2022年3月28日(月)久しぶり生気戻る。お供えを親、兄、夫にしている。朝から笑顔は久しぶり。笑顔の素敵な人である。施設入所の件があり、心痛む。
もっと自分がうまくやれたのに、という後悔。
このような状態なら、今後自分が頑張ったらうまくいくのではないか、という願望が自然に沸き起こってくる。
見守りケアを放棄しても、同じ運命が自分にまっている。だから身を賭してでもやっていこうという願望。
しかし、持病がネックになり、困難な局面が多発する今後を乗り切れない。死ぬのは怖くないが、持病によって精神的な余裕がなくなってぎりぎりの状態で介護することは、施設入所よりも本人にとって良くない。
コレが冷厳な事実でもある。
今まで自分の落ち度で迷惑をかけてきた、と痛切に反省しているのに、一時の気分でやれるとするのは冷静な判断ではない。
>ところが近所の老老介護で室内転倒を何度も繰り返した夫は2度目の大きな転倒事故による脳外科入院から施設入所、半年も経たずに亡くなった。つい最近のことである。
*病院から施設入所の選択のとき、自分も「絶対に帰宅しての自宅介護は無理」と何度も高齢妻にいった。ケアマネ、息子その他の周囲の判断も同じであり、妻本人も納得づくだった。
>施設で亡くなるまで妻本人から聴く情報では施設に適応して過ごしているという方面のことばかりであった。
>それが突然、突然なくなった。
まだ連絡もしていない。そっとしてあげたほうが良い、時間が解決する。電話すれば、また想い出す。
>おそらく、こんなに早く施設で亡くなるのだったら、自宅に引き取っていればよかった、との後悔の念が沸き起こってくる、と思うと今はそっとしておいてあげたほうが良い、と。
@それに電話すると、見守り介護の人の施設入所の件を話のはずみで自分が持ち出す可能性もある。そうすると相手の悔恨を誘う場合もある。
@施設入所という共通項で慰め合っても仕方がない。
@だがしかし、
>施設入所してもらっても、後に残った者の老い先の苦労が想定されるならば、
>お互い離れ離れの一人ぼっちになり本人を施設で苦労させるよりも共に天命を全うしたほうが良い、という考え方もある。
>できるだけ在宅期間を先延ばしにするというのが自分の調べた結果の福祉先進国スェーデンのやり方だ。その方が費用対効果も高い。
>施設入所はなんだかんだ言ってもカネがかかる。
>コレはぱっと考えてもわかることである。職員人件費、運営費。特に後者は在宅ではイラナイ。職員数がぎりぎりの状態では結局、一人一人の面倒は小まめに見れない。であれば自由ではなく拘束が日常になり、高齢者の精神肉体に良いはずがなく、必然的に医療費が嵩む。
>施設入所が良い結果を生むのは高額の入所費をかけ運営に余裕のある施設だけだと思う。
@大手の業者のワタミは施設運営から撤退した。他業種からの新規参入者が増え市場競争が激化し基準を順守すれば儲からないからだ。
@施設はよく選んで入るべし、は鉄則だ。
>選ぶ環境もなかった。特養資格は要介護3以上だ。要介護3の認知症の人の在宅介護は並大抵ではない。施設で亡くなった方は要介護2~3近辺である。施設生活が順調に推移すれば、特養入所の順番を当該施設で待つというストーリーだった。
認知症の人の基準指標は認知症自立度(介護困難度)である。要介護度でいえばあまりにも早すぎる入所だが、介護困難度はⅡbからⅢaに移行途上だ。Ⅲaは身近に介護者が付き添う必要が生じる段階であり介護者への心身のストレスは高まり、1対1介護はお互いにとって良くない場面を多発させる。
>これからの日本の高齢者のかなりの部分は屋内スクラップ置き場のようなところが終の棲家になる!しかもカネの成る木のごときスクラップ。コレが厳しすぎる現実。
>この現実を直視すれば、在宅生活を送っている間にどういう生き方をすればよいのか自ずと解る。
>それは究極的には個々人の問題であり、課題だ。
@見守り介護の人でいつも気になっている傾向は「隣近所のひとたちの目、聴き耳」
@人々を矮小卑近な偽の地域共同体に閉じ込め、それを束ねて支配機構とする戦前教育が骨の髄までしみ込んでいる。
@ところが本人の人生の軌跡は敗戦後の解放を身をもって実践したような「自由」な生きざま。
@体は自由になったけれど頭はまだ戦前のまま。
>コレが日本の高度経済成長を演出し中軸を担った世代の普遍的なあり方だった。(世代論やその矛盾の論議に終わるのは間違いだが)
>我々はそのギャップに肉体的に反抗したが、頭を解放するまでに至らなかった。その証左は今更だからあげない。
>我々が帰った企業やマイホームは「解放」されていなかった。言い換えるとそれが日本経済成長のボーナスだった。
@反俗日記では日本の経済成長や停滞を単純に解釈していない。
政府の失政?
