反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

 葛西 善蔵。浅見ハナ(第二の妻)おせい(1906年生まれ~平成4年(1992年)86歳。89歳の女性が毎朝、ベットの上の毛布と掛け布団を抱えて押し入れに運ぶ。夜は8時に睡眠する。朝もちっきり起きてくる。偉大だ。

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https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/museum/sakka/sakka13_kanren/kasaKRJ_03.html

 葛西 善蔵 1887年(明治20年)1月16日 - 1928年(昭和3年)7月23日 41歳。

       の関連人物 3

   浅見ハナ(第二の妻)1906年生まれ~平成4年(1992年)。86歳

大正8年12月下旬、善蔵は鎌倉山ノ内建長寺内の宝珠院の一室に住んだ。建 長寺内半僧権現下の茶屋[招寿軒]の娘、浅見ハナ(当時20歳)が、高い石段 を登り降りして三度の食事を運び、晩酌の相手をし、善蔵の長男(小学生)の 世話をみたりした。「鶩のやうに」他を経て、大正11年作「おせい」の可憐な モデルとして登場するが、善蔵との困窮生活は、「蠢く者」等に凄惨に描かれ た。女児二人を産んだ。「われと遊ぶ子」に、郷里と東京の妻子への思いを、 善蔵は深々と語る。善蔵から「お前のおかげで小説が書けた」と感謝されたこ とを、ハナは長く心の支えにしたと、伊藤ゆう子(善蔵三女、ハナ長女)は語 っている平成4年、東京で死去。」

W。鎌倉は好きな地。奈良京都と鎌倉はまったく様相が違う。周囲の自然など環境を加味して歴史に想いをふけるWにとって、鎌倉は癒される。

周囲を低い山に囲まれ正面が海に開けている。中世武士が京に対抗し軍事政権の都と定めた防戦と撤退ルートの確保の一挙両得の地。周囲の低山の縦走もした(今はほとんど宅地開発されていると思う。)海岸を有名な峠まで歩いた。一番、凄いと感心したのは、有名な寺への階段が長い年月をかけて踏まれてつるつるに角が取れていること。歴史の重みをこういうところに感じる。

城ヶ島で釣りをしたこともある。

京都の寺院は悪いがこういうところはない。応仁の乱で焼失し再建された寺院がほとんどだ。仏像やあの種のものには、ほとんど関心がない。あくまでも歴史的な幻想を掻き立てられる環境が大事だ。

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 89歳の女性が毎朝、ベットの上の毛布と掛け布団を抱えて押し入れに運ぶ習慣になっているので、「圧迫骨折」になるんだよ、と言い聞かせようとしたが、「お客さんが来たら見っとも無い」ときかなかった。仕方がないから、布団を置きやすいように押し入れを整理した。

夜は8時に睡眠する。朝もちっきり起きてくる。入口のドアを開け空気を入れ替えながら朝食の準備をする。今朝は当方がコーンスープを作ったが、寒い朝、身を縮こませた変な姿勢で動いているとしっかりしてよ、と冷やかされた。

 医学的には認知症などと云われているが、89歳で心と身体の両方がなんとのないなんて人は稀だ。

認知症などと云う枠にはめるよりも<ボケてきた>で良いのじゃないかなただし症状進行とともにかかわりは職業的な要素がなければ、本人にも介護者にとっても良くない。

 自分も先だって大金と免許証の入った財布を落として、交番に届け出た。

若い頃なら慌てたりするものだが、日ごろから室内でモノをなくし室内をウロウロしたり(どこに置いたか直近の本能レベルの記憶が飛んでいる~~~海馬<タツノオトシゴ状>のイソギンチャク作用が弱っているのだ~~)、そういう頭の訓練として絶対に覚えておこうとする二つの名詞の一つ(ケーブルカーで山頂まで行く有名な山の地名~山腹には国宝の中世画を所蔵する寺院、松永弾正が信長に攻め込まれて自爆した山城がある。何よりも大発見!は日当たりのよい南側斜面開けたなだらかな山腹に1千基以上の韓国朝鮮の人たちの墓群がある~~多分全国NO1~~。とここまで書いてやっとその地名を思い出した。~~が必ず頭から削除される、現実に直面していることが原因なのか、あっけらかんとしている自分にびっくりした。←また忘れた!脳細胞と連結部の反応を研究しても科学的な実態は解明されなかった、と養老さんが動画でしゃべっていた。無駄な探究はやらないほうが良い、と。

 結局、命と健康にかかわること以外、何が起きようと関心が薄れているのだと想う

>ここまで書いてきて、やっとわかった!

@あのひとが初ちゅう、室内で自分のカネをなくし、自分が今でも時折、解っているつもりなのに大騒ぎして家探しをする理不尽さを!

 

 @交番の若いお巡りさんに事情を聴かれ書類を作成した。

>そして帰宅後、燐家の漏水修理の部品をセットし部屋に帰って突然思い立った。

いつもの引き出しの一つ下を開けると財布がそこにあった。

>買い物帰りにいつもの場所の一つ下に財布を置くなんて今まで一度もなかった。

その日も忙しい一日で漏水修理に手間取った。自分と見守りの用事の同時進行。

 

>しかし、この漏水の件も後から想いうかべると変な具合だった。

>真下の部屋の天井へ漏水を発生させ本人(86歳女性、夫は半年前、2度目の転倒で有名な脳外科病院に搬送され、リハビリ後施設収容)のWへの申告と下の階の女性のいう過去を含めた5,6回の激しい漏水具合があまりにもチグハグ。

 @結論的にいえば、高齢者夫婦が解りきった漏水原因を治さずそのままにしていたことが原因だった本人たちの床を水浸しにしたことが何度もあったはずだ

老夫婦共々しっかりしているようで、高齢から来る設備的な状況判断ができていなかったということ。

>人間関係の機微は長い人生で培った知恵で処理できても、客観的なモノの実在関係への判断能力は疎くなっていた。

@漏水修理後、カネももらった。それはそれとして互酬ということで了解したが、多分、のひとは、真の漏水原因を放置していたことが隣人に知られてプライドを傷つけられたような気になっているのじゃないかと想う。

超高齢になっても世間に見えを張りたい。

死ぬ間際まで一定の人間関係の属性の柵から抜け出せない。

そこに死よりも重いものがあるかのようだ!

>統治するものとされるものの歴史の根深さをここにする想いだ。

 

@そこまでしてもらわなくても業者にたのめるのに、と。

Wはこの辺の人情の機微にまったく疎い。知恵も欠如。

>客観的な物体の実在関係に過去の仕事柄、異常な興味を持ち何とかすることを追求することが本能となっている。どんな大変なことでも最後はやり遂げるという習性が身についている。それによって人間関係を創り出して行こうなんて言う気持ちはさらさらない。もちろんカネなんて一切関心がなくもらわないほうがさばさばする。

@コレは説明する機会があっても解ってもらえないだろう。

@それに無党派で活動した期間が長すぎて、周囲の人に信頼してもらうためには、結果的に自分の利益をそっちのけの奉仕が必要だった。凡人なのでそれしか方法がなかった。一つの確固たる団体のヒエラルキーを登っていく活動とはかなり違った環境だった。

