示されると反抗する契機は予め喪失している、とみる。

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         ハレとケのはざまで http://apolohal.jp/st2-15.htm

 >W。このURLには今は別な記事が記載されている。
 <柳田 国男>
日本人の生活を「ハレ」と「ケ」に分類し、「ハレ」の生活を年中行事、
神祭り、盆、正月、冠婚葬祭など非日常の生活
それ以外の日常の生活を「ケ」と定義した

 

>しかし、1970年ごろから「ケガレ」という概念が、日本人の生活に影響を与えたという説が提起された
桜井 徳太郎氏は「ケ」とはを成長させる力を意味し、

それが無くなる状態を「ケガレ」といい、

それを回復する状態を「ハレ」といい、
日本人の日常生活

「ケ」から「ケガレ」「ケガレ」から「ハレ」「ハレから「ケ」へと循環すると主張した。←W。日常性に無常を抱え込んでいるのだな!それでは、大地に根を張った思考形態は生まれない。やろうと思えば隠者になるか、修行者になるしかない。
 
>「ケガレ」という観念が日常生活に影響力を持ち出したのは、平安時代の貴族社会が始まりである。

  

  <網野 善彦>は「日本の歴史を読み直す」で

「ケガレ」を、
人間自然のそれなりに均衡のとれた状態欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ不安と結びついていると定義している。←W。

        ↓

東日本大震災福島第一原発事故(ケガレ)⇒東京オリンピック開催追及(ケガレ感の否定としての魂の清浄化~禊~⇒こじ付け無理やりのハレの大イベントの執拗な追求⇒「神」は見捨てた(第二次世界戦争東京五輪中止に引き続く、コロナ渦の2度目の五輪中止の大難事)⇒この文脈で森喜朗の首相在任中の日本は神の国発言を踏まえ、今もなお2021年に延期された東京五輪に執着する姿勢の深層心理を読み解くことができる。

 なお、Wはその手の思想信条を、あまりにもかけ離れた対抗軸にあるものと認識しているが、ヒトは十人十色、自由、という意味で認めるが、いわゆる右翼が政権を担当しその政策を実行するとロクなことがなかった、と総括している。

 戦前は云うまでもなく、高度経済成長を引き継ぎ先進諸国の中で持続的経済成長を維持していた時期の中曽根政権の時期の基本政策が後の日本の災厄を決定づけたとみている。

先進諸国は行き詰まりの中から家族制度や経済の構造改革をせざる得なかったが、中曽根は逆向きのことをやり、プラザ合意受諾から日本バブルとその崩壊、長期経済停滞に至る。その長い道すがら、改革は検討違いのモノばかりだった。もっともこの長期経済停滞は戦前戦後をトータルした世界経済史の視点から見ると歴史的な必然事項だった、反俗日記において根拠を繰り返し提示している。

 

新型コロナウィルス発生(発生当初から検査数を増やせば医療崩壊=人間と自然のそれなりの均衡状態の大欠損⇒現実直視を避けたいという忌避感に突き動かされる根底には<ケガレ意識>が潜んでいる。
W。集団ノイローゼ発症。それなりに必死の思い。TV報道はそれにつけこんでサブミナル効果を狙って独特の恐怖感を煽るアナウンスをする。

     死亡は死穢

誕生は産穢火事は焼亡穢というふうに日常生活のあらゆるバランスの変化ケガレと結びつくと、←W.道理ではなく皮膚感覚の類!ただしそれが純日本産のものかどうかまで疑ってかかる必要がある!
 それを清める人や行事が必要になってくるそれが「ハレ」の行事である。W.丸裸にふんどしの大相撲もハレの行事に相当
その代表行事が祭りであるが、←W.ナルホド!原始宗教レベルだ

人間のほうでも「ケガレ」を清める専門家の「清目」が出現する。
かれらは神仏に直属する神人や寄人として位置 付られ、差別を受ける存在ではなかった。
>しかし、神仏の権威が凋落するにつれ、いつしか賎民視されるに至る。

       ↑

W.網野史観。間違っていないが、網野史観はこの構図で日本史を説明しようとしているところがあるので、賛同できない。

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 LIFESTYLE https://w-sc.jp/haretoke/ ~WOMEN'S SHOWCASE~

日本人の世界観「ハレとケ」を見直す―SNSに惑わされているあなたへ
SNSや雑誌のモデルどうしてあんなにキラキラしてるの?~

W.以下は民俗学的な概念規定からすれば通俗極まりない ハレとケの解釈である。この解釈では、<ケガレ>という稲作、古代天皇制以降に発出し社会化した日本人独特の忌避感は説明できない。

 

  引用

「「ハレとケ」について 

「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」「晴れの日」「晴れの門出」 


日本人は農耕文化で非常につましい生活を余儀なくされてきました。その中で日常と非日常を上手に使い分けて生活を楽しむことをしてきました。⇒W?ムラ掟、違反者への過酷な暴力制裁、間引きなど裏面はどうなんだ、ということ。

