反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ルーキー右翼手板山祐太郎、再論。1軍登用若手各選手の評価。2軍DH、1塁、捕手兼用で使われてきた椎間板ヘルニア の原口文仁捕手の活躍、連続全イニング出場と矢野作戦バッテリーコーチの特徴。

        <追記>2016年5月7日(土)18時アップ
    <阪神投手継投>
ストッパーを残して10対5の負け試合に全員つぎ込んだ。ドリス7回投入以降の投手継投、不安定→高宮。石崎、安藤。後攻で9回までに打ち勝つしかなかったが、ヤクルトのリリーフ陣の力からすれば、阪神そ打線にその力はなかった。先発がともに3回に崩れ、ベンチワーク及びリリーフ陣の優劣のハッキリした試合である
 
 ここ数試合の経過からドリスはセットアッパーの位置づけのはずなのだが、なぜ7回投入?
ドリスの数試合の投球内容に不安を感じていたから、先につぎ込んだと思えるが、後のリリーフも不安いっぱい。
であれば、腹を決めて、ドリスは後に残した方が適性をはっき見極められて、良かった。結果、不可解な投手リレーである。このままでは、なかなかリリーフ投手陣の勝ちパターンの方程式が確立できない。

阪神の中継ぎ投手陣の強化が求められるが、7人しかベンチ入りさせていない
なお、この日は開幕以降、続けてきた先発ロー手投手陣の試合見学ベンチ入り無
今シーズン初めの快挙であるが、今までベンチ入りは何だったのかという大疑問が湧く。捕手2人制とともに深い根拠なき思いつき。ヤクルト8人ベンチ入り。

ヤクルトのような強力打線相手に試合がもつれる可能性があり、中継ぎはめいっぱいベンチ入りさせるべき
結局この日のゲームの阪神はいつものように25人ベンチ枠を使い切っていないベンチ入り選手24人。ヤクルト25人

この不可解がいまだに解き明かせない。
 
見学要員の説明は、当記事を読んだのか知らないがサンケイスポーツ記者が金村ブルペンコーチに問いただしている
>が、当記事の疑問はそこにとどまらない。
端的にはブルペン投手枠の拡大だが、野手も含めた25人枠を目いっぱい使いきらないのか
こう言った員数の少ない野球は1シーズンを通して、個々の選手、特に投手陣に負担を背負わせることになる。勝てた試合も員数不足で落とす。

この日の5点差の負け試合にストッパー以外の全投手をつぎ込んでいる。
 
>>ファームの先発投手などを敗戦処理投手に回せば済むことである。

こういった陣容の決定権を持っているのは金本監督に権限を丸投げされた矢野作戦バッテリーコーチであリ、投手コーチの香田ではない。

*矢野の異常、カルト野球は野球のセオリーを無視している。
長いシーズンを通じてその罪科はハッキリと成績に反映するものと考える
*矢野は監督経験のない金本監督の足を引っ張る存在であり、学習能力欠如、懲りないヒトのである。
*これからも素人目にも不可解な投手陣の在り方、リレーは続くとみる。

金本監督は想いを達成しようとすれば、足を引っ張る参謀適正最悪の、矢野を切るしかないが、この両者は、アンビバレントな関係である
*****
 
結局、一つの大仕事を成し遂げようとすれば、気心の知れた仲とか、選手時代の盟友関係は、シニカルに仕事のできる、できない、に集約されてしまう
失態続き矢野の仕事の穴は金本が背負わなければならないのである
コレがシビアーな世間の仕事関係である

藤川(3回6安打2HR5失点) 、榎田(2回0失点) 、高橋(1回0失点) 、<ドリス>0回3/15失点 、高宮(0失点) 、石崎(0失点)
安藤優也(0失点)  -  原口
    ヤクルト投手継投
ペレス(3回3/2) 、村中 、秋吉 、ルーキ 、松岡 、オンドルセク  -  中村
   