>ありがとうの一言だけの近所の今はなくなった高齢女性を高く評価した。

>そうすれば、そのご、距離を置きつつ親しくできる

@共同体の形成ってそんななものだ

@互酬関係はある意味、共同体~~**Ship~~への発展の拒絶だ。

2021年、11月26日。心室期外頻拍と判明。見守りケアの人。夜の様子伺いに訪ねると、嶮しい顔。初めてヘルパーさんとトラブった。

心室期外頻拍は装着した心電図ホルダーの波形図で説明してもらった。今更何も言うことはない。

 今までの生活スタイルを見直す必要がある。

心電図ホルダーを24時間装着していた感触ではキーボードで込み入った事を入力しだすと、変調を自覚した。ぐ~と交感神経を集中させると、具合が悪くなる。

 反俗日記はもっと気楽な記事を載せることにした。

一番簡単なのは、資料を揃え、読み込まなくて済む記事を書くこと。

>路傍の神様を大切にする。

@夕方のヘルパーさんは、一種の介護拒否にあって、一端退去し、Wが見守りケアの人とベッドに座って事情を時系列で聴いているとき、またやってきた。気になっていたのだろう。神様は食事は済ませていたが、薬は飲んでいなかった。

@ま、あの女(中年)の人はお転婆少女がそのまま年を取ったようなひと、と想っていた。Wと一緒で角が取れていない。何回か、何だこのヒトは、という場面があった。

>当たり前のあいさつをしない、のには違和感。

眠剤の眠の一本線が抜けていると指摘されたときはびっくりした。

@仕事は一所懸命やるが自分流儀を押し付ける所がある。

訪問介護のヘルパーさんの中には他所の仕事で通用しない我流が許されている人がいる。利用者は弱い人がほとんど。上司も人手不足で止められたら困るから、誤りを指摘しない。

*当然にも現場スキルは我流のまま、放置。

*要するに上司は利用者の立場第一ではなくヘルパー雇用維持第一。

@今回のトラブルも事情を聴いてみると

@ヘルパーさんは自分のやり方がいつもより説明不足でもコレまでの交流で解ってもらえることとおもって、冷蔵庫からおかずを次々と出して、「ハイ食べて」「薬を飲んで」という段取りが進行するものと想っていた。

@ところが認知症の本人にとって、当のヘルパーさんは初対面(2回/W)

>6人が入れ代わり立ち代わり、30分程度しかないないのだから、覚えきれない人も出てくる。覚えていても忘れる。忘れていても思い出す。それで最後にはみんな忘れるのだよ!

>一方、当のヘルパーさんはいつものやり方を何かの事情でちょっとぶっきらぼう

会話なく、行動で行き成り介護目的を達しようとした記憶障害、見当識障害の人へのコミュニケーション不足、ということだ。

@症状がその時、悪化していたことも考えられる。以前の見守りケアの人は安定ペースで情緒を維持できていたが、ケースバイケースで混乱することが多くなった。

>変化し非現実的になるのだから、対応する側も柔軟性が必要になりWなど面倒なので途中省略し迷惑をかけた後で反省し落ち込んでいる。

*しかし、尊敬の念にいつも返る。

*自分があの人のように高齢で一所懸命、品性を保ち規則正しく生きられるか。

*徹底的にひねくれ切ったWと違って本当に気の良いヒトでもある。

*足元にも及ばない!

@だた、職業として時間内で仕事する立場のひとは見守りケア程度の気の良いヒトには、これを教訓に柔軟対応してほしい。そうでないと見守りケアの人は立つ瀬が狭くなる

@自分は解ってもらえるつもりでコミュ不足で行動しても、相手にとって見知らぬ人。

何を行き成りやっているのかということになって、その行為を拒絶する。

ジェルソミーナ!路傍の神を大事にしなければ。

 

世の中にあまりにも多い悲惨な事実。 救いようのないものの中に神がいる。路傍に神がいる。

  こんな日々が続く。1日の中身がいっぱい詰まっているので年月の経つのは遅い。

 おかず9品買って、用事を済ませてやっと帰ると、見守りケアのひとに2回目のトイレ漏水発生中。半年以上前のような階下の住宅へのダダ洩れではない模様。本人に聞けば近所に助けを求めたという。事情を聴いたが要領を得ないので近所対応は後回しにして、前回買ってきたスポイトで何回も排水管に詰まった取りレットペーパーを押し出して完了。

    階下の人(中年女性)

に連絡して老衰の有無を確認。

その人は新聞の折込チラシで上手に小銭入れを折ってくる。折り方を知りたくて分解してみたが想像以上に複雑だったので大したものだな、と感心した

珍しくこちらの話をよく聴いてくれるヒトで、話しているうちに自治会長の役が抽選で回ってきた当時のことを語ってくれた

葬式があったときは仕事を休んで受付をした、近所の人が用事で頻繁に訪ねてくるので表のガラス戸に目張りをしたことがある、円形脱毛症になった跡は今でも残っている、とか。確かに図太いところは全くなかった。かといって弱弱しいところもなかった。ここまで話してくれるのは自分のはなしにどこか共感したからと、勝手に想像していた。入居年月が経っていないまま、集合住宅全体の公益費を集めるのは事情を知らないだけにまずはこちらから話しかけてみることだと思ったが、やっている途中で皆自分が想っている以上にしっかりした人たちばかりだと分かった。

最後にまた抽選で回ってくるとどうしますか、と尋ねたら「またやるよりしょうがないでしょ。」と。ここでまた感心した。腰の据わり様が違う。

後日、同じ階の町内会長に何をしているヒトなの?に聞くと看護師だった。

前回の大漏水の時に対応したヘルパーさんは「いいヒトだった」といっていた。

前回、謝りに行ったときに玄関に結構念入りに仕上げられた額入りの油絵が何枚もかかっていた。

Wは浮世絵展でたまたま見た東洲斎写楽の大首版画に魅せられて東洲斎写楽の古い画集から切り抜いて貼っている。それを毎回見ていたので話す気になったのかもしれない。

 あと一人、わざわざ東洲斎写楽の版画を飾っている理由を聞いてきた高齢の女性がいた。ばっちり化粧をいつも決めてくる人だった。1年後に道端で出会った時、ふらついていたので少し立ち止まって声をかけた。「今にも主人が部屋から出てきそうな気がする」といっていた。「その気持ちはわかります」などとあの時はこたえたが、すぐ口先だけだと想い返した。自分にはそのような情緒はなかった。

その2年後、膝を患たのか階段を後ろ向きに下りていた。その後、車いすに乗って鼻に酸素チューブを挿入していた。「買い物しますよ」といえば「ケアマネージャーさんがやってくれる」と。今は名簿を見ると籍は在宅のままのようだが本人がいるかどうかわからない。

 ヘルパーさんに時々、スポイトで押し出しくれるように張り紙をした。自分だけが気づいたときの処置では間に合わない。

 部屋で対処していると、近所の人が駆けつけてくれた。

前回の漏水も含めて対処経過を説明し、

 自分の体調不良の現状もできるだけ客観的に説明した。

理解できる範囲で状況を知ることで納得し悪い事態に備えることができる。

前回の5Hの手術前、勇気をもって臨んだ。大勢の患者さんいる待合室の前をベッドに乗せられて通り過ぎる時、手を振ってやりたい気分だった。そんな術前患者がいてもいいじゃないかという訳だ。

数字を勘定しながら点滴に混入された麻酔薬が0、数秒の単位で効く感覚は、病院での多くの死はこんな状態なのだと、後から想った。

医学の発達によって死(病院死が圧倒的多数)は身近なものではなくなったが、逆に病院死は身近で簡素なものになった

 無理やり自分で自分を殺す必要はなくなった。緩慢な死という選択肢もある。

 朝このままズット横たわっていたいと思うことが時々ある先日暗くして寝床にいたら、見守ケアの人が訪ねてきた。そこで己をさしおいて相手にアレコレ介護的説明を繰り返さなければならない状況だった。起き上がると体調が悪かった。説得が効を奏さないのは常識なのにやはり説得してしまう。それでトラブって悩む。

