反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

連載第10回成瀬巳喜男「めし」51年の妻の座は高度経済成長期の農民階層分解による下層労働力の収奪の上に成立(都市主婦)し、労働力再生産費の上昇とともに分解、80年代の猶予期間でグローバリズムに立ち遅れ

前回の上野の指摘は、我々が<日本の高度経済成長期においてエンジン的役割を果たした農民の階層分解による農村から都市への人口大移動>としている基本視座を
<【都市、核家族、雇用者家庭】の【妻の座】の大衆的成立を不可欠の前提とする家事専従の主婦層の成立
と読み込んだもので、斬新な指摘であった
 
 農民や自営業者の妻には、
家庭内での労働力の再生産(「家事労働」育児)、と同時に市場商品生産の不可欠な労働力であり、<都市、核家族、雇用者家庭>の<妻の座>は成立しない。
 
~<妻の座>は戦前の都会の中層以上の小市民家庭(官吏、中級サラリーマン家庭など)に成立していたが、日本の家族形態において少数派にすぎず、
高度経済成長による農民の階層分解期に欧米に遅れて大衆的に成立し<W。注>(米国黄金時代の家庭は労働者中層にも主婦を保障)、ジャパアズナンバーワンの時代の妻の座の低賃金労働力市場への執行猶予的動員の期間<乾いたぞうきん絞り>を経て、80年代中期のプラザ合意受諾ー日本バブル崩壊以降、妻の座は低賃金労働量市場へ本格的動員され、家事労働との二重の労働を果たすようになった。
 
 
<W。注>
 
W。日本映画黄金時代のこの名作の庶民の淡々としたストーリーが今もなお迫ってくるものがあるのは、その時代の数々のリアルなディテールの積み重ねによって、戦前から続く古い日本と
高度経済成長の物質力によって、満開する「新しい」日本への予兆の混在する1950年代の相貌がスクリーン上に見事にピン止めされているからだ。
コレ以上の映画による社会批評はない。
 
 
 昔たまたま、古い邦画の専門に上映する映画館に足を踏み入れると、モノクロのシーンと俳優たちの演ずる人物たちの佇まいをみたとき、自分の中にしまわれていた何ものかがスクリーン上に引き出されるように感じた。
自意識に目覚める以前、目にし感じて忘れ去られた光景かもしれないし、そんな次元とはあまり関係のない埋め込まれた何ものかもしれない。
 
<意識が存在を規定するのではなく存在が意識を規定する>という次元の他に精神の大きなフィールドが【存在する】 その閉塞性が強固であればある程、潜在意識の影響力は強固であり限定される。
 
上野の「家父長制と資本制」はフロイトを援用するようなそぶりを最初に示しておきながら、エディプスコンプレックスを【批判的に紹介だけで、マルクス主義へのこだわりと社会学的分析に終わっている。
 
 いずれにしても、1950年代大阪の倦怠期の夫婦。北浜の小さな株やのサラリーマンの夫、上原謙妻、子供のいない原節子は都会(実家は東京)から都会(大阪)に移動したヒトたちであり、日本全体の家庭の形態からすると少数派であり、妻は働きに出ないで元の鞘、妻の座の収まる。
 
1950年代末尾から始まる高度経済成長によって、夫の給料はたとえ転職しても右肩上がりに増えて、<妻の座>の物質的な保障はあっただろう。
 
成瀬には他にも妻の座をめぐる夫の浮気騒動(夫婦に子供はいない)があるが(妻(1953) | 映画-Movie Walker~夫の浮気相手の子供を抱えた職業婦人の身の置き所の厳しい立場と当時の中級サラリーマン家庭の家族制度に守られた妻の座の対比がテーマともいえる~~、ココでも確認されるのは、<妻の座>に比べて女労働力市場の現状は甘くないと云うことである。
 
