反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2022年3月24日木。訪問介護の医師に意識朦朧状態の日にち回数状況を報告。土曜日まで分包はあり継続服薬。その後の処方と薬局との連絡はいつも目前にするのに今日はしなかった。明日、グループホーム責任者との面談。ケアマネ事前に訪問。

 近所の92歳の知り合い半年間の老人ホーム生活で亡くなった。高齢者の妻は週2回、差し入れに通っていた。コロナで面会はできなかった。自分の通院と含めて1週間に2回以上、外出していた。両ひざに潤滑剤を注射で注入する状態だった。 

 見守り介護の人は認知症なのでグループホームしか入れない。夕方徒歩で想定されるグループホームのところに行ってきた。帰路様々な思いが去来し、まったくとりとめのない心持だった。

見守値介護の人宅に立ち寄って話したが要領のえないことを言っていた。その反面、細かい身の回りのことなら、十分意思疎通できる。自己規律の高い人で、ベッドの上布団、毛布は必ず起床時に押し入れにしまうので、眠剤が効きすぎている今、敷くときに事故でも起こったら大変なので、いつの通り、本人をベッドの頭の方にいてもらって、毛布、布団の端っこを投げるように渡して、二手間、三手間の共同作業で敷いた。昔の大工の棟梁の娘のせいなのか、手元のような動きに全く無駄がなく、筋がいい動きをするので気持ちが良い。

 沖縄出身の亡くなった高齢者はその世代の沖縄の人の中では精一杯人生を生きぬいた人、と常々敬意をもって接してきた。あの人らしな。体が動かなくなってあわただしく死んでいった。夜間転倒、ろっ骨骨折全治3か月自宅療養、そして再び転倒し頭を強打し出血、有名な脳外科の病院に入院⇒施設入所。

面会2回、持病の通院、リハビリの奥さんは大変で、この状態が続けばどうなるのだろうと思っていた。本人は典型的な自由人で施設生活は合わないとみていたが順調に過ごしているという。友人ができない、とこぼしている、というが無理というもの。プライドの非常に高い人で尊敬の念をもってお互い認め合うような関係にならなければ、話は弾まない。

 見守り介護の人の行き先を思うと暗澹たる思いがする。要介護3にならなければ特養は入れない。身体障碍の認定と比べて認知症の認定基準は厳しすぎる。要介護1でグループホーム入所は、言葉に詰まる。

気のいいひと、と昔からの知り合いの薬剤師は言う。その世代の人にしては子供時代から大切に育てられた、お嬢さん育ちだから、と近所の古い知り合いは言う。

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W。荘子 吉本隆明「良寛

<生>は天地からゆだねられたものであり、

<死は>天という巨室に眠ることだ。

 

道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。

それは天から逃げようとするからだ。

 

@人間が天から逃げて人間本位になろうとするから

@道徳とか喜怒哀楽とか、政治制度とかが出てくる。

 

@仁義が生まれるようになって、かえって天下が惑乱した。

道徳を説く聖人がいるから大泥棒が出てくるのだ。「聖生まれて大盗起こる」

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この夜らの いつか明けなむ この夜らの 明けはなれなば おみな来て尿を洗らはむ こひまろび 明かしかねけり ながきこの夜を

     宮沢賢治の「眼にて言ふ」

  だめでせう

  とまりませんな

  がぶがぶ湧いているですからな

  ゆうべからぬむらず

  血も出つづけなもんですから

  そこらは青くしんしんとして

  どうにも間もなく死にさうです

  けれどもなんといい風でせう

  もう清明が近いので

  もみぢの若芽と毛のような花に

  秋草のやうな波を立て

  あんなに青空から

  もりあがった湧くやうに

  きれいな風がくるですな

  あなたは医学会のお帰りかなにかは解りませんが

  黒いフロックコートを召して

  こんなに本気にいろいろてあてをしていただけば

  これで死んでもまづは文句もありません

  血が出ているにもかかわらず

  こんなにのんきで苦しくないのは

  魂魄 (Wこんぱく注)、なかばからだをはなれたのですかな

  ただどうも血のために

  それが言へないのがひどいです

  あなたのほうからみたら

  ずいぶんさんたんたるけしきでせうが

  わたしから見えるのは

  やっぱりきれいな青空と

  すきっとおった風ばかりです

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 坂口安吾堕落論

>「帰る」ということは不思議な魔物だ。「帰ら」なければ、悔いも悲しさもないのである。

>「帰る」以上、女房も、子供も、母もなくとも、どうしても悔いと悲しさから逃げることはできない。

@「帰る」ということの中には、必ず振り返る魔物がいる。

>叱る母もなく、怒る女房もいないけれども、家へ帰ると叱られてしまう。

>人は孤独で誰に気兼ねのいらない生活の中でも、決して自由ではないのである。

*そうして文学は、こういうところから生まれる。

W。自分は政治的人間では全くなかった。文学的な人間である。

W。文学的人間は天と道の境地に至れないが、自己破滅の道を選ぶことはできる。