  「ハレ」は「晴れ」と言い換えることができます。
「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」「晴れの日」「晴れの門出」といえばイメージしやすいでしょうか?
結婚式や成長に伴う行事の日やその時にお召しになる衣装の事ですよね。とにかくそういう日にできるだけ着飾って行事を楽しんでいました。
  「ケ」は日常
ハレは特別な日ですが、そんな日は1年に数日…で後はあまり変化のない「日常」が大半です。それを「ケ」と呼びます。
毎日が面白おかしく暮らせるわけではない、
>「ケ」があってこそ「ハレ」にはじける思想は今も感じますが昔から日本人にある習慣なのですね。


    「ハレとケ」の思想は柳田國男から
この思想を明確化したのは日本の民俗学の父とも呼べる柳田國男さんです。
日本人はハレの日にはそのための食器さえ特別なものを用意し、お食事も豪華にしていました。
宗教的な行事ごとに特別感を出していた諸外国とは違う日本独特の生活の時間観、世界観なのです。
>しかしこの世界観を伴った対の言葉である「ハレとケ」の「ハレ」という言葉は今も使われていますが、

「ケ」は明治時代以降あまり使われなくなっています。
>そのことについて柳田國男さんはハレとケの区別の曖昧化が進行していることを昭和初期に指摘をしています。

       ↓   ↓
    <現代は「ハレ」ばかり>⇒W。だったら、人間自然のそれなりに均衡のとれた状態欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ不安

が社会の根底部で一気に噴出する。

 

現実に対する忌避感が動物的感覚で沸き起こってくる。

@それが政権党の政策に反映する。あるいは反映してきた、という歴史視座から日本史を総括すればどういう絵柄になるのか?

@右翼が政権と取るとロクなことはない。戦前の皇国史観の自他ともに認める第一人追放された平泉教授は日本会議の創立メンバーだった。

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>冒頭の雑誌の特集の例もそうですが

>現在の時間の切り取り方は「ハレ」の部分のみです。
>それはそれで構わないのですが、だからといって彼女らが「常にそんなゴージャスな暮らしをしているのか」は別だと思いませんか?
>一部のセレブはそうかもしれません。
>でも、彼女らも仕事の中でも家庭においても地味で堅実な案外「人間臭い」暮らしをしているのではないでしょうか?

    <SNSの友人も特別感の演出かもね>
「雑誌の中の芸能人は特別ってことは分かるけどFacebook,Twitter,Brogの友人も自分よりいい暮らししてる!うらやましい」って思っていませんか?
>どの媒体を使うにしても、どうしても「見られる」ことを意識します。
>だったら「日常」よりもちょっと離れた場面をどうしても切り取ってアップしますよね。
自撮り写真1枚にしたって何度も撮りなおす若い女性のなんと多い事か!これはすでに非日常「ハレ」に近いんです。


  「うらやましい」はより自分を良くして行こう!という活力につながります
>でも人っていつも「非日常」の中にいては疲れますし、

>非日常を日常と勘違いすることでより刺激的なものを追って自分の足元が見えなくなってしまいます

W.政治の常套手段は民衆に非日常を開示し、自らの政治意図に巻き込むこと。

W.戦争は他の手段をもってする政治の延長である。クライゼビッツ。

W.諸君砲撃したまえ、さらば国民は団結せん。ヨーロッパの君主。

W.東日本大震災福島原発事故、長期経済停滞→ここは一発、東京五輪で起死回生。石原慎太郎。~~真面目な保守ではない。こういう蠢動に天は見捨てた。
>それが行き過ぎると自分の収入以上の暮らしを求めて家計を顧みなくなったりW、国家レベルに置き換えても的外れではない!その手の重厚長大有効需要創出は時代遅れ!)またSNSのやりすぎ投稿などの一因にもなりかねません。


      <日常こそ大切に>
生活(日常)って平凡でつまらないものです。その「ケ」の部分を大切にするから「ハレ」の日を喜びを持って迎えられるのです

W.優先順位は五輪開催よりも天変地異への備え。

W.来年に延期すると、現状改革や政治的自覚は先延ばしにされ遅れる。
>今こそ日本人の世界観を「ハレとケ」を見直してあふれかえった「非日常」めいた情報に振り回されないでほしい。そう思います。

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      ハレとケとケガレ

http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/onryo/onryo05.htm

W。全面的に引用する。丁寧な研究記事である。

上記にあげた記事をもっと踏み込み死生観、宗教世界観の領域まで論じている

参考になる!

