中国当局の自己認識では現中国は発展途上の国。内政には階級格差、農業農民農村問題、民族紛争、外交には世界的な軍事政治のネットワークに実体不足を抱え、世界的覇権に大きな限界があると認識している。
しかし、長期的視野に立てば、中国の国力は上向いているので、中国有利な情勢が生まれるとみている。
中国当局はこの問題が長引いても何ら困らない、こう着状態を維持していく間に中国の国力は上がり、自然に中国有利な情勢が切り開かれていく、と見ているようだ。
一方。
日本は経済的には成熟段階にあり、資本の国内投資よりも海外投資に向かっての流れは政策的に止めようがない。日本国内投資しても大きな利益を得ることができないから、新経済成長戦略で新興市場のシェア争いに活路を見出していくしかない。しかしここでの競争は利潤率の傾向的低下が避けられない。
従って、国内での資本過多、生産過多、需要不足の慢性的傾向の解決の道はない。あらゆる方面での格差は拡大する。失業、雇用不安は高まり、社会の閉塞状態は高まるばかりだ。
>日本の特徴は冷戦構造崩壊後のアメリカ一極支配の一時的現象を経て世界の政治経済構造が多極化した国際情勢への支配層の対応が動揺ししている時期に、日本経済本体が成熟段階に達したまま、長期停滞にあることである。
かつて、日本経済を右肩上がりに押し上げてきた、自民党長期支配、官僚層との癒着連携、大企業、団体などの利権癒着層は国内経済が成熟段階に達して長期停滞傾向の中で既得権の擁護に回って、停滞の中でパイの取り分を増やす衝動にかられ(市場原理主義)、マスコミ資本による、国民洗脳や露骨なアメリカの力の国内政治への導入をしている。
<これからの中国で、原理的な資本と労働の対立が本格化する>
中国が世界の工場になって、改革開放が本格化して20年経過して、農村戸籍の都市生活者は二代目に時期になっている。農村、土地から完全に切り離された、失うモノのない労働者階級が改革開放経済の経過とともに大量発生している。
都市郊外には彼らの集中居住区もあるらしい。
労働者は集中して工場労働をし、生活居住空間も共にしているのが中国の特徴。
これらの条件は資本に対する労働者間の共同闘争の条件、場を生み出している。
最近の企業に対する賃上げ要求闘争はこのような条件から発生している事が多いらしい。
中国人学者も資本側の支配形態は党、官僚、企業家の癒着であると認めているが、その点の改良に言及しない。そのままにして、以下の3農問題や全国の労働争議、住民争議、民族紛争に政策的な対応をしていくようだ。
ここ十数年で労働分配率は52%から42%まで低下しているらしい。
農村に膨大な過剰人口を抱え、賃上げ要求する労働組織の全国化がないのだから、資本蓄積過程としては大量の低賃金労働が拡大再生産される。
<三農問題(農業不振、農民の貧窮化、農村の病弊)は解決の糸口が見つからないまま、農村の過剰労働人
口が戸籍制度の壁もあって、無権利無保証、低賃金労働人口となっている>
<中国人学者はアングロサクソン的経済システム、膨張には批判する>
ただ、日本人のように伝統的な共生社会への回帰の様な抽象論は一切ない。もっとドライな意見である。大きな中華という器の中に砂の様な個々人がいるという概念。昔、毛沢東は中国人は大鍋で共に飯を食らう、といっていたが、中国人総体を中国国家という器に飲み込み、やっていこうとする意志は変わらない。
中華、中国国家は大きな器で中国共産党はそこから人がこぼれおちないように支える要となる。
民族主義は必然。
<軍事力強化路線は軍部と産業界の一体化した体制になっている>
産軍複合体?矢吹氏によれば、政府にはコントロールできないところまで来ているという。
軍を作ることが、党を作ることで、不可分の関係。
