反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第4回。想像の共同体。大思想家、吉本は国家の本質は共同幻想にあり、という見当はずれ。片や元実業家は「暴力手段を合法的に独占していることに尽きる」と。元首相射殺事件を予言的に解釈。「仇討ち、赤穂浪士の世界。放置しておくと仇討ちの連鎖が止まらなくなります。そこで個人の自力救済を禁じて国家が暴力を独占して裁く。

吉本隆明の「共同幻想論」は熟読した。前半部分の遠野物語 - Wikipedia

を題材にした記述は省略した。

後半部は古事記 - Wikipedia

によって端緒的共同幻想の古代国家誕生までを跡付けるという的外れなことをやっている。

 この部分は古事記に沿った天皇制の起源の解釈としては有効であっても、今日的な国家の本質やその実態に迫ることからは遥かに隔たったところでの議論に思えた。

しかもその天皇制の起源を古事記の論述から説き起こしていることから、

厳しい見方をすれば、階級国家論⇒生産力発展から引きこされる私有財産制の発生、古代支配層の暴力支配の在り方を不問にしているところから、天皇制の起源の肯定ともいえる記述に陥っている。

 もう一つの批判は古文書としての古事記の記述をそのまま素朴に受け取って解釈を施していいのかという問題である。

 文字がない言霊段階を古事記は跡付けている、所は果たして唐やそれ以前の文書の影響から独立し伝承されてきたのか、ということだ。

違うだろう。

古事記の記述内容そのものが、中国の歴史書の影響下にあった、とみる方が自然である。

何よりも古事記日本書紀の記述された年代は紀元後700年初頭であり、そのころは遣唐使による大陸とのやり取りが盛んだった。また日本列島への渡来人の影響力も無視できない。

 結論的に言えば国家の本質を共同幻想であると言い切っている吉本隆明共同幻想論」は国家の歴史的変節を見ない間違いを犯している。

 

 最も適切な吉本「共同幻想論」における国家論への批判は以下である。

引用 この論文は非常に難解な書き方をしているので時間不足で今は読み込めなかったが、結局、筆者の国家論に対する問題意識が総花的に拡散しているところからきていると思う。

「国家観には,理想主義国家観(W。プラトン?),社会学的国家観(W。通常の国家観?,有機体的国家観(Wファシズム、コーポラティリズム国家観?),法律学的国家観,階級的国家観(Wマルクスエンゲルス)など非常に多くのもの~~」

https://core.ac.uk/download/pdf/70352941.pdf

 引用

「ここで問題にしようとする国家は,抽象的なそれではなくして,歴史的国家を指すのである。

すなわち,原始国家(吉本が古事記を題材に云々しているのはこの段階の共同体「国家」から;⇒古代国家)

および近代国家を歴史的,発展的にみてくるとれぞれの段階における国家には著しい相違がみられるのである。

>政治現象の観点を前述のように理解すれば,中世以前の国家においては,近代国家ほどの重要性をもって必ずしもその対象とはしないのである。」 引用終わり。

W。日本列島の場合は始原的天皇制の女系呪術王(例。卑弥呼)と近親男系政治統治(近親の兄弟)の分化まで辿り確認する必要性があるので原始国家や古代国家も分析は一定の必要性はある。

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   時間不足のため。今後に向けた参考資料を挙げておく。

 

 ①こんな人がいるとは知らなかった。明解である。

人が生み出した「想像の共同体」国民国家の本質 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

     出口 治明 : APU(立命館アジア太平洋大学)学長    2020年5月9日

安倍元首相射殺事件の予言的解釈までしている。

引用

「「教育の2つの目的」について、①自分の頭で考える力を養う、②社会の中で生きていくための最低限の知識(武器)を与えると説明しました。

今回はこの2つ目、

 

②社会の中で生きていくための最低限の知識(武器)を与える」についてお話します。

実社会に出たときに困らないように、「生きるための武器」、つまり、社会を生き抜くために必要な基礎的な知識を与えることが大切です。大人になってから、自分ひとりで社会と(あるいは人生と)戦うとき、手ぶらのままでは、勝敗は明らかだからです。

最低限、現在の民主主義社会の根幹をなす次の7つの知識を教えるのが教育だと僕は思います。

【社会を生き抜くための7つの武器】
①「国家」の基礎を知る
②「政府」の基礎を知る
「選挙」の基礎を知る
④「税金」の基礎を知る
⑤「社会保障」の基礎を知る
⑥「お金」の基礎を知る
⑦「情報の真偽」を確かめる基礎を知る

民主主義社会とは、成熟した市民の存在を前提としているので、成熟した市民(=最低限7つの武器を身につけた市民)がいなければ、民主政治はすぐに衆愚政治陥ってしまいます。

わかりにくい政治や経済についても、ひとつずつ知識を積み重ねて思考を深めていくことで、主体的に理解、選択ができるようになります。

ここで上記の7つのうち、例として「国家」と「選挙」の基礎的な知識を解説しておきましょう。

国家の本質とは何か

「国家」といえば、エンゲルスの名作『家族・私有財産・国家の起源』を思い出す人がいるかもしれません。

よく国家の3要素として、

領土、(そこに住む)人民(領土と人民に対する)統治権・主権が挙げられますが、

国家の本質は、

警察や軍などの暴力手段を合法的に独占していることに尽きると思います。⇒W。大思想家、吉本は国家の本質は共同幻想にあり、という。片や元実業家は「暴力手段を合法的に独占していることに尽きるという。吉本思想はコケ脅し、中身は空洞。難しいというが同義反復が多い。

    誰かがケンカをして殺されたとします。

するとその一族は仇討ちを考えます。赤穂浪士の世界です。

放置しておくと仇討ちの連鎖が止まらなくなります。

そこで個人の自力救済を禁じて国家が暴力を独占して裁くというわけです。⇒W。元文部事務次官の人もアベ射殺事件について同じことを言っていた。ただし、取り締まれなかったのだ。

    国民国家とは何か?