 

  引用開始

「人は誰であれ、生きていれば何回かは親族の死に立会い、あるいはまた、他の誰かの葬儀に参列することになりますね。
自分の親族の葬儀なら、喪主は葬儀の後に飲食会を開きます。

いわゆる『お清め』です
お清め(お清め塩)がいつごろから行われるようになったのかはわかりませんが、これをお清めということは、逆に葬儀はお清めの正反対にあると言えるでしょう。
と言うことは、葬儀は清らかなことではない、ということになります。
なぜかと言えば、

葬儀を執り行なう、あるいは葬儀に参列することによって目に見えないが極めて抽象的なものが身についてしまうので
その『身についたもの』を取り除く行為をしなければならない、ということです。←W.今の葬儀社は葬儀の後の飲食会などは省略する傾向があるので葬儀=清め。この筆者も後段でそういう論理を展開している。

それがお清めです
 

 では一体何が身についてしまうのか。
 それは『ケガレ』と言われます。

お清めとは清らかにすることであり

ケガレとはその対極にあって不浄とされるものです。
抽象的であり精神的な感覚上のものですから、どんな科学技術の最先端を行く精密な分析装置であってもこれを検出測定することはできません。
洗濯なら衣服についた汚れを、入浴なら汗や埃を洗い流すという具合に、洗い流す対象ははっきりしていますし、その効果も実感できるのですが、
     ケガレとはあくまでイメージなのです。

     ケガレの反対語、つまり清浄な状態を一言で表す言葉→『ハレ』
>我々の祖先は葬儀、いや、人の死をケガレとしてとらえていたし、それに接するとケガレが身に付くと考えました。
>ではケガレの反対語、つまり清浄な状態を一言で表す言葉があるのか、と言えばあるのです。
>それを『ハレといいます。
晴れ姿、晴れ着、晴れ舞台、晴れの日(入学式、卒業式、結婚式などの日)・・・ハレとはこのようなことをいいます。
     
     日常のことは『ケ』=食事に関係するもの
>ハレもケガレも特別なことであって、日常のことではありません。
>日常のことは『ケ』といいますが、結論から先にいいますと、ケとは食事に関係するものなのです。
普通の国語辞典には載っていないかもしれませんが、

大辞泉小学館)にはこのように載っています。

    『ケ』と発音するもの

<毛 作物。特に稲の穂の実り>
食 食物、食事
笥 食物を盛る器

>褻 正式でないこと。また日常的なこと

一毛作二毛作朝餉(あさげ)・夕餉(ゆうげ)と言うのはおなじみかと思いますし、
ケ時ケどき・・・食事時のこと)
ケツケまいり(田植えが済んだことを神に報告し、豊作を祈願すこと)という言葉もあるようです。
   ↓
もう少し具体的に書きましょう。

ケガレは四季の移り変わりで自然に発生
< 刈り取><田は枯れた状態>ケ=(稲の穂の実り)ガレ 
稲は夏に田植えをして秋には刈り取ります。

< 刈り取るということは、田は枯れた状態>と同じです。これがケガレです。
稲を刈り取った後に行われるのは豊穣祭です。五穀豊穣を神様に感謝するお祭りです。このお祭りがハレなのです。

結婚も入学・卒業も日常のことではありません。

それを日常に軌道修正(?)するのが結婚式であり、入学式、卒業式ということになります。その日に着る服は、もちろん晴れ着です。
   
人為的に発生するケガレ=罪<天津罪(あまつつみ)と

国津罪(くにつつみ)>(神話時代)
>このようにケガレは四季の移り変わりで自然に発生するものですが

>人為的に発生するものもあります

それが罪(つみ)で、古代(神話時代)考えられた罪は天津罪(あまつつみ)と国津罪(くにつつみ)です。


●天津罪

畔放(あなはち) 田の畔を壊すこと
溝埋(みぞうめ) 田に水を引く溝を埋めること
樋放(ひはなち) 田に水を引く樋を壊すこと
頻播(しきまき) 他の田畑で作物の生長を妨げること
串刺(くしさし) 他人の田畑に杭を立てて、収穫物を自分の物だと主張すること
生剥(いきはぎ) 生きている馬の皮を剥ぐこと
逆剥(さかはぎ) 馬の皮を尻の方から剥ぐこと
屎戸(くそへ)  祭場を糞尿などの汚物で汚すこと

●国津罪

生膚断(いきはだたち) 人に傷をつけること
死膚断(しにはだたち) 人を殺すこと
白人(しろひと)    肌の色が白くなる病気
胡久美(こくみ)    瘤ができること
おのが母犯せる罪    近親相姦
おのが子犯す罪     近親相姦
母と子と犯せる罪    他人の女とその娘を犯すこと
子と母と犯せる罪    他人の女とその母を犯すこと
畜犯せる罪 獣姦
昆虫の災 昆虫やムカデ、蛇などによる災難
>高津神の災 雷など天災地変による災難
高津鳥の災 空を飛ぶ鳥による災難
畜仆し(けものたおし) 家畜を呪い殺すこと
蠱物(まじもの) 他人を呪い殺すこと

これに対し国津罪は近親相姦のタブーや、自然現象としか思えないようなものもあります。
近親相姦がタブーなのは、それを続けると一族の滅亡につながるからで、これは古今東西を問わずどこの世界でも共通のものです。
また昆虫や鳥の害を罪というのは、古代にあっては災害は自然現象という考えがなかったことによります。

天津罪に生剥というのがあります。

>動物の皮(毛皮)を剥ぐとは、そこに生えている毛が枯れることです。
>つまりこれもケガレの一つなのです。

ここから転じてケガレとは、人や動物の死を意味するのです。

>ですから死、葬儀はケガレなのです。W?

