反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

台湾の過去と現在の政治状況を探る。

   台湾光復節 - Wikipedia10月15日。

1943年カイロ宣言7月26日、米、英、ソ三国指導者が発表したポツダム宣言

中国大陸と台湾に居た日本軍に対し、中国戦区最高司令官蔣介石への降伏を命じた。

蔣介石は、 陳儀 - Wikipedia

台湾省行政長官兼同省警備総司令に任命し、台湾における降伏接受を命じた。

陳儀は重慶で行政長官公署の要員を任命して台湾接受の中核組織を編成した。10月17日国軍第70軍と長官公署官員が台湾に到着した。遅れて10月24日陳儀自身が台湾に到着した。翌10月25日に台北市で台湾における降服を受諾する式典を行った。」

     

    陳儀 - Wikipedia

W。国民党のエリート軍人(戦争指導者というよりも行政官僚タイプ~部下の叛乱にもあっている)、日本の陸軍大学校留学。福建閥の中心人物あったこと、日本留学の経験から(W台湾統治に)適当な人物とみなされたとされる。

 

W。以下長いが前回の記事関連(台湾の歴史)で非常に興味深いことが指摘されているので引用する。

  引用

「台湾の行政を担当した陳儀は統制経済政策を実施し、日本企業の大部分を国営とした他、米・塩・砂糖・燃料等の民生品を公定価格で政府が一括購入する制度を確立し、また日本統治時代に始まったタバコ・酒・マッチ等の専売制度を強化した。

当時の台湾では本省人が大部分を占めていたが、(W。第二次世界大戦以前から台湾に居住していた中国人~対岸の福建省の人が多い~、客家、原住民を本省人~戸籍で区別された。今は廃止~という)

 本土と台湾島を隔てる海峡は一番狭いところで130キロ。ただし金門島(台湾領)はアモイの直ぐ対岸。結局、金門島を死守できたのは1949年中国統一1952年朝鮮戦争を経過しての米軍軍事力のおかげ。また人民解放軍台湾島に上陸する軍事力もなければ、もちろん占領する能力もなかった。

■台湾(中華民国)が実効支配する金門島と中国本土との位置関係、<br/>そして今回の旅行の経路

business.nikkei.com

            2016.8.2

       金門島と大陸の間で砲声が止んだのは1979年

砲声が止んだのは1979年に米中国交正常化が実現してからのことだった。」

  中台関係の緊張感の高まりは感じなかった

台湾独立を志向する蔡政権との当局間対話を中国は事実上停止

経済の調子が良くないと外交・軍事面での対立・緊張に国民の目を向けさせるという事例は、古今東西枚挙にいとまがない。

 

   金門島とアモイの間では、通航の自由化が実現 W.今でもOKだろう

「金門の人々は、中国に対する警戒心がそれほど強くない。台湾意識も強くない。基本は中台和解支持である。対中国のハードルが台湾本島より低いのである」

 

 アモイは中国の中で、住宅価格の上昇率の高さが最近目立つ都市の一つである。6月の新築住宅価格の上昇率は前年比+33.6%で、深センに次ぐ第2位。金門島の住民も投資しているらしい。

 

 引用分に還る 

「日本統治下の教育の影響で中国語の理解力不足があり(W。50年間日本統治で福建省の中国語もしゃべれない人も多い)、

また共通語とされた北京官話が苦手であった(W。福建省出身の人は北京語理解不能。)

>そのため外省人を公務員として登用したが(W,台湾外の国民党が行政を握らなければならない都合上、言葉の通じない地元民を行政幹部に多数採用すると行政機能が停滞する

>優秀な人材は国共内戦の影響により大陸に集中し、劣悪な人材に限定されてしまったためその能力や品行に少なからず問題があり、住民との衝突がたびたび発生していた。同時に経済上では極度のインフレが発生し、生活が困窮した住民の間で不満が募っていった。

こうした状況下の1947年2月28日二二八事件が発生する。闇タバコ摘発を契機とした政府と住民の衝突は台湾全島に広がり大規模な抗争が各地で引き起こされた。3月8日、蔣介石は大陸より叛乱鎮圧のために大軍を投入、一説には18000~28000名の台湾市民が逮捕後殺害されたとも言われている。

3月22日、事件の責任を取って陳儀はは国民党三中全会により職務を解任された。5月11日に陳儀は大陸に渡り国民政府顧問に就任している。」

 

    W.ここから先の陳儀の運命は

「1948年8月6日、陳儀は蔣介石により再度浙江省主席に登用される。翌年1月、陳儀は親密な関係にあった京滬杭警備総司令湯恩伯W明治大学留学、陳儀の庇護を受け出世、国共内戦の戦役で敗北を続け、責任を問われ、閑職追放、日本で死すと共に共産党への投降を計画するが、湯恩伯が蔣介石に計画を報告し反逆行為が露見することとなった。

1949年2月、陳儀は省主席職を解任され逮捕・監禁され、1950年4月には台湾に移送され基隆で拘束された。6月18日台北馬場町で銃殺刑が宣告され直ちに刑が執行された。遺骨は新北市五股区に埋葬されている。

1980年6月9日、陳儀は共産党への投降を画策したことから中国共産党中央統一戦線工作部は「中国人民の解放事業に貢献した愛国者」と評価してその住居は記念施設となった

陳儀は日本人を妻としていたが、両人の間には子は生まれていない」

⇒W.中国共産党は植民地ナショナリズムから抜け出していない。一方で中国経済は世界に拡張している中国首脳は世界政治の主導権を争う器ではない。」

 

w。結局、1947年2月28日蜂起前後の国民党系の統治は元から台湾にいた民衆にとって、「 」付の占領軍のような存在になってしまった

1949年の中国共産党の大陸統一後台湾島に大挙、渡ってきた国民党系の統治は国の東アジアにおけるプレゼンスと援助があって(韓国のように米国駐留軍はいないが)、機能するようになったのではないだろうか。この辺のリアル統治のあり方は日本の側で意外に観察されていない。

W.資料を調べた結果、台湾の過去の政治に拘れば今と将来の台湾の状況がみえなくなととわかった。朝鮮戦争に帰っても今の韓国状況が見えなくなるのと同じだ。ただし、戦争が作った対立関係という絶対性は今もなお状況を貫く。台湾や韓国はウクライナのような経済状態や政治状況ではない。

ただし戦争に至る危険性のある政治傾向は内外に十分ある。

 

中国、韓国のリアル統治は結構ウォッチされているが

~ただし韓国人口約5000万、

台湾2300万

国土面積36,200 km²台湾は九州の0.8倍の面積、台湾は九州の2倍の人口密度。

台湾は北海道の2分の1の面積

韓国100,200 km²⇒中国本土に展開していた国民党の軍事政治力本省人(人口の65%)?との和合も時間的猶予があればできる)と米国庇護、戒厳令があれば、統治は難しくなかったと想像する。

 

@今後の注目点は台湾型民主主義(民進党市民運動が(中国本土への)クレオールナショナリズムに容易に転化し、ポピュリズム政治手法が圧倒し、大陸に対して過度の愛国的攻撃的になる場合である。

>即席ナショナリズムは一番、無鉄砲、攻撃的。

 

①台湾の国民党系の統治(戒厳令維持)、と②韓国の独裁時代、日本の高度経済成長時代、③中国の実験国家時代、④東南アジアの政治状況を相互に関連させてみていく必要がある。

①、②、④はアジア新興工業国としてキャッチアップし、③も国家資本主義の路線を選択しそのファンダメンタルズの威力を発揮するようになった。

そうすると、日本の工業製品の市場での競争相手が増えて、市場占有率は加速度的に低下し、日本資本主義は資本輸出に活路を見出すほかなくなり(生産的な産業の空洞化)、金融資本的な利得の国際収支での比重は増している。

 

W。元から台湾島に居住していた人々の多くは日本の50年統治下で日本語教育が徹底されて、(北京標準語との意思疎通の難しい福建省の)中国語と日本語のバイリンガル

W。本省人は日本の統治に50年間馴染んできたことから、国共内戦の本土に人材が集中されていた国民党の中でも後方の人材が台湾統治に当たったことも外省人との軋轢を生んだ。

W。参考資料①

台湾政治の長期的変化と蔡英文政権

   前説

 米中対立が本格化し台湾はその最前線に位置するので,海外から見ると台湾は揺さぶられる存在のように見える。しかし,過去25年間の台湾政治の長期的変化を見ると,異なるアイデンティティの間で揺れ動いていた状態から,しだいに広義の「台湾アイデンティティ」が台湾社会の主流になり,台湾政治は一定の安定状態に入っているそれが蔡英文政権の時代である。中国の軍事的威嚇で台湾が簡単に屈する状況ではない。(2020年10月)⇒W。相手方から見れば米台日が威嚇しているように見えるとは片時も思ったことがない。それでこれからの東アジアの政治が上手くできるのか。戦争手段をとるのはある意味簡単である。

  1.四半世紀のトレンド

2.台湾の民意―自己認識と台湾の将来

2010年から2019年までの10年間の調査結果の平均値は,「台湾人」56.3%,「台湾人でもあり中国人でもある」36.4%,「中国人」3.6%,「無反応」が3.7%である。⇒W。文中後半に台湾人でもあり中国人でもあるという立場の曖昧性によって問題が生まれている。


 この自己認識と政党支持との関係は,大雑把にいって「台湾人」という自己認識の人は民進党を支持する比率が高く,「台湾人でもあり中国人でもある」と「中国人」という自己認識の人は国民党を支持する比率が高い。

「台湾人」という自己認識が多数になったことで民進党の支持が拡大しやすくなった。

次に,台湾の将来についての民意の動向を見たい。「独立志向」「統一志向」「現状維持」のどれを支持するかという調査も数多くなされている。

 台湾独立というのは,中華民国を解体して中国と関係のない台湾国家(台湾共和国)を建国すべきだという主張(憲法改定)で,これは台湾ナショナリズムというイデオロギーである。⇒W。ひまわり学戦運動を出身母体とした政党の主張である。

 

  台湾ナショナリズムの初の民進党総統。

陳水扁 - Wikipedia

2000年から2008年まで中華民国総統を務める。

陳水扁直接選挙により選出された2人目の総統であり、初めて民進党から選出された、台湾の台湾本土化運動 - Wikipedia

 を推進する立場からの総統である。国民党出身の李登輝から民進党への政権交代であり、半世紀に及ぶ国民党支配体制を民主的選挙によって終焉させた。

W.台湾ナショナリズムを促進したポピュリスト政治家。失脚。国民党

馬英九 - Wikipediaに敗れる。

 <台湾本土化>とは?