  阪神ベンチ入り選手
■投手
 
(榎田 大樹)使用済み
 
(石崎 剛)同上
 
>マテオ ストッパー
 
(ドリス)    7回登板 決定的ピンチ招く
 
安藤 優也)使用済み
 
(髙橋 聡文)使用済み
 
(高宮 和也)使用済み
 

「反俗日記」2016/4/30(土) 午後 1:56記事。
 
 5月6日(金)、阪神VSヤクルトをONにしたとき、この試合の明暗を分けた1回表裏の攻防(満塁ヤクルト0点。阪神2点。隅2のまま試合終了)は終わっていた。
ルーキー右翼手板山祐太郎 - Wikipedia の2点タイムリーは見過ごしたが、<右安   四球  見三振(内容悪くない。2ストライク後の変化球待ちの読みのところ、ズバリストレート勝負、普通に広角で待っていれば対処できた。解っているのか実に悔しそうな表情をした。) の回のヤクルトのセットアッパー、ルーキのカーブを 左安にライナーで運んだ瞬間はしっかりと目に焼き付けた。2点タイムリーよりも意味のある一打だったと思う。
 
前々回の記事は、この選手の打撃をじっくりと見ないで「貯めがない1,2、3、すり足」などと書いてしまったつつくづく反省した。
バットのトップの位置は原口文仁選手と同じく、えたところのすぐ近くにスムーズに移行できて、キチンと決まり<間>がとれている。スイング軌道はシャープ綺麗鋭い!足を上げているが大きくない
何処といって欠点のないフォームで常に対処できているので、陽川のようにヒット長打はマグレではない。
まだ1軍経験が少ないせいか、打席で興奮状態で、慣れてきてどうなるのか?
>足は速くない普通程度。
>守備力はわからない。
 
今、一軍野手に使われている若手の中では、ドラⅠ高山に近い実力の選手~その差はあまりないと思う~(原口も同等~腰に故障がある~)で、ルーキーでもあるし、将来の1軍の確実な戦力になる存在。
***********
 
*他の若手野手では、
北條内野手がましな方。
動きにショートらしい切れがないので1軍ショートはこなし切れないと思う。
打撃は山田哲人ばりのバットを大きく上下させるタイミングの取り方と、足の上げ方のバランスが取れていない
山田は大きく足を上げるが、投球が近づいた瞬間、上げた脚はグラウンドにつきかけている。
條の足の上げ方は、事実上、一本足打法に近く、来る球に下半身の動作が遅れ気味になって、あわてて対処しているので、差し込まれた打球が多くなる。
 
陽川選手は1軍では厳しい。
ミートポイントを前々に作り大振りする打法が染みついているのでどうしても目切りが早くなり、変化球に対処できない、打てる球が限られてくる。
同様の打法の江越は、陽川よりも対処できる幅がある。1軍での経験値の差なのか、持って生まれた素質なのか、陽川を1軍で使いこんだらはっきりとする
>もう一つ陽川選手で気になるのは、上手くいかないと自分で自分を追い込んで実力が発揮できない傾向がみられるところである。失敗すると自嘲気味の表情を作る。プロ向きの性格でない様な気がする。図太そうな悪役顔と対照的に繊細な神経をしている。
 
2軍に行った横田選手は猪突猛進に特徴がある。
前の肩の開きが早過ぎるフォームが修正できない限り、同じことが繰り返される。コレは静止ボールを打つゴルフにも云える法則である。コメントにある手打ち云々はあくまでも、原因による結果でしかない。
もっと、原因を辿ると、利き腕の後ろの腕が勝っているから、速く前の肩が開くのだろう。多分、右打ちにすれば修正できるがそうもいかない。
もっといえば、脳と伝達神経系の問題。
守備でも疑問の多いプレーがある。
横田選手の怖いのは、2軍でも同じような打撃、守備を繰り返すところにある
金本監督が2軍行きをなかなか決断しなかったのも、この辺のことが分かっていたからだと想像する。自分の目の届くところで、なんとかしてやりたいと思っていたのだろう。
多分、打撃コーチ金本知憲であれば、付きっきりで何とかしようとする。監督の立場でそれはできない

矢野作戦バッテリーコーチの椎間板ヘルニア - Wikipedia原口文仁捕手を使い続け、つぶす危険性について>
 
この試合の前のカード対中日3連戦を、今季1軍戦初登板の先発横山投手で7回0点に抑えて勝った時点で明日の試合の阪神のキャチャーは誰になるのだろうかと、想像してみた
 
    <自分の考えは当初からはっきりしている>
4月30日の記事のタイトルにあるように、腰に故障を抱える原口捕手(椎間板ヘルニア - Wikipediaとわかった。原口文仁、研究では腰の物理的障害としか書かなかった)を、「金本矢野氏へ!大事に使ってあげて!と云う事に尽きる!」
「ソレがチームの将来にためであり彼のプロ野球人生のため 」!
 
