反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ポスト官僚制時代の新たな市民運動のために~ネグリ「帝国」議論を現状に当てはめる問題点~1、米国一極支配の時代の理論2、国家権力の実体支配スルー3、国家ーグローバル資本複合体と読み替えよ!

      3新自由主義市民社会の登場
(1)再編される市民社会
W。この項は新自由主義市民社会論ではない。市民運動、ボランティアの現状を踏まえた市民運動、ボランティア活動の議論に終始している。
文脈の指摘していることは、現場で実際に起こっている事例を取りまとめたもので、概略は間違っていない。
しかし、前項の最後にネグリの「帝国」の概念を登場させてきたあたりから、ネグリの国家権力の実体的支配を抜きにした「帝国」理論の枠内で、自ら提出した問題を強引に処理している。
現実の社会関係はもっとリアルにとらえるべきであり、大ざっぱに抽象化すると、そこからこぼれおちる現実があまりにも多くなる。現場サイドの立てば、社会関係を大ざっぱに抽象化した、ところからこぼれおちる現実が大切である。
 引用
「それは地方自治体の無策と失政の付けを住民におわせ、問題解決を自治体の下請けとして無償で住民にやらせるようなものだ。
>その意味で住民もまた、NPM改革のなかで、新たな官僚制の無償労働者として組み込まれつつある。
>新たな「帝国」の官僚制が登場しているとしたら、それとともに『帝国』の住民、云いかえれば、新自由主義市民社会も作られつつあり、そこから逃れることは極めて難しい状況にある。」
 
W。今の時代に不適切なネグリ「帝国」概念による、リアルな内外状況への一刀両断の切り捨てである。

      ネグリ「帝国」議論を現状に当てはめる問題点。
1)ネグリ「帝国」概念は、冷戦体制崩壊後の米国一極支配の一時的現象を米国主導の各種世界機関の機能をキーワードに過大評価したものであり、その後の新興諸国台頭(世界の多極化)→米国バブル崩壊(EU金融危機)→世界恐慌脱出後の米国、EU、日本の金融帝国主義(経済システムの異なるロシア、中国を巻き込んだ世界市場の相克激化)の政治経済過程によって、理論の枠組みとしての有効性を失っている
>時代状況を説明する概念としての有効性の喪失は、、まだ米国一極支配の続いていた2001年9,11を受けた米国単独行動主義によるイラク侵略戦争を区切りに起こった
イラク侵略戦争以前に出版され、米国バブル崩壊を予言したエマニュエルトッドの「帝国以後」は、ネグリ「帝国」よりも、米国の実像に迫っている。
具体的にアッジアインフラ投資銀行など、今の世界状況から考えてみるとすぐわかることである。
 
2)国家権力の実体的支配を抜きにしている
「新たな「帝国」の官僚制が登場しているとしたら、それとともに『帝国』の住民、云いかえれば、新自由主義市民社会も作られつつあり~」←意味不明としか言いようがない。何となくそう感じる程度のムード論であり、「帝国」の実体が示されていない。
今や、日本は米国の属国(間違い従属覇権である)とまで揶揄する人たちが表れている時代状況のなかで、「帝国」とは日本の国家機構をインクルードする国境なき巨大資本と国際機関のことなのか。それとも、日本の外に存在するそれらであるのか判然としない。
そうであれば、「帝国」の住民とは?どういう状態の住民なのか。新自由主義市民社会の説明は、基本的に市民運動、ボランティア論で代替えされており、ネグリ議論による一刀両断の切り捨て以外に何の説明もない。
 
次の指摘に「)国家権力の実体的支配を抜きにしている。」問題点がはっきりと表れている。こうした観点は大混乱した不真面目議論そのものである。
>「新自由主義的な搾取の段階を経て、財政危機と福祉国家の行き詰まりが叫ばれるようになった先進国自体が、今や搾取者の側ではなく被搾取者の側におかれるようになったととらえるなら(W?国家権力の実体を抜きにしたムード論)、まさにネグリのいう「帝国」が田舎に住んでいる地方住民の目の前にさえ明確な姿を取って表れている。
 >「そうであれば、NPMは旧来の官僚側の弊害を克服するように見えて、実際はそれを新たな官僚制、すなわち「帝国」の官僚制~国家や自治体に仕える官僚制ではなく、「帝国」に仕える官僚制へと再編しつつあるのではないだろうか。」
W。この文脈から「帝国」は先進国それ自体をも搾取し、その国家権力の外部に存在している。
 
(3)「帝国」的状況を<国家ーグローバル資本複合体>と解釈すると国家権力実体と支配階層、グローバル資本の在り方を浮き彫りにできる。
後に「国家ーグローバル資本複合体と官僚制の行方」で詳しく取り上げる。
 