 トラブっても次の日、あっけらかんとやってくる。

落ち込んでいる自分に救いの手を差し伸べてくれているものとばかり思っていたが、その日はいくら何でも、と思ってわざわざ訪ねて行って聞いてみた。

そこで判明したのは、前日のトラブルのことは記憶から削除されているということ。

毎朝、果物をもって様子を見に来てくれるものが来ないので訪ねてきただけであった。 

ハードボイルドタッチが徹底されているのだ。

あっけらかんぶりにがっかりしたあと、風呂を入れてくれとまたやってきた

仕方がなく湯を調節し入れるうちに、もうなんだかあきらめの境地のような感情が浮かんできて、「いつもの足の薬を塗ってあげるよ」といった。拒絶はできないのだ。

 自宅に帰って突然「ジェルソミーナ」邦題「道」の物語が脳裏をよぎった。そうかそういうことだったのか。神々しい存在とは見守りケアのような人なんだ!そこに無垢なる絶対性がある。どのように認知症が法則的に展開しようともその絶対性は崩れない。

 自分が実習でそのような究極系のヒトを恐れ何もできなかったのは、路傍に実在する神々しい存在を予め拒絶し神を見出そうとする心根がなかったからだ。

ジェルソミーナを失って号泣する男は路傍に実在する神々しい存在に気づいたのだ!自分は最後まで全うしようと思った常々想っている諦めることの人間的な大切さ頑張ることではなくあきらめ境地を徹底すること。浜の真砂の一粒の運命に身を任そう。

  ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、流れに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結ぶ手留まりたるを知らず。⇒路傍の神々たちも流れ去っていくよ。

       災難に合う時節には合うがよく候

       死ぬる時節には死ぬがよく候

       是はこれ災難をのがるる妙法にて候

 5Hの手術が終わって全身麻酔から覚めたとき、このまま目覚めなければよかった、と傍らの看護師に言った。

 

 その半月後、隣の認知症の独居老婆は介護してきた夫が人工透析からがん転移で長期入院中に焼死した。

火災事故を受けて駆け付けてきた中年の長男は脳に血が詰まって杖を突いていた。

遠く離れて普段行き来のない次男だけが無傷だった。

救われるものが救われない。

世の中にあまりにも多い悲惨な事実に対して、事実の指摘や嘆きよりも逆転の発想が要る。

救いようのないものの中に神がいる。路傍に神がいる。見いだせないのは主体の問題だ。

 この消火活動で階下の部屋が水浸しになり、小学生の子供を含む一家が浸水被害を受けた。

同時に騒動の最中に認知症の老妻の夫が布団の中で急性心不全で亡くなった。後日近所の知り合いの訪問で発覚したことで、妻は夫の死を知らずに数日を過ごした。子供たちは福祉事務所勤務と消防署勤務と伝え聞く取り残された老妻は、数か月後に施設に入った。

*この記事を仕上げて訪ねていくと、ベットにおかしな布団の敷き方をしていた。

聞いてみると冬の支度だった。

記事を書いた効果で考えがまとまったせいなのか、自然な気持ちで毎年着る重い昔布団を掛けて横になって「大丈夫か」ときいた。OKだった。見守りケアの人は目にうっすら涙を浮かべていたので湿っぽいのが嫌いで記事に書いた主旨をかみ砕いて伝えようとしたが、語っている傍から白々しくなった。まだまだだな。

 

瀬戸内寂聴さんが亡くなった。99歳。

@親戚のおばさんの娘が寂聴さんと女学校の以来の親友で、ずっと長く付き合っていた。おそらく死ぬまで。気前の良いヒトで高価な和服をもらったりしていた。噂話は子供のころ聞いた記憶がある。役所勤めの叔母さんも瀬戸内晴美さんと同じ境遇を実践していた。最後は高校教師と一緒になった。同年代のうちの美人でハイセンスを自覚していたおばさんも飛んだ人でお互い気心があったか、うちによく来ていた。戦前の日本文化否定、アメリカ文化の受容者だった。

子供の私を同等に扱うところがあったので影響を最も受けたヒトかもしれない。プロ野球中日ファン美空ひばりが大っ嫌いだった。

戦争に青春時代を送った、気位の高い小市民家庭の同世代の男は戦場の最前線士官として大量に玉砕、戦病死しているという現実。戦地最前線傾向のある地方ではその傾向が都会より強かったのではなかろうか。残った女世代が同等の?の結婚相手を見つけられないというギャップがある。

寂聴さんは若くして作家を志し才能によってなるべくして流行作家になったひと。瀬戸内寂聴全集の中の故郷と人性を描いた私小説はリアルに迫ってくるものがある。一気に読んだ。有名な仏壇仏具製造販売の店の娘、瀬戸内晴美は身近な存在だった。寂聴さんになってからも云わんとすることは解った。バイタリティーと才覚溢れるひとだった。

    私の母も飛んでいるヒトだった

今頃納得できた偉大なヒト。介護、野良仕事、仕事で不在の夫と鬱陶しい家庭環境。子供の世話が後回しになったのは当たり前だ。母のことが今頃になって解った。いかに自分が未熟人間であったか。

 父は頭がよく手先が器用なヒトだった。ほんとうは学校教師になりたかったのではないか。妹の嫁ぎ先の高校教師と同学年の成績を口にしたことがあると母は言った。地方銀行の幹部で終わった。しかし彼の人生は「家庭生活を放擲した仕事」に尽きる。長男だが家を出るべきだった。一人ひとりの人間は死んでいく存在。最低限度のモノカネがあれば生きて行ける。ましてや子供たちの幸福はカネのあるなしではない。無いものの中で生きていくのが本当の才覚だ。流石銀行員、何もわかっちゃいなかった。若くして認知症を患った。

祖父は男子を最高学府に行かせなかった。理由はある。自らの挫折に学歴無視の理由を見つけた。長男の父の弟は神童と云われていたそうだが、上に行かせなかった。結局、地方財務局の幹部で早死にし妻は田舎の女医をしていた。とにかく、地方の典型的な小市民の家庭ばかりが親戚だった。何処を向いても教師、公務員。その他固い職業。本家というのは戦前に地方の大地主から資産家ブルジョアジー成長し地元資本家と親戚関係を築いていた。

もう一つの分家の当主は大卒後の地方公務員をレッド・パージで追われ家屋敷は大きいが細々とした生活を営んでいた。

 わたしは勉強しろとは一切言われない生活環境で育った。中学生時代、さすがに一切勉強はしないのはまずい、というか成績表が張り出されるの試験前に勉強していると爺さんに早く止めるように諭された。このヒトは1地方に1つの高等師範学校の出で若くして近隣の小学校の校長をやっている途中で肺結核にかかり職を辞し野良仕事に精を出し、引退後もいつまでも<センセイ>と呼ばれる名誉職に就いていた。明治男のご多分に漏れず外面が良く内ずらが悪いタイプだった。教職の立身出世街道の挫折は精神の在り方を鬱屈させた。