開幕以降、一貫して打撃コーチの目で采配をふるっているように映る金本の監督としての力が、今後上昇していくためには、参謀役の矢野の果たす役割が、ますます大きくなるはずだ
 
ところが、作戦バッテリーコーチであり、金本監督の参謀でもある矢野は、その職責に対して最悪の人物構成である、と断定している。
 
解説者時代からの言動(解説はメリハリのなく優柔不断丸出しのボヤキ解説、大局的見地なし)に不審を抱くWの予断と偏見は否定しないが
>この人物こそ、引退後、阪神移籍の実績を超えた、甘やかされた環境がもたらす利益を最大限甘受してきた人物である、と想っている。
一見、人当たりが良いことを武器に野球界内外の人的交流をうまく利用し、引退後の自己をノムラ門下生に位置付ける偽のメッキで、打撃優位の捕手であった現役時代と一向に変わらない中身を粉飾し続けてきた
矢野は現役時代から何の進歩もないばかりか、周囲の甘やかしによって自己過大評価から、捕手コーチの領分を投手コーチにまで越権させてきた(将来、監督にでなる野望があったのか?
 
具体的事実に基づく、作戦バッテリーコーチ、監督の右腕、矢野の問題点。
 
①そもそも矢野の特色は、普通のバッテリーコーチの職権を超えて、投手コーチの権限まで越境するところにある
イ)解説者時代の具体例
2015年プレミヤリーグ12。則本投手9回続投→結果、逆転を許し、日本は4位
小久保監督が頭を下げていたが(その必要などない!)、続投は開幕直後のストッパー、マテオ3イニングまたぎの事例から矢野の主導と想われる。
まじめ過ぎ、骨の髄まで沁みた宗教的価値観のためか異常ともいえる目前の戦況没入型後先が分からなくなる
>反省、学習能力欠如が特色。なぜそうなるのか謎めいているが、そういう人物構成であるとしか想像するしかない
ロ)2016年スプリングキャンプの具体例
ブルペンの投球練習中の投手に歩み寄って、アドバイスをする。投手コーチの領分への越権行為。
 
②骨の髄まで浸んだ自己の宗教的価値観を押し付け、大局的見地の欠如。
このヒトが目を向ける方向は常に人間関係、抽象的なヒトの<和>。人間革命←超変革のキャッチコピーにピッタリの人格。
その時々の選手の力量の序列は、大局的見地の欠如した宗教的価値観の押し付け、によって左右される。
イ)春季キャンプの中盤時点で捕手の序列をマスコミ発表する理不尽
自由枠獲得、2軍生活11年の岡崎太一(32歳)トップ。梅野、3番手評価で悩む。
開幕後、捕手としての総合力は岡崎太一トップと公言
なんとその理由の一つに、配球チャートを書かせると岡崎の出来が一番よかった、などと実戦に直接関係のない事務処理能力まで問う理不尽。
 
であるならば、岡崎がマスクを被る回数が多くなるはずが、先発2投手限定で、他は梅野捕手。
岡崎と梅野の打撃力の比較では梅野に軍配を上げざる得ないつまり矢野の云う総合力岡崎一位は、その程度の怪しい基準である。
 
捕手2人制を4月下旬時点まで採用。
コレはキャンプの時からの矢野構想で、配球チャートを書かせたりしての直接指導による力量アップの意味もあった。
ところが、試合がもつれ、ベンチに選手がいなくなり、野手登録の選手がマスクを被る失態を前にして動揺し、捕手3人制に転換。
この時点まで座学である配球チャートを書かせ、梅野への負担は続いていたと思われる
同時に、この時期あたりから、先発投手陣など投手陣の不調が目立ちだし、事実上、その責任を主戦捕手梅野が一身に被る結果となり、特色である打撃も低迷。
結果、梅野捕手2軍行き
先発2投手専用で起用されていた岡崎太一捕手にはおかしなリードが目立ち、不可解な撃ちこまれ方をした時もあったが、事実上、不問。
 