中国にアメリカの様な産軍複合体独自展開論を持ち出しすのはまだはやすぎる。軍に対する党の統制は効いているので軍が産業界と結合して勝手に自己の利益で動くことはない。
国内矛盾が大きくてその財政的手当も必要で 軍事費をアメリカのように使い切る余裕はない。何しろ人口が多すぎて国内矛盾もその分だけ大きいし、中国はなお途上国。軍事費のよう様な非生産部門に回せるカネは限られている。ここから、中国は時間を味方にする長期戦の立場に立つ。時間経過と共に中国のパフォーマンスは右肩上がりになっていくのはハッキリしている。この点で日本は時間も味方にできないし、戦略的選択肢も少ない。
ただし、成長とともに軍事費は伸びる。持久戦に出て覇権を狙っている事は間違いないが、アメリカの様な覇権国家にはなれる世界的な経済軍事のネットワークの実体を形成できるはずがない。これを自覚しているのでアメリカには譲歩し、共存の関係を求める。
<中国共産党には長期戦略はある。時間をかければかけるほど、世界は中国に有利な方に向かう>
当然、中国の経済成長に準じた中国軍の拡張は進行する。アジア太平洋地域でアメリカの覇権との関係を重視しながら、事を進めて行く大方針に変わりはない。アメリカとの共存は前提。日本との関係は経済関係は重視するが政治的軍事的にはアメリカとの関係の中でしかまともに相手にしないのではないか。
尖閣問題を矢吹氏は中国側は解決を急いでない。時間稼ぎが大方針をしているといっている。
ならば、船長事件も中国側に経済的実害が及ばない限り、強行論で持久戦に持ち込んでいい訳だ。こう着状態は続いても中国側に損はない。
<日本は国家としての戦略的選択肢が元々狭いところに持ってきて、敗戦国としての弱みから抜け出せない>
強硬論を唱えたところで、アメリカ軍事力の傘を実際のところ、一層当てにするしかない。
アメリカは日本を噛ませ犬化して、自分の懐に抱え込んで、対中カード化できる。アメリカが一番恐れるのは、東アジアで日本、韓国、中国が自分の頭越しに仲よくすることである。この時、東アジアでのアメリカ覇権は大きな打撃を受ける。ただし中国との関係を重視や日本経済からカネを引っ張る戦略的立場から、日本が過激になる方向は断乎認めない。
日本は展望の見当たらない国になっている。
<ドイツは世界に二度チャレンジして、ようやく失敗に学んだ。一度しか失敗していない日本人がドイツ人より、特別優秀だとは思わない>
来月から始まる国会は、その証明になろう。国民の中に偏狭国家主義がしっかり植えつけられる、宣伝扇動の場になろう。声の大きいモノが大手を振って闊歩し、冷静な判断力は隅に追いやられる。
この方向しかない。
しかし、国内ではこれでいいかもしれないが、海外ではこんな日本をどう見るか?
日本人は戦争で負けた経験を日本人にしか納得できない巧妙なすり替えで装置で(平和憲法、被爆体験、憲法「改正」、戦後経済発展)で忘れているが、外国人はこんな日本の特殊性に理解がなく、日本をありのまま見ている。
敗戦国日本は国際的な平和装置を構築する中でしか、生きられない。
ドイツ、イタリアがEUの中に自分を閉じ込め、これを利用して外に活路を見出している様な強かさを持たなくてはならないと思うが、日本人には、敗戦後の出発点からその機会は与えられなかった。
一言で言って、アメリカ仕様の日本の戦前が温存された事が日本人の不幸であった。
戦後の象徴天皇制はアメリカの対日支配の道具に換骨奪胎された。天皇制の支柱、官僚体制も軍事官僚の失陥以外は戦後に継承された。戦前の国家統治統合機構はアメリカ仕様で戦後継続して、国民の上に君臨しその役割を果たした。
このような構図がいままで国民の前に素のままの姿を現さなかったのは、日本の経済発展があり、国民の統治や統合には経済活動分野に釘づけにすることで十分だったからだ。
ところが時代はかわった。