そのじいさんが私をかわいがった。学校の成績はぼさーと黒板を見つめているだけでよかった科目がとくいで5を通した。足が速く、小学校の運動会でダントツの1着を繰り返したが釈然としなかった。ただ走るだけだったからだ。通信簿にボール競技に特殊な才能があると書かれたほど野球は得意だった。高校の野球部の投手のストレートを振り遅れながらもライトオーバーのヒットを打ったことは今でも覚えている。軟球の速い球はキチンと振り切り芯に当たれば振り遅れてもライトオーバーの長打になる。練習ではよく左打席にたった。長打は出なかったが芯に当たった。アッパー気味のスイングがなかった、とはそのころから自覚していた。小学校3年ぐらいでカーブが投げられたがポジションはサードだった。長嶋茂雄のつもりだった。徹底的に深めに守って打球を処理しアウトにするつもりだった。どんな打球でも処理できる自信があり、特に遠投は狙わなくても投げただけでよかった。そうやっているうちに早々と遊撃にまわされ試合に出るよようになった。このポジションで上手くいかなかった記憶が今でも残っている。一番難しいのは正面足元を襲うハーフバウンドの強烈なライナーだ。これを処理できずランナーを許した屈辱感!SSの難しさは試合でやったものでなければわからない。スコアリングポジションを守るのはショートだ。投手-捕手間の配球打者の動きがリアルでよく見えるのでポジショニングというか、次を予測し重心の掛け方など特殊技能が必要。捕手の肩に問題があれば盗塁はバンバン来る。小学校5年程度で小さな庭で真上にノックフライを打って、バットを捨てグラブに持ち替えフライアウトにした。ガラス窓の下、50センチのコンクリートに思いっきりストレートや変化球を投げてガラスに当てることはなかった。

 ところが中学時代、突然スポーツにまったく興味が失せた。家庭環境が悪かったこともある。きっかけは同じクラスの成績もよく似て席もまじかだった同級生に興味を持ったことからだった。授業中何かをやっている。見ると戦艦や戦闘機を鉛筆で丁寧に描いていた。抜群にうまいと思った。北京放送やモスクワ放送の愛聴者ではがきを送っては返信が来るのを見せてくれた。当時。雑誌月刊誌「丸」の熱烈な愛読者。少年マガジン、ジャンプは戦記物のイラスト付きに特集を毎号やっていた。それらを見ながら鉛筆画を書いて、北京放送を聴くという異次元の世界が開けてきた。次の年は推理小説に凝った。創元社文庫は徹底的に読んだ。最後まで読み切れなかったのは「月長石」ぐらい。学校の成績は急降下したが偶にやる実力テストは急上昇するので自分でも不思議だった。

家庭環境は最悪だった。高校受験の前夜、夜遅くまで家族内の大げんかをすると始末。

中学時代一貫してハードルのある勉強をする家庭環境保障されず、ついマニアックな趣味の方向に走った。

目指す高校に行いけない、といわれたときは納得し難かった。

実力テストで最優良クラスの席順を決める時に後ろの席順から望む高校受験資格を教師から言われる人が数人いたのは不思議だった。

 しかしいった先の高校は良かった。明るく自由な校風に初年度は馴染めなかったが、慣れると自分にピッタリだった。面白ろ真面目な生徒と先生がいた。もっとも生徒より教師が優秀だったのではないか。親友はジャンポールベルモンド気取りで頭が切れて不良ぽくクラスの女生徒の人気投票で第一位だったが女に無関心をいつも装っていた。

学校カバンは弁当だけ入れてくるのでいつも薄っぺらだった。教科書は全部ロッカーに入れているので持ち運びする手間が省けるというモノだ。こういう生徒は理数系を苦手とするものだが、成績は適度の良かった、授業の中で理解しているようだった。

そいつがなぜか自分に関心を持った。こうと決めたら強引な奴で自宅に遊びにいってもいいか、と突然机の前に両手をついて正面に向いて聞いてきたので、勢いに押されてOKというしかなかった。

来てみると隠遁者風の趣味に驚いたのではないか。そのころ、サリンジャーの「ライ麦畑でとらわれて」の日本語版を修学旅行の自由時間に神田の古本市に一人で探しに行ったり、ウィリアムフォークナーのミシシッピ州オクスフォードの隠遁生活にあこがれ、で修学旅行の小遣いなどをためて買った秋田犬を飼っていて、綿の上下の作業服で飼い犬との日向ぼっこが趣味。フォークナーは力強く粘着質の描写力に感心した。原文で読めばもっとスッキリすると思う。その後でカミユに魅かれた。サルトルVSカミユ論争はカミユの方に一理があると思っていた。サルトルの論法は徹底的に相手をやっつけるスタイルで当時は受けた。その時代にキーワード、アンガージュマンを除くとカミユを上回るものは提起していない。2年の時に「世界の歴史全集」や人「間の歴史」を試験期間中に勝手に学んで、解った気になった。この辺は当時の高校生の定番の教養パターンだった。テストの点数が悪すぎると担任の教師に事情を聴かれたので正直に話した。苦笑いを軽くして試験前にはちょっとは勉強するモノだよとだけ言って、それ以外何も言わなかった。中学時代と違って勉強しなければ成績が急降下する。頭の限界である。若い教師は60年安保ブントで、図書館の静けさに学問生活に目覚め、大学に残るつもりが資金不足で教師になったヒトで古典ギリシア語を朝早起きして学んでいる、といった。

同僚で教師生活の傍ら学問をする教師の噂を何度も授業の中で話した。書庫が凄い、と。その教師が後に大学教授になっているのを古本屋の書棚で知った。担任の教師は前の赴任校の女生徒と結婚していた。ここぞというときに、アジってクラスのモノをやる気にさせる。学生時代もあんな調子だったのだろうか、どこか明るくすかっとさせる気分でクラス中を一杯にした。クラス対抗などで抜群の効果を発揮した。ただし、何かと反抗的な生徒が多く、陰でどうしていたんだろうか。あまり心配をかけるなよ、などと時折言っていたが。放課後の素行不良で校長室に親友と呼び出され、友がビンタされた仕返しに職員室に一人でいって、あんたこそその時赤信号無視で渡っていたではないか、などと言いがかりをつけたので、その後化学の授業では見せしめを受けたが意気揚々としていた。いじめられるのは選ばれししもの気どりだった。

交換留学の若い女性教師の英作文では、クラスのモノが一致して後ろの黒板に英文で今すぐベトナム戦争中止!と大きく書いた。アイルランド系の若い女性教師は「OH!グッドアイデア!」といった後、わたしを前に呼び出し、からかった。アメリカ帝国主義ベトナム戦争反対、解放戦線支持、中国文化大革命支持とかいたのだ。民青は数人いたが目指すものが身近になかったので、活動家ではなかった。昼の休憩時間に誰となく集まって大勢になり喧々諤々、学生運動、安保条約、自衛隊憲法の討論をした。

歴史教科書の書きっぷりや試験問題の出し方を見たときは激しい疑問を抱いてきた。歴史年評を超えた歴史推進の軸を探っていたのは間違いない。

 現役大学入学が至上命令だった。政治の季節の最期に間に合わないからだ。そのためだけに受験勉強をしたが入学後、活動の場を保障できそうな大学の合格ライン到達を確認してから現状維持に切り替えた。もうひっつの大学の試験はキャンセルしその足で合格掲示板を見に行った。父親に初めて勉強のことで叱られた。キャンセルした大学が格上と想っていたのだろうか。クラスのモノは私が大学に行って活動家になるものと思っていた、という。その風をいつも吹かせていたのか。高校3年になると学校や教師は眼中になかった。自分独自の世界があった。私立大学に行くものは相手にされない雰囲気だった。地元の大学にでも行こうか、と親友に相談すると、「ガキ相手に仕事して何が面白い」と一蹴された。侮蔑とニヒルを気取るが彼の特徴だった。確かに教師だらけの親戚筋をみていた。

 入学したとき、男子学生が多く、受験勉強の名残があって高校と全然違う暗い雰囲気にびっくりした。しかし不思議なもので同じように手抜き受験勉強した人間ばかりが周りにいると感じた。一発合格受験制度はあれはあれで有効な選抜手段だったのだ。

