この方面の課題は日本と世界の経済政治軍事、そして最終的には歴史の趨勢の大枠と硬くリンクしている、という基本認識を持っている。
自分の関心が集中する分野はむしろ、こちらの方である。
そういう方向の関連から、アメリカ側から見た次のような視点が参考になる。間違った、乱暴な指摘として。
HUFF POST WARLDー国際ー 2013年10月22日
この配信社の記事は以前、記事で取り上げた。
裁判でも通用するようなリアル証言、事実を基にした良い記事だった。
タイトルの主旨とかけ離れるが、敢えて再確認しておきたい。地道に事実を積み重ねて実証する記事は威力を発揮するが、大風呂敷を広げた記事には米国発らしい欠陥、丸出しを証明していく。
その記事の第一点の要点は
当時の事故現場から、選ばれて立ち去る職員(将来ある若者は避難せよ!の現場指令。)の生の証言から、明らかにしたものであった。
1号基爆発以前に、バスに乗って立ち去る途中で、強力な核生成物が飛散した時だけに作動する場内警報機の音を聞いた、というもので、裁判所の証言でも通用するような客観的証拠だった。
恐らく作者の隠された意図もこの点にあった、と思われる。
二点目は大手ジェネコンが取り仕切る除染処理作業の実態報告である。
末端作業員のあり方に注目した、これまたリアルな記事だった。
今回の記事は上記の記事とは違って、日本の原爆投下されて以降の生の歴史、日米の風土の違いを無視した、上っ面を撫でただけの駄文である。
ただ問題提起は鋭く、良くまとまっており参考になる。
原発事故関連では少ない海外記事のほうが、バイアスがかかってない分、参考になることが多い。
が、はっきり云えばこの記事は何も解ってないに等しい。
この記事は国際版であり、作者は恐おそらく、広島の原爆資料館に行った事もないと思う。
戦後日米関係の歴史もリアルに知らないと思う。日本側から見た事情と言い換えれば公平だが。
歴史上における米国の特殊的立場への考察もない。
アメリカ的思考パターンを世界基準とするかのような姿勢が満開した乱暴な記事である。
総じて云えば、アメリカ的経験主義の皮相な見解である。
確かにこの記事の中では事実を有りのままに簡潔にまとめている。
>ただ記事が最後に結んでいるのは、煎じ詰めると戦後の日米の関係、東アジア、アジア関係、延いては戦後世界体制を問い詰め、最期には日本政治思想のあり方にまで及ぶ問題、課題系列である。
ーなお、符号はWが勝手にフッター
この作者は簡単に「イ)米国はウランを原子炉で燃やした後は再処理せず、そのまま廃棄するワンスルー方式」
とか「米国における原子力開発に対する考え方はシンプルだ。
(1)核戦略上、原子力開発そのものは必須と考えており、この分野からの撤退はまったく考えていない。
(イ)”だが商用ベースの発電所については、民間ベースで純粋に経済合理性だけで判断すればよいというものである。」などといい、最後は次のように締めくくる。
(1)核戦略上、原子力開発そのものは必須と考えており、この分野からの撤退はまったく考えていない。
(イ)”だが商用ベースの発電所については、民間ベースで純粋に経済合理性だけで判断すればよいというものである。」などといい、最後は次のように締めくくる。
「 原発問題には、1)安全保障(核戦略)、2)エネルギー自給、3)コスト、4)危険性という4つのファクターが存在しており、その他の発電技術とは大きく異なっている。
原子力開発の是非について議論するためには、この4つのファクターのどれも欠かすことはできない。
日本の原子力開発が迷走しているのは、この4つについて真正面から議論してこなかったツケといえるだろう。」
原子力開発の是非について議論するためには、この4つのファクターのどれも欠かすことはできない。
日本の原子力開発が迷走しているのは、この4つについて真正面から議論してこなかったツケといえるだろう。」
