(単位 1000円) | |||
期又は年度 | 軍事費総額 | 国家財政に占める 軍事費の比率 |
の数値を全部コピーして、国家財政に占める軍事費の特徴的な増減を、「政友会と民政党~戦前の二大政党制に何を学ぶか~」の末尾に記載された<関係略年表>を基に注釈した記事をアップしたが残念ながら、エラーで消失してしまった。https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index05.html
>ここには数値資料だけしか記されていないので、もっと踏み込んで、考えてみる必要がある
まず、前回の消失した記事に近い整理の仕方の記事がネットにあった。数値資料は帝国書院のものである。参考までに挙げておく。
参考資料その1。
参考資料追加B。
W。この堤未果ってなにものなんだ!?。
日米地位協定は、この問題に直接の関係はない。日米安保条約は日米両政府間の国際軍事条約(経済条項もある)であり、総論。この総論の中に日米両政府間の具体的な取り決めのすべてが簡潔に詰まっている。この簡潔な項目にくくれない具体的な在日米軍基地と軍人の日本の法律による「治外法権的地位を確定」したものが日米地位協定だとと理解する。したがって地位協定は政府と在日米軍との間の法的関係を「明らかにした」各論。敗戦国の占領軍の残留とその都合を法的に追認したものだから、当然不平等関係になる。これを改変したからといって、安保条約はなくならず、日米安保条約破棄するためには一方の政府の通告以降1年で済む。
堤未果実は勘違いが過ぎる。ただし、フィリピン、スービック基地のように、全部自己負担を通告する(基地使用料も請求したはず?)と出て行った例がある。
このような勘違いが過ぎるのも、いつからか、安保条約を話題にすれば話が広がりすぎる、と思っているのか、安保反対政党側から、地位協定に耳目を特化する動きが出てきた影響だろう。米兵犯罪、在日米軍駐留経費(思いやり予算総額7000億円~貧困米兵にとって日本駐留は天国~)の日本化大負担の問題は分かりやすいし、改善できそうに思ってしまう。
W。イスラム国のテロ問題の元凶はアメリカのイラク侵略にある。さんざんイラクを荒らしまわり人民を虐殺し、利権を管理下に納めて、撤退した権力の軍事空白を突いて台頭してきたのがイスラム国=スンニ派(イラクでは少数派でフセインの支持基盤でもあった。)とアルカイダ系だった。
>アメリカの軍産複合体を維持することが(民間軍事関連産業の雇用は相当なものがあるらしい)、今のアメリカの世界覇権に好都合であるからだ。また、今のアメリカ国民の過半数は、<低強度戦争>を支持しているらしい。アメリカのマスコミの変貌は甚だしいものがある。ネットワークはメディア財閥に再編されている。黒人家庭の平均テレビ視聴時間は一日平均7時間に及ぶ異常性。アメリカ人は日本人もずっとテレビを視聴している。
もちろん、日本人2名が人質に取られていることを承知でアベは中東に出向き、挑発的言動をしたのだから、この事件をみずからの外交路線の格好の宣伝の場にする意図が最初からあったのだ。
>アベの最大政治目的は自衛隊を米軍の世界戦略に沿って、動かし、日本多数派国民を収奪の餌食にして、貧困に追い込み、日米特権階層の利益を積み重ねることである。
この事件に関して、最良の選択はアベ等の言動を一切相手にしないことである!
前回消失した記事と同じものを作成する時間はない。
自分の作成した注釈の独自点は次の通り。
参考資料その2.