こうしたケガレを浄化するハレは定期的に行われるものがあります。たとえば大祓です。
月のそれを年越の祓(としこしのはらえ)といいます。

 

また定期的ではなく臨時に、罪が発生した時に行うものもあります
>それが禊(みそぎ)です。

W.禊ならば簡単にやめられない。2021年延期された五輪は。切羽詰まっているのだ。


 <古代人は、罪を物質的なものと考えていた。>

               W。本質的な思い
そして、罪を犯した本人が刑罰を受けたのちもなお、罪に宿る災気は去らず、天地に浮遊し、人びとの生を脅かすと考えていた。
>だから罪を犯したものに刑法上の制裁を課したあとでも、

*なお「祓い」という呪術宗教的儀式を必要としたのである。(日本の歴史1 神話から歴史へ /

ja.wikipedia.org

 引用

「後年は、『日本書紀』や律令等の古典籍の注釈を専らとし、特に律令の注釈は石母田正らと編集した『日本思想大系 3 律令』(岩波書店)に詳しい。

井上の歴史学の方向は、恩師坂本太郎が、構築した実証主義的アカデミズム歴史学を継承したもので、日本史学史上、坂本の後継者と位置づけられている。またマックス・ヴェーバーの理論や、津田左右吉記紀批判を継承して、律令制以前の政治社会組織研究の基礎を形成した。

大学院に進学すると「奈良遷都以前の社会と仏教」を研究課題に選び、仏教思想史の研究を志す。その際の指導教官には、国史学科で中世思想史を担当していた平泉澄

コトバンク引用

「1895‐1984(明治28‐昭和59)
歴史学者福井県生れ。1919年東京帝国大学文学部国史学科を卒業し,講師,助教授を経て,35年教授となった。日本中世史の研究者であったが教授就任の前後から熱烈な皇国史観の主唱者となり,戦時下の国史学界をリードするとともに,軍部との関係を深め,社会的にも大きな影響力をもった。

>太平洋戦争降伏阻止のため皇居を占拠するクーデタ計画(宮城事件)を立てた陸軍将校たちもその信奉者であった。←W.未調査。調べてみる!敗戦後東大を辞して,郷里の福井県平泉寺の白山神社に引きこもったが,思想的立場を変えず,皇学館大学学事顧問,日本を守る国民会議発起人などとして活動した。」

「1926年に『中世に於ける精神生活』『中世に於ける社寺と社会との関係』を刊行、文学博士、助教授となる。学位論文「中世に於ける社寺と社会との関係」は、アジール論の展開で学界の注目を集めた。1930年(昭和5)渡欧、ドイツ、フランス、イギリスなどを歴訪して翌年帰国。国史学の骨髄』(1932年)、建武(けんむ)中興の本義』(1934年)、『万物流転』(1936年)などで国粋主義的立場を鮮明にし、皇国史観を主張し、青年将校などに影響を与えた。1945年8月、敗戦直後に大学を辞し、郷里に隠棲した。[佐藤和彦]W.学問的業績は加工されて引き継がれているとみるが、意識が存在を規定するのではなくて存在が意識を規定する!

井上光貞、引用に戻る 

倫理学教室の主任であった和辻哲郎を選ぶ。これについて井上は、平泉の学問的業績は認めつつ右翼的臭味」を帯びたその歴史観(実証する時と場所と現状分析の区別と関連はどうなっていたのだろうか?ハマれば時代の寵児。)を敬遠したためと、西洋趣味の家風に育ったため、少々野暮に過ぎる国史学科の日本趣味が合わなかったと自伝に記している。

さらに、日本史を世界史的視野で捉えようとする井上の歴史観の形成に、後年のインド・アメリカ訪問の際の経験も大きな影響を与えた(W。本当にこんなことができたのか?)。以上のような多彩かつ多角的視野に立脚した学問的素養の上に、井上は確実な論証を以て史学研究をすすめていった。