   (2)深刻化する地位間競争 W。米国ではもっとはっきりしているのではないか。
実際、NPMが地方自治体の間に広まった拝見には、財政悪化と少子高齢化に伴う地域間の住民獲得競争が始まったことがある。
つまり、税収を維持するためには住民を別の場所から引き入れる必要があり、そのためには住民から選ばれる自治体にならければならない、という意識の高まりである
そこから顧客志向と地方自治体の仕事をサービス業とみなす考え方が根付くことになる。このことを意地悪な見方をすれば、それは、地方自治体が住民ぐるみで商売をはじめ、客寄せを行うようになった、と云える。
 
しかし、事態はさらに深刻で、地方自治体どうし(例えば、県どうし、市どうし)だけでなく、
地方自治体内部の小さな地域(村や町、学区)の間でも住民獲得競争が起こっており、地域住民が新住民獲得のためにボランティアで様々なイベントを行ったり、地域のブランド化を進めたり、地域の空き家を紹介したり
自治体が新住民に報奨金を与えたりすることはもはや日常的になりつつある。
 
*皮肉なことに、<住民生活のために地方自治体が必要なのではなく><今や地方自治体のために新たな住民が必要>になっているかのようだ。
W。橋下「いしん」の大阪都構想大阪市廃止、財政権限縮小~府への一元化~5分割「区」設置構想は、こういう問題をはらんでいた。
公示中、反対派は指摘していたけれど、説明は不十分だったし、分かり易く説明するのも難しい。実際に、将来確実に発生することでも、専門領域に至る問題は、一般住民にとって、なかなk想像力は及ばない。ココが盲点になる。
 東京都~23区制度は一極集中(海外からの集中も加味される)の特殊な「繁栄」状況のために、この種の問題をはらんでいることが覆い隠されている。もっとも、東京都でも郊外の三多摩地区の各市の財政力は全国ベスト20に7市も入る程、良好である。23区のように財源が都に取り上げられていないからである。
住民投票に関連して調べた結論では、東京都はともかくも、東京市と云う自主財源を確保できる大自治体が仮にあったとしたら、一極集中のなかでも、もっと多種多様で豊富な情報と文化が首都から全国に発信されていただろう。一極集中で巨大な情報発信源において、戦時中の中央体制が維持されてきた弊害は、全国に及んできた、と確信している。
東京の都区制度が間違っているのであり、大坂の府市制度が真っ当な制度なのに、目先の現象に捕らわれて、世界的視野から地方自治の在り方を見ていない。大阪のような的外れな地方自治改革をしているのは、日本全国はもとより、世界中でも珍しい。
 
「こうした地域間競争が激しくなれば、当然ながら勝者と敗者がまれる。
しかもそれは公平な条件でも競争ではなく、ぬ孫部をはじめとする田舎の地域は最初から重いハンデを負っている。
それでも、この強いられた競争において人口が増えなければ、コストの観点から学校や病院、バス停、郵便局などが失われ、ますます人口が減っていく。」
 
  <コンパクトシティー構想>
(報告書などでは)地域間の競争や都市部への人口集中の果てにどのような帰結が待ち受けているのかについて一切触れられていない。
 
地方自治体のNPM改革において、住民は顧客と位置付けられながらも、他方で「下請け労働者」として自発的に新たな官僚制へ組み込まれる側面があること、
そして住民同士の競争によって、(特に農村と都市部)に亀裂が深まりつつあること、
NPM改革が地域間競争を煽りたてるものでありながら、その競争の先にどのような世界像が描かれているのか全く想定していないこと、を指摘する。
 
 
    参考資料
2015/05/30 【岡山】三田茂先生 講演会 「私が東京を去り、岡山に移住した理由・一開業医の判断」IWJ(動画
W。まさかこのような角度から取り上げられるとは、思っていなかっただろうが、福島原発事故によってひきこされた~地域間競争~の事例である。
 
