東大教授と語る【コロナ最悪の事態を乗り越える無縁の原理】古い日本が壊滅する時に一緒に沈没する思考と逃げ出せる思考の違い。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。平田悠貴
wacwac (@wacwac05690282) | Twitter
安富歩
「無縁とはないにか?
人間の自由の原理ということだ。
我々は自由だというが
社会的諸関係の中で生きていると、それが劣化して腐ってくる。
しかし人間は自由でありたい。
自由になりたいと円を切る。」
W。隠者の文学(反俗日記掲載)
西行はともかく、<方丈記>鴨長明の俗と解脱の葛藤というか内的「均衡」の文学、生涯と上記の尻切れトンボだが格好いい文言をWは比較する。日本の純文学を外側から一言で表現すると<逃亡奴隷>の文学。既存の秩序から逃れても経済下部構造、権威において離れられない。自己矛盾的同一からは逃れられない。
W.先日、用事をしている最中、ヘルパーさんが突然、慌てた様子でやってきて、自宅のカギがないという。探し回ったもなかった。「合いカギを持っている人がいませんか」「娘がいる」この人の娘は看護師さん。
翌日偶然スーパーで会うと「この前はどうも」と慌ただしく言うので「カギはどうしましたか」娘さんの看護師さんの所に行ったのですか」「娘はコロナ病院に勤めているので近寄れない」といいながら「ポケットに入っていた。」といった。
**都心のコロナ受け入れ態勢のできる大病院は二つしかない。
そこで振り返って考えた。
>娘さんの看護師さんはコロナ病院を止めたほうが良い。頑張る必要はない。こういう時こそ、縁切りをすべきだ。そんな人が大量に出ると犠牲者が伴う。
しかし、無用の配布遅れのマスクに200億円。医療従事者さんたちありがとう、ばかりで手当てをしない政府機構への反撃は、この動画の論理に素直に従うとこの際の断固とした縁切りである。娘さんの頑張り、立場固執は、結果的に娘⇒母親の感染ルートを通じて在宅高齢利用者の感染危機を招く。そして自分にも感染が及ぶ可能性も高める。コレって典型的な感染の広がりルートではないのか!なお、感染が怖くてこんなことを言っているのではない。差別でもない。物的な剰余があるのに動員しないで、コロナ対策、治療の最前線の頑張りに追い込んでいる社会の空気感とそれを利用する政府の在り方を問うている。
縁切りは犠牲と決断を伴うものである。妙な人体実験など行う病院など辞めればいいのだ。看護師の職はいくらでもある。そのための犠牲は致し方がない。危険な過重労働をしている人たちにはそれなりの待遇が保障されるべきで、それをやらない政府は駄目だ。
原口一博衆議院議員「なぜ日本はPCR検査ができないのか?検査を受けられず、たらい回しに合っている人がいる!」第21回「感染実態解明 野党合同ヒアリング」 2020.11.16
Wの観点。ほんとうの聖人は路傍にいる!イエスキリストでも釈迦でもない。唯物論的リアリズムである。
W。この動画にはWの関心の及ぶ方向の議論が羅列されているので考えるヒントを提供しているが、どの議論も動画という限れたツールを考慮してもすべて中途半端な議論に終わっている。日本経済長期停滞は高度経済成長の爆発力を生み出した日本常民思考が逆作用した、という考はナルホドと納得した。もっとも具体的な基本政策を中曽根政権時代のかじ取りで間違った、にすぎない。ジャパンアズナンバーワンに浮かれて家族制度など日本の伝統的制度を打ち固めた。欧米が改革をしていた時代に逆方向に進み、後のグローバル資本制の上部構造の不具合を作った。
日本政府のコロナ渦対応が、韓国、台湾などにくらべて後手に回り頓珍漢でどうしようもない要因も遡れば、中曽根時代にやるべきことをやらなったこと行き着く。