研究や古典籍の注釈の他に、教科書や概説書の執筆も数多く手掛けた。」

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  元の引用に戻る

「*禊をするのは、罪に宿る災気を洗い流すためです。

    もちろん災気はケガレなのです。

>この中でケとケガレはある程度密接(?)な関係がありますが、
*ハレはこの二つから離れて上位に属するように思えますがどんなものでしょう。

>さてケガレとされるものは前記のように人や動物の死をはじめとして、
*出産、女性の生理、火災、などがあります。
中でも死のケガレ(死穢)は最大のものです。

*出産や生理に伴う出血は死を連想させるため、ケガレと考えられるようになったのでしょう。
>死をケガレとする理由は大体見当がつきます。

死体は腐乱し、腐臭を放ち蛆がわきます。
放っておいては周囲の人は耐えられませんし、疫病の原因にもなります。

 

*古代の人は疫病は悪霊・怨霊の仕業と考えましたが、

>それは死のケガレと関係すると経験的に考え<死者を隔離>するようにしたのでしょう。
*隔離する場所はもちろん墓です。
*死というケガレに対す<ハレは葬式>であることはいうまでもありません。
>こうなると葬式の元々の目的は故人を偲ぶことより、ケガレの浄化だったことになります。

W。この論文の冒頭の文脈とは違うようだ!

W。今風の葬式風景に置き換えると、葬式=ケガレの浄化とショートカットされる。

人間的である。

引用する

「自分の親族の葬儀なら、喪主は葬儀の後に飲食会を開きます。
いわゆる『お清めです。
お清め(お清め塩)がいつごろから行われるようになったのかはわかりませんが、これをお清めということは、逆に葬儀はお清めの正反対にあると言えるでしょう
と言うことは、葬儀は清らかなことではない、ということになります。
なぜかと言えば、
>葬儀を執り行なう、あるいは葬儀に参列することによって、目に見えないが極めて抽象的なものが身についてしまうので、
その『身についたもの』を取り除く行為をしなければならない、ということです。」

                            引用終わり

>古今を問わず死は人間にとって最も忌み嫌うものですから←W?古今?果たしてそんな簡単に言い切って良いのだろうか?死ねば楽になれる場合もある!一神教の世界ではどうなのだろうか?Wは死を平常心で受け入れたい。大きな手術をしたが手術室に向かうまでの道中、ヤッホーとさけびたかった。全身麻酔が取れたとき、死んでいればよかったと実感した。自己総括はできている。新型コロナウィルス?恐れも楽観視も一切ない。ほんとうのことが知りたい。ただそれだけだ。

>それに携わる穢多・非人等、動物の皮を剥ぐことを生業とする人々が古代より差別されてきた理由の一つがこれなのです。

W。?古代より差別?どの「歴史書」によって実証できるのか?
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>死を忌み嫌うのは人類共通としても←W?死を忌み嫌うのが人類共通ではないというのがリアルだから、ケガレとする民族が際立つのだ。

>タダシ、ケガレ感は日本古来からあったのかどうか、が歴史を考えるうえでキーポイントになる。

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>「それをケガレと考える民族は日本人くらいなものでしょう。
(穢多も非人も現代では差別用語ですが、歴史上そのような言葉が存在したのは事実ですからあえて使っています。)
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では日本人は、いつごろから死をケガレと考えるようになったのでしょう。

      イザナギイザナミ夫婦の話>
>*ケガレが前記したように稲作文化とともに伝わった*とすれば、
*伝わる以前はそのような考えはなかったことになります。
ここで思いつくのが、日本神話にある<イザナギイザナミ夫婦の話>です。この話の詳細を書く必要はないでしょうから、要点だけ書くことにします。


妻のイザナミに死なれたイザナギは嘆き悲しんで、その遺体を出雲と伯耆の国境にある比婆山に埋めた。
しかし妻を忘れられないイザナギは、黄泉比良坂を抜けて黄泉国に行き、イザナミに会う

ところがイザナギは、腐乱した妻の変わり果てた姿に驚き逃げ出してしまう
>怒ったイザナミ黄泉国の女と一緒にイザナギを追いかけるが、
*黄泉比良坂の坂本まで逃げてきたイザナギは、そこに大きな石を置いてそこからイザナミが出られないようにした。

>坂本(さかもと) :坂を降りきったところ。つまり黄泉国を下ったところに現世はあることになる

余談ですが、イザナギが置いた石は、いわば<結界の証>です。
イザナギの場合は、そこよりこちら側は現世だから入ってくるな、という意味ですが、神社などでは神域(清浄域)を指します
神社では注連縄(しめなわ)が結界の意味になりますし、地方へ行くと道端に<道祖神>と刻まれた石をしばしば見かけます。
道祖神は村のはずれに置かれましたが、これは村に外部からケガレが侵入してくることを防ぐ意味があるのです。
*************************************

さてこの神話で私が注目するのは、

<妻に会いたいというイザナギの願いが叶うというところです。>

死んだイザナミは黄泉国に隔離されますが、黄泉比良坂を登ってそこに行きさえすれば、会えることに変わりはありません。

     これは何を意味するのでしょう?
>が結論からいって、<死は生の延長線上にある。生と死は連続性を持つということではないでしょうか?