大学闘争もその延長の感は今でもぬぐえない。

 入学後、厳しかったのは所謂、内ゲバかな。

相手を殺す論理、意味が見いだせなかったので断った。このままいけば殺すところまで覚悟しなければならないのは自明の理だった。確信がなく殺しておいて取り調べで陥落するのは目に見えていた。殺す方にも確信と訓練がいる。しかし相手のことを認め自分たちの欠陥も解っていた。高校時代に一杯乱読し、政治と理論を相対化する癖が身についていた。あそこで一念奮発し飛躍していれば、どうなっただろうか?強制はされなかった。やる気のあるのは手を上げろ、というだけだった。ハードルを越えると立ち位置が変わってくる。

内部の位階制はある。高卒したばかりのモノがいきなり上になれば、その位置に自分がつくものと思い込んでいた本人は急にやる気をなくす。転向もしないで出てきて人望もあり良いヒトだったけど最初の脱落者になった。都会の小金持ち資産家の息子という出目もある、とおもった。

文学もかじって頭もいいのにそのままいった同級生もいる。話し合った時に理論に必死に純化しているようにみえた。優等生は肝心なところでピュアになる、自己克服力が悪い方に向かう。とみた。

 しかしあのままやって行って長期投獄され転向すれば、その後の活動の持続はなく、今こうしていなかったかもしれない。そういう巡り会わせはある。日和見主義者が最も後まで活動を続けることもある。しかしあんな抜け穴だらけの理論に日和見は当たり前だ。途中からまともじゃないと確信した。

ただし、倫理と状況が許さない。あの時代、あの状況でやってはいけないことはあった。後付けではなく当時、そう判断した。経済学の本は好きだった。中学時代に東洋経済会社四季報に興味をもった。当然株式中継のテレビ番組も長く聞いていられた。資本論も念入りに読みこんだ。

 

  恋愛関係は絵にかいたような敵対関係の中で続いた。

相手の言い分が大局的であると認めた。そこには政治がある。他方の政治は間違っている、とわかった。そのいみで反省を口にしたが、活動をするに至らなかったが、相手の意思を尊重し応援はした。なかなかの美貌のヒトで大人しく素直なヒトだったが大胆なところもあった。高校三年で逮捕されていた。赤軍派時代の森恒夫の手配写真が格好いい、というのでアホ違うか、というと笑っていた。そいういう時代、そう云うヒトもいた。いまより自由な時代だった。

活動を止める根拠がなかった。ある日突然、活動家になった訳ではない。ずっとその価値観を注視し築き上げてきた。一人の中に戦う根拠があるのだから、一人になっても戦うということだ。

 

@自分の関わる人は89歳。来年で90歳。前々から当面90歳を目標に見守ると云っている。その前は集合住宅の金集めの仕事が終わるまで。両立は難しすぎた。手術をしたのはその間だった。白内障が進行し数字の勘定や記録に苦労し間違いが一杯出た。書き直しを1から求められても素直に従った。それでも休まなかったよ。5hの術後、3日ぐらいで病院の階段を上り下りした。本も読んだ。記録もとった。仕事に文句も言わなかった。全うしようとした。あの年は住宅で5人なくなった異例の年だった。

結局自分の場合、運動をしながら肉体的に追い込んでいく習性が抜けきれないことが症状を悪化させる原因なのかもしれないがこれこそが自分流。気が付けば困難な方に一人で向かっている。

あのころも温水プールで4000メートルノンストップで泳ぎ切った。できるだけ速く長く、体が悪くても研究すればできるが、身体によいはずがない。

今回も似たような状況。性だな一種の。

生きるも死ぬも一緒だ。

大阪のコロナ致死率は東京より高くヨーロッパ並み 政府の分析資料を入手~~未完成記事

twitter.com

大阪のコロナ致死率は東京より高くヨーロッパ並み 政府の分析資料を入手 (1/2)〈dot.〉 | AERA dot. (アエラドット)

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引用

 新型コロナウイルスの世界の感染者は、

米ジョンズ・ホプキンス大の集計で

累計2億5千万人人口78億7500万人を超え死者は累計505万人に達した

ワクチン接種が進み日本の感染状況は落ち着きつつあるが、

英国やドイツで感染者が急増するなど「ブレークスルー感染」が欧州で広がっている。」⇒W。日本でもブレークスルー感染は起きる。末端の物価上昇が顕在化している一方で、実体経済の状況も悪く経団連から検疫体制を緩める要望が出ている。

 来年の参議院選挙をにらんで小手先細工のような経済浮揚にもつながらない給付金配布が政治課題になっている。バイデン政権や欧州の財政拡張、景気刺激政策に最もストレートに反応するのは、独自価格決定権がまだ残存し、世界的な過剰流動資金の投機先にもなる原油価格を中心とした原材料産品でアリ、その影響が直撃するのが日本経済。    他方、世界市場からの中国分離策の影響を大きく受ける汎用品市場の物価上昇が顕在化する。そういう先の見通しもあって給付金配布。

 

「コロナ治療にあたった大阪市内の医師はこの結果についてこう語る。

「東京のほうが、大阪より人口が2倍近くいて、陽性者も2倍弱と多い。それなのに致死率が高いのは、医療体制の違いですね。大阪では東京より入院できない人、治療を受けられない人の割合が多かった救急隊員から連絡がきても、病床がなく、断わるばかりでした。大阪は第4波の時、準備不足のまま、感染爆発が起こり、入院できない自宅療養患者があふれてしまい対応しきれなくなった。⇒W。云うところの医療崩壊があった。

その後も対応が遅なるので、カクテル療法の期限が過ぎてしまい、重症化を招くという例を私もいくつか経験した。東京と大阪で死亡者数が100人しか差がない結果をみても、よくわかります。初期治療ができれば、多くの人が重症化しなかったと思うが、ベッドがなくて遅れてしまった大阪府のコロナへの見通しが甘かったということでしょう」⇒W.もともとあった医療インフラを経費削減のため大胆にカットし住民の目に留まる施設整備に回した、と言われている。

 一方、1%を切る致死率だった東京は、最大のヤマであった第5波でも医療崩壊することなく踏みとどまったという。その要因は2つあると厚生労働省関係者が分析する。

「1つは当時、全国で初めて、療養施設に指定した都内のホテルで抗体カクテル療法導入に踏み切った小池都知事の判断があります。その後、都内180のホテル療養施設に拡大し、カクテル療法を行い、投与後14日の症状改善率95.2%まで上げました。2つ目は、大阪など多くの都市が野戦病院の新規建設に舵を切りましたが、開設が遅れて9月末と感染のピークからずれ込んでしまった。都は既存施設である味の素スタジアムなどを活用する形で、感染ピークである8月中に医療ステーションを開設できたことも大きい」

  W資料。世界の総人口78億7500万人

      スペイン風邪パンデミックの頃の世界の総人口=約20億

東京都健康安全研究センター

  2005年

東京都健康安全研究センター年報,56巻,369-374 (2005)

  日本におけるスペインかぜの精密分析 ( flu.pdf : 520KB, Acrobat形式 )

 1918年から1920年に流行したスペインかぜは,全世界で患者数約6億人で,2,000万から4,000万人が死亡。 W。新型コロナよりも毒性や感染力が弱く、集団免疫状態で収束したのではないか?,引用 報告書「第1回目の流行では,全国民の37.3%がスペインかぜに罹患したことになる.」

感染率。死亡率の高さは世界戦争や予防薬や治療法の欠如、劣悪な衛生環境によるところが大きい!