「台湾を「中国」の一部とみなさず、台湾独自の文化社会経済国民性と主体性の重要性を強調するものである。歴史教育地理教育、文化教育に台湾を中心とした視点を持ち込み、台湾語客家語台湾諸語などの台湾において確立された言語を奨励する。

本来台湾独立運動の一環として行われ、台湾正名運動ともかかわってきたが、今では「一つの中国」論者の一部からも台湾化の目的はある程度支持されるに至っている。」


 中国統一というのは,台湾と中国大陸との絆を重視し,両岸は将来統一されるべきだという主張で,これは中国ナショナリズムというイデオロギーである。

民進党台湾ナショナリズムに立脚し,国民党は中国ナショナリズムに立脚する政党である。
 一方,現状維持というのは独立と統一の中間にあるのでよく「中間派」とされる。だが,それは無色透明ではなく「台湾」という色がついた立場である。前提となるのが,民主化し台湾化した中華民国の存在である。この中華民国蒋介石が君臨していた頃の中華民国とは別物である。
 台湾と中華民国は厳密には別の概念であるが,台湾では両者を同じものととらえる人が多くなった。この民主化し台湾化した中華民国の現状維持の立場を「台湾アイデンティティ」(W。天独派)生まれたときから台湾人。若い世代に多い。の立場と規定することができる。

 

3.イデオロギーと政党支持

  図2 台湾の3つのイデオロギー(政治的立場)と二大政党の支持構造

図3 台湾の3つのイデオロギー(政治的立場)と自己認識の構造

4.台湾の二大政党と米中対立

米国は,台湾が中国に統治されない現状を維持することが国益なので,中国が力により台湾を統一することに反対し,台湾が統一されないように手助けをする。他方,米国は現状維持の観点から,台湾が独立の方向に動くことにも反対する。米国は,台湾ナショナリズムも中国ナショナリズムも支持しない。現状維持の「台湾アイデンティティ」の立場は米国にとって好ましい。
 中国は,台湾ナショナリズムを敵視し,中国ナショナリズムを支援する。中国は,台湾ナショナリズム「台湾アイデンティティ」も敵視するロジックを使っているが,「台湾アイデンティティ」の枠内で動いている政権に対して武力行使をするには至っていない。中国が,戦術的観点から統一促進よりも台湾独立阻止に重点を置いている時には,米中の思惑が一致する場合がある。
 「台湾アイデンティティ」はゆるやかで幅が広い。

その支持層は,中国が台湾に圧力をかけると,台湾ナショナリズムと同じく反発する。だが,台湾の生存のためには台湾経済の発展が重要で中国との関係も必要だと考えるし,中国との対話・交流には比較的前向きである。中国が,胡錦濤時代のように「両岸関係の平和的発展」を唱えて経済的関係を重視する姿勢であると,「台湾アイデンティティ」の層の対中警戒感は比較的緩和し,習近平時代のように統一を前面に出してくると対中警戒感は高まる。

「台湾アイデンティティ」の支持層は,中国との距離のジレンマ(これは「繁栄の自立のジレンマ」と表現することができる)に悩む層である。

 

W参考資料②

ssdpaki.la.coocan.jp

「1.内政

(1)支持率の低下と政権基盤の安定性

蔡英文の得票率は約56%、民進党のそれは約45%であり、支持率は最高でも半分ちょっとというところであろう。 裏を返せば反対ありきが半分近くはいるのである。 現状は、支持者の約半数が期待外れ感を持っている

 

  (2)台湾アイデンティティーの高まりと政治的地殻変動の可能性

蔡英文の勝利の背景には、「天然独」と呼ばれる台湾政治における新しい世代の存在がある。 「天然独」とは「生まれながらの独立派」とでもいうべき30代半ば以前の若者達である。 彼らは「自らは台湾人」であるとの強いアイデンティティーを持ち、「台湾と中国は別々の存在」であることが、 空気のように自然な世代である。 台湾アイデンティティーは、今後強まることすらあれ、弱まることはない。

台湾政治は、統一を志向する国民党と独立を志向する民進党が、それぞれの志向を封印し、 中間層である現状維持派を取り込むことで勝敗を決して来た。 国民党も民進党も、基本理念は台湾アイデンティティーを代表するものではない。

民進党でもやっぱりダメということになれば、 台湾アイデンティティーは自らの価値観を体現できる政党を探すであろう。 今回、ひまわり学生運動の流れを組む政党「時代力量」が、大方の予想を上回る躍進を遂げたのも、 台湾アイデンティティーの成せる業である。 

天然独世代の国民党員の中には、大陸色の濃い「中国国民党」の名を捨て、 「台湾国民党」として生まれ変わるべきとの声がある。 仮に一方で天然独世代の民進党離れが進み、また一方で国民党の台湾化が進むようなことになれば、 そう遠くない将来、台湾政治に大きな地殻変動が訪れる可能性がある。 今は胎動期、との指摘がある。

W参考資料③

ひまわり学生運動のリーダー・林飛帆氏が指摘する「時代力量」の課題 | 日本李登輝友の会 愛知県支部

 W,クレオールナショナリズムであり米国流の攻撃的ナショナリズムである。20世紀後半の東アジアの政治地図を塗り替える主張であり、その基本は国連復帰など、台湾独立の国際法上の地位を獲得すること。コレは中国政権の国際政治における獲得物への挑戦と受け取るだろう。その主張が民主主義の衣を被って登場しているところに特徴がある。

統一か独立かで争うこと自体が古いとして、台湾の「国家地位の正常化」、すなわち台湾が国家として国際社会に承認されることをめざすことを基本政策とするのが「時代力量」で、台湾の今回の総統選挙と立法委員選挙を象徴していたと言っても過言ではない。」

民進党と与党連合を組む時代力量は5議席比例代表での政党票6.1%を獲得。天独中間層を代表していない。緑社会民主と同じ母体<ひまわり運動系>から分裂した。国家独立路線を鮮明にすれば分裂は当然。とは言え、今後、民進党の対中国政策などではキャスティングボートを握ると見られ、」

W資料③

 「ひまわり学生運動リーダー・林飛帆氏が指摘する『時代力量』の課題」

編集部注:台湾のシンクタンク「台湾智庫」の調査によれば、今回の選挙において20〜29歳の有権者の投票率は74.5%だった。そのうち、総統選では、20〜29歳の有権者の54.2%が蔡英文候補に 投票し、国民党の朱立倫候補には6.4%。30〜39歳の投票者のうち、蔡候補には55.5%、朱候補 には5.0%だった。

 ◆民進党は両岸関係で国民党と同じことをやる?

今後の民進党は、保守的で安定・安全路線を進むだろうし、受け身の姿勢に入るかもしれない。
そのため、両岸関係は大幅に調整(W,言っている意味が解っているのかな?戦争手段によってしか政治地図は塗り替えられない!)される可能性は低くなることを、われわれは心配している。今後も注意して見ていく。

 ◆「第3勢力」の出現は多くの政治参加者を増やした

緑党社会民主党連盟は議席を得られなかったと言っても、選挙区選挙での立候補者が得た得票率を見ると、来る地方選挙で市議会議員候補として出馬すれば当選者が出てもおかしくない。今後、地方で議席を得ることになれば、より多くの政治参加者を育成し、将来は首長選挙でも突破口を開くことになるかもしれない。

―― 時代力量をはじめ、第3勢力は政策的に似ている民進党と協力するケースが目立ちました。

 これら第3勢力の勢いが選挙戦後半で想定を上回ったため、民進党はあわてて「緊急事態」を宣言した。

特に時代力量にとっては一種の脅しになったかもしれない。「今は協力しているが、いつでも時代力量に向かう票をこちらに回すことができるのだぞ」といった警告として映ったのではないか。そのため、時代力量が獲得した政党票は予想よりも少なかった。

―― 第3勢力の核となった時代力量と緑党社会民主党連盟は、もともと同じ団体でした。なぜ分裂したのでしょうか。

W、発言を要約すると、民進党との協力関係をやるかどうかの対立。

W、緑社会民主党はひまわり運動の中から、労働派が結集したものと思われる。

緑党社会民主党連盟は、民進党との協力はしなくてもいいと強く主張していた。

とはいえ、選挙戦後半の動きをよく見てみると、社会民主党の范雲主席は自ら出馬した選挙区などで民進党蔡英文氏のイベントに出席したり、民進党の院内代表とも会うなど、蔡英文支持を直接訴えていた。時代力量と緑党社会民主党連盟の違いは、投票日に近づけば近づくほど目立たなくなっていた。

◆労組を大量動員した選挙戦に驚き

彼らの選挙戦略は、すべてマイペースだった。

 また、緑党の比例代表名簿1位だった張麗芬候補は、今回の選挙で多くの労働組合員を動員した。労組を大規模に動員することは、台湾の政治では非常に珍しい。議席は得られなかったが、労組を動員して選挙戦を戦うという流れが次の選挙にまで維持されれば、地方選挙などにも影響を与える可能性がある。

―― 時代力量に対して、「民進党翼賛政党」という指摘が少なくありません。この指摘についてはどう見ますか。

今回の選挙期間中での双方のやりとりなどを見ていると、「そんな指摘は的外れだ」と単純に言うことはできない。前にも触れたが、民進党と今後どのような距離を置くのかが、時代力量が今後直面する課題だ。

―― 投票日直前になって、一つの事件が台湾に大きな影響を与えました。韓国のガールズグループに所属する台湾出身の歌手が「中国人なのか、台湾人なのか」という敏感な問題をめぐって難しい対処を迫られ、その結果、彼女が所属する韓国の芸能会社はもちろん、中国に対しても強い反感を台湾国民が持つようになりました。結果、国民党からさらに票が逃げ、民進党などに流れ込んだという見方があります。

 台湾の国際的地位と尊厳は、今後も台湾が向き合わざるをえない課題だ。とはいえ、「台湾は主権を持つ独立国家」と海外で納得させられるのか、その方法などを今後もより強化していく必要があると思う。制度的にわれわれがどのような方法で協力するのか、憲法を改正するなど法的にどのように処理するのか。そんな議論と行動をしなければ、似たような問題が今後も起きるだろう。

日本語版発刊辞 | 季刊 『創作と批評』

南北軍事境界線】「ここが北緯38度線だ」北を向く火器、道路脇には塹壕(1/2ページ) - 産経ニュース

     第1章 1987年、そしてその後

  ~革命と反動、共同体と個人の間、6月抗争20周年を語る~

 1プロローグ ある自画像

<明治5年の改暦>について調べてみた。「旧暦では翌明治6年が13か月になるため」 W注。さらっと書いているが深堀しなければ下記の嗤える事態は理解できない。

  小島毅の『天皇儒教思想

この本の正式名称は

天皇儒教思想 伝統はいかに創られたのか? (光文社新書新書 – 2018/5/16

  AMAZON書評レビューより

 実理さん 
 <目次>
 第一章 お田植えとご養蚕
 第二章 山稜  W.古墳のこと違うかな?
 第三章 祭祀
 第四章 皇統
 第五章 暦 こよみ  W。興味ある。遣唐使は<こよみ>、を中国から持ち帰った。
 第六章 元号

第一章から儒教の儀式を明治政府が取り入れた実証が細かく説明されている。第三章の祭祀で、儒教祭祀の内容を少々くどく説明している以外、文章は簡潔で読みやすく、要点も良くまとまっていて分かりやすい。中国思想、特に儒教の専門である著者ならではの、詳細で確かな内容。予備知識がそれほどなくても理解できるように書かれている。」

  

  毎日太郎

第5章の「暦」では、なぜ、七夕は梅雨の時期なのかという著者の疑問から暦についての論点整理を行う。
明治5年の改暦については知っていたが、旧暦の行事は旧暦で行うべきでないかという論点を明確にしている。

明治5年(1872)11月9日、太陰暦を廃し、太陽暦を採用することの詔書が発せられ、太政官布告第337号により公布されました。 1年を365日とし、それを12月に分け、4年毎に閏年をおくこと、1日を24時間とすること、旧暦の明治5年12月3日を新暦明治6年1月1日とすること、が定められました。」