>私達は、死は生が断絶したものと捉えています。もう二度と会えないから家族や親しい人の死を悲しむのです。
>しかし神話の時代には生と死は断絶ではなく、住む世界が違うだけで、連続したものと考えられていたのではないでしょうか?←W。吉本隆明共同幻想論」を読みたくなった!

 *死が、いつから生の断絶と考えられるようになったのかといえば、
 *それは稲作文化と共に大陸から伝わったのではないでしょうか。
     
 *そして仏教の輪廻転生の理論によれば、人は死ねば別のものに生まれ変わるので、
 *その意味では生まれ変わる核(阿頼耶識)になるものには連続性があるかもしれませんが、
 >>体は朽ち果てるので死は連続ではなく断絶になる、と考えられるようになったのではないでしょうか?←W.仏教は精神と肉体の素朴な二元論なのかどうか?

 *死が生の延長線上にあるなら、<<神話時代>>の人にとって死は恐怖ではなく、ましてケガレでもなんでもなかったのではないでしょうか。
イザナギは大岩を結界として坂本に置くことで、イザナミが追って来られないようにしました。この岩がなければ、彼女は黄泉国(死の国)から葦原中津国(現世)に戻ることができたのです。
*かつて日本人にとっては生と死の境界線は不明瞭だった*、というほかありません

W.今だけカネだけ自分だけの世界では死への恐怖心は募る。

W.現代版ケガレ感が蔓延るのも止む無し。見たくないものは見ないように蓋をする。

W.ラジオの鴨長明特集番組で仏教の不浄修行ということを知って、魅かれるものがあった。「方丈記」は災害直視読み物でもある。

 当時の鴨長明批判者は長明は不浄直視せず、文献引用が多いと批判している。リアル鴨長明は悟りの境地と現実世界の諸々との間に煩悶を自覚しながら生涯をおくったヒトだった。だからWは訳知りの古典の中で長明に魅かれる。

W。圧倒的な修行達成者(庶民レベルだ)は無告のまま死んでいったが歴史は書かれなければならぬ至上の境地に至ったものは、文を捨てる。行為はある。

W.要するに、中世初期から最大のケガレ=惨たらしい死に様リアル直視の問題意識は仏教者の間にあった。

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   しかし、だったらなぜ、黄泉国から逃げ帰ったイザナギは川で禊(みそぎ)したのか、といわれるかもしれませんが、
>屁理屈を承知で言えば、イザナギ<妻の腐乱した姿をケガレ>←W.即自的動物次元の感覚と考えたのであって、<彼女の死>んだ姿←W。共同政治幻想、ここは感覚だけの世界の問題ではない。かつて日本人にとっては生と死の境界線は不明瞭だった*ケガレとは考えていないと思うのです
黄泉国から逃げ帰ったイザナギは、ケガレを流すため日向国の阿波岐原というところで禊(みそぎ)をしました。
水の中に入るのですが、この最中に次々に神々が生まれます。
最後に左目を洗った時天照大神、右目を洗った時に月読命、そして鼻を洗った時に素戔嗚尊が生まれています。
************************************

>川の水でケガレを洗い流すという考えは古代中国にもあります。(というか、こういう話が日本にも伝わったのかも)

>私は死が生の断絶として捉えられるようになって、はじめて人は死を恐れるようになったし、
ケガレ意識も生まれるようになったと思います。
その意味で、  

<稲作文化の伝来から仏教伝来にかけての時代は、日本人の死生観の転換期>にあたるのでしょう。
************************************

<古墳などの陵墓には、死穢を封じ込め、外部に出さないための結界としての機能>があったと思われます。
>死穢の大きさは被埋葬者の身分、権力に比例すると考えられ、
>身分が高ければ高いほどまた権力が大きければ大きいほど死穢も強力になるので、
>それを封じ込める陵墓は必然的に巨大化せざるを得なかった・・・単なる想像ですが、私はそんなことを思っています。
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 自然に浄化させるより、火の力で浄化させる方法=火は清浄なもの 巨大な古墳や、長期間の殯 禁止したのが大化の薄葬令(646年)
しかし仏教が広まると、時間をかけて自然に浄化させるより、火の力で浄化させる方法がとられるようになりました。
いうまでもなくこれが火葬です。火は清浄なものなのです。

巨大な古墳や、長期間の殯は周囲の人にかなりの経済的、精神的負担を与えます。それを法で禁止したのが大化の薄葬令(646年)で、
これは簡単にいえば葬儀の簡素化を指示・通達するものです。経済的負担を減らすと共に殉死、殉葬、副葬などが禁止されています。

   