引用

国民国家を理解する不朽の名著が、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』です⇒W。第2回でクレオールナショナリズムナショナリズムの端緒であると<発見>している米国流民主主義は米国の国体である

丸山真男機会あって自分の記事を改めて読み直して名著だと思った。

 

「僕はこの本は高校で教えるべきだと思っています。

なお明治政府の国民国家創出については、小島毅の『天皇儒教思想』W、未読。という新書がわかりやすいと思います。」

 

  必要なのは政府を作り直す努力

 

  選挙におけるリアリズム

①選挙では、必ず事前予想が出る(ロンドンっ子は、お金を賭けていますね)
その予想通りで満足なら
3つの方法がある。
投票に行ってその名前を書く、白票を出す、棄権す
@この3つの方法のどれを採っても結果は同じになる
事前予想に不満な、あなたの意思表示の方法はたった1つしかない。投票に行って違う名前を書くことである
④以上が、選挙の仕方のすべてである
 
そもそも選挙は、「より良い人」を選ぶための制度ではありません。100年以上前の話ですが、英国の名宰相、ウィンストン・チャーチルが、次のように明言しています。

自分を含めて選挙に立候補するのは目立ちたがり屋やお金儲けをしたい人などろくでもない人ばかりである」

「選挙というのは、こういった信用のおけない人たちの中から、相対的にマシな人を選ぶ忍耐のことである」

「したがって、民主政は最低の政治形態である。ただし、これまで試されてきた王政や貴族政など過去の政治制度を除けば。

W。1950年代以後の戦後史ではスターリン主義独裁が試されたし、試されている(中国)。

 結局、グローバル資本主義の世界的資本蓄積構造をどう見るかということだ。

富の偏在の運動的な不可避性、非是正性ゆえに

G7は国民国家の古い衣をまとった戦争体制に入っておりこの傾向は止まらない

 ロシアの次は中国排除という順番になる。その場合、東アジアはウクライナ状態に近ずくしかない。

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こういうリアリズムが理解できれば、投票は簡単です。女性議員が少ないのなら、女性の候補者に投票すればいい。若い議員が少ないのなら、若い候補者に投票すればいい。

市民がすべきことは、忍耐を強いられながらも、「100%満足はできないけれど、他の候補者に比べれば、多少はマシ」な政治家を選ぶことです。これらのことがわかっていれば、「良い候補者がいない」からといって、白票を出したり、棄権したりするといった誤った結論には至らないのです。」

W。原理原則があれば投票行動で妥協できる。いざ投票というときには感情、親近感、親和性などに拘らない。

W。グローバル資本制の歴史段階における最大の政治課題が富の極端な偏在の是正であるとすれば、従来の民主政は機能不全に陥っているので、上記の見解に疑問を持つ人が多く出てきている(形態は真反対である場合も多い。歴史を紐解けば一目瞭然。政治(戦争)はエモーショナルな部分が多すぎる。)。合理的に考えて戦争手段を選択する場合もある。

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W。元首相の射殺現場の痕跡は一切ない。現場に立つと、大きな事件であってもそれを簡単に飲み込んでグローバル空間は進行している、次の展開で何が起ころかわからない、という一種不気味な感覚にとらわれる。

 奈良県大和西大寺という字面だけを見ると牧歌的な郊外のイメージがあるが、東京でいえば中央線沿線のしゃれた郊外都市のような雰囲気があり、私鉄沿線の大きな分岐駅でプラットホームに乗客は多い。沿線の東の進行方向すぐに終着駅奈良駅があり、最大の観光名所、東大寺薬師寺がある。大きな駅には南口と北口があり、元首相が演説していたところはデパート商業ビルの建て込む繁華な北口であった。

 演説する方向はビル街と大きな道路を背比較的小規模のバスターミナル側北口乗降客の多い階段がそばにある。バスターミナルは閑散とした南口の方が大規模。)に動員された聴衆に向けてのものであった。

 したがって、演説の背後ビル街とその前の歩道、交通量のある大きな道路、路線バスターン広いスペースがあり、警備陣で取り巻かない限りその広いスペースから人は元首相に近づくことができた。警備の人たちの向いている方向も人の近づきやすい空間側ではなく、狭いバスターミナル側の動員された聴衆側であった。

警備の不手際を指摘する向きもあるようだが、2代前の元首相でもあり、統一教会にまつわる事件から長らく手を引いていた警備にとって、暴発事件を想定する警備感覚がなかったというのはむしろ、正常だったように思う。

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