引用、報告書「スペインかぜ流行当時は,これがウイルス性疾患であるということが明らかになってはおらず,ましてやウイルスの変異を検出確認する手段もなかった

引用 東京都健康安全研究センター年報,56巻,369-374 (2005)

ペインかぜはヒトにおけるA型インフルエンザウイルスによる流行であることが,後になってからではあるが,科学的に確認された最初の事例である.A型インフルエンザウイルスは元来鳥類を中心に保有されていたウイルスで,少しずつその遺伝子を変化させ,現在流行している香港型やソ連型に変異してきた.最近問題視されている鳥インフルエンザウイルスはA型の1つであり,濃厚接触によるヒトへの感染例が報告されている.

@さらには,鳥インフルエンザウイルスがヒトや他の動物のウイルスと交じり合い,遺伝子を大きく変化させ,ヒトに感染するウイルスに変異することも懸念されている.」⇒W。15年ほど前に新型コロナウィルス発生を予言している。

 2.スペインかぜによる死亡者の年齢分布

世代マップを詳細にみると,男子では1917-19年においては21-23歳の年齢域で大きなピークを示したが,1920-22年には33-35歳の年齢域でピークを示している.」⇒W。免疫暴走があって活動的な世代の死亡率が高くなっていると思われるが、素人なので。

    結論

引用

スペインかぜの1回目の流行は

>1918年8月下旬から9月上旬より始まり,10月上旬には全国に蔓延した.流行の拡大は急速で,11月には患者数,死亡者数とも最大に達した.

>2回目の流行は1919年10月下旬から始まり,1920年1月末が流行のピークと考えられ,いずれの時も大規模流行の期間は概ねピークの前後4週程度であった.

W。感染の波はピークを境に約2か月間だった。であれば、ピークアウトの時期を探すことが大切になる。

>この前後4週間という流行期間は,通常のインフルエンザ流行の場合と同じであった.」

【2021年】最新世界人口ランキング 日本は前年比40万人減、高齢化がより顕著に | ELEMINIST(エレミニスト)

  W注①、国別、【2021年】世界人口ランキン

8位 バングラデシュ 1億6630万人
9位 ロシア 1億4590万人
10位 メキシコ 1億3030万人
11位 日本 1億2610万人
12位 エチオピア 1億1790万人
13位 フィリピン 1億1100万人
14位 エジプト 1億430万人
15位 ベトナム 9820万人

  山国、日本

国土の2割しかない平野部に人口の9割が住んでいるとのことですから、平野部における人口密度は1,504人/平方キロメートル(1キロメートル四方に1,504人が住んでいる)。」

******************************************************************************

人口密度を見る上では「面積」より「可住地面積」が重要

W。1500人/キロ平方よりもすくないが、いずれにしても多い。

東京23区 15,345人/km2 大阪市(24区) 12,218人/km2

ソウル特別市 (韓国) 17,000人/km2中野区で21,896人/km2

香港 6,688 人/km2

W。狭隘な平野部でヒト、モノ、カネが僅かな付加価値であって回転率よく動き回れば、結果的にGDPは稼げる。しかしその便利な日常は人それぞれの個性を消失させる。

ヒトと同じで安らぎを覚えるのか、人と違う希少と困難に快楽と価値を見出すのか。

********************************

www.tokyo-eiken.go.jp

研究要旨

人口動態統計と内務省発行の「流行性感冒を用い,日本におけるスペインかぜについて詳細に分析した.

 1回目の流行は1918年8月下旬から9月上旬より始まり,10月上旬には全国に蔓延した.流行の拡大は急速で,11月には患者数,死亡者数とも最大に達した.

2回目の流行は1919年10月下旬から始まり,1920年1月末が流行のピークと考えられ,いずれの時も大規模流行の期間は概ねピークの前後4週程度であった.」

 

W。「1872(明治5) 年の日本の総人口は、3,480万人。」

    ↓単純に列島内での人口扶養力が間に合わず東アジアに対外膨張。

1936(昭和11)年には、明治初期の人 口の倍となる6,925万人

   ↓50年後。工業産品販売の内外膨張に特化した特殊な時代とみる。

1985年 約1億2000万人 プラザ合意受諾⇒日本バブル⇒円の金融資本膨張は阻まれ

            新興工業国急台頭によって工業製品の競争条件悪化

W。下表、当時の総人口約6000万人の40%がスペイン風邪感染。死者は約40万

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認知症のヒトの妄想を現実とみなすあの確信性は一体何なのだ。頭の中から生まれた<非現実の現実>への他者の否定には激しく抵抗し、逆に妄言を発するものとして激しく嫌悪する。@この妄想⇔非現実的現実の回路は?回答無し!>認知症介護は治療薬のない臨床現場だ!

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認知症のヒトの妄想を現実とみなすあの確信性は一体何なのだ。いやく妄想が現実に直結>する。

そして頭の中から生まれた<非現実の現実>への他者の否定には激しく抵抗し逆に妄言を発するものとして激しく嫌悪する。⇒W。認知症のヒト固有の人格にまでなっているから、身近な介護者が認知症のヒトの個性に直撃される。

  @この妄想⇔非現実的現実の回路は?

引用

アミロイドβは、アルツハイマー認知症に見られる老人斑の大部分を構成しているたんぱく質で、健康な人の脳にも存在し、通常は脳内のゴミとして短期間で分解され排出されます。

> しかし、正常なアミロイドβよりも大きな異常なたんぱく質ができてしまうと、排出されずに蓄積してしまうのです。」

******

W.資料 分かり易い解説の類は、発生事実へのトレースの省略が多すぎて論理的でなく却って解り難い。

老人認知症の1つであるアルツハイマー病の脳の組織には、特徴的な2種類の構造物がある。 その1つが老人斑と呼ばれるもので、もう1つが神経原線維変化である。 老人斑は主成分がβアミロイドと呼ばれるアミノ酸40個前後からなるたんぱく質である。」

研究紹介 | 大阪市立大学大学院 医学研究科 認知症病態学

引用

図1)凝集・沈着することで老人斑ができ、老人斑が引き金となって神経原線維変化ができ神経原線維変化が原因で神経細胞が死に、

神経細胞が死ぬことによって認知症が発症する。この考えは「アミロイドカスケード仮説」(または短く「アミロイド仮説」)と呼ばれ、1992年に提唱されて以来多くの研究者に支持されてきました。」

 

図1.アルツハイマー病の脳病理の出現から発症まで

引用に戻る。老人斑が引き金⇒神経原線維変化神経細胞が死に⇒認知症が発症」

アルツハイマー病を発症する頃シナプスの働きを阻害)にはすでに多くの神経細胞が死んでおり、その時点でAβを除去しても神経細胞は元に戻りません。

*****

W資料

引用

「脳内には、ニューロンと呼ばれる神経細胞シナプスを介してつながっていて、電子回路のようなネットワークをつくって情報を伝達しています。

電子回路と大きく違うのはこのニューロン同士を接続するシナプスは、

その人がさまざまなことを経験したり学習したりすることで、それを記憶し、変化するということ。ニューロンから受け取った情報をそのまま流すのではなく、シナプスを大きくしたり小さくしたりすることで、情報の伝わりやすさを操作しているのです。このシナプスの変化を、『シナプスの可塑性』(Wかそせい)といいます。」

『忘却』は、マイナスなものとして捉えられがちですが、これが正常に動作しないことが精神疾患の原因にもつながっていると考えられます。

取捨選択が適切に行われる状態が“正常な脳の働き”