 怨霊とは生が断絶したにもかかわらず、生の断絶を破って生の延長線上に現れるものです。
死んだはずの人が現れれば誰でも驚き、恐れるのは当然でしょう。(驚くこと自体、死は生の断絶である何よりの証拠です)
>わかりやすくいえば怨霊とは、日本人の死生観における掟破り(?)なのです。だから怨霊は恐れられたのでしょう。
************************************

      怨霊と死穢には密接な関係があると思います。
怨霊は恨む相手がどこにいようと、追いかけて来てとりつきます。それは歩き回り、走り回り、空中を飛来する攻撃的な死穢なのです。

 平安時代には怨霊への恐怖はピークに達しました。

天照大神の子孫を称することを王権の根拠とする天皇は、自らを最も清浄
天皇をはじめとする宮廷の貴族達が、怨霊を恐れる様子は尋常ではありません←W。カースト的清浄性=政治暴力が伴っていないから、政治局面においてみずからの殿上人的清浄性を押し出すしかない。政治儀式の重要性、位階制。

天照大神の子孫を称することを王権の根拠とする天皇は、自らを最も清浄なものと位置づけ(何しろ神の子孫ですから)たため、W。中国の王権神授説と同じ手法天が王権を見放せば、という但し書きがないだけ。君が代は千代に八千代に~~云々

明治維新後の神輿を担いだ側の自作自演の匂いが強烈。

wacwacは純粋右翼からもあきれられるほど根っから興味なく遠く離れた世界。どういう思想を持とうが自由である。否定しない。思想的な根拠も認めるが(つまらん線引きをするのは間違い)、素朴な感想として、客観世界の実在を軽く考える思考形態を避けることができないので、政治の中枢でかじ取りをしだすと、肝心なところでミスリードするとおもう東京オリンピック開催などかなり前から発生している事態の思想的根拠はこれだ。

 なぜ今オリンピック開催などという余計なことを背負う羽目に陥っているのか、想いを致す必要がある。もっともその根本的な回答も記事の中にあるように思うが。

  引用に戻る

「その対極に位置する死穢に犯されることを極端に恐れるようになったのではないかと想像します。この場合死穢は怨霊と置き換えてもいいでしょう。

     古代の天皇は例外なく軍団の総司令官でした。
神話ですが神武天皇はそうでした。壬申の乱を指揮した天武天皇もそうでした。
天皇ではないにしろ聖徳太子朝鮮出兵を計画し、実弟を将軍に任命しています。
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日本以外の国では、王を含めて貴族は危険に対しては率先して戦うのですだから特権階級として認められている)、
>日本では天皇が死穢(怨霊)を恐れるようになった時、

天皇は軍団の総司令官としての益荒男(ますらお)から、戦えない手弱女(たおやめ)に変わって行ったのです。
天皇の臣下である貴族達がそれに影響されたのは当然でした。」←W。軍団の総司令官としての益荒男(ますらお)をやっておれば、その後の権門体制や室町応仁の乱戦国時代、近世の天皇京都蟄居状態による「権威」の維持はなかった(この件に対する回答は地歴、地政学の中にしかない。コロナが市中にある程度しか蔓延していな状況<世界から最も遠い列島、歴史と伝統あるあなた任せ、自粛していればなんとかなる>もそこにある)。

 なお、平泉氏の「建武の中興」などという論文は、どの程度、イデオロギー偏重なのか知るために今こそ再刊すべきものと考える。

               引用終わり 

新型コロナ最前線のアメリカの臨床現場、日本人医師の声を聴く。~当地の臨床現場の実態と医学的治験から発せられた声は明瞭、科学的。⇒要点を掴んで日本の新型コロナ観と日常を糺す。


空気感染する?空気感染と飛沫感染の違いと対策は?新型コロナウイルス。米国内科専門医が解説

W。資料

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W。引用

独立時の13州の1つである。全米50州の中で面積最小の州であり、日本における滋賀県と同程度の面積である(滋賀県の面積の大きさは日本国内の47都道府県中38番目と小さい⇒W琵琶湖の古城面積が含まれている、と推断するので陸地面積や山間部面積を考慮すると滋賀県よりもかなり広い。

人口密度はニュージャージー州に次いで第2位である(W。コロナ感染率は2位。①位ニュージャージー州新型コロナは都市型感染症である3密密集、密接、密閉)回避日本政策を高評価している。「新しい生活様式相手と身体的距離を確保すること~人間ジンカン50年下天のうちに比べれば夢幻の如くなり~」「マスクの着用」手洗いや咳エチケット」