歴史の目で見ると本質ではない。
1930年ごろの日本経済の立ち位置は当時のソ連やイタリア並み。
民需がないがしろにされた軍事大国だった。
当時の日本の工業生産値とワシントン条約における戦艦建造割り当てでは日本は英米に次ぎフランスをオーバーしている。
ゆえに過剰生産過少消費、停滞的、相対的過剰労働人口を養人口扶養力も脆弱。であれば遅れて、軍事的に比較的過疎な東アジアに領土を含めた進出をしていくしかなく、このような当時の日本の方向性に反対する勢力は希少で大多数の国民は支持していた。
>ところが敗戦後の日本の急経済成長で日本のGDPは1990年の半ばまでアメリカに次ぐところに至った。
この現実を内在的な要因だけに帰することはできない。
冷戦構造の最大の受益者は日本であった。
日本の(官僚)企業統治の在り方も戦前を引き継いでいた。
人口ボーナスも威力を発揮した。
戦乱と革命、民族独立の続く極東(中国革命、朝鮮戦争)東南アジア(ベトナム戦争)を含む日米安保体制も日本経済が成長にまい進できる要素となった。
>以上の要因がすべて変わったから日本の経済停滞がある。
@そしてコロナ渦(スペンイン風邪はアメリカ欧州戦線参戦とともにパンデミックになった)、アメリカ主導の断続的な世界的低強度戦争によって(定期的であるかのように大規模な地域戦争の直接間接の発火者だがすべて民主主義だとか平和だとかの大義名分がついている)、更に状況は一変するとみるのが当たり前だ。
@日本の経済停滞を人口の高齢化のみで説明するあけすけな学者の出てきている。
日本経済の中身を見ていない。
日本経済を支えて生産部門の市場競争力が急激に低下した。
老後生活不安に怯えながら働く壮年層が増えると、民間消費は伸びず、貯蓄に回って結果、国債大量発行や超金融緩和しか経済政策の手段がなくなる。
W。各々の原油価格高騰の要因は歴史の目で見る必要があり一緒にはできない。
W。ロシア、ウクライナ戦争は帝国の戦争である、という視点がなければ巨視的には見えない。
ロシアがウクライナに侵攻したとか、民主主義がどうたら、こうたら、だけを語ると、この戦争の本質が見えなくなる。
W。旧ソ連支配圏と東アジアの日本において長期経済停滞が続いており、経済的政治的地殻変動が進行中だ。
前者においてはUE経済圏加入の東欧諸国の新中間層が所得をアップさせているが、他方、ソ連旧支配圏では経済停滞が続いている。東方に急拡大したEUの大きな地殻にウクライナも含めた旧ソ連支配圏がめり込んでいる。ウクライナではそのストレスが最もかかっていた。
ウクライナの多くの人々はEUに加盟し東欧の新中間層のように所得を伸ばす願望を抱ていた。欲望の赴くところの自然現象である。
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ロシア経済の民間消費の過半は上層と一部中間層によるもの、といういびつな経済構造を呈してきた。
プーチンは登場する時点でソ連プ崩壊時の大失政を取り繕う強権を期待され、20年も一応政党の体制をとって権力を握ってきた。
石油ガスなどのインフラ大企業はソ連邦崩壊時に所有権を奪った者たちであり、欧米金融資本とのつながりが当時からあった。軍需産業はプーチンを求めるが、インフラ大企業は日和見でプーチンに臨んできた。
したがって、欧米がプーチンを倒せばインフラ企業の経営基盤に欧米のカネが注入される可能性も排除できない。
東方拡大したのはNATOだけではないEUも東方拡大し続けたが、その恩恵を最も受けたのはドイツ経済である。
マルクよりもEU通貨のほうが有利だ。
ナチスドイツが果たせなかった野望を今実現している。
旧ユーゴスラビアの複雑な内戦にドイツ軍は参戦しセルビア大空爆を行った。
今バルカン半島はNATO加盟国が過半数。このことを考慮すると、NATOが直接参戦しないのはロシアの7200発の核弾頭の存在が大きい。これがなければ直接介入している可能性も排除できない。
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もともとEUは対米対抗的な要素を持っていたので、UK離脱(もともと無理を承知でドイツ統一の脅威をみて仲間に入った。)は好都合であり、ウクライナで揺さぶることがそのプレゼンスにとってプラスに働く。
要するに、欧米は7200発の核弾頭を無力化させ、ロシアを経済従属化に置くことが最大限のもくてきであり、この戦争でこの方向の成果を欲しがっている。
そうすれば、中国を世界市場から分離し再び欧米の思うがままにできるという目論見の大きな第一歩が築かれる。
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>東アジアにおいても経済地殻変動によるもぐりこみをしているのは日本である。
@日本の弱点は戦略的な政治性、軍事性が今までぼやけてきたことであるが、ロシアウクライナ戦争を奇貨として、アメリカ軍事力により一層、頼るようになり、アメリカはその状態を維持するために日本国民の血税や権益を奪い取るように画策し日本支配層にとってもこうした排外主義はこれまで獲得してきた己の利権を守り拡張するためには有利である。煽るだけあおって腰から下は海外に逃避している。
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結論。ロシア、ウクライナ戦争は帝国の戦争である。帝国戦争だからこそ、国内の社会民主党や社会民主主義政策を実行している政党が一方的なロシア非難に追従する。
歴史は同じ道を歩まない。しかし螺旋的に回帰する。
>敵の敵は味方である。戦争は政治の手段だ。対抗要因を弱体化させた米国の力が強くなれば損をするのは多数の日本国民である。反米主義は関係ない。そういう構造になっているということはカネの動き、物品の動きと世界的な構造を見るとわかる。
>卑近な例。なぜアメリカ大リーグが日本人選手獲得に大金をはたくことができるのか?外国から経済実態を超えたカネが流入し続ける金融財政システムが世界化しているからだ。その根幹は軍事力とアメリカ世界基準である。
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