「近代日本における農村過剰人口の流失と都市労働力の形成
帳担
W。農村から排出され続ける過剰労働力人口の実体が明らかにされている表。
農業労働力と農家戸数
農業労働力(千人) 農家戸数(千戸) 1ヘクタール当たりの農業人口(W。人口扶養力)
1904年 14、096 5,517 6
1914年 13,974 5,542 6
1924年 13、941 5,534 5
1934年 13、790 5,624 6
1944年 13,330 5,569 不明
1954年 15,280 6,032 不明 W、1949年 産児制限=堕胎合法化
1958年 14,040 6,013 不明
>W。この数値は第二次世界大戦後の日本の高度成長経済の二重の労働力市場=農村漁村解体解体による低賃金労働力の創出構造=高度成長のエンジンを理解するキーポイントでもある。この構造が完全に潰えて久しい訳だから、古くて新しい手法による国内的賃金労働力を設定することが、日本支配層の政治的な眼目になってきて当然である。
1、安価な輸入食料品によって、なりふり構わず、労働力の再生産費を抑える→TPP(日本農業のコスト低下)
19世紀イギリスの穀物法
2、安価な労働力の外国からの導入。 経団連方針。
3、格差を戦略的に拡大し、低賃金労働層を形成する→貧乏人を増やす=1,2,4、の結論。
>「日本の農業労働力人口と農家戸数は明治から1950年代に至るまでほとんど変化しなかった(550万戸、1400万人」。
>「農業就業人口は~550万戸、約1400万人戦後の終始している。この事実は農村で再生産された労力人口は1400万人の規模を維持するに必要な補充人口を除き、すべて他産業部門に就業の場を見出していたことを意味する。」
*「云いかえると、農業人口の自然増加匹敵するだけの人口を排出し続けたということである」。
*「年々どれだけの人口が農業から農業外に排出されていったのであろうか?」
**「すなわち40万人の補充と40万人の流出が生じる。流失する40万人のうち労働力人口は約30万人とみなされる」
したがって、都市の産業部門で吸収できない過剰な男子労働力は低賃金雑業への就労と
景気悪化失業応じて農村⇔都市の関係における農村回帰=農村が過剰労働力の調整弁の役割を果たした。
(基本的に世界恐慌以前の日本産業の主体は繊維織物産業であり、農村過剰労働力女子の繊維産業への吸収と違って、男子のの主要な吸収先は、都市の雑業部門である。3環貿易節に明示されている日本の米英経済圏への輸出品は繊維である。)
この場合、都市産業部門の1929年から始まった世界恐慌による極度の失業状態や農村の不作の連続や寄生地主制度の拡大などの要因によって、農村の疲弊状態が重なると、農村から毎年排出されてきた労働力人口のかなりの部分が行き場を失ってしまう。(例。1930年代の飢餓状態の東北農村。小作率の表を後で上げる)。必然的に、軍隊と軍需産業への期待感が大きくなる。
この産業予備軍の約30万人追加圧力の本格的解消は世界恐慌以降の高橋是清の金本位制離脱後の積極金融財政政策及び満蒙紛争拡大によって、けん引された日本産業の重化学化による男子労働力の工業単純労働の増大を待つしかなかった。
農民の自作、小作別の割合 W。明治の資料しかない。小作率の上昇に注目
明治16年~17年 自作(37,3%) 自小作(41,8%) 小作(20,8%) 小作率(35,50%)
明治41年 自作(32,9%) 自小作(39,9%) 小作(27、2%) 小作率(45,50%)
*小作率の増大は、大正昭和と減少する根拠が全く見当たらない。したがって、1930年代の小作率は50%以上とみなすことができる。なお、地域差は大きい、とみる。
下からの軍需と軍隊への期待の圧力は強まった。原因は社会経済構造の問題に尽きる。その他のアレコレは枝葉末節のことである。どんな立派な政策があろうともそれを実現する社会経済の基盤が見当たらなかったのだ。
解決の手段が軍隊と軍需になったのは当然の成り行きであった。
3)名和統一の<三環貿易節>の観点から、日本支配層が対中紛争と戦争に深入りすればするほど、英米への依存を深めざる得ないという、内外構造問題を決定的に重視した。
