反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2022年3月26日土。ケアマネさんから正午前電話。睡眠薬の件が気になっているとのこと。早速駆けつけると、ベッドに座っていて意識朦朧、そのまま仰向けになって死んだように寝入っていた。医者は休み。看護師と相談の結果、次週より服薬の2,5mgを先行服薬し来週半ばまで様子を見て報告決定。

18:10分ごろ様子を見に行きと、普通の状態で食後の洗い物をしていた。

18:40頃訪れると、ベッドに座った姿勢が維持できず、仰向けになっていた。

以降、40分はぼやっーとしているが次第に覚醒してきて会話する。

最近、よく口する綿入れのハンテンをとられたという話題に正面から否定すると、次第に意識がはっきりし終いには怒り気味になった。

>よく口する物語の核心部分を否定すると、絶対的な確信をもって、反撃し興奮気味のにる。前々からその絶対性が発現するとき、脳内の動きはどうなっているのだろうか、と強い関心を持ってきたが、今までの研究の結果、具体的な事象は確定されないままだと、養老とかいう学者が動画で語っていた。わからないものは解らないのだと。

>しかし、それにしてもすごい絶対的な自信であり、それに疑問を呈する論議には全く聞く耳を持たない。もしかして自分の絶対性が間違っているかもしれないという疑問符は予め排除されている。

>本人の症状への対応に慣れていないものであれば、そこまで断言される事実を真に受けてしまう。結果、関連する人間関係にひびが入ることもあるだろう。

@それはそれとして、認知症の人のレベルで収まることだが、政治家の中に認知症患者レベルの絶対的確信をもって、断定調の宣伝扇動をするものが時代の裂け目に大衆的人気を獲得し国の政治の方向を左右するようなことが起これば、大惨事の結末が待っている。宗教者のなかにもこの手の人物が混じっているのではないだろうか。架空のことを本当の事実として確信をもって断言し続けられるのは、ある種、認知症レベルの頭脳構造の持ち主ではなかろうか。

@若者がアジって陶酔状態に陥るのはわかる。

@しかし、いい年をしたおじさんやおばさんが政治場面でアジっているのをみると、やっぱり人格欠損の疑いをまず掛けたほうが良い。

@今夜は認知症の実態を体験した。裏面にこういう実態がある。

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W。荘子 吉本隆明「良寛

<生>は天地からゆだねられたものであり、

<死は>天という巨室に眠ることだ。

 

道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。

それは天から逃げようとするからだ。

Wは人間的自然の摂理を直視できず情緒を選り好んで大事に当たろうとしていた。今まである意味で苦しめられてきた裏面をこの際の大事に、情に流して忘れていた。格好をつけたがっていたのだ。天から逃げて人間本位になろうとするから、道徳とか喜怒哀楽とか、政治制度とかが出てくる。

@仁義が生まれるようになって、かえって天下が惑乱した。

道徳を説く聖人がいるから大泥棒が出てくるのだ。「聖生まれて大盗起こる」

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