反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2022年4月11日(月)。8日(金)夕刻、来宅意思疎通はとれたと思っていたが田舎に明日帰るとTEL⇒駆けつけたが対応できずヘルパーさんに任せる。土曜日、21時脳化視床下部障害による室内風景擬人化、対応できず外出できないように措置。

10日(日)。夜、遠く離れたところにいる近親との電話連絡が取れないのでやってほしいと来宅。留守電になっていた。以前、町内の昔の知り合いの商店主に電話をかけすぎ警察に通報されたことがあった。この人は本人の症状をよく知らないまま、丁寧に対応していたので、繰り返し電話するようになったものと思われる。

こういうことがあるので、留守電措置はもう対応したくないという合図、と当方は受け取った。本人から聴いた話では対応が面倒になったので、本人の田舎の両親兄がいまだに生きている幻想をそのまま受け入れるようになったものと思われる。当方にとっては迷惑な対応であり、面倒でもその都度、きっぱりと事実を言ってほしかった。もっとも、そうしても生きている幻想はゾンビのように復活するところが、この症状が重くなった特徴とはいえるが、繰り返し事実を提示すると、納得する場合もある。当方は必ず、存命を否定してきたが、近親者が肯定すれば、どちらの話を信じるのかということだ。ずっと、一度当方から連絡して事情を聴きたいと思っていたが果たせないまま、施設入所の段階まで来てしまった。そして最後には音信不通にしてしまったのだろうか

認知症介護のリアルな問題はすべて現場の具体的な事情、推移から生じる。

認知症の教科書的理論から生じるわけではない。それは現場介護の理論的な基準になるが、(例えば認知症患者の自立度指標<介護困難度>。各認知症の特徴)現場介護で一番必要なのは介護者の生の介護経験の公表、交流。コレができる環境にあると自分たちがやっていること(いいところ、悪いところ)が客観的にわかってくる。

@その公表、交流の場がない。

介護ブログ記事?以前偶に見ていたが~みなくなった。そもそも反俗日記も自分のために書いている。公開しているのは自己規律に主眼をおいている。以前、のブログサイトに書き連ねた記事が検索に散らばっているのを発見したときは、とにかく恥ずかしかった。抹消の方法を必死で探したが無理らしいのであきらめた。そのサイトで記事を書いているときに別のところに誘われたが移転するつもりは全くなかった。片隅でひっそりと書いていくのが極少数派にふさわしいと割り切っていた。ただし<はてなブログ>などという訳の分からない選択ミスをした結果、残念なのはジャンルごとに散らばっていた記事が一か所に集められたことだ。

このころ、反俗日記の訪問者は激減した。私の記事はまとめて他人に読ますようなものではない。自分のために一つの課題に集中し深堀してきたので、興味ある人は読む、ない人はこの記事、めんどい臭い、となる。

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訪問介護の人たちの入る時間は限定されているので、見守りケアの担当者がどうしても必要になる。ここが欠けている人は、4月7日死亡事故のような結果を招くことが多くなる。

介護保険の認定基準において、身体障碍優先で認知症の認定は厳しい。症状が進んでいても高い要介護度の認定がされないのでデイサービス通所日数も限定されてくる。

@見守り介護の人の特徴はアルツハイマー認知症の症状は進んでいるが身体障害の程度は低いという、介護認定に最も不利なもの。

@記憶障害、見当識障害が悪化し行動心理症状(BPSD)も顕著になっている段階でも今年の夏の認定日まで要介護1のままだ。

>であれば当然にもデイサービス利用も限られてくる。本人はいきたがらないので利用しない。ヘルパーさん利用にも限界がある。よって近所のボランティア見守りケアの負担が大きくなる。以上が見守りケアの人のグループホーム入所までの構図と軌跡である。

@田舎に帰る幻想を利用して入所させるようにしているので、本人とって田舎に帰るは既定の事実のようになっており、目の前の日常生活での不如意にこらえ性がなくなっている状態なので、以前はコミュニケーションがうまくいかなきなった時でも修復できたことが簡単に修復できなくなっている。

 

@処方され1か月程度で中止したディエゴ錠(眠剤)の悪影響もあるのではないか。

アルツハイマー認知症の場合、大脳辺縁系の各種器官に存在するというレキシンの機能を弱めて眠りにつかせるようだが、コレによって海馬(記憶)偏桃体(情緒)脳化視床下部(景色正常認識)が弱体化しているように感じる。なお、この近辺にある臭気を感じる器官は不能となっている模様。

>結局、動物的な本能を司る大脳辺縁系諸器官に障害を受けるというのがアルツハイマー認知症の特徴であり、記憶障害、見当識障害が重くなり行動心理症状が悪化すれば、簡単に架空の理由で外出し、帰宅できなくる、危険性が日常化する。

@そこで、身体保護というこで、施設入所措置が取られるが、頭の機能の保護は難しい。身体と頭の二元的な分離状態がひどい人の保護が一番難しいのではないか。有らぬきっかけで動いてしまうわけだから制御するには拘束状態がどうしても必要になるのではないか。心の病の人たちへの保護にも共通することだと思うが、具体的には見当はつくが解らない。

@しかしそもそも、他人事ではなく自分のことでもある。そういうつもりで接してきたが、解ってもらえなかった。一番残念に思うことはここだ。

>もっとも自分がその手の考え方を持ち込んでいるのかもしれないが、これが終生変わらない個性である。

>自分の本音はここにあるが、その尺度で他人を測るのもいかがなものかということだ。