序
~言語を表現するものは、その都度一人の個体であるが、
①この一人の個体という位相は、人間がこの世界でとりうる態度のうち、どう位置づけられるべきだろうか、
②人間は一人の個体という以外にどんな態度をとりうるものか、
①そして一人の個体という態度は、
②それ以外の態度との間にどんな関係をもつのかといった問題である。
本書はこの後の場合について共同幻想という観点から追及するために試みられたものである。
>ここで共同幻想というのは、大雑把に言えば
>個体としての人間の心的な世界と心的な世界が作り出した以外の
>すべての観念世界を意味している。
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W。反俗日記を書く私の心の世界と私の心的世界が生み出した反俗日記は共同幻想ではなく私的世界の延長線上の私的観念世界である。妄想もあり得る。
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言い換えれば、
人間が個体としてではなく、何らかの共同性としてこの世界と関係する観念の在り方を指している。
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Wここからしばらく今日的問題意識とずれた議論が続くので省略する。
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吉本隆明の持論
↓
政治的な解放(W。自由と民主主義、人権。国家独立、国家統一。経済的な解放は過渡期社会では不可能。)というものをある意味、過大評価している。
そんななものは過大評価することはないのであって、非常に部分的な解放に過ぎない。
政治的な解放というものは、本当は非常に部分的な解放に過ぎないから、文学みたいに少なくとも個人幻想、つまり人間が人間であるというような、人間の存在が人間の存在であるということ、そういうことの根底を含む問題に対しては部分的な影響力しか与えられない、ということがあるわけですよ。
だから文学は非常に自由な形で、あるいはめちゃめちゃな形でしか出てこれない。(W。人間性を確認するために人間を描く。これは英語:tautology, ではないのか?
語源はギリシャ語で「同じ」を意味。同語反復(どうごはんぷく)とは「私は私であり、君は君である」のように、等値を示す語によって同じ言葉を繰り返すことである。 文学、評論等、言語表現における技巧のひとつとして用いられる。)
やはり人間的な解放というか根底的な解放というものがない限りは、文学は恣意性、自由としてしか現れないわけです。
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対談者の吉本に対する発言
「吉本さんの場合、表現という問題から入っていきまして、最初のモチーフとしては文学なら文学というものを根拠づけるモチーフがあったけれども、それから出発して、今はもっと問題が広がっているわけですね。
<言語思想>という言葉を使われる。
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W.「共同幻想論」に先立って「言語にとって美とは何か」が公表された。ピンとこなかった。もともと、吉本隆明など相手にしていなかったが知る必要はある、と思って読んだ。「共同幻想論」だけは面白い、とおもった。コレは使える、と。その後、今に至り便宜上<国家共同幻想>などという用語を頻繁に使っている。
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つまり今まで言語思想という角度から文化から政治に至る広い領域を煮詰めようとしてきた人は、私の知る限りまずいないと思うんです。
つまり吉本さんの独自の新しい独自の視点の設定だという風に思うんです。
そこで今度は、単に文学あるいは芸術というふうな範囲から文化の問題、国家:権力とかいうう風なところまで、言語思想ということを出発点にしながら、さらに広がっていく必然性について今ちょっと出ているんですが、その過程をもうすこしくわしくはなしをしていただきたい。
吉本:いままで文学理論は文学理論だ、経済学は経済学だ、そういうように、
自分の中でひとつの違った分野は違った範疇の問題として見えてきた問題があるでしょう。
特に表現の問題でいえば、政治的な表現もあり、思想的な表現もあり、芸術的な表現もあるという風に個々バラバラに見えてきた問題が大だいたい統一的に見えてくるようになったというようなことがある。
その統一する視点は何かと言いますと
全て基本的には幻想領域であるということだと思うんです。
なぜそれを上部構造といわないのか?
上部構造と言って良いんだけれども、上部構造という言葉には既成の概念が付着していますから、つまり手垢がついているいますから、あまり使いたくないし、使わないんだけれども、
>全幻想領域←(W。??そんなものあるのか。そもそも上部構造という規定をしたのはエンゲルス!~経済学批判の序文~便利だから反俗日記でも何回も使ったが、その都度、引っ掛かりをもって使った)というものの構造は
どういう風にとらえられるかということなんです。
>どういう軸をもってくれば、全幻想領域の構造を解明する鍵がつかめるのか。
W。大きく出た!張ったり違うかな?
@ここから先は吉本の全幻想領域なる大枠設定の中身についての仕分けと相互関連のはなし。吉本の見方考え方が今の状況に耐えられるのか?必要なものだけ取り出しいらないものは捨てる。全否定はない。興味がある。
時間不足で次回へ