新しい経験や体験などによって脳が活性化され、

シナプスの通りが良くなれば伝達物質の放出量が増え数が増えれば接点が増える分、情報をたくさん伝えられる・受け取れるという効果がみられます。

こうした人の経験や体験によって変化する柔軟性の実態が、シナプスの可塑性』だと考えられています。」

シナプス可塑性を増強する方法=“ボケ”を予防するための10ケ条

1.偏りのない食生活
2.適度な運動をする
3.興味・趣味・生きがいを持つ
4.人とのコミュニケーションをとる
5.高血圧・高血糖・肥満にならないよう気をつける
6.アルコール・煙草は極力控える
7.ストレスが溜まらないようにする
8.ルーティンワークだけでなく、新しいことにチャレンジする
9.質の良い睡眠を取る
10.計画を立てるなど積極的に頭を使って考える

*****

引用に戻る

>実は認知症発症する20年も前から脳に溜まり始めいると言われています。 蓄積したアミロイドβは、脳細胞を死滅させると考えられています。記憶の主体である脳細胞が死滅すれば物忘れが起こると考えれば、イメージしやすいでしょう。

引用 

研究紹介 | 大阪市立大学大学院 医学研究科 認知症病態学

上に述べたように、アルツハイマー病を発症する頃にはすでに多くの神経細胞が死んでおり、その時点でAβを除去しても神経細胞は元に戻りません。これでは遅すぎます。また、シナプスの働きを阻害し神経細胞を死に至らしめるのは、実はAβの線維状凝集体ではなく、その前にできる目に見えない可溶性のオリゴマーある分子が数個~数十個集まってできた会合体)であることがわかってきました。オリゴマーこそが、シナプスの働きを阻害し、タウの過剰リン酸化を引き起こす原因ったのです。この考えは「オリゴマー仮説」と呼ばれ、2002年に提唱されました。今では、Aβばかりでなく、タウでもオリゴマーが悪いと考えられ始めています(図2)。従って、薬の標的とすべきはAβオリゴマーやタウオリゴマーです。老人斑や神経原線維変化ではありません。

図2.アルツハイマー病の発症機序

  アミロイドβはなぜ溜まってしまうのか

体を作る栄養素たんぱく質は、体内でアミノ酸に分解され一旦肝臓に蓄えられます。そこから各臓器に送られ、アミノ酸からそれぞれの臓器に必要なたんぱく質が作られます

アミロイドβは、脳内で作られたたんぱく質が分解されたもので、40個前後のアミノ酸からできています。分解される時の微妙な切れ目の差で、

>無害で排出されやすいものと、

>毒性が強く、たんぱく質同士が互いにくっついて脳に溜まりやすいものに分かれます。

 

  W。以下、アルツハイマー認知症の原因がさりげなく記述されていることに注目!⇒脳の老衰遺伝的要素、生活習慣などが認知症の原因でアミロイドβの蓄積などはその原因の結果である。

したがって、認知症の原因である脳の老衰は止められるのか=脳のアンチエイジングは可能なのか?認知症の遺伝は阻止できるのかという解決できない問題になる。ただし脳の活性化努力や認知症になり難い生活習慣は実行できる。認知症の治療薬は基本的に存在しない。

 引用に戻る

加齢などにより分解や排出がうまくいかなくなると、毒性の強いアミロイドβが溜まり始めると言われています」

 

1.たんぱく質を分解する酵素の働きの変化により、蓄積しやすいアミロイドβの割合が増えて脳に溜まり始める。

2.アミロイドβの毒性により、神経細胞シナプス神経細胞同士を繋ぐネットワーク)が傷つけられ糸くずのような神経原線維変化を起こす。

3.傷ついた神経細胞が次々と死んでいくこと

  

「老人斑」や「神経原線維変化」はあくまでも結果

老人斑ができ、神経原線維変化が起こることは、現段階ではアルツハイマー「原因」ではなく、あくまでも「結果」なのです。

>中には老人斑や神経原線維変化がたくさんあっても、症状が出ない人もいます。

アメリカの修道女シスター・メアリーの話が有名 死後、脳の病理解剖によってたくさんの老人斑や神経原線維変化が見つかりましたが、101歳で亡くなるまで認知症の症状は一切出ていませんでした。他にも研究に協力した多くの修道女で同様のケースが確認されています。

これらのことから、生き方、脳の使い方に認知症予防の鍵があるのではないかと、現在更なる研究も進められています。

引用

「家族性アルツハイマー病」は認知症の原因疾患の一つですが、発症年齢が早く20歳代後半~50歳代に発症しやすいといわれています。 また、この病気には遺伝性があることがわかっており、両親のどちらかが家族性アルツハイマー病であると、その子供は50%の確率でアルツハイマー認知症になると考えられています。」

おばあちゃんが認知症…ってことは、お母さんも?いつか私も? 認知症特集|人間ドックのここカラダ

引用

最も多いのが、異常なタンパク質が脳内に蓄積することで起こる「アルツハイマー病」を原因としたタイプです。そのうち1%程度が「家族性アルツハイマー病」と呼ばれ遺伝性があります。アルツハイマー病の多くは65歳以上になってから発症しますが、家族性の場合は30歳台から発症することもあります。家族性アルツハイマー病になりやすい家系の人は、認知症の原因となる異常なタンパク質の沈着を引き起こしやすい体質をもたらす特定の遺伝子変異を持っていることがわかっています。」

アルツハイマー病になりやすい体質を調べるAPOE遺伝子検査って?

アポリポタンパクE(APOE)という遺伝子です。この遺伝子の型によって、アルツハイマー病の原因と考えられている異常なタンパク質の溜まり方が異なるといわれています。
APOE遺伝子検査は、この遺伝子の型を調べることによって、アルツハイマー病を発症しやすい体質かどうかを調べる検査です。採血のみで調べることができます
しかし、発症のリスクが高いと考えられている遺伝子の型を持っていても発症しない人もいます。その一方で、アルツハイマー病の患者さんでもその遺伝子の型を持たない人が存在します。つまり、アルツハイマー病は遺伝子のほかにもさまざまな要因が複雑に絡み合って発症すると考えられるので、APOE遺伝子検査の結果が陽性だからといって、必ず発症するわけではないということです。あくまでもアルツハイマー病のリスクを調べる方法の一つとして捉えてください。

 

リスクを調べる方法としてはほかに、異常なタンパク質が沈着する可能性をいち早く知ることのできる「MCI(W.軽度認知障害(Mild Cognitive Impairment))スクリーニング検査」という検査があります。沈着が始まるといわれる50代のうちに受けるのがおすすめです。
心配な方は、30~40代にAPOE遺伝子検査を、50代からはMCIスクリーニング検査を受けるとよいでしょう」

MCIスクリーニング検査は、アルツハイマー病の前段階であるMCIのリスクをはかる血液検査です。 この検査では、アミロイドベータペプチドの排除や毒性を弱める機能を持つ血液中の3つのタンパク質を調べることで、MCIのリスクを判定します。」

          引用終わり

結論

以上は医学的研究成果はタイトル「認知症のヒトの妄想を現実とみなすあの確信性は一体何なのだ。頭の中から生まれた<非現実の現実>への他者の否定には激しく抵抗し、逆に妄言を発するものとして激しく嫌悪する。@この妄想⇔非現実的現実の回路は?」の回答とはなっていない。

認知症介護はいわば、治療薬のない臨床現場.労苦は続く。

  余談 

www.toyo.ac.jp

――話は変わって、子どもたちの中には“よく忘れものをする子”っていますよね。これは「シナプスの可塑性」が低下している、と考えられるのでしょうか。
「性格的な面が大きいですが、おそらく固執傾向が強い”ということも影響していると思います。情報は入ってきていても、別の情報に対するこだわりが強いために、本来覚えなければならない情報が疎かになっている、という状態です。つまり、右側のシナプスの通りは良いのに、左側の通りは悪い、というアンバランスな状態になっているという可能性が考えられます。」