>5月7日時点で
開幕当初から、2軍落ちのなかったのは岡崎太一だけになっている
梅野捕手は2軍にいびりだされた格好になり、なぜか岡崎太一は矢野が作戦バッテリーコーチに留まる限り、1軍に留まると、予測する
しかも、前育成、2軍時代DH、1塁、捕手兼用で使われてきた原口捕手は『椎間板ヘルニア』の故障持ちなのに、勝ちづづけているからと、ココ3試合休養を挟まず、全イニング出場させている
 
*その結果は多くの人たちが危惧するような方向に収束する可能性が高くなっている。
心なしか、原口捕手の動きが緩慢になってきているようにも思う。
2軍生活でDH、1塁、捕手兼用で使われてきた原口選手に過剰な疲労が蓄積しないはずはないのである。
矢野作戦バッテリーコーチは、勇を決して休ませることができないはずだ。
 
先発ローテーション投手の一律、調整後の試合見学、ベンチ入りの矢野案出の方策は、<チームの一体感の得る>、とか<何かを感じ取る>など、訳のわからないもの
昨日のベンチには投球フォームを乱している藤波晋太郎の姿があった。更にキャンプの疲れが残っているという岩田投手も一貫してベンチ入りしていた。もっと他にやることがある。ON、OFFはハッキリとすべきではないだろうか?
巨人や大リーグもやっていることと云うが、巨人はやっていない。超リッチマンの選手がいて、個人主義のはびこり易いチーム事情の大リーグとは訳が違う。
 
>このような大局的見地なき行き当たりばったり、自分には甘く選手には厳しい自己の価値観の押しつけ起用法が、果たして育成の年に値するものなのか、素人が考えてもわかる次第である。

最後に時間不足で次の資料に言及することができなかった。
 
1)資料 
~W。東武東上線終着駅寄居(よりい)から2時間かけて帝京高校に通学した原口選手、関連資料~
質問 帝京高校野球部に入りたいというのですが、セレクションや寮などはありますか
 
埼玉帝京@一般人 [ 2011/08/15(月) ]
セレ受からないと、野球部入れません。しかもみんなスペックが高いです。
野球部の寮は無いです。
ほとんどが自宅からの通学で、一学年に一人いるかいないかですが、下宿の選手がいます

1伊藤拓郎(東練馬シニア/ジャイアンツ杯選抜チーム/AA日本代表)
2本宮洋輔(東京ベイボーイズ)
3伊集院匡人(ポニー江東ライオンズ/AA日本代表)
阿部健太郎(浦和シニア/全中400M個人3位)
5金久保亮(荒川ボーイズ/荒川ボーイズ全国16強の立役者)
松本剛(川口シニア/シニア全日本)
7高山裕太(本庄ニューヤンキース/イタリア世界少年野球大会日本代表)
8水上史康(江戸北シニア/中学時代伊藤拓郎から場外本塁打を打ち、高校の争奪戦になる)
9木下貴晶(世田谷西シニア/関東選抜)
10渡邊隆太郎 (東海大翔洋/全中準優勝)
11木部拓実 (オリオンズ/埼玉東選抜)
12石川亮 (武蔵府中/選手権優秀選手賞/1年生レギュラー)
13石倉嵩也(Kボール草加選抜/全国3位メンバー)
14谷田泰生(東練馬シニア/慶応谷田の弟)
15志賀拓真(武蔵府中/前田が監督でなければスタメンの逸材)
16田伏要(東練馬シニア)
17板倉大周(世田谷西シニア/トーマスカップ優秀選手賞)
18田中将也(志村球友会)
 