明治5年 - Wikipedia

引用

明治5年12月2日⇒西暦1872年12月31日をもって太陰太陽暦天保暦)を廃止し、その翌日(W.太陰暦12月3日=明治6年1月1日)からグレゴリオ暦に移行[1]

>1873年明治6年1月1日となることとしたため、明治5年は12月3日から12月30日までの28日間が存在しないW。嗤える!」⇒W。突然の改暦の強行は、旧暦では翌明治6年が13か月になるため
W注。さらっと書いているが深堀しなければ下記の嗤える事態は理解できない。

      ↓ W。狡猾である故意に旧暦ではうるう年、13ケ月になる明治6年を旧暦で押し通すことを避けた。徳川幕藩体制下の役人は旧暦のうるう年調整の13か月目の「余分な碌」を受け取っていたのだろうか?それともうるう年の暦の調整だけで碌は受け取らない習慣があったのか。そもそも月給制であったかどうかという前提がある。年貢(主に米)を換金して碌にしていた藩が多かっただろうから、月給制は考えられないが。

いずれにしても徳川幕藩体制下の下級藩士であった明治絶対主義政府の高級官僚は旧暦明治6年度は余分な13か月目の給料の問題が出てくると事前に知っていた。そう考えると新政権の財政難のなかで事は姑息、というかなかなかしぶとい緻密な政権運営だったといえる。

*****

    W。参考資料

松方デフレ - Wikipedia

 秩父困民党蜂起の現地を散策したことがある。松方デフレ政策は養蚕業の盛んな秩父地方(デフレで繭の価格低下、借金困窮)の農民蜂起の時代背景として押さえておくべきこと。松方デフレ政策と日清戦争による賠償金獲得は日本資本主義の原始蓄積期の重大事案である。

     松方財政の影響

  引用

「一部の農民は、経済的困窮から、蜂起活動に走り、各地では自由党による激化事件(W困民党蜂の際、現地の自由党は傍観者。ここ大事なところ!農民大衆の自然発生的な蜂起であった。自由党による激化事件の地方の基本戦術は地方の豪農篤志家、知識人によるテロ行為でありほとんどは未遂に終わった。国会開設の天皇発言によって鎮静化し議会戦術に転換する)に参加して反政府的な暴動を引き起こすようになった(当時、農村は自由党の支持基盤であった)。

また、官営工場の払い下げにより政商財閥へと成長していった(W,ソ連崩壊時期に国有財産が海外に流出あるいは即席資本家に簒奪された。ユダヤ人ルートが暗躍した。最初のボタンを二つも三つも掛け外して結局、プーチン強権ポピュリズムに行きついた。)ことと相まって、資本家層と労働者層の分離という資本主義経済の下地を作ることとなったW。日本資本主義の原始蓄積期である日清戦争による賠償金獲得は政府財政に多大な貢献を果たした!

引用

西南戦争の戦費調達のために不換紙幣(信用の低かった太政官札等)が濫発された事によって、戦争後に大規模なインフレーションが発生していた。当時の大蔵卿大隈重信はこのインフレーションの原因について、経済の実態は紙幣流通量に近く(W.状況判断が間違っている

ただし生糸などの当時の花形輸出産業にとってインフレの影響は小さく、輸出品の対価が増え景気が良かったのではないか?

>今でいえば自動車産業や資本輸出している企業は円安によって円建て対価が増える=国内の企業間、個人間の格差拡大のスピードが上がり、政治不安が高まり、東アジア情勢への対応が硬直化する!)本位貨幣である銀貨が不足しているだけだと考えて、「積極財政」を維持して外債を発行してそこで得た銀貨を市場に流して不換紙幣を回収すれば安定すると主張した(大隈財政)。一方、次官である大蔵大輔の松方は単に明治維新以来の政府財政の膨張がインフレーションの根本原因であって不換紙幣回収こそが唯一の解決策であると唱えた。」

  

松方財政による対策 W.金融制度の確立(銀本位制⇒金本位制)と財閥形成、資本の原始的蓄積に貢献した。

「松方は不換紙幣を回収・焼却し、1882年日本銀行条例を公布して日本銀行を設立する。国内的に余裕があった銀貨に基づいた銀本位制の導入をめざして、「緊縮財政」を実施した。また、これに要する政府資金調達のために、政商への官営模範工場払い下げ、煙草税酒造税などの増徴による歳入増加策、軍事費を除く政府予算の縮小等により紙幣発行量を縮小していった。

>対策の結果、 明治14年1881年)度の紙幣発行高1.5億円に対し、本位貨幣(銀)の準備高が0.1億円(準備率8%)だったのに対し、明治18年1885年)度には、紙幣発行高1.2億円に対し、本位貨幣(銀)準備高は0.45億円(準備率37%)まで回復し、銀本位制導入への基礎が成った。同年には満を持して銀兌換紙幣日本銀行初の発行紙幣、大黒図案)が発券され、銀本位制が導入された。また日清戦争の賠償金による金準備を元に、明治30年1897年)には、松方念願の金本位制が導入されることになる

  W参考資料

②この参考資料の方が新暦、旧暦を解りやすく説明してくれている。

釣りをやる人にとって、潮の満ち引きは釣果に絶大な影響を発揮する。潮干狩りに行くときは満潮は駄目。地域によって干満の差がものすごく大きなところがある。

fishingjapan.jp

 w参考資料

中国暦 - Wikipedia

中国の暦法はいわゆる太陰太陽暦であり、1月の長さを月齢約29.53日を基準に1年における月の配列を太陽の運行を基準に定める。

新月を0として数えたときの日数で、月の満ち欠けの度合いを示したもの

 


~~辛亥革命以後に太陽暦グレゴリオ暦)が採用されるようになる。

   ↓

1911年宣統3年)から1912年民国元年)にかけて、で発生した共和革命である。名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。10月に孫文の影響を受けた革命軍が武昌漢陽を武力制圧

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明治維新早々に財政難を起こしていた明治政府が、官吏(役人)に対する13か月分の俸給の支払いを免れたかった事が背景にあるとされる。さらに12月の分についても2日間しかないことを理由に俸給の支払いを省略しており、結局2か月分を改暦によって節約している。」

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「  太陽暦

太陽暦では、季節に暦を一致させるため、暦年の平均の長さを平均回帰年(365.242 189 44日≒365日5時間48分45.168秒[1])になるべく一致させる。

太陽暦では、平年は365日であり、閏年閏日が挿入されて366日である。現在広く採用されているグレゴリオ暦では、閏年は400年間に97回ある。

グレゴリオ暦では、次の規則に従って400年間に97回の閏年を設ける。

  1. 西暦年が4で割り切れる年は(原則として)閏年
  2. ただし、西暦年が100で割り切れる年は(原則として)平年。
  3. ただし、西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年

   古代エジプト

古代エジプトの暦には閏年はなく、1暦年は常に365日であった。そのため、4.129年に1日の割合で暦と季節がずれた。当時すでに回帰年は365.25日という観測値が得られていたが、暦に反映されることはなかった。農民は暦ではなく恒星シリウスの動きを頼りに農作業のスケジュールを決めた。

メモ。ソ連邦崩壊<情報公開><ペレストロイカ>。東アジアの民主化(台湾~1947年2,28蜂起と台湾のナショナリズム形成<台湾人とは?>=クレオールナショナリズムに傾斜すると命がけの愛国が始まって戦争危機。韓国民化と新自由主義の徹底。中国、天安門事件。新自由主義について。

tennkeitekina  2 これまでの世の中の話 小さな革命 大きな反動

 1987年に対する省察 

  W参考資料。

① アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) - Wikipedia

1978年に成立したアフガニスタン人民民主党政権に対するムジャーヒディーンの蜂起から、1979年ソビエト連邦が軍事介入、1989年に撤退するまで~」

 

 

チェルノブイリ原子力発電所事故 - Wikipedia

1986年4月26日。「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国チェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故

 

 

グラスノスチ - Wikipedia

1986年4月に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故では、書記長であるゴルバチョフの元になかなか情報が届かずソ連セクショナリズム秘密主義が、国の最高指導者の行政にまで影響を与えている現実を突きつけた。業を煮やしたゴルバチョフによって、体制の硬直化による種々の社会問題を解決するために、言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われた

 

 

ペレストロイカ - Wikipedia

   再構築

英語圏の国では「リストラクチャリング[5]や「リコンストラクション」[6]と訳され、1980年代後半のイギリスサッチャー政権やアメリカ合衆国レーガン政権で行われた行財政改革産業構造の転換政策あるいは民間企業の組織再編成などを指して使われた。これは、日本1990年代後半頃から使用されている「リストラ」の語源となった単語である。」

1987年ロシア革命70周年記念の軍事パレードの際、ロシア語で「民主主義、平和、ペレストロイカ、加速[3]」と書かれた大きな立て看板~」

ゴルバチョフは、社会主義体制の枠内での改革を志向したが、物資の不足により高まる国民の不満を背景に、社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊につながった。」 ↓

  W.国内の商品金融市場の形成未熟、政治混乱状況で、経済の意思決定を分散すれば、内外に通じる即席資本家による国有資産の簒奪や資本財、原材料、生活必需品の隠匿、買い占め売り惜しみ、投機が一挙に発生するのは、あまりにも自明だった。

 情報公開(グラスノチ)は、チェルノブイリ原発事故の緊急事態に飲み込まれた自然発生的政治判断であった。

>そもそも、ソ連邦のような広大な国で政治の自由化と経済の自由化を同時に推し進めることはできない。

経済の意思決定を分散して効率化を図るペレストロイカ(再構築)政策

言論・報道の自由を認めるグラスノスチ(開放)政策。

また、民主化政策や国民の直接選挙で選ばれる人民代議員会議の設立は、一党独裁の国家を弱体化させた。」

 

六四天安門事件 - Wikipedia

1989年6月4日日曜日

中国の周辺国では、2年前の同時期に台湾の中華民国ではのち民主化前の一歩前進の戒厳令解除(1987年李登輝国民党総裁)や、韓国光州事件から始まった民主化闘争の末民主化宣言が立て続けに起こり、東アジアの広範囲で民主化の波が押し寄せていた。」

アメリカのレーガン大統領が「1980年の光州事件のように、軍は絶対に投入してはならない」と韓国政府に警告していた。さらに1988年の開催を控えたソウル五輪について国際オリンピック委員会IOCが「このような動乱が続けば、開催都市の変更もありうる」と韓国政府に通告した。ようやく事態の深刻さを痛感した全斗煥政権と与党・民主正義党は、大統領直接選挙を認めた「6.29宣言」の発表へと追い込まれた。」

********

 W.以下の記述は今後、台湾ー中国問題がロシアウクライナ戦争事態をリンクさせ、政治課題として頻繁に取り上げられ、一方的な刷り込みが行われる可能性があるので内情の基本知識として押さえておく!

