反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2022年4月21日(木)見守りケアのひと、近所の人3人、訪問介護の人、4人(ケアマネ兼所長、ヘルパー責任者、古いヘルパーさん2名)に見送られて旅立った。キャリーバックを運んだWは車の窓越しに別れの握手をした。がらんとした空き部屋の荷物を近所の人の<お別れの品>に持っていってもらった。

 Wは食事を済ませ、部屋に詰め、最終的な荷物整理をする。いつも黙って部屋の用事をするWに慣れているのか、食事中の見守り介護の人は変りなかった。

昨日も耳掃除や足のケアをするWに言った。「あんたはよく動くなぁ~」

前日にメモッタ品々を揃え、予定の行動をした。ヘルパー責任者が「いつも着ているショッキなので」と持ってきたものを強引一気に押し込んだ。 

 長年、詰めてくれたヘルパーさんが来てくれた。近所の人たちも見送ってくれたWがパンパンに膨らんだキャリーバックを先に施設の車に乗せたので廊下の近所の人達の見送り姿は見ていない。

 施設の車が発車する際に窓を開けてくれてお別れの握手をしたWは別れの近づいたころによく言っていた「ありがとう!」の言葉を忘れただ握手しただけだった。窓越しの見守り介護の人の顔はやつれ気味のように感じた。これが最後の見守りケアのひとだった、と今にしてい思うと、時計の針を逆回しにしたくなる。今まで出会った男女を問わず一番気の良い人だった。

 見守りケアの人の部屋に帰って所長兼ケアマネージャーをベッドに並んで座って、過去を振り返っていろんな話をした。

訪問介護業界の現状は厳しい。特に都会にしては交通の便が悪いこの地域ではケアマネを募集しても集まらない。4事業所が廃業したと。最後は、廃品回収業者がコロナ渦で身動きの取れない状態であることまで話した。エアコン、風呂設備は取り外しても高価な廃品として持って行ってくれる業者がコロナ渦で身動き取れない状態なので、撤去費用がかさむ。風呂設備7万円(ステンレス浴槽)だとか。Wが取り外し作業をし、廃品回収業者にもっていってもらうとダダ同然になるとおもう。

 所長ととの話の終了後、見送りに来てくれた人たちに連絡し空き部屋に残された品々を<お別れ>として気に入ったものをもっていってもらうように手配した。みんなで色々昔話をしながら有用物はほぼ片づけた。

何か残酷なことをしているように感じていたが、自治会があるのになぜガレージセールのようなものをやらないのか、と前々から思っていたことを実行したまでだ。

遺影、と位牌が残ったままだった。それから死に装束も出会ったときに託された。

どうしようか?

Wは約束は果たすべきだ。

見守りケアの人を背負って生きていくのも運命にチャレンジし続けたWらしい。

不甲斐ない自分ではあるけれど、この責は果たそう。

Wの中に見守りケアの人の一本の柱をぶったてよう!

@一度もあったことのない、ただ見守りケアつながりの人たちの遺影と位牌を部屋に安置しよう。

>コレが戦う唯物論者の回答だ。最後は心を大事にする、守っていく。

 

この部屋の用品はほとんどWが自腹を切ったり、本人のカネで買ったものだ。何しろ便利屋、代行屋を自認していたので、即断即決、そのうちとか、いうのはなかった。

 

 作業しながら近所の人と話して分かったこと。 

施設に入っても見守り介護のひとのように籍を抜かず家賃を支払ったまま、部屋を維持している顔見知りの2名のケース。

@よくよく考えると、<老人健康保険施設(老健)>という中間施設に入所できた人達だろう。

建前上<老健>施設は在宅復帰を名目とした施設ところが実際はここに長年滞在し、入所施設がないままなくなっていく人が多い。あるいは要介護3以上の入所条件の特別養護老人ホームのアキマチで、老健に入れたひとたち。国方針ではこういった老健施設の滞留を止めたいが実際は存続している施設が多い。

 他方、見守り介護の人のような認知症の人は介護保険の認定基準が厳しく、要介護1でしかないが、認知症は進んで徘徊が現実化し在宅生活が困難になっている。こういったケースの人が一番悪条件の施設入りをしなければならない。他人がどうこうの比較以前に認知症に対するきちんとした認定基準が出されていない、ところに不公平が生まれている。

 見守り介護の人は、介護保険の認定日を過ぎたころに診療所がCT画像と脳血流検査をするという事態が3年前の認定の時期に発生している

@最新の判定基準になる材料が滞ったまま、認定が下りておるという現実に対して怒りを発したのはWだけだったしかも診療所まで出向いて来いという。そういうところが体制を整えていますから、などと平気でいう。

 この系統の団体に接触した感想は間口広く奥行き狭い。

特に認知症に関しては典型的な施設収容主義をとっている。認知症=どうしようもない病気観念が徹底している。戦車に竹やりだから認知症介護はやめろ、「切れ」と幹部は言う。もともとかかわりのない人たちだったが。しかしそれは、認知症の人を早々と施設に入れた介護者が充当の活躍ができる、という前提がなければならない。ぼさーっと時の過行くままに流されて生活している者にとって、介護へのチャレンジも悪いことではない。

 Wは認知症の人の見守りケアをすべき宿命だった。それが使命だった。

己の不甲斐なさ至らなさへの絶望も真摯に受け止める宿命だったが、今後、宿命を使命に転化する方途が見つからない。

 

 数日前に見守りケアの人と話したときに「あきらめる」ということを語った。

見守りケアの人は年を取ると、ばかになることも必要、と返した。

Wはその点、自分は馬鹿になれないのでくろうする、あんたはえらいと応じた。

見守りケアの人は最近、柄になくこれも運命と思うようになったと唐突に語ることが度々あった。Wは執着しないことは最高の人間的な行為である、とずいぶん前に想い出した。