********
2)資料
秩父事件ホームページ
秩父事件研究顕彰協議会オフィシャルサイト
秩父困民党の幹部たち
新井周三郎 (1862・文久2年?1885・明治18年) 男衾郡西ノ入村(寄居町)出身 困民党軍甲大隊
 明治17年、石間村に教員の欠員があると聞いて加藤織平宅を訪れ、困民党を知る。
彼自身に借金があったわけではないが、民衆の困窮を傍観できずに困民党に参加したという。
蜂起4日目、大淵村の長楽寺で捕虜の青木巡査に斬られ重傷。これをきっかけに困民軍は大混乱に。事件後、故郷西ノ入に帰るものの明善寺に潜んでいるところを逮捕され、翌年5月裁判において死刑を宣告される。」
 
3)資料 W、2関連
虎尾の会
~幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。~
 
新井周三郎 ニヒルな机龍之助をイメージするのは妄想しすぎかもしれませ
ん。

年は若い。事件のときは20歳。若いけど、甲大隊長になっています(秩父困民党は、軍勢を甲乙の2つにわけました)。大幹部の一人といってよいでしょう。
この周三郎が斬られた瞬間から蜂起勢の瓦解が始まるのですから、いかに力だのみにされていたかわかります。
6尺の巨漢、白面の美青年。この人も逸見(へんみ)道場で甲源一刀流を学んだそうな。

男衾郡(埼玉県寄居町西ノ入村)の豪農の次男坊として生まれます。田畑山林多数所有し、近郷近在の素封家だったそうです。妙善寺の寺子屋で卓抜な成績をおさめた周三郎は、18歳のとき、上京。資産家だから東京遊学ができるんですね。当時の甲源一刀流の道場主逸見愛作と親しかった「雨宮春たん」という人の学問塾、また剣道場に学ぶ、とあります。ということは、18歳までに甲源一刀流をすでに習得していたのでしょうね。
教員検定試験にパスし、故郷に小学校教員(鬼石小学校)として帰る。
このころ、自由民権の志士なんかはけっこう小学校の教員というのが多いですね。
欠食児童も多く、村の実態を知り、モロに国家権力とむきあう場所だったのかもしれません。しかし、言い伝えでは、その小学校の同僚の夫人と恋仲になり、その小学校を辞め、2人で秩父に。

秩父の石間の小学校に欠員があることを知り、石間を訪ね、そこで、困民党の副総理になった侠客の加藤織平を知ります。加藤織平はちょうど蜂起の相談の真っ最中。周三郎は一気にその話にのめりこみます。
「教員の念を断ち、一に細民救助に尽力せん事」を誓います。

蜂起前から、資金強奪などに周三郎は抜群の行動力と統率力を示します。11月1日夕刻吉田村椋神社で一斉蜂起が計画でしたが、周三郎の1隊は早くも警官隊と衝突、周三郎は巡査の首を一刀両断。しかし、周三郎の獅子奮迅の働きも4日間で終わります。
11月2日に困民軍は秩父大宮(現秩父市)の郡役所を占拠し、本陣としますが、
11月4日、朝、捕虜にしていた警官に背後から突然斬られて重傷を追います
新井周三郎が斬られた、ということは、味方にとっては軍の柱が倒れたというショックを与えたようで、その日の昼過ぎには本陣は解体、総理の田代栄助も姿をくらまします

周三郎、重傷をおいながらも、故郷の西ノ入村の妙善寺に潜んでいましたが、
11月9日多数の警官に包囲されます。しかし、甲源一刀流の剣の達人周三郎を逮捕にむかうものは一人もなく、ただ包囲するばかり、
結局、妙善寺の和尚
(周三郎の恩師)が説得して手錠をはめて警官に渡したそうです。

周三郎の訊問調書がおもしろい。
問い  目的は
周三郎 なにも目的はない。早く申せば当時気違いになっていたのだろう。
問い  こんな暴挙をおこして、どうしようと思ったのか
周三郎 (笑って)自分は大総督になろうと思った。
問い   大総督とは?
周三郎 日本陸軍の大総督なり

死刑になりました。
行く秋に 今日は劣らぬ 心かな
蜂起直前、故郷に帰って老父に渡した辞世です。

       参考 井出孫六秩父困民党群像」〔社会思想社現代教養文庫