要は、当時は労働力の再生産費が安く済んだので(なおかつ子供がいなければ再生産費は少なくて済む)、サラリーマン夫の収入で何とかやっていけた。
 
経済成長によって、大きな過剰労働力人口が農村から放出され出すと、その底辺労働力の資本による収奪を基盤として、その上に立つ都会のこうしたサラリーマン家庭は安定していき、当然にも高度経済成長期に入ると妻の座は下向に拡大していくが労働力の再生産費の負担はかつてないほど増加していくので夫の収入で足りなくなり<妻の座>は分解していく
この関門を潜り抜けた親の再生産した労働力商品(子供)が次代の中堅を担った。
 
結局、日本の家族形態はジャパン アズ ナンバーワンの執行猶予期間があったために
グローバル資本主義に対して欧米諸国が選択したドラステックな方向に向かわず、核家族化の強化で耐えしのんだ。
もちろん、戸籍制度の家族制度、家イデオロギーの締め付けも大きな役割を果たしている
 
参考資料

日本の総人口 6年連続で減少  4月14日 14時33分 NHK
前の年よりも16万2000人減りました。日本の総人口は、平成20年にピークとなったあと、平成23年以降毎年減少していて、これで6年連続の減少となりました。

このうち日本人の人口は、1億2502万人で、前の年に比べて29万9000人減って、減少幅は6年連続で拡大しています。
総人口1億2693万人=6年連続で減少―生産年齢割合、6割に・総務省推計

  前回記事の上野の指摘。
>「日本の就労人口のうち雇用者の比率が自営業者の比率を抜いて逆転したのは、1960年代の初めにすぎない。
主婦という雇用関係によらず家事労働に専従する女性が成立するには
都市、核家族、雇用者家庭】の【妻の座】が不可欠の前提であり、コレが大衆的に成立したのは、1960年代末であった。」

そこで今回は、戦前戦後の日本の農民の階層分解を「反俗日記」の過去の記事から確認しておく。
  参考資料その2.
 
                                     
W。農村から排出され続ける過剰労働力人口の実体が明らかにされている表。
                農業労働力と農家戸数
        農業労働力(千人)     農家戸数(千戸) 1ヘクタール当たりの農業人口(W。人口扶養力)
1904年   14、096           5,517         6
1914年   13,974           5,542         6 
1924年   13、941           5,534         5 
1934年   13、790           5,624         6
1944年   13,330           5,569         不明
>W、1949年 産児制限=堕胎合法化 団塊の世代は1949年生まれまで
1954年   15,280           6,032         不明  
1958年   14,040           6,013         不明
>W。この数値は第二次世界大戦後の日本の高度成長経済の二重の労働力市場=農村漁村解体による低賃金労働力の創出構造=高度成長のエンジンを理解するキーポイントでもある。
 
>この構造が完全に潰えて久しい訳だから、古くて新しい手法による国内的賃金労働力を設定することが、日本支配層の政治的な眼目になってきて当然である。
 
1、外国人の労働力の暫時的導入
今年の日本人の人口減少だけだと約30万人だが、日本人以外の約14万人の増加でトータルでは16万人減少。
2、粗悪な食糧次元の労働力の再生産費を安くする。
 
3、政策意図的に低賃金労働総を拡大し固定する
 
>「日本の農業労働力人口と農家戸数は明治から1950年代に至るまでほとんど変化しなかった550万戸、1400万人」。
 
>「農業就業人口は~550万戸、約1400万人戦後の終始している。
この事実は農村で再生産された労働人口は1400万人の規模を維持するに必要な補充人口を除き、すべて他産業部門に就業の場を見出していたことを意味する。」
 
*「云いかえると、農業人口の自然増加匹敵するだけの人口を排出し続けたということである」。
*「年々どれだけの人口が農業から農業外に排出されていったのであろうか?」
**「すなわち40万人の補充と40万人の流出が生じる。流失する40万人のうち労働力人口は約30万人とみなされる」
W.結論的にいえば、日本では毎年約30万人の流動的潜在的過剰労働力人口の圧力が生じていたことになる。