反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

空に星があるように 荒木一郎 唄詩  ホンダラ行進曲 クレージーキャッツ、青島幸雄。「異邦人」アルベールカミユ、「結局のところ、30歳で死のうが、70歳で死のうが大した違いはない、もちろん他の男たちや、他の女たちは生きてゆくだろうし、それにもう何千年もそうしてきたのだから。今であろうと、20年後であろうと、死んでいくのは同じくこの私なのだ。

空に星があるように

海辺に砂があるように

 

僕の心に 

たった一つの 小さな夢が ありました

 

風が東に吹くように

川が流れていくように

時の流れに 

たった一つの 小さな夢は 消えました

 

寂しくて 寂しくて 星を見つめ

ひとりで ひとりで 涙にぬれる

 

何もかも終わってしまったけれど

何もかも周りは 消えてしまったけれど

 

空に星の降るように  秋には枯れ葉が舞うように

 

それは誰にもあるような

 

ただの季節の変わり目の頃

 W。 ↓     ↓


ホンダラ行進曲

 

ひとつ山越しゃホンダラダホイホイ

もひとつ越してもホンダラダホイホイ

越しても越してもホンダラホダラダホイホイ

どうせこの世は ホンダラダホイホイ

だからみんなで ホンダラホイホイ

 

どうせ女は ホンダラダホイホイ

だから男は ホンダラダホイホイ

あっちへ行っても ホンダラダホイホイ

こっちへ行っても ホンダラダホイホイ

 

行っても行っても ホンダラホダラダホイホイ

どうせどこでも ホンダラダホイホイ

だから行かずに ホンダラダホイホイ

何をやっても ホンダラダホイホイ

だからやらずに ホンダラダホイホイ

W。??

 ↓

引用 異邦人 第2部 P143最終段落

「そんなことがあったにせよ、結局のところ、心臓は破裂しなかったし、わたしはまた24時間を手に入れたのだ

 日中はずっと特赦請願のことを考えた。わたしなこの考えを、もっともよく利用したと思う。わたしは自分の財産を計算し、自分の反省から最大の利回りを手に入れたのだ。

わたしはいつも最悪の仮定にたった。すなわち特赦請願却下だ。

『そのときはしぬときだ」

他のヒトより先に死ぬ、それは明白なことだが、しかし、人性が生きるに値しない、ということは誰でしっている。⇒W、今と当時(第二次ヨーロッパ大戦争直後、しかし、少しは死が世界的に~日本は別~身近になったパンデミックの今とこれからはどうだろうか?)は時代精神が違う五輪森騒動に吐き気を催す。五輪絶対反対なら改良を拒否して森で良いではないか!東京の真夏の裸踊りをぜひ見届けたい!そこに人間の、いや日本の浅ましさ醜悪さが感知すべき人たちには丸裸のまま開陳されている。こんな見世物を見るのはまたとない機会だ!

結局のところ、30歳で死のうが、70歳で死のうが大した違いはない、ということを私は知らない訳がない。

というのは、いずれにしたところで、もちろん他の男たちや、他の女たちは生きてゆくだろうし、それにもう何千年もそうしてきたのだから。要するにこれほど明らかなことはないのだ。

今であろうと、20年後であろうと、死んでいくのは同じくこの私なのだ。⇒W.絶対命題だ!

このとき、こうした推論の中で多少私を苦しめたのは、それは、

これから先の20年間の生活を考えたとき、私の胸に感じたひどい興奮だった。

しかし、それは20年たって、やはりそこまでゆかねばならなくなったとき、自分がどう思うか想像することによって、息の根を止めてしまいさえすればよかった。

死ぬ時のことを、いつかとか、いかにしてとかいうのは意味がない。

それは明白なことだ。

だから、

(難しいのはこの『だから』という言葉が推論上表すところの一切を、見失わないことだ)

わたしは特赦請願の却下を承認せねばならなかったのだ。

~~~

わたしの人生について、来るべきあの死について。

そうだわたしにはこれだけしかない。

しかし、少なくとも、この真理をしっかりととらえている。

わたしはかつて正しかったし、今なお正しいのだ。

わたしはこのように生きたが、また別な風にも生きられただろう。

わたしはこれをして、あれをしなかった。

こんなことをしなかったが別なことをした。

~~~

君は解っているのか、いったい君はわかっているのか?

誰でもが特権を持っているのだ。

特権者しかいはしないのだ。

~~~

あの大きな憤怒が私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、

このしるしとして星々とに満ちた夜を前にして、

>世界の優しい無関心に心を開いた。

これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、わたしは、自分が幸福であることを悟った。

すべてが終わって、わたしがより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、

わたしの処刑の日に大勢の見物人が集まり、嫌悪の叫びをあげ、わたしを迎えることだけだった。