④Wうがい~~コロナゲームはロシアンルーレットのようなものそれでも感染する。

引用 反俗日記

「哲学的唯物論が認めなければならない<物質の唯一の 性質は客観的実在>であるという性質、我々の意識の外に存在するという性質だからである」

あらゆる意識の外に、また意識とは独立に存在する客観的な実在としての物質。それがすべてだ。

矛盾というモノは単にあちこちに現れる一つの異常とみるべきではなく

それはその本質的な規定のうちにある否定的なもの、あらゆる自己運動の原理であり、

あらゆる自己運動は矛盾の現に他ならない。

外的な感性運動そのものがすでに矛盾の直接的な存在である。

あらゆるものが運動するのは

この今においてはここにあり、そして他の今においてはそこにあるからではなく

同一の今においてここにあり、かつここになく

同一のここにおいてあると同時にないからである。」

抽象的な自己同一はまだなんら生動性ではない。

肯定的なものがそれ自身否定的であること

このことによって肯定的なものは自己の外に出

変化のうちに自分を置くのである

だから或るものは、

自分のうちに矛盾を含んでいる限りにおいてのみ

しかも矛盾を自分のうちに入れ

持ちこたえる力である限りにおいてのみ生動的である

 

認識とは

思考が客観へ絶えず、限りなく近づいていくことである。

人間の思考のうち自然を反映する活動は「生気のない」「抽象的な」運動のない、矛盾のないものとして理解されてはならず、

運動の不断の過程、矛盾の発生とその解決の不断のうちにあるものとして理解されなければならない。」

~~西はコネチカット州に、北と東はマサチューセッツ州に接しており、南西のニューヨーク州ロングアイランドとは海上の州境がある。」ロードアイランド州イタリア系フランス系カナダ人アイルランド系ポルトガル系プエルトリコ系、及びカーボベルデ系の構成比が高いことにより、50州の中でもカトリック系の比率が高い[85]カトリックという単一の宗派が人口の過半数を占めているのはロードアイランド州ユタ州モルモン教)のみである。


新型コロナウイルスで重症化するとは。最前線の集中治療医にきく【南太郎先生 ブラウン大学医学部・内科准教授】

動画で綴るカシアスクレイからモハメッドアリへ。


Little Richard - Good Golly Miss Molly (Muhammad Ali's 50th

50歳の誕生日、コンサートイベント。多くの出演者のバージョンもあるが、Wの知っているものはコレだけだった。リトルリチャード。後は省略。多分見たくない映像も含まれている。

wacwac (@wacwac05690282) | Twitter

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ほら吹きクレイといわれ、ローマオリンピックジュニアヘビー級チャンピオン、アシアス、クレイのヘビー級初チャレンジの一戦だった。戦前の予想ではほら吹きクレイはリストンにリング上で殺されるといわれていた。リストンは刑務所でボクシングを学んだ、という。

 オリンピックゴールドメダルの名誉を手にケンタッキー州ルイビルの地元帰ったクレイは黒人差別に遭遇しゴールドメダルを川に投げ捨てた。後のチャンピオンベルトを保持したまま徴兵拒否、懲役刑に服した伏線をココにみる。

 「ベトコンはオレをニガーとは呼ばない」「そのベトコンをなぜ俺が殺さなければならないのか

~ヘビー級ボクシングというプロスポーツの頂点に達した者の心と身体を張った経験がチャンピオンベルト獲得後の人生の歩みに大きく影響している~

  

  カシアスクレイ、ソニーリストン初戦タイトルマッチ

W。スピード、フットワーク、パンチ放つテクニックキレすべて当時の世界最強と言われたリストンを凌駕している。190センチ長いリーチから的確に繰り出される左のジャブが凄い。力強いパンチでも急所に当たらなけば、効き目がない。リストンもそれなりにスピードのあるボクサーだった、とわかる(後にキンシャサの奇跡でアリに敗れるジョージファマンよりも上だったかもしれない)。もちろんパンチの破壊力は言うまでもない。

同じボクサータイプならクレイの方が1枚も2枚も上だった、ということで、リストンは何回やってもクレイに勝てない。コレが戦評である。だが当時はほら吹きクレイの圧倒的な不利。

>この試合は記憶にない。

>第2戦のリターンマッチは記憶している。

蝶のように舞いハチのように刺すという表現が陳腐に聴こえる。あっという間の出来事だった。1Rコーナーよりから、少し回り込んでのカウンター気味の、右ショートフックは目にもとまらぬ速さだった。一発はこめかみに的中した。リストンは脳震盪を起こしたのだと思う。普通の殴り合いでもココとか目、鼻をまともにやられると、とにかく戦意を喪失する。

www.youtube.com


カシアス・クレイ VS ソニー・リストン 第2戦


George Foreman vs Muhammad Ali - Oct. 30, 1974 - Entire fight - Rounds 1 - 8 & Interview

news.yahoo.co.jp


Muhammad Ali -"This is your Life"

>W。モハメッドアリ物語の節目に登場する人物はほぼゲストに呼んでいる。

ローマオリンピックの対戦相手ポーランドのひと。愛用の赤い自転車を盗まれた少年カシアスクレイにボクシングを勧めた地元の警官などなど。妙に毅然とした存在感のある人だった。