この結論に至る論証過程では、日本の中曽根や正力(本文は実名は挙げていないが挙げなければ問題の所在がハッキリしない難点が出てくる)の原発導入時の思惑に日本核開発の隠された意図があったと事実上断定するかのような記述をして、(注)。
その後の原発建設の増加は経済成長に特化していく、
<迷走過程>として抽出している。
3)や4)は後者への特化=暴走とすることは多くの日本の人々には理会しやすい。
日本支配層は戦略展望乏しく信用できない、肝心な時局では平気で国民を犠牲に供する信用できない輩である、と断定している。コレはブログに一貫する基本トーンである。
ではお前に政治戦略があるかと問われるとNOといつも痛感する。
米国原発市場?では、原発建設はあくまでも(A)核開発の付随するものであり、さらには(B)米国では投資リスクをまず何より、問題にすることから、原発建設に対して政府の財政援助の誘導が不可欠で、日本のような民間企業の無限責任のような立法措置はあり得ない。
かなり極端な例だが、石棺化という意味でも福一事故に引き付けると興味深いものである。
1963年稼動開始 1964年運転停止 石棺化
<概要>。
圧力容器の内側を被覆したステンレス製の暑さ1~2インチの内張りに稼動早々の腐食、ストレスによるひび割れに判明。
<概要>。
圧力容器の内側を被覆したステンレス製の暑さ1~2インチの内張りに稼動早々の腐食、ストレスによるひび割れに判明。
>修理費用と将来の利益を天秤にかけて、廃炉決定。the nuclear components sealed in concrete各施設はコンクリートで密封した(石棺化)。廃炉は1965年に完了した。
>あり得ない短期間で、廃炉作業が完了する不思議。(この箇所は4~5年をアップ後に修正した。気になる方は日本語ウィキから英文に飛べば解る。
>ドイツ(再処理施設は80年代に中止、英仏に委託)の場合廃止作業は10年ほどかけている。
<ドイツの原発事情の概略>。
*導入時期は日本よりも10年早い。1961年稼動開始。GE製シーメンス発注。
運転中8基。 一時停止2基。 運転停止(廃炉決定)5基。 解体中15基(旧東独地域のロシア加圧水型9基)。 解体準備中2基。 廃炉3基。
原子炉建屋の周辺機器から段階的に解体を開始して、最後は圧力容器まで処理する。
スクラップ再利用約80%、放射能汚染廃棄物20%。ドイツ人らしく廃炉計画は用意周到、作業実務は丁寧。
原子炉建屋の周辺機器から段階的に解体を開始して、最後は圧力容器まで処理する。
スクラップ再利用約80%、放射能汚染廃棄物20%。ドイツ人らしく廃炉計画は用意周到、作業実務は丁寧。
>コレが云うところのワンスルー方式(経済効率悪ければ廃炉、建設計画中止も大有り。)の典型である。
戦争中に製造し、いらなくなった膨大な爆撃機や戦闘機を広大な土地にずらっと並べて放置しておく感覚である。八リウッド映画「我等の生涯の最良の年」監督ウィリアムワイラーで主人公の元空軍中尉はこれら放置爆撃機群の解体作業に職を見つける。アメリカ公開1946年日本公開1948年。当時のアメリカ中西部小都市市民の「上」中下、各層の生活実態、イデオロギー傾向が二つのラブストリーの同時進行と共に、良く描かれている。
アメリカはこの時代から、たいしてよくなっていない。むしろ後退。比べて日本が確かに物質的には豊かになった、と実感できる映画である。
この監督の最高傑作はコレであると思う。
アメリカ原発建設年代(運転停止中、も含む) ートータルの数字はあわないが大体のところ。ーウィキアメリカの原発より。
1960年代建設 6基
1970年代 49基
1980年代 41基
1990年代 3基
1960年代建設 6基
1970年代 49基
1980年代 41基
1990年代 3基
<2000年代 1基>
原子炉からは数百ヤード離れた地点で、敷地内で警備にあたっていた人と撃ちあったらしい。
幸い弾は誰にも当たらなかったようだが、よりによって原発を狙うなんて恐ろしい。