結論的に言えば、曖昧性を特性とする日本思想では近代、現代における無縁の原理は展開できない。日本常民の現状への何となく納得できる説明と、それを自分たちの方向に変えていくことを同次元にできる思考方法でなければ、この動画で言う些末な処世術にはまる。さもなくば、創価学会のような宗教団体の政治的有用性を間接的に証明するようなことになる。個人の自律性という課題は無縁の原理からは出てこない。
Wは徹底した唯物論者として人生を全うする。反俗日記の背景画像に思いを込めている。個的人性は物質の自己展開におわる。ただそれだけだ。
【命題1-1】自立とは多くの人に依存することである。
人はどうしたら自由になれるか。幸福になれるか。
自分自身の内奥の感覚に忠実にしたがうこと。
さまざまな呪縛から脱出した東大教授、命がけの体験的人生論。
W。多分、思い切って縁を切って変身し、またリアル状況にかえる、パターンの話。
大事なところはここ。「都市の論理」という本が大昔流行っていた。読んだことはないが問題意識はだいたい想像できる。無縁の原理などという曖昧な観念を排除したヨーロッパのキリスト教世界からの都市の住民の自治権獲得の歴史が綴られているとみる。
引用
所謂「都市」が、様々な共同体に出自を有する多彩な人々の入り乱れる「坩堝」として機能し得るのも、それが特定の共同体に所属しない「間隙」として位置付けられている為であろうと、私は考える。言い換えれば、そうした「間隙」においては、誰の身にも附随する共同体的な「出自」が、強制的に解除されるような作用が働いているのである。それは安部公房的な「匿名性」の観念にも関連を持つ「都市」の中核的な秘儀である。「都市」の原理は、そこを往来する人々の「匿名性」によって支えられ、その「匿名性」に基づいて自由で任意な「契約」が随時、結ばれていくことになる。それは様々な柵を切断することであり、人々を或る強固な共同体的文脈から引き剥がし、無名の個体に還元することでもある。「無縁」であることは必然的に「無名」であることと不可分の関係を有する。例えば満員の通勤電車に乗り込むとき、私たち乗客は互いの姓名を知らないし、その背後に控える複雑な社会的経緯に就いても完全に無知である。しかし、そうした匿名性は少しも「都市」の社会的活動を妨げることがない。
私見では、近代化という過程は、こうした「都市」の有する抽象的な原理を拡張し、共同体的な出自の無効化を推し進める手続きの集積である。それは産業を「土地」から解放するプロセスでもあるし、個人を「家郷」から切り離すプロセスでもある。良くも悪くも都市化の進行が、人間の実存を極めて抽象的で空虚な「自由」の領域へ追い遣っていく強烈な動因として作用することは避け難い。それは確かに「宿命」からの解放であり、自らの意志に基づいて選択し得る「人生」の範囲が拡大することを意味しているが、それゆえの固有の「不安」が却って人間の精神を反動的な共同体主義へ傾斜させることも決して珍しくない。何でも選び得るということは、何もかも自らの判断に依拠して選択しなければならないという重圧を引き取ることに通ずる。サルトルが「自由という刑罰」に就いて語ったとき、念頭に置かれていたのは、こうした消息であったのだろう。」
W。ネット空間も相互無縁の世界。しかし、クッキーを集積する側は個人を特定できる。そういう意味で無縁世界と情報権限機関が同居している。
>とりあえず今回は時間がないので課題の提出だけに。
***********************************
(コロナ渦、厳しい環境で)仕事ができる人はまじめより適当なのだ。~dementia介護は60点でOK~なのにもっと上を本能的に目指し、その荷重が跳ね返ってくる。実は60点をコンスタントに出すことは非常に難しい!
その意味やコロナ渦、森永卓郎の云うことは貴重、真実。
技術屋、職人の世界(ハード分野)では無駄なく手早く正確。
ソフト分野の厳しい仕事が続く環境では、60点コンスタントで良いのだよ。
【森永卓郎】真実が明らかにされる! コロナ脳が日本を破壊する? 新型コロナウイルスが転職。。。【垣花正あなたとハッピー!】