 

「  台湾の学生運動

W。台湾型クレオールナショナリズムの源泉になる可能性があり戦争危機を自ら招き寄せる危険性がある。

「台中間のサービス分野の市場開放を目指す「海峡両岸サービス貿易協定は、中国側が金融や医療など80分野を、台湾側が運輸や美容など64分野を開放する協定で、2013年6月に中台間で調印されたものの、台湾の中小企業へのダメージ。」

014年3月17日に立法院で、台中間のサービス分野の市場開放を目指す「サービス貿易協定」の批准に向けた審議を委員会で行っていた。」

立法院の外でも、学生たちを支持する市民が数千から数万人ほど集まり、デモを開いている[8][9]。抗議活動には、学生や市民のほか、台湾最大野党の民主進歩党なども、学生と歩調を合わせ、抗議活動を拡大させている[10]

>議場を占拠した若い学生たちは「台湾は当然、独立自主の主権国家」と考える「天然独」世代である。

   ↓    ↓

1945年日本敗戦後も台湾独立運動は起こらず、中華民国への「祖国復帰を多くの台湾人が大きな抵抗もなく受け入れたが、

>実際に中華民国による統治が始まると、台湾人の多くは腐敗した国民政府に失望し、台湾人と「中国人」の違いを次第に自覚するようになった。

⇒W。台湾の原住民と中国本土(主に福建省)から渡ってきた中国人?が台湾島に居住していた「台湾人」⇒本省人という用語がある(長く本籍を問うことにしてたが今は廃止。本省人とは戦前に台湾に住んでいた人。外省人は戦後の国民党系)。そこに国共内戦に敗北した国民党とその配下の武装し軍事力と統制機関をもった本土中国人が流入し、前記の「福建省系中国人や客家=台湾人?」を支配下においた。⇒W。この構図だけ見ると台湾=ウクライナ化と誤認しやすいが、

①台湾の政治統一状況はウクライナとは違いまとまっている。本省人外省人の対立は以前ほどではない。

今の国民党は中国の利益の代表者ではない。ただし、今後は民進党の長期政権が予測される。言語も同じ。

②経済状況も良好。③本土との経済的なつながりも多い④しかしカギを握るのは台湾内のポピュリズム冒険主義がどの程度勢力を持つ可能性があるか、ということ

@台湾型民主政の体内でクレオールナショナリズムが高まると戦争危機を自ら招き寄せる。台湾でゼレンスキーのような政治家が圧倒的支持を集めるようになると開戦の可能性が高まる

⑤今までの中国共産党の対外戦争政治の事案を踏まえると、中国側からロシア型の戦争を仕掛けていくことはない。唯一の例外は中越戦争であるが、ベトナム国境内に侵攻してもイデオロギー目的が達成できないとみると撤退した。このとき、ベトナム共産党内の中国派は見捨てられた。

朝鮮戦争のときは米軍の参戦によって、出撃した。

@本格的な戦争事態になれば健軍によって党を作ってきた中国共産党はロシア以上に戦争の道を選択する。ただし民衆は中国史と同じような立ち位置(傍観、生活重視)を選ぶ。

 

中国共産党の党是である祖国統一の完成への執念と米国や日本の介入度台湾独立機運との兼ね合いが課題になる。

中国共産党の絶対的な懸念は台湾の独立への情勢が開けると(ロシアウクライナ戦争におけるウクライナ勝利の推移になれば、台湾独立の機運が高まると同時に台湾有事の危機が深化する)米国のミサイル基地ができたり、さらに米軍基地ができる趨勢が出来上がることである。

>その場合、台湾のウクライナ化の道が開ける。

日米安保を棚上げにすると

@台湾有事は中国と台湾の間の歴史の問題であり即日本の有事ではない!

朝鮮戦争のときもその立ち位置でしかも利益を得た。

米国から見ると、日米安保体制によって、

①日本が率先して有事の戦場に出ていき、自分たちは後方待機で中国をけん制するやり方が最も好ましい。

②あるいは自ら出て行っても米国本土は大陸間弾道弾の核攻撃がない限り地政学的に安全地帯である。

@いずれにせよ米国は東アジアの危機的状況を醸成することにメリットがある。

kotobank.jp

第2次世界大戦前より台湾に居住する台湾人。第2次世界大戦後に台湾に移住した大陸人 (外省人) と区別するために用いられ,つい最近まで台湾の住民登録で本籍欄で示されていた。 1948年の二・二八事件契機に,台湾政府と住民との間に政治的な緊張感が始った。特に 49年以後蒋介石父子と一緒に入ってきた外省人は台湾の政治のポストを独占し,国民の自由と政治権利を制限し権威主義体制を実行した。

本省人外省人対立,あるいは省籍矛盾はこうした不平等な政治関係のなかで発生し,その後台湾の民主化・自由化,台湾のナショナリズムにつながった。

 だが 80年代後半から,国民党政府の台湾化方針,特に本省人の政治エリートへの登用,選挙の拡大,本籍制度の廃止などによって,省籍の矛盾がある程度解消されたとみられる。」

この国民党政権が東西冷戦体制(朝鮮戦争インパクト強烈)を背景に長期独裁政権を維持してきた。その間、台湾島はほぼ戒厳令状態が続いた。従って下記の記述は台湾の歴史を網羅していないので片手落ちである。

霧社事件

W.1930年、原住民蜂起

二・二八事件 - Wikipedia

>W.下記の記述でも予め台湾人と中国人というナショナリティーの違う民族(国民性)が存在していたかのように錯覚させている。

大陸から渡来してきた国民党の軍人と軍属が支配階層を形成したが、彼らの話す言語は多分、北京語や上海語であり、もとからいた居住していた原住民と中国人は広東語を話していたので両者の意思疎通は難しい。~~この文中で故意に台湾語という独立言葉があるかのように書いている~広東語と北京語は40年50年前には通じなかった。)

 なお、これも多分だが、現在の台湾の言語は本土からやってきた国民党の長期政権下で北京語が標準語になっているはずである(台湾出身の人が日本の語学専門学校で堂々と中国語を教えている)。ただし文字は本土で開発された漢字の略字体を使っていない。全部込み入った漢字である。

 民族や国民は同じ言語を話す、という共通性がある、というのが一つの定義であり、その意味から言えば台湾人と中国人の区別はつけられない。

 そもそも台湾島と向かい合った中国本土の福建省は世界に拡散している華僑の有名な供給地であり、その意味からも海峡を渡って本土の人が台湾に移り住むのは大昔からやってきたことで台湾住民の圧倒的多数の本貫は対岸の福建省である。ただし反国民党蜂起の当時、台湾原住民と中国人の区別はつけられる。原住民は本土の福建語を使っていなかったと思う。そこで蜂起した側は第二次世界大戦後渡来してきた中国人(国民党系)を区別するために日本統治下50年の日本語「君が代」を相手に歌わせた。

***

>「台湾に戦前から居住する本省人は、全人口約2300万人の69%を占める福〓人福建省系の漢民族)と15%の客家(はっ...|

戦後、国民党政権とともに大陸から渡ってきた外省人は14%。ほかに2%の先住民(W。日ハム、巨人のプロ野球外野手は先住民だった)がおり、大きく四つの「族群」(エスニック・グループ)に分けられる。

>独立志向の与党、民主進歩党の支持者は福〓人に多く、

>統一志向の国民党の支持者は外省人客家に多い。

国民党の本省人弾圧の歴史に根差す本省人外省人の感情的な対立を「省籍矛盾」と言う。⇒W省籍は廃止されている。」

客家 - Wikipedia

原則漢民族であり、そのルーツを辿ると華夏族も含む古代中国(から春秋戦国時代)の中原中国東北部の王族の末裔であることが多い。

 歴史上、戦乱から逃れるため中原から南へと移動、定住を繰り返していった。移住先では先住者から見て“よそ者”であるため、客家と呼ばれ、先住者との軋轢も多かった。この争いを土客械闘という。

 

中国内の移動・定着の歴史は、およそ6段階に分類され、

 

最初がの時代辺りから江西地帯への入植、

 

第2段階が西晋八王の乱から永嘉の乱にかけて黄河流域の中原華北の北方住人が長江以南に避難。

 

第3段階が末の黄巣の乱に江西、福建、広東の奥地に南下。

 

第4段階として南宋末期の元軍の侵攻により広東に拡がり、

 

第5段階では、の時代の領土拡大に伴い、西は四川省東は台湾に展開、

 

そして最後の段階として、海南島まで南下した。

 

ほとんどの家に古代からの族譜があり、祖先信仰が強く、風習も頑なに守ってきたため、周囲から隔絶されて発達した客家語には古代の文語がうずもれるように残っている部分があるといわれている。」 引用終わり。

 

ウクライナ語とロシア語は同じ、東スラブ語なのだが、反俗日記のこれまでの情報ではたがいに通じる、という意見とほとんど通じないという意見に分かれており実際のところわからない。

>いずれにせよ、ナショナリズムの形成には地方の俗語が、文字や情報伝達によって統一的な言語になるという俗語ナショナリズムが大きな役割を果たしているので、歴史的な経過やリアルな言語使用状況に立ち入らず、**人と**人と決めつけるのはどうかと思う。もっと言えば漢民族という定義も歴史を紐解けば、混合民族的要素は含まれている。

>それが世界的にみると普通なのであって、日本列島に定住してきた住民は歴史的地政学的に純度が高く、例外的な存在である。日本のムラは住民の移動範囲が東アジアの中でも極端に狭い、という歴史資料がある。

@グローバル資本制はカネとモノ、ヒトの世界的な移動の回転率が高いという特性がある一方で、その反動なのか、民衆の潜在意識のレベルで民族性の差異が意識される側面があり、素朴に生活している人ほど必要以上にソコしか自己の存在証明ができないようになっている。

 

北市で発生し、その後台湾全土に広がった中国国民党政権(在台湾の中国人)による長期的な白色テロ、すなわち民衆(当時はまだ日本国籍を有していた台湾人と日本人)弾圧・虐殺の引き金となった事件」

1945年日本が敗戦した後の台湾では、カイロ宣言に基づき、連合国軍の委託を受けて、日本軍武装解除を行うために、中国から蔣介石国民政府主席率いる中国国民党政府の官僚軍人らが同地へ進駐し、失地回復という名目で台湾の行政を引き継いでいた。

中国から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。中国から来た軍人・官僚は、当時の国共内戦の影響で質が悪く、強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が処罰されぬことがしばしばあった。」

 

 

こうな出発点に立ち、中華民国体制を克服し、大陸中華人民共和国による支配をも拒絶する運動、即ち「中国人」ではなく「台湾人」として生きるための運動として展開されている。

国民党時代に中華民国体制を否定しない現状の独立状態の存続、中国統一のみを否定する思想も出てきた。

新自由主義|経営コラム・レポート|日本総研

「国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政府、民営化)と、大幅な規制緩和市場原理主義の重 視を特徴とする経済思想。

 資本移動を自由化するグローバル資本主義新自由主義を一国のみならず世界まで広げた ものと言ってよい。

 国家による富の再分配を主張する自由主義(英:liberalism、リベラリズム)や社会民主 主義(英:Democratic Socialism)と対立する。」

大きな政府福祉国家と呼ばれる路線は、1970年代に入り石油危機に陥ると マネタリストやサプライサイダー(供給重視の経済学)からの批判にさらされる。当時、英国は英国病 と揶揄された慢性的な不況に陥って財政赤字が拡大し、米国でもスタグフレーションが進行し失業率が 増大した。こうした行き詰まりの状況を生み出した責任が、国家による経済への恣意的な介入と政府部 門の肥大化にあるという主張である。」

代表例が、英国のマーガレット・サッチャー政権によるサッチャリズム、米国のロナルド ・レーガン政権によるレーガノミクスと呼ばれる経済政策であった。サッチャー政権は、電話、石炭、 航空などの各種国営企業の民営化、労働法制に至るまでの規制緩和社会保障制度の見直し、金融ビッ グバンなどを実施。グローバル資本主義を自国に適用して外国資本を導入、労働者を擁護する多くの制 度・思想を一掃した。レーガン政権も規制緩和や大幅な減税を実施し、民間経済の活性化を図った。同 時期、日本においても中曽根康弘政権によって電話、鉄道などの民営化が行われた。」

「>ビル・クリントン政権の経済政策、いわゆるワシントン・コンセンサスに基づくグローバリゼーショ ンは、新自由主義の典型と言われた。

@1990年代以後に現れた、韓国の金大中政権や、

@日本の小泉純一郎 政権の政策も、新自由主義の典型である。」

 

    各国での批判

労働者に対する責任転嫁格差社会を拡大したとの批判もあり、また新自由主義的な政策 で国民経済が回復した国は存在しないとする説もある。債務国の再建策として新自由主義的な経済政策 を推し進めていたIMFも、2005年にその理論的な誤りを認めている。

@「 日本では~~失われ た10年ともいわれた長期不況は、欧米や南米のような供給不足による不況ではなく、需要不足による不 況として生じていたもの

小泉政権下での新自由主義的政策路線は、この不況を欧 米と同様の構造的不況との認識のもと

供給サイドの強化(W。不明!)