>なお、この医師の見解に対する意見は次のグラフとウィキペディアチェルノブイリ事故との比較に要約できる。
 
   ウィキペディア  チェルノブイリ事故との比較
チェルノブイリ原発事故現場のドキュメント映画は、劇場で、韓国光州事態のドキュメント映画と同時上映されていた。
4半世紀以上前のことなので、後者の映像の記憶は、頭の片隅にも残っていないが、チェルノブイリのドキュメント事故の炉心が爆発し跡かたもなくなっている現場にスタッフが直接潜入し撮影した不気味極まりない映像と低音のロシア語のナレーションは今でも記憶に残っている。
映像は跡かたもなく吹き飛んだ炉心の場所に立ち、建屋の残骸をぐるっと見渡して撮影されていた。福島原発事故を経験した今から想うと、事故直後、直接石棺作業に取り組んだ労働者兵士とともに、絶対にあり得ない撮影である。
チェルノブイリ原発事故現場は、福島原発事故の1~4号機の破壊具合とまるっきり違う、その場所で原子爆弾が爆発した状態に近いと、記憶している。
この映像記憶もあって、ウィキペディアの<チェルノブイリ事故との比較に挙げられた各数値を信頼するとの結論に早い時期に達していた。
炉心インベントリーとは、(炉心に蓄積されていた放射性核種の存在量)のことである。
チェルノブイリ原発4号機 福島第一原発
(1〜3号機の合計)
代表的な核種における炉心インベントリーおよび放出割合の比較
放射性核種ヨウ素131セシウム137ヨウ素131セシウム137
炉心インベントリー(1015Bq)32002806100710
放出量(1015Bq)〜1760〜8516015
放出割合(%)50-6020-402.62.1
 チェルノブイリ原発事故は試験運転中の運転ミスによって核分裂反応の暴走から、核爆発に至った。
他方、福島原発事故は制御棒を差し込んだ状態での、津波停電、あるいは地震そのものによる冷却水循環系の停止による炉心メルトダウンである。核爆発には至らなかった。ただし、チャンバーの安全弁を手動で開けなかったら、どうなっていたかわからない。
核爆発を起こしたチェルノブイリ炉心溶融落下した福島との違いは、ウィキペディア  <チェルノブイリ事故との比較>の各数値にはっきりと示されている。
 
     <追記>
今の戦争法案審議の国会情勢、TPPから、天下国家の問題を論じるのが先決であるが、一番大切なのは、地の群れとしての庶民の労働生活命健康の課題から具体的に考えていくことである。
それが住民投票で、なかなかできなかった大阪市民であった。政治的知恵助けられて反対票が辛うじて上回った。教訓!自民党には、他の政党の及ばない政治の知恵がある。
>自民はおそらく、参議院選挙では憲法問題を焦点にする選挙戦を展開するはずである。もうこの手しか残されていない!アベは著書「美しい国へ」で自分の土俵を設定して、戦うことが勝利のカギであると主張している。昨年暮れの衆議院解散はこの手を使った。
 
アベ政権の最大の眼目であるアベノミクスの大失政は、2014年暮れの消費低迷を理由とする衆議院解散都選挙結果で何とか乗り切ったが、それ以降の経済停滞で明らかになっている。事実は政治幻想で覆い隠せない!
>しかい、現実から国民大衆の耳目をそらすために、「憲法」問題」という一般には身近に感じられなくて、なんとなくムード的になれる大政治問題が、庶民生活の現状から目をそむけさせるために、自民党発信、マスコミ協賛、一部、護憲原理主義野党大反発の下、展開されようとしている。
橋下「いしん」の住民投票と同じ手法である。
確証はないが、なんとなくの危機感を煽り、政治と行政の実務を飛び越えた抽象、ムードの政治空気の創出によって、異次元の政治空間に民衆を引き込む手法である
 
>護憲原理主義政党の欠陥は、その政治主義、軍事主義情勢認識が庶民感覚とかけ離れていたところにある。未だにれが分かっていない。ぬるま湯からなかなか抜け出せないのと同じである。
>また、情勢を単純ファシズム回帰イメージとしがちな急進民主主義「」勢力は、アベ自民の窮地から設定する土俵にのってはならない。
歴史上、戦争と民主主義、平和は別の次元でこれまで存在してこなかった。歴史的に表裏一体もので、コレがむしろ常態であった。日本本土は例外であった。日本本土の戦いは粘り腰に欠けている。
 
リミットを何処に設定するかの問題である。戦後から今のにるドイツは参考になる。
 
共産党の志位委員長は国会質問でドイツのアフガン派兵問題を例に挙げて、質問していた。
今の日本に適切な核心的な問題設定であるが、肝心なことは、志位委員長の質問の、その先の問題、課題について、今の日本の内外情勢に照らし合わせて、考えを深めることである。
その意味からして、アベのやっていることは、まだリミットに達していない、と考える。だからこそ、アベの得意戦術の憲法問題の土俵に乗ってはならない。
野党の特定勢力は、アベ自民の設定する土俵に乗らず、憲法問題へのすり替えを許さない、生活労働命健康の地に足をつけた議論で対抗すべきである。
 
>なお、この医師の話には、それはそれとして尊重するが、納得できない部分がある。動画の中で、東京小平市から2014年に岡山に移住した根拠と小平市の被曝環境の関係が十分、科学的に説明されていない。被曝環境の説明はかなり以前の事態である。多くの東京からの緊急避難者が帰京する中で、移住を決断したのは、被爆状況とは違う個人の趣向の問題ととらえられても仕方がない。なお、原発事故直後でも、一般論として、東京から避難する必要はなかった、と判断していた。
 
被曝線量とがん死亡リスク                      微量放射能の害評価
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