すごい事件だと思うのだが日本ではまったく話題になっていない。 あちらのニュースもまともに取り上げているという印象はない。
現在調査中で、まだ犯人は捕らえられていない。あちらのサイトをみると報道管制=Media blackoutが敷かれているらしい。
幸い弾は誰にも当たらなかったようだが、よりによって原発を狙うなんて恐ろしい。
すごい事件だと思うのだが日本ではまったく話題になっていない。 あちらのニュースもまともに取り上げているという印象はない。
現在調査中で、まだ犯人は捕らえられていない。あちらのサイトをみると報道管制=Media blackoutが敷かれているらしい。
>2号機も作りかけてはいたが、途中で同じ加圧水型のスリーマイル原発で事故が起きた。
>>その後20年もの間、2号機の建設は中断されたのだが、25億ドル以上の予算をつぎ込んだ原子炉を稼働させないわけにはいかなかったようで、6年ほど前から建設再開。
>>その後20年もの間、2号機の建設は中断されたのだが、25億ドル以上の予算をつぎ込んだ原子炉を稼働させないわけにはいかなかったようで、6年ほど前から建設再開。
そしていよいよ2012年に運転開始!と思ったら2011年3月に福島で事故が起きてしまった。
そんな中、昨年8月にワッツバー原発で漏らしてはいけない水が漏れてたとかで?数百人の従業員が避難したようだ。詳細はわからない。
それでも2号機はまだあきらめていないようで、日本原子力産業協会のペーパーには、2013年以降に稼働の予定とあった。
動いているやつも止まっているやつもワッツバーのは30年以上前の原発なのだ。
もうボロボロなんだろう。
もうボロボロなんだろう。
W。2号機を執念深く、再建するモチベーションはある。
>W。英文ウィキ、Watts Bar Nuclear Generating Station。Tritium production(トリチウムの生産)の項目を参照する。
この原発では電波吸着体の棒を多数、挿入し、トリチウムを吸着させて、ノースカロナイナ州のトリチウム抽出工場に売って、この工程にかかる経費を浮かしているようだ。
>W。英文ウィキ、Watts Bar Nuclear Generating Station。Tritium production(トリチウムの生産)の項目を参照する。
この原発では電波吸着体の棒を多数、挿入し、トリチウムを吸着させて、ノースカロナイナ州のトリチウム抽出工場に売って、この工程にかかる経費を浮かしているようだ。
最初から海に希釈拡散、アリキだ。
国際版の記事は以上のような現実を踏まえて書かれている。
がしかし、
そのような米国のような環境は日本に備わっているだろうか?
日本には日本の限界があり、ソレを米国の環境と単純比較して、米国のやり方が決していいとは思わない。
米国にも限界と歴史的特殊性があったし、記事のような向こう見ずな論理を振り回していることから、今後もあり続けるだろう。
そして敢えて言えば、そうした一種の米国製イデオロギーに表層浮遊的に同調したり、納得するものに待ち受けるのは今までの歩みから外れた、あるいは一歩前進二歩後退の時期に足元を見つめないエイヤッの跳躍である。
1)2)と~3)4)はの間には、問題、課題系列の質量次元の大きな段差がある。
この3)や4)の文言を勝手に言い換えると、我々日本国民の身近な日常生活の問題である。
この問題系の細々とした指摘は避けるが、この次元の問題課題系列をキチンと大切にして考え行動することは、民主政の根本原理である。
少なくとも、地位や名誉、財産が付着して自動的に生活できるもの以外はもっとも大切なことである。
そう言ういう意味で日本の戦後の歩みの大枠は間違っていない。エンジンでもあった。
ここを疎かにして1)やら2)というのは、順序が違う。
もっと云えば、「戦い」には順序というものがある。