@「韓国では、金大中政権下で20万人以上もの人々が失業し、事実上「刑死」(失業による自 殺)に追い込まれた者も多い。

「左派新自由主義」を自称する盧武鉉政権でも、格差が更に広がり、経 済が回復しても、正規雇用が増えずに非正規雇用が増加する「両極化」が大きな社会問題とされている 。」

 

toyokeizai.net

第4回。想像の共同体。大思想家、吉本は国家の本質は共同幻想にあり、という見当はずれ。片や元実業家は「暴力手段を合法的に独占していることに尽きる」と。元首相射殺事件を予言的に解釈。「仇討ち、赤穂浪士の世界。放置しておくと仇討ちの連鎖が止まらなくなります。そこで個人の自力救済を禁じて国家が暴力を独占して裁く。

吉本隆明の「共同幻想論」は熟読した。前半部分の遠野物語 - Wikipedia

を題材にした記述は省略した。

後半部は古事記 - Wikipedia

によって端緒的共同幻想の古代国家誕生までを跡付けるという的外れなことをやっている。

 この部分は古事記に沿った天皇制の起源の解釈としては有効であっても、今日的な国家の本質やその実態に迫ることからは遥かに隔たったところでの議論に思えた。

しかもその天皇制の起源を古事記の論述から説き起こしていることから、

厳しい見方をすれば、階級国家論⇒生産力発展から引きこされる私有財産制の発生、古代支配層の暴力支配の在り方を不問にしているところから、天皇制の起源の肯定ともいえる記述に陥っている。

 もう一つの批判は古文書としての古事記の記述をそのまま素朴に受け取って解釈を施していいのかという問題である。

 文字がない言霊段階を古事記は跡付けている、所は果たして唐やそれ以前の文書の影響から独立し伝承されてきたのか、ということだ。

違うだろう。

古事記の記述内容そのものが、中国の歴史書の影響下にあった、とみる方が自然である。

何よりも古事記日本書紀の記述された年代は紀元後700年初頭であり、そのころは遣唐使による大陸とのやり取りが盛んだった。また日本列島への渡来人の影響力も無視できない。

 結論的に言えば国家の本質を共同幻想であると言い切っている吉本隆明共同幻想論」は国家の歴史的変節を見ない間違いを犯している。

 

 最も適切な吉本「共同幻想論」における国家論への批判は以下である。

引用 この論文は非常に難解な書き方をしているので時間不足で今は読み込めなかったが、結局、筆者の国家論に対する問題意識が総花的に拡散しているところからきていると思う。

「国家観には,理想主義国家観(W。プラトン?),社会学的国家観(W。通常の国家観?,有機体的国家観(Wファシズム、コーポラティリズム国家観?),法律学的国家観,階級的国家観(Wマルクスエンゲルス)など非常に多くのもの~~」

https://core.ac.uk/download/pdf/70352941.pdf

 引用

「ここで問題にしようとする国家は,抽象的なそれではなくして,歴史的国家を指すのである。

すなわち,原始国家(吉本が古事記を題材に云々しているのはこの段階の共同体「国家」から;⇒古代国家)

および近代国家を歴史的,発展的にみてくるとれぞれの段階における国家には著しい相違がみられるのである。

>政治現象の観点を前述のように理解すれば,中世以前の国家においては,近代国家ほどの重要性をもって必ずしもその対象とはしないのである。」 引用終わり。

W。日本列島の場合は始原的天皇制の女系呪術王(例。卑弥呼)と近親男系政治統治(近親の兄弟)の分化まで辿り確認する必要性があるので原始国家や古代国家も分析は一定の必要性はある。

*****************

   時間不足のため。今後に向けた参考資料を挙げておく。

 

 ①こんな人がいるとは知らなかった。明解である。

人が生み出した「想像の共同体」国民国家の本質 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

     出口 治明 : APU(立命館アジア太平洋大学)学長    2020年5月9日

安倍元首相射殺事件の予言的解釈までしている。

引用

「「教育の2つの目的」について、①自分の頭で考える力を養う、②社会の中で生きていくための最低限の知識(武器)を与えると説明しました。

今回はこの2つ目、

 

②社会の中で生きていくための最低限の知識(武器)を与える」についてお話します。

実社会に出たときに困らないように、「生きるための武器」、つまり、社会を生き抜くために必要な基礎的な知識を与えることが大切です。大人になってから、自分ひとりで社会と(あるいは人生と)戦うとき、手ぶらのままでは、勝敗は明らかだからです。

最低限、現在の民主主義社会の根幹をなす次の7つの知識を教えるのが教育だと僕は思います。

【社会を生き抜くための7つの武器】
①「国家」の基礎を知る
②「政府」の基礎を知る
「選挙」の基礎を知る
④「税金」の基礎を知る
⑤「社会保障」の基礎を知る
⑥「お金」の基礎を知る
⑦「情報の真偽」を確かめる基礎を知る

民主主義社会とは、成熟した市民の存在を前提としているので、成熟した市民(=最低限7つの武器を身につけた市民)がいなければ、民主政治はすぐに衆愚政治陥ってしまいます。

わかりにくい政治や経済についても、ひとつずつ知識を積み重ねて思考を深めていくことで、主体的に理解、選択ができるようになります。

ここで上記の7つのうち、例として「国家」と「選挙」の基礎的な知識を解説しておきましょう。

国家の本質とは何か

「国家」といえば、エンゲルスの名作『家族・私有財産・国家の起源』を思い出す人がいるかもしれません。

よく国家の3要素として、

領土、(そこに住む)人民(領土と人民に対する)統治権・主権が挙げられますが、

国家の本質は、

警察や軍などの暴力手段を合法的に独占していることに尽きると思います。⇒W。大思想家、吉本は国家の本質は共同幻想にあり、という。片や元実業家は「暴力手段を合法的に独占していることに尽きるという。吉本思想はコケ脅し、中身は空洞。難しいというが同義反復が多い。

    誰かがケンカをして殺されたとします。

するとその一族は仇討ちを考えます。赤穂浪士の世界です。

放置しておくと仇討ちの連鎖が止まらなくなります。

そこで個人の自力救済を禁じて国家が暴力を独占して裁くというわけです。⇒W。元文部事務次官の人もアベ射殺事件について同じことを言っていた。ただし、取り締まれなかったのだ。

    国民国家とは何か?

引用

国民国家を理解する不朽の名著が、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』です⇒W。第2回でクレオールナショナリズムナショナリズムの端緒であると<発見>している米国流民主主義は米国の国体である

丸山真男機会あって自分の記事を改めて読み直して名著だと思った。

 

「僕はこの本は高校で教えるべきだと思っています。

なお明治政府の国民国家創出については、小島毅の『天皇儒教思想』W、未読。という新書がわかりやすいと思います。」

 

  必要なのは政府を作り直す努力

 

  選挙におけるリアリズム

①選挙では、必ず事前予想が出る(ロンドンっ子は、お金を賭けていますね)
その予想通りで満足なら
3つの方法がある。
投票に行ってその名前を書く、白票を出す、棄権す
@この3つの方法のどれを採っても結果は同じになる
事前予想に不満な、あなたの意思表示の方法はたった1つしかない。投票に行って違う名前を書くことである
④以上が、選挙の仕方のすべてである
 
そもそも選挙は、「より良い人」を選ぶための制度ではありません。100年以上前の話ですが、英国の名宰相、ウィンストン・チャーチルが、次のように明言しています。

自分を含めて選挙に立候補するのは目立ちたがり屋やお金儲けをしたい人などろくでもない人ばかりである」

「選挙というのは、こういった信用のおけない人たちの中から、相対的にマシな人を選ぶ忍耐のことである」

「したがって、民主政は最低の政治形態である。ただし、これまで試されてきた王政や貴族政など過去の政治制度を除けば。

W。1950年代以後の戦後史ではスターリン主義独裁が試されたし、試されている(中国)。

 結局、グローバル資本主義の世界的資本蓄積構造をどう見るかということだ。

富の偏在の運動的な不可避性、非是正性ゆえに

G7は国民国家の古い衣をまとった戦争体制に入っておりこの傾向は止まらない

 ロシアの次は中国排除という順番になる。その場合、東アジアはウクライナ状態に近ずくしかない。

******

こういうリアリズムが理解できれば、投票は簡単です。女性議員が少ないのなら、女性の候補者に投票すればいい。若い議員が少ないのなら、若い候補者に投票すればいい。

市民がすべきことは、忍耐を強いられながらも、「100%満足はできないけれど、他の候補者に比べれば、多少はマシ」な政治家を選ぶことです。これらのことがわかっていれば、「良い候補者がいない」からといって、白票を出したり、棄権したりするといった誤った結論には至らないのです。」

W。原理原則があれば投票行動で妥協できる。いざ投票というときには感情、親近感、親和性などに拘らない。

W。グローバル資本制の歴史段階における最大の政治課題が富の極端な偏在の是正であるとすれば、従来の民主政は機能不全に陥っているので、上記の見解に疑問を持つ人が多く出てきている(形態は真反対である場合も多い。歴史を紐解けば一目瞭然。政治(戦争)はエモーショナルな部分が多すぎる。)。合理的に考えて戦争手段を選択する場合もある。

************************************

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W。元首相の射殺現場の痕跡は一切ない。現場に立つと、大きな事件であってもそれを簡単に飲み込んでグローバル空間は進行している、次の展開で何が起ころかわからない、という一種不気味な感覚にとらわれる。

 奈良県大和西大寺という字面だけを見ると牧歌的な郊外のイメージがあるが、東京でいえば中央線沿線のしゃれた郊外都市のような雰囲気があり、私鉄沿線の大きな分岐駅でプラットホームに乗客は多い。沿線の東の進行方向すぐに終着駅奈良駅があり、最大の観光名所、東大寺薬師寺がある。大きな駅には南口と北口があり、元首相が演説していたところはデパート商業ビルの建て込む繁華な北口であった。

 演説する方向はビル街と大きな道路を背比較的小規模のバスターミナル側北口乗降客の多い階段がそばにある。バスターミナルは閑散とした南口の方が大規模。)に動員された聴衆に向けてのものであった。