なお、この分析方法を用いて、当時の日本内外の石油需給に応用した見方を付記した。
参考資料その3
景気動向を通説史観に抗して、きっちりと抑えていることである。今日でも軍事と軍需に、脱出口を求める傾向が示されている。
温故知新:1935年の日本、日米戦争は論外だった。~数字からみる日本の石油需給構造~
計量分析ユニット 研究主幹 平井晴己
4)
4 | 1929 | 496,405 | 28.6 |
5 | 1930 | 444,302 | 28.5 |
6 | 1931 | 461,204 | 31.2 |
7 | 1932 | 701,033 | 35.9 |
8 | 1933 | 881,056 | 39.1 |
9 | 1934 | 948,391 | 43.8 |
10 | 1935 | 1,039,235 | 47.1 |
11 | 1936 | 1,085,454 | 47.6 |
>1932年からの軍事費額面の急増と国家財政に占める割合の数値(額面ほど%は伸びていない)に注目すると、高橋是清の暫定的な積極金融財政によって、インフレが進行していった、裏付けになる。
1935年に総動員政策の作成者である、統制派のNO1である永山鉄山軍務局長が斬殺された。
>1936年は2,26事件の年であり、積極金融財政からの脱出を探っていた、高橋是清は斬殺される。
>1937年は日中戦争拡大の年である。軍事費の額面は5倍にも跳ね上がっている。完全な戦時経済体制である。軍事費は一般会計から別途で特別会計に計上される仕組みだった(複数年度にわたって処理可能)。この資料にあげている数値は特別会計の軍事費と一般会計を大蔵省が整理して、対比したもののようである。
>1941年12月真珠湾攻撃→従って、1941年度の軍事費額面の急増は基本的に1940年に計上されたものと考えると、この数値だけ見ても、当時の日本支配層は、日中戦争の過大負担に加えて、さらになお対米戦争に踏み切る覚悟をしていたとうかがえる。狂気の沙汰であった。軍事費の額面が急騰するということは、戦争に必要な戦略物資が不足していたということである。まして、一般国民の生活は~。自殺行為に等しい。
13 | 1938 | 5,979,059 | 77.0 |
14 | 1939 | 6,489,572 | 73.7 |
15 | 1940 | 7,963,490 | 72.5 |
16 | 1941 | 12,515,349 | 75.7 |
17 | 1942 | 18,836,742 | 77.2 |
18 | 1943 | 29,828,910 | 78.5 |
19 | 1944 | 73,514,945 | 85.3 |
20 | 1945 | 55,242,895 | 72.6 |
資料その4 W。触りだけしか読んでいないが、難しく書いているが面白くて厳密である、と思った。
政治システムと財政パフォーマンス: 日本の歴史的経験
岡崎 哲二 経済産業研究所
日清戦争の結果と日本の進路
A)「戦争ビジネスモデル」への期待の成立
戦争は儲かるという大きな誤解」
戦争は儲かるという大きな誤解」
B) 日清戦後の軍拡
資本主義の発達は不健全化 W。A)を補足する記事と作者はしている。こちらのほうを先にざっと目を通してみたが疑問点は戦争を経済効率の面を重視して考察しようという姿勢など疑問点は多々あった。こういう思考形態の枠内では、経済効率のよい『戦争状態』という考え方が出て来易いのではないか?たとえば、米国の経済相対化を押しとどめるための、軍事を中心とする世界戦略。
資本主義の発達は不健全化 W。A)を補足する記事と作者はしている。こちらのほうを先にざっと目を通してみたが疑問点は戦争を経済効率の面を重視して考察しようという姿勢など疑問点は多々あった。こういう思考形態の枠内では、経済効率のよい『戦争状態』という考え方が出て来易いのではないか?たとえば、米国の経済相対化を押しとどめるための、軍事を中心とする世界戦略。
A)は読んでいない。ただ、自分の手法で正面から、問題を掘り下げているところに、既存の思考パターンにない新鮮味を感じる。 民需を蔑にして、目先の軍拡を追い求めるとして批判する基本視点はWと同一である。