3)や4)次元の戦いをキチンとやりぬく。ここが肝心。
ソレができないものが1)やら2)を安易に考えるから、間違いが起こる。刷り込み洗脳、言いくるめられるのである。
日本の戦後政治史を見れば、1)や2)次元の問題、課題系列に関連して我々日本国民が思考し行動しなかったわけではない。我々は限界ある中で考え行動してきた。
キチンと時系列に沿って、振り返って、検証する必要がある。
1)とか2)は明らかに第二次大戦の敗戦と戦後の日米関係、延いては東アジアーアジア関係、もっといえば、戦後世界体制の問題、課題系列に深く関わるものである。
1)核戦略、2)エネルギー政策と筆者は簡単にまとめるが、この問題、課題系列は庶民や識者の頭の中にあるのではなく、国家と国家のリアルで生きた関係や国家と国民、支配層と庶民の生きた現実関係の中だけにある。そこを勘違いしている人が多い。
こう思います、ああ思います、とかの意見発表の場をかけ離れた問題、課題系列だと、我々自身がまず踏まえる必要がある。
1)や2)の我々の対象にも限界があるし、我々自身に必ず限界が存在している、と知る必要がある。
対象の限界をまず、見つめるべきだ。
今回の記事ではコレ以上のことを書く必要はない。
(注)
決して安保条約解消、日本独立では無い。
日本が米国から独立して核武装するということは、日米対立はいうに及ばず、核拡散防止条約IAEAの<戦後>世界体制からの離脱を意味する。(冷戦体制崩壊後の継続している。平和共存とも称した事実も重い。故のい継承でもある)北朝鮮化であろう。
外務省が必至になって、IAEA議長職を求めた意味はせいぜい以下の~の文脈である。
エマニュエルトッドが「帝国以後」において危惧しているのは、日本が米国の下請け戦略のまま、核武装して世界に打って出ることである、と仮定して、ソレは世界にとって日本が武装されていないことが悔やまれることになる、暗示しているのである。
あくまでも暗示であり、抽象論であるが、彼の時代を読む予言力は鋭い。
>平成24年度通商白書、その他から得た結論は
日本経済の成熟段階は2~3の産業成熟化と広域経済圏必要の中間段階で、ほぼ3)の広域経済圏必要段階にある。
ドイツは3)完全段階で、拡大EUの大枠を獲得し負担もあるが、利用している。
3)~4)は米国の国民経済空洞化強進行の段階である。
4)は英国で完全に金融機関商業の主導になって衰退してきた。
以上の成熟段階区分で見ると、広域経済圏必要段階の日本のまさにその広域経済圏がTPPなどという各々特殊性強すぎの連中との経済圏構想に置き換わっている。
日本国民多数にとってこれから先、TPPで良い目にあうことはない。
2020年の東京オリンピック開催時には今進行中の内外情勢の全貌はハッキリしているだろう。
現時点のファシズム到来は時代錯誤であり、現実を見つめない見解と考えるが、今後、世界に対する国民経済の規模の縮小は避けられない。
グローバル資本制を前提にする限り経済の法則である。
ジタバタしないで余計なことをやらず、合理的選択をしたほうが一番良い。
マネーや所謂、資本に国境は無く、アナーキーに運動する。それを制御できる大枠が国家に無い。
グローバリズムは金融寡頭支配と一対になって、国家の事実上の支配者が彼等になっているからだ。
国家の果たす役割は治安維持、軍事、政治共同幻想の煽動などに限定されていく。
先進国で民主政は衰退傾向になり、後進中進国で民主政は成長する趨勢にある。
日本はオランダような国のあり方を参考にしたほうが良い、と漠然と思う。
しかし今政府がやっていることは歴史の歯車を逆回転させて時代に即応する最悪パターン。
まだオバマ民主、共和両党の米国政府関連のシャットダウンの前向きの揉め事である。
揉め事の核心に国民保険制度を巡る政治路線の対立があり、民主党は長年の約束を果たそうとしている。
日本では振れ幅が大き過ぎる。
政治に対して無駄で余計な期待があるからだと思う。依存政治観と言い換えても良い。