 したがって、演説の背後ビル街とその前の歩道、交通量のある大きな道路、路線バスターン広いスペースがあり、警備陣で取り巻かない限りその広いスペースから人は元首相に近づくことができた。警備の人たちの向いている方向も人の近づきやすい空間側ではなく、狭いバスターミナル側の動員された聴衆側であった。

警備の不手際を指摘する向きもあるようだが、2代前の元首相でもあり、統一教会にまつわる事件から長らく手を引いていた警備にとって、暴発事件を想定する警備感覚がなかったというのはむしろ、正常だったように思う。

www.youtube.com

第3回、想像の共同体。吉本隆明「共同幻想論」メモ。~吉本の言う全幻想領域とは経済下部構造に対する上部構造とは意味合いが違うようだ~

 序

~言語を表現するものは、その都度一人の個体であるが、

①この一人の個体という位相は、人間がこの世界でとりうる態度のうち、どう位置づけられるべきだろうか、

②人間は一人の個体という以外にどんな態度をとりうるものか、

 

①そして一人の個体という態度は、

②それ以外の態度との間にどんな関係をもつのかといった問題である。

本書はこの後の場合について共同幻想という観点から追及するために試みられたものである。

>ここで共同幻想というのは、大雑把に言えば

個体としての人間の心的な世界と心的な世界が作り出した以外

>すべての観念世界を意味している。

***

W。反俗日記を書く私の心の世界と私の心的世界が生み出した反俗日記は共同幻想ではなく私的世界の延長線上の私的観念世界である。妄想もあり得る。

***

言い換えれば、

人間が個体としてではなく何らかの共同性としてこの世界と関係する観念の在り方を指している。

***

Wここからしばらく今日的問題意識とずれた議論が続くので省略する。

***

 吉本隆明の持論

   ↓

政治的な解放(W。自由と民主主義、人権。国家独立、国家統一。経済的な解放は過渡期社会では不可能。)というものをある意味、過大評価している。

そんななものは過大評価することはないのであって、非常に部分的な解放に過ぎない。

政治的な解放というものは、本当は非常に部分的な解放に過ぎないから、文学みたいに少なくとも個人幻想つまり人間が人間であるというような、人間の存在が人間の存在であるということ、そういうことの根底を含む問題に対しては部分的な影響力しか与えられないということがあるわけですよ。

 

だから文学は非常に自由な形で、あるいはめちゃめちゃな形でしか出てこれない。W。人間性を確認するために人間を描く。これは英語:tautology, ではないのか?

語源はギリシャ語で「同じ」を意味。同語反復どうごはんぷく)とは「私は私であり、君は君である」のように、等値を示す語によって同じ言葉を繰り返すことである。 文学評論等、言語表現における技巧のひとつとして用いられる。)

やはり人間的な解放というか根底的な解放というものがない限りは、文学は恣意性、自由としてしか現れないわけです。

+++++++

 対談者の吉本に対する発言

「吉本さんの場合、表現という問題から入っていきまして、最初のモチーフとしては文学なら文学というものを根拠づけるモチーフがあったけれども、それから出発して、今はもっと問題が広がっているわけですね。

  <言語思想>という言葉を使われる。

****

W.「共同幻想論」に先立って「言語にとって美とは何か」が公表された。ピンとこなかった。もともと、吉本隆明など相手にしていなかったが知る必要はある、と思って読んだ。「共同幻想論」だけは面白い、とおもった。コレは使える、と。その後、今に至り便宜上<国家共同幻想>などという用語を頻繁に使っている。

****

つまり今まで言語思想という角度から文化から政治に至る広い領域を煮詰めようとしてきた人は、私の知る限りまずいないと思うんです。

つまり吉本さんの独自の新しい独自の視点の設定だという風に思うんです。

そこで今度は、単に文学あるいは芸術というふうな範囲から文化の問題、国家:権力とかいうう風なところまで、言語思想ということを出発点にしながら、さらに広がっていく必然性について今ちょっと出ているんですが、その過程をもうすこしくわしくはなしをしていただきたい。

 

 吉本:いままで文学理論は文学理論だ、経済学は経済学だ、そういうように、

自分の中でひとつの違った分野は違った範疇の問題として見えてきた問題があるでしょう。

特に表現の問題でいえば政治的な表現もあり、思想的な表現もあり、芸術的な表現もあるという風に個々バラバラに見えてきた問題が大だいたい統一的に見えてくるようになったというようなことがある。

 その統一する視点は何かと言いますと

全て基本的には幻想領域であるということだと思うんです。

なぜそれを上部構造といわないのか?

上部構造と言って良いんだけれども、上部構造という言葉には既成の概念が付着していますから、つまり手垢がついているいますから、あまり使いたくないし、使わないんだけれども、

>全幻想領域←(W。??そんなものあるのか。そもそも上部構造という規定をしたのはエンゲルス!~経済学批判の序文~便利だから反俗日記でも何回も使ったが、その都度、引っ掛かりをもって使った)というものの構造は

どういう風にとらえられるかということなんです。

>どういう軸をもってくれば、全幻想領域の構造を解明する鍵がつかめるのか。

W。大きく出た!張ったり違うかな?

 @ここから先は吉本の全幻想領域なる大枠設定の中身についての仕分けと相互関連のはなし。吉本の見方考え方が今の状況に耐えられるのか?必要なものだけ取り出しいらないものは捨てる。全否定はない。興味がある。

           時間不足で次回へ

 

第2回、<想像の共同体>。吉本隆明著「共同幻想論」1968年初版、河出書房新社刊行。~国家と家族、国民国家、ナショナリズムを理解するためのメモ~

 

shakaigaku.exblog.jp

 ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』は歴史的事実を学者的に仕分けし、結論の項目を導き出しているが吉本「共同幻想論」は国家、家族、共同体を理解するためのユニークな建付けの議論である。

 議論の枠組みの設定の仕方に独創性があり、読者をハッとさせるところがある。

ところが過去の吉本理論に接した限りの感想は、家構えは人目を惹く、立派なものでも家の中が伽藍洞である場合が多かった。吉本理論は難解といわれる所以は実証性に欠けているところにあるようだ。詰めが甘い。

反俗日記で良寛を特集したときも吉本が仏教の古代宗教性をキリスト教儒教イスラム教と対比したとき、地理学(地政学)的観点と歴史性を混合させて議論しているところに感心したが、結局、ズバリと言い当てているように思える用語的な規定はあってもその規定が実証されていないところに不満を持った。

*****

 アンダーソンの「想像の共同体」のネットに出ている一番簡潔、適切な解説文はコレである。しかしその議論は吉本とは逆にハッとさせられるところがない。

 唯一、今使える儀燐的枠組みは以下のところである。

引用

「  国民意識の起源

出版資本主義によって流通することになった特定の俗語(出版語)の流通は、その言葉によって「国民」というものが想像される基盤となりました。たとえばルターの翻訳と著作の流通は、「ドイツ語」をはなす「ドイツ国民」というものを想像させることになりました。ではこの共同体を想像させる基盤のうえにどのようにナショナリズムは展開していったのでしょうか。意外なことにその端初は新大陸にあったのです。

   ナショナリズムの変遷

ナショナリズムはまず最初、クレオールナショナリズム、として生まれました。

 

ぎゃくに、本国との行き帰りをしている人間は、けっして新大陸「アメリカ人」にはなれっこないのだ、我々クレオールこそが「アメリカ人」なのだという、裏返しの「誇り高き」アイデンティティをもたらしたのです。そしてその誇りが独立戦争W。アメリカ革命戦争と理解すれば伝播先のフランス革命との思想政治論的なつながりが解る!を戦いぬき、そのために死をも厭わぬ行動の起動力となったのです。
 また新聞はその行政区である地方クレオール印刷業者 によって担われ、紙面は植民地行政の報道するため、この植民地の行政区が1つの単位として人びとに受け止められました。
 こうしたクレオールナショナリズムの現象は、スペインの植民地だけでなく、ポルトガルの植民地(ブラジル)でも、そしてイギリスの植民地(アメリカ)でもまったく同様でした。

>W.コレで米国流儀の民主主義が国体化しているという丸山真男の指摘が筋道をもって理解できる。

 かつての日本が大戦末期に天皇制を植民地,半植民地に押し付けたと同じ位相だが

>より過激より根源的に雑種混合的であるがゆえに米国は国家統一に米国流民主主義を国体化するだけではなく、20世紀最新の覇権国家として暴力強制的及び文化的に他国に移植しようとする

ただされだけであればイデオロギーと制度の強要の範囲に収まるが、グローバル資本制の新自由主義市場を当該国に移植し、貢物をかすめ取ろうとしている。コレは民主主義の仮面をかぶった帝国主義(グローバル金融寡頭制支配)そのものである。EU帝国主義の概念が当てはまる。

  

   俗語ナショナリズム

~W.作用と反作用で世界は変わっていく~W.そのとき戦争は結節点的役割を果たしてきたのは火を見るよりも明らか。人類は氷河期のメンタリティー、フィジカルから抜けきっていない!⇒地球の現段階は所詮「猿」の惑星!

*****

引用文に戻る

大陸での動き旧大陸に影響をもたらしました。

俗語によって地域区分されます。たとえば、イタリア語やポルトガル語と大差ないスペイン語言語学者の活躍によって独立の言語として確立し結果スペインという地域が確定されました。⇒W。アメリカ大陸のクレオール国民国家の形成ヨーロッパ大陸に反作用し、フランス革命に少々される国民国家が形成された際に、南米大陸とスペンインを通底した見方は、新しい歴史の見方である。

  封建制から絶対王政への移行は、官僚中間層の増大

W。反俗日記

中国⇒美国。これ以外に表音表現はない

日本⇒米国(べいこく)=アメリ

中国でももともとは「米」の字が使用されていたらしい。

@日本にはそれが伝わってきたのである。

1860年をさかいに、中国では「美」の字が使用されることが多くなったという。

つまり、日本のほうが古い表記が生き残っているのである。

W。なぜなんだ?⇒古い表現は縁辺部に残って、中心部は新しい表現に変わった。

アホ・バカ分布図 - Wikipedia

>W。上記の視点は自分の歴史の見方(民衆史観)ではない!雑学は排除し(民衆史観)の視点で一貫すべきだった。

なぜ中国のほうは変わってしまったのか

上海語(北京中国語と上海語は大きく~昔は通じないほど~違うらしい)や北方の方言この時代、北京語は標準語になっていなかったのか?

中央集権国民国家形成期~~欧米侵略によって清王朝は<絶対主義的王朝>への変質を迫られた。

>日本の徳川幕藩体制下でも絶対主義権力化によって欧米に備えるしかなかった。明治いしんは絶対主義政治への転回だった。天皇を担ぎ出した勢力が幕藩体制への勝利は絶対主義イデオロギー上も優越していた。徳川公武合体でも良かったというのは、絶対主義政治の中心核に徳川旧体制を置く完全な間違いである。日本の絶対主義政権が天皇制でなくてはならなかったのは、覇権長期維持のために天皇制の残存を許した徳川封建体制が決定したようなものだ。~~の統一的な教育政策によるものでは「米」の字はmiと発音していた。それよりは、北方方言のmei、あるいは上海語でmeと発音する「美」の字のほうが、アメリカの「メ」の音に発音が近くなる

1860年ころから、中国語の翻訳語の基準が上海に移ったために表記法が変わり、それが現在の日中の違いにも反映されているということだ

********

引用文に戻る

大陸での動きは旧大陸に影響をもたらしました。

~~

「俗語を読み書きできる読書人の増大するとどうじに、俗語教育(ドイツ語教育やイタリア語教育などなど)が増大します。こうして俗語言語によるまとまりが「国民(民族)」として意識されるようになると、アメリカ独立やフランス革命「国民による国家の樹立」という、「国民国家」の枠組みで解釈するようになりました。⇒W。この見方は納得できない。欧米人の自己歴史の美化ではないのか?

 

 公定ナショナリズム

W。動態的(リアル政治)分析であり、感心した。

こうしたナショナリズムの盛り上がりにたいして、上からのナショナリズムがおこなわれました。本来ならナショナリズムに趨勢によって排除されたり周辺に 追いやられる権力集団が先手を打つことで民衆からのナショナリズムの盛り上がり応戦したのです。ここでは、国民と王国という本来なら矛盾するものが、その矛盾を隠蔽されて結合されます。⇒W。フランス革命後のルイ=ナポレオン/ナポレオン3世

W.

どこの近代国家にもこういう民衆ナショナリズムの上からの簒奪傾向(強弱や形態は違うが)はある。

引用文 W.以下は的確過ぎるほど!

たとえば、プロイセン王国によるドイツの統一は、辺境の地にあり、ロシアにまで食い込んでいたプロイセンという田舎の王がドイツの皇帝に化けました。⇒W。イタリア国王も元サルジニア国王の成り上がり。

またフランス語を話していたロマノフ王朝の「ロシア化け」してロシアの皇帝になりました。⇒W。ロシア化は知らなかった。日本人はロシアの歴史を知らない。たぶん欧米人もしらないのではないか?なぜならば、ロシアは古代中国史でいうヨーロッパの<中原>~黄河中流域平野部~に進出したのは第二次世界大戦のときの地上戦でナチスを追ってベルリンを占領したときが最初であった。

日本では忘れられた存在だった天皇が日本帝国の皇帝となり、さらに、その帝国は朝鮮人、台湾人、満州人を取り込みました。

*******

W。参考資料 ~マルクストロツキーを引用しているところを見るとE・H・カー - Wikipedia の系譜のロシア観である。英文の教科書に推奨されている。

アイザック・ドイッチャー - Wikipedia程緊張感はない。トロツキー3部作。

トロツキーの「わが生涯」は最高傑作。

book.asahi.com

近代日本の天皇制国家と同じく地政学的優位性~周辺が半近代~があった。

引用

1613年~1918年。ロマノフ王朝

1613年にロマノフ朝が成立して以来、ロシア帝国は1日につき55平方マイル(142平方キロメートル)の速度で領土の拡大を続けた。年間にすれば、実に2万平方マイル(5万平方キロメートル)の割合で拡大したことになる。

 19世紀末、ロシア帝国は地球の陸地面積の6分の1を支配下に収めたが、そこで止まらず、さらに版図の拡大を続ける勢いを示していた。帝国領土の拡大はロマノフ朝にとっていわば血の伝統だったのである。」⇒大ロシア主義は近代化の遅れたアジアでの日本の近代化=資本主義化、侵略帝国主義化と軌を一にする。いずれにせよ世界の近代化、資本主義化の周辺、過疎地域での<領域>拡大であった。きっちり拡張した領域内の統治は不可能だった。

イヴァン4世 - Wikipedia

イワン雷帝 (映画) - Wikipedia

イワン雷帝』(イワンらいてい 原題:Иван Грозный)は、1944年から1946年にかけて制作されたソ連映画セルゲイ・エイゼンシュテイン監督。

W。大衆動員、物理力を駆使した黒澤明的映像美はあった。最も黒沢が影響を受けているのかもしれない。一部は国策映画かな?

W。2部が禁止されたのは宮廷官僚への粛清が出てくるからだ。

W。

戦艦ポチョムキン - Wikipediaは世界映画史に残る傑作。無声映画の良さも出ている。民衆蜂起。弱いものが団結すれば勝てる。舞台はウクライナオデッサ港に臨む大階段のコサック兵による虐殺。オデッサ沿岸に浮かぶ戦艦ポチョムキンの乗組員の叛乱。最後の場面で戦艦に勝利の旗が上がる。チャップリン映画など斜に構えて話にならない。

“イワン雷帝”ことイヴァン4世の生涯を描いた作品。全3部構成で制作される予定であったが、第1部は時の権力者ヨシフ・スターリンから高く評価されたものの、第2部はスターリンを暗に批判した内容であったため上映禁止となり[1]、第3部は完成されなかった。第2部のラスト数分がカラー映像になっている。

  植民地ナショナリズム

第1次世界大戦後の植民地において、「若き」現地エリートによるナショナリズムが生まれました。たとえば、ベトナムインドネシア、アフリカの諸国。彼ら現地エリートは植民国をおこなった教育と官僚制度のなかで教育をうけエリート官僚となり、そうして独立の担い手となったのです。

             時間不足で次回へ

第1回。『想像の共同体』。ウクライナロシア戦争はポピュリズム政治(ゼレンスキー、プーチン大統領)が主導権を握ると国民に多大な犠牲が出るという典型的な事例。

          W。プーチン大統領の演説の全文を検討した。

eritokyo.jp

 反俗日記の<国家、国家権力、国民国家。国民、民族>に対する認識と大きな隔たりがある、というのが率直な意見である。

私が仮にロシア国民であれば、プーチン政権に即時停戦を求めて活動する。そのために投獄されても仕方がない。獄中で戦う。

ウクライナ国民であれば、同じことをする。

日本国が東アジアで戦争すれば反対活動をする。

支配層の引き起こす戦争政治は許すことができない。

******

 しかしウクライナ国民であれば、難民を選択することもある

国土が戦場になっている国は基本的に無政府状態と考えている。

コレだけの海外からの武器支援や資金供与があれば、政府の統制の取れない闇ルートができる。役人も腐敗する。

多分、国中に武器がばらまかれている。援助資金の中抜きも横行しているだろう。戦場の人心はますます腐敗している日常的に暴力を使うもの、身近に見聞きするものの人心は荒廃する

 国内が内戦状態になれば、その影響力は長く尾を引く。

スターリン体制が出てきたり、中国政治の紆余曲折は内戦状態の影響が長引いたが故だ。

 

 突然、何が起こるかわからない、我が身は自分で守るしかない武器所持の必要は、良いとか悪いとか問題ではなく自然と生まれる)。

~~2022年10月11日、編集追加~~

始原的な戦乱に個人が投げ出されると武器を携帯することは決定的な意義を持つ

始原的な戦乱における自衛武装とは、単に自分の身辺を守ることだけではなく、対人対社会対自然の心の余裕と行動の自由の獲得、つまり自律的人間への根源的な第一歩である。

  

 もっとも、戦乱に近づかない、巧みにかわす、逃げる、コレが最善の選択だ

 

 兵士と武器弾薬を戦場に送り、戦闘を企画鼓舞し、彼我の大量殺傷行為の交換をさせる一方で、自分たちは安穏と戦場はるか離れた後方や安全な外国から指令している者どもがいる。

<戦争は他の手段をもってする政治の延長>であり、

政治の本質は<奴は敵だ!奴を殺せ!>、

政治家は<世の中の神羅万象を解っているかのように語る>。

騙されてはならない。

古代ギリシアアテネ武装する市民兵士デモスの集会で将軍はこれから始まる戦闘のの企画を語り、デモス戦士の意思一致した行動を訴え、戦場で軍団は果敢に戦って勝利し帰還したが、将軍にデモスたちから死刑判決が下った。

判決理由アテネの掟を破ったからだ。将軍は戦場でデモスの死体を回収しないで放置した。デモスの支配する集会における指導者は命がけで政治と戦争を主導した。デモス戦士で哲学者のソクラテスに死刑判決が下ったのは、当時のアテネにおいて哲学は命がけで語るモノであった証明である。

   ウクライナから難民になって外に出ている人が一番賢明だと思う。

~~2022年10月11日編集~~国境を閉鎖し60歳以上の男子は国外に脱出できないようにしている。武器も民衆にばらまいている。力とカネですべてが決まる半無政府的社会状況では、政権の当事者能力がどの程度あるのかわからない。決定権は欧米諸国にある、と思う。~~

 

 ところが難民になりたくてもなれない人たちが大勢いる。こういう人たちの国外脱出を手助けするのは人道的行為だと思う。他にも戦場のウクライナ国内で人道支援する方法はある。だが、自分はそういう方面に向いていない。

 

 統治機構がはっきりしていれば、突然殺されるようなことは回避できる。

ヨーロッパ封建領主の本分は農奴住民のセキュリティー保障である。

警察消防機能は生活に不可欠なものだ。軍隊となると事情は違ってくる。

この違いは大きい

軍隊は対敵、戦闘戦争機能が優先され住民を守るのは二の次だ。停戦維持軍は別だが。

日本国憲法状況では区別がつかない人が多い。災害援助の自衛隊を見て志願したという女性の動画を見た。セクシャルハラスメントにあったと勇気をもって訴えていた。しかし、ここに軍隊の悪の本質を見る。海外に出て行って現地人にその手の行為を働く可能性についての言及はなかった。体罰横行の旧日本軍は外に出て同じことをした。

ベトナム戦争派兵の韓国軍も派兵前の訓練が旧日本軍方式を取り入れていたので(健軍当初旧日本軍の軍上層)現地でとんでもない戦争外の残酷なことをしでかした。

 ウクライナの人がノーベル平和賞を受賞したというが、国内で反戦即時停戦)を主張したのか?違うだろう。

人道支援活動は大切なことだが、反戦活動(停戦)をするのが私にとって大切である。人道支援反戦の差異は後者が政治活動の一種であるという点にある。ところが、現地の第3者から見ると人道支援も政治活動に映る場合がある。武器を持っているものは普通の人間の感覚からかけ離れる場合がある。

アフガニスタンの援助活動をしていた有志が殺害されたのはこのためだ。地雷で死んだ人も多い。

だから、国内平和の国では一般人の武器の所持が規制される。米国はいまだにこの観点が希薄である。

 

  ゼレンスキー政権の統治能力を疑っている。

有象無象の戦争屋が世界から集結している様子だし住民の異常な熱狂が想定されるのでは非合法に殺される場合や裁判なしに長期投獄される可能性もある。

*******

 歴史的にウクナイナの国民統合能力欠如、自己統治欠如他国のせいにできない部分が多すぎる。

そもそもドニエプル川中流域から黒海地方はコサックの発祥地(ロシアのドンコサック~名作「静かなるドン」の舞台~~は本拠地から移住した連中)であり、コサック首領と軍団は支配領域の恵まれた人口扶養力を開発しないで蔑ろにし近隣からの物資の簒奪を日常的な経済行為としてきた。ミニモンゴル帝国方式である。

ウクライナ地方の領主たちが豊富な資源の潜在にもかかわらず、停滞混乱してきたのはコサック根性が抜けきらないからだ。

外部に遠征する、手を結ぶ、あてにする、外部の中で生きて行く、ことに政治が集中してきた。

いつまでも戦国の軍団編成の残滓を引きずる封建時代~厳密にいえばウクライナにヨーロッパ的日本的封建時代はなかった~の支配層の在り方に問題があった

そして「近代化」はロシア帝国支配下で周辺的民族排外主義的都会集中的に遂行され(社会構造的にユダヤ人大量虐殺暴動が発生)

ポグロム - Wikipedia

1917年革命と大戦期ドイツとの即時停戦和平案である、

ブレスト=リトフスク条約

によってロシア革命政権はドイツ支配を容認することとなった。ところが、ドイツの劣勢が進み、ドイツ軍は駐留部隊を維持できなくなって、ウクライナ国内にロシア革命を巡る内戦が持ち込まれ革命支持派が盛り返しの二重権力状態になった。おそらく今のウクライナのような状態が第2次世界大戦でスターリンの戦車が制圧するまで続いた。現下のように国内紛争に外部の強力な影響力が及ばなかったものと思われる。その間、ウクライナは世界史の動き放置されていたのだ。

 

 ウクライナの歴史を遡るとトルコをあてにしたりポーランドとくっついたり(国の西側、中央部はポーランドの影響が強い~ウクライナ語話者<ポーランド語とロシア語の中間>が圧倒的、カソリックも多い)ロシア(東地方は旧ソ連屈指の重工業コンビナート<製鉄>ロシア語話者圧倒的。)に溶け込んだりして

ソ連邦崩壊の20世紀の末尾になって初めて国民国家形成の途上についたが、国境線内で国民国家を形成することができず、その難題を無理強いしたので、もともと歴史的経済的文化的に異質な東の地方に分離要素が溜まった

イギリスもスコットランドの分離国民投票寸前ににまで行った。

EUからブレクジットした。用語まで発明したのだからEU離脱は熱い想いだったのだろう。統合があれば分離の自由もある。国民国家ができる実情のないなら別れるべきが賢明である。お互いのたためだ。

もっとも当地に対して第三者が言うべきではないが。ウクライナへの武器支援は止めて、ロシア軍は撤兵して話し合うべきだ。ただし、もうここまでこじれると自己統治能力のないウクライナ側は後に引けないだろう。

 

こういう重大なセンシブルな問題は時間をかけて解決しようとするのがまともな政治だ。

ポピュリズム政治ユダヤ人ゼレンスキー)主導権を握ると国民に多大な犠牲が出るという典型的な事例だ。

プーチンソ連邦崩壊後の国家の富の簒奪、喪失状態に対するロシア国民の大ロシア主義の政治共同幻想への回帰のムードに乗って登場した強権ポピュリズムの典型である。

覇権国家の権勢が急速にしぼむと、国民は最初は自己認識できず茫然自失し、そのうちに過去の栄光に安住の地を見出す。

ゴルバチョフエリツィンが内外に通じる即席資本家(国際金融ネットワークに通じるユダヤ人が多い)に国家の富の簒奪の自由を許した結果、プーチンの強権ポピュリズム体制を生んだ。

足し算は絶対にないにしても国富からの引き算が多すぎる。富は外に持ち出された。そう考えなければソ連邦崩壊後の国力の縮小が説明できない。

ウクライナのようにグローバル資本の跳梁跋扈する21世紀の今頃になって戦後世界体制の残滓の典型である軍事資源大国のロシアのすぐ隣で国民国家を形成しようとすれば多大な軋轢が生じる。

世界市場の資源原材料は高騰するのは自然的経済法則

異常な投機資金の餌食になり、全世界の民衆が生活に苦労するようになる。

大戦争がインフレを誘発するという、当たり前のこと見逃されている

ウクライナゼレンスキープーチン大統領と歴史的現在的な立場が違うだけで同じような次元の認識だ。W注

このプーチン演説の冒頭にある<国家、国家権力。国民、民族>は、

>何よりも古すぎる

 

@<国家、国家権力。国民、民族>認識はざっくり言えば、1975年に終結したベトナム戦争までのものである

演説半ばの2次世界大戦後のアジア、アフリカ、中南米の半植民地の独立、民族解放に貢献した戦後ソ連邦の成果を挙げている下りにそれが証明されている。

こういう認識は第二次世界大戦後、1980年ごろまでは世界の人々の実生活を改善するために多少の寄与したかもしれないが、グローバル資本が跳梁跋扈しその政治支配が強化されているグローバル資本制世界的金融寡頭政治、制度)においては、反動的な政治思想に転化する

プーチンとゼレンスキーはグローバル資本制下の主要課題である階層格差の加速的拡大に苦吟する民衆生活をより一層、苦境に追い込み、国家や国民、民族の無内容に誇張し呼号するハーメルンの笛吹き男のような反動政治である。

G7等一国的限界のある政治(世界のGDPシェアは低下しているが帝国的なマネーの力と核兵器を頂点とした連合軍事力で乗り切ろうとしている=新帝国主義大本山

グローバル展開する経済への主導権を完全に見失い(20世紀末からの新自由主義政治段階の結果である~自由放任産業資本主義段階が金融寡頭制帝国主義の時代を生んだ~)、

 

グローバル資本の階層格差の加速度的拡大という主要矛盾への解決の方途をなくした結果(第二次世界大戦後の欧米民主主義政治の偏差中央値である中間層は急速に分解中

 

新興国や従属国への収奪ルートの強化(辺境極東で戦略的展望を見失った日本はこの中に入っている唯一の貢物必要なG7国)や

④ロシア、中国という戦後世界体制の残滓の残る国を無力化し(国内富裕層、「中間層」を共同累犯者を仕立て上げる。)、新規従属グローバル展開する経済への失い、開拓市場に仕立て上げる方向を基本戦略としている。

以上の実情で、ウクライナロシア戦争は止められない、止まらない!

  ↓   ↓

「エレファントカーブ」とアジア(その1) | 平川均

引用 W.どうして世界的戦争の発生が歴史的趨勢になるのか、R>Gとエレファントカーブの図で解る。グローバル資本の暴走を政治権力が止まられないばかりか、その排外主義政治によって階層格差の加速への歯止めという基本政策を蔑ろにできる。

したがって、G7やプーチン、ゼレンスキーの政治は同じ穴の狸どもである!同じ次元で入りから角を突き合わせて喧嘩する。一方は大人で余裕があれば、喧嘩は収まる。

両者には政治支配階層としての今後の基本戦略=死活運命が掛かっている。

だからこの戦争は新帝国主義戦争である。過去の世界戦争において正義不正義という二項対立の観点は勝者のイデオロギーだった。

第一次世界のドイツ帝国オーストリア帝国、トルコが不正義で英米仏が正義だったのか。

第二次世界大戦は民主主義とファシズム、ナチズム軍国主義の戦いだったのか。だとしたらスターリン主義ソ連は民主主義だったのか。

ソ連(世界の労働運動、反ファシズム運動に影響力を維持していた)というより複雑な<歴史的要因>(20世紀は戦争と革命の時代、という総括も可能でそこに特殊歴史的ソ連が関与する余地があった)が絡まった世界戦争だった。

 歴史は螺旋的に回帰する場合がある。

ウクライナロシア戦争は第1次世界大戦型の世界構造を持った世界的戦争である。

ロシアが衰退し、中国が罠にはまってもこのピケティーの不等式とエレファントカーブの図は、彼らの衰退の結果、より進化すると考える。

戦争は戦争によってしか解決できないのか、ということだ。

 

ケティによる主要先進国の所得格差の研究は,資本主義の富と所得の偏在構造を長期のデータに基づいて明らかにするものであったが,こうした研究はその後,一段の飛躍を果した。ピケティの問題意識を今日のグローバルなレベルに拡張したのがブランコ・ミラノヴィッチの研究。

富を築くために理解しておきたい「r>g」という不等式

21世紀の資本』の主張は「資本主義の富の不均衡は放置しておいても解決できずに格差は広がる。格差の解消のために、なんらかの干渉を必要とする」というものだ。その根拠となったのが、

「r>g」という不等式だ。「r」は資本収益率を示し、「g」は経済成長率を示す。W。G7では経済成長よりも投資は優先するほうが高い収益率を得られる。ということはウクライナロシア戦争も絶好の投機を提供している、ということ。需給曲線だけで価格が決定されているとみるのは大間違い。その前提として巨額マネー(架空資本)が待機し投機のチャンス狙っている。

***

裕福な人 (資産を持っている人) はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」というわけだ。
富裕層の資産は子どもに相続され、その子がさらに資産運用で富を得続けることができる。もちろん各国で所得再分配政策は行われているものの、ピケティ氏は、多くの富が世襲されていると示唆する。

格差は現在も拡大に向かっており、やがては中産階級が消滅すると考えられる。

彼が比較した期間

ベルリンの壁の崩壊から世界金融危機までの時期」,つまり社会主義諸国が資本主義に組み入れられると同時に,情報通信革命によって周縁国の労働力を自由に使えるようになった高度グローバリゼーション」期である

     グローバリゼーションの明白な受益者

10人中9人まではアジアの新興経済の人たちで,中国人が圧倒的だが,インドやタイ,ヴェトナム,インドネシアの人たちも含まれている

大きく伸びているのは,それぞれの国の所得分布の中位に入る層で,……世界でみても中位に当る W。象の背中部分

鼻先に当たるもうひとつの勝ち組の人々を再び記せば,世界の所得分布で1%の超富裕層である

   

では20年間,実質所得がほとんど増えなかったのはどの層の人々か。

……この層の約4分の3は,西ヨーロッパ,北アメリカ,オセアニア,そして日本と言う『古くて豊かな』国の人たちだ。

/簡単に言えば,最大の勝ち組はアジアの貧困層および中間層で,最大の負け組は豊かな世界の下位中間層だということだ

W。このエレファントカーブの解説に対して、別の視点からの補足がある。

旧ソ連圏(ロシア自身、ウクライナベラルーシ等々)と日本の中間層の所得増加率の停滞によってグラフを修正すると、

エレファントカーブの象の鼻の口元の凹み部分は修正できるという。

独立後のウクライナGDPの伸び率はロシアとほぼ同じ波形のかなり下位にある。ウクライナは独立後<1990年100>、ほとんど経済成長はマイナス。

見出し画像

W注

ゼレンスキーは被圧迫民族、新生国民国家解放指導者気取りだが真逆新帝国主義の手先=世界の軍産複合体とグローバル資本支配層の手先。

 同じ次元に存在しているから相争う。しかも多大な人命をかけて。

過去の世界規模の戦争(1次世界大戦、2次世界大戦)に正邪はなかった。

ロシアウクライナ戦争は世界規模の戦争である。

今わからない人はそのうち実生活の不都合という現実で実感する。

歴史に学ぶということはあらゆる方途で当時の実態を頭の中で再現することだ)

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 ナショナリズムという言葉は日本語ととして定着しているが、下記に挙げる国民国家研究の古典的名著(とはいって1980年代

といわれるベネディクト・アンダーソン - Wikipedia

想像の共同体』では国民国家成立の時期に発生する国民主義を、<ナショナリズムと称しているようだ。

ところが日本でいうナショナリズムは、一般的に民族主義と解釈されており、国民主義という観点はあまり聞かない。

 この違いが起こるのは当たり前である。

 誤解を恐れずに言えば、日本国の構成員は日本人と一括される民族である。自民党の首相経験者や政治家は時折こういう発言をして俎上に挙げられている。

極端な例を挙げるとアメリカ<合衆>国の成立、発展過程では旧大陸で食い詰めたものや犯罪者、政治的宗教的亡命者、アフリカ大陸から動物狩りのようにして集団拉致、監禁されたもの、カネに目がくらんだ強欲もの、野心だけを追い求めた雑多な衆があつまった。

米国に民族主義はない。

『想像の共同体』概要 : 社会学しよう!

             次回に続く