――なるほど。では、老化や認知症でもの忘れが増えるのも、「シナプスの可塑性」が影響しているのですか。
「記憶はただ覚えて保存しておくだけではなく、それを必要に応じて引き出すことが必要です。その過程であまりに情報が多いとなれば、うまく引き出せないことがあるかもしれません。

しかし、もの忘れの場合は、決して忘れてしまっているわけではなく、きっかけを与えられればポンと思い出せることがあります。それはどこかに仕舞われている記憶だから思い出せるのですが、

認知症などの場合だと、それが引き出せません(W。過去の大事な記憶が突然出てくる場合もある)ですから単純なもの忘れと認知症は似ているようで、本質的に違うため、切り分けて考える必要があるでしょう。」

――もの忘れは“忘れた”のではなく、“引き出せない”ということなんですね。
細かくて密だった神経回路の網目が、老化によってだんだん粗くなってくるようなイメージです。

@しかし、それでも思い出すきっかけがネットワークの中にあれば、それをたどって記憶を引き出すことができます。

ですから、あるものを覚えるときにいろいろなものを関連づけて覚えていく“連想ゲーム”は、もの忘れを予防するのにとても効果的なトレーニングになります。

老化で細胞は減ってしまいますが、脳の働きが悪くなる一方なのかといえばそうでもありません。年相応の努力をすれば、子どもの頃ほどではなくてもある程度のシナプスの数を維持することができるといえるでしょう。」
   

 

最終回 海馬体-嗅内皮質における空間認知システム : ライフサイエンス 領域融合レビュー

海馬体-嗅内皮質における空間認知システム : ライフサイエンス 領域融合レビュー

1.場所細胞の発見 海馬の場所細胞は認知地図の神経基盤。場所細胞は哺乳類に共通の普遍的な空間認知システムを構成する!

 

W。“いま自分がどこにいるのか?”という空間認知は,われわれが生きていくために重要かつ基本的な感覚である.」

空間のなかでの自分の居場所を認識する場所細胞は海馬(タツノオトシゴ)に存在する。

@「空間認知能力の低下は認知症の中核症状でもある.空間を正しく認知するために,脳はどのようなしくみを備えているのだろうか 1971年,O'Keefeらは,空間のなかでの動物の位置に反応して活動するニューロンが存在することを発見した1).この研究が行われた当時,すでに海馬という脳部位が記憶において重要であると考えられていた2)

多数の場所細胞を集めると,場所受容野が動物の歩きまわる環境全体をおおいつくす.そのため,場所細胞の活動を読み取る」

また,場所細胞のきわだった特徴として,特定の感覚情報に依存しないことがあげられる.」

.たとえば,暗闇にして視覚情報をうばっても場所細胞の活動はもとどおり維持される.嗅覚,触覚,聴覚の情報も不要である4).さらに,動物をカートに乗せて動かしても場所選択的な活動は生じることから,歩くという運動指令の情報も必須ではない5)したがって,場所細胞の活動は特定の感覚情報により一義に決まるのではなく,さまざまな情報を統合した結果として脳が内的に生成する空間認知を反映するものと考えられる.このような特徴から,

>場所細胞は認知地図の神経基盤であると提唱された6

2.場所細胞の解剖学

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図2 海馬の構造
(a)ラットの頭部の模式図.
(b)ラットの脳を側方からみた図海馬および嗅内皮質は,それぞれ左右の大脳半球に1対ずつ存在し,背側-腹側軸の方向に細長い形状をとる.
(c)海馬の水平断面.海馬のCA1野およびCA3野の錐体細胞と歯状回の顆粒細胞興奮性の投射細胞であり,ほかに,それぞれの領域に多様な介在細胞が存在する.

投射経路としては,

嗅内皮質→歯状回→CA3野→CA1野とめぐるトリシナプス経路や,

嗅内皮質からCA1野に直接入力する皮質-アンモン核経路などがある.

*********************************

>場所細胞の活動パターンは外部の環境に応じて動的かつ瞬時に再配置する。

海馬における領域や領域の内部での位置により,少しずつ異なる情報を表現する場所細胞が分布している.

3.場所細胞と記憶

場所細胞は海馬に依存する空間記憶やエピソード記憶に深く関与する。

動物が新奇な環境を探索すると,

安定な場所細胞の活動が数分から数十分のうちに形成され18)

数日ないし数カ月後19,20) に同じ環境にきても同じ活動パターンが再現されうる.

こうした場所細胞の活動パターンは,環境そのものについての空間記憶の形成および維持を反映するようにみえる。

 

環境自体の学習にくわえ,空間情報とほかの情報とを連合する学習においても場所細胞の活動は変化

,特定の場所に隠されたえさを集める課題では,えさのある場所へと場所受容野が再配置する22)

複数の情報を連合した神経活動が,学習による場所細胞の再配置の基盤

4.格子細胞内側嗅内皮質に格子細胞が存在 海馬への入出力を担う嗅内皮質

格子細胞は普遍的な距離の指標である

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5.そのほかの空間選択的なニューロン


前海馬支脚において,動物の頭の向きに反応して発火する頭部方向細胞

海馬支脚には,動物から一定の方向かつ一定の距離に壁が存在するときに活動する境界ベクトル細胞

内側嗅内皮質には,格子細胞と頭部方向細胞の両方の性質をあわせもつコンジャンクティブ細胞

壁際などの環境の端にいるときに活動するボーダー細胞

部屋のなかに置かれたオブジェクトの場所に反応する

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6.空間選択的な神経活動の回路機構および細胞機構

空間選択的なニューロンは海馬体-嗅内皮質に密集しており,これらの活動にはなんらかの相互作用があると想定される。

~~~

嗅内皮質と海馬は,上流と下流という一方向性の階層関係ではなく,相互作用により安定な空間表現をつくる相補的なシステム

 そもそも,場所細胞や格子細胞のもつ空間情報はどの脳領域からもたらされるのだろうか? 

上流からの入力パターン自体にくわえて,

その入力がシナプスを介してニューロンに伝達される効率空間選択的な活動の確立においては重要

  シナプス可塑性

新しい経験や体験などによって脳が活性化され、シナプスの通りが良くなれば伝達物質の放出量が増え、数が増えれば接点が増える分、情報をたくさん伝えられる・受け取れるという効果がみられます。 こうした人の経験や体験によって変化する柔軟性の実態が、『シナプス可塑性』だと考えられています。」

W。以下の記述はアリセプト(ドネジベル)という認知症治療薬の原理。

シナプス可塑性による伝達強度の変化は,

記憶の基盤となる細胞機構であるとともに,場所細胞の形成および維持にも関与することが示唆

シナプス可塑性を抑制するNMDA受容体阻害薬を腹腔内に投与すると,慣れた環境における場所細胞の活動は影響をうけないものの,新奇の環境において形成された場所細胞の活動の長期安定性が失われる46).また,領域選択的にNMDA受容体をノックアウトした場合には,空間記憶の障害とともに場所細胞の発火パターンがくずれる4

7.ガンマ波に着目した回路機構の解明

ガンマ波は海馬体-嗅内皮質を含むさまざまな脳領域で観察される周波数30~90 Hzの脳波である.ニューロンの活動パターンはガンマ波の影響をうけ,しばしば,ガンマ波の特定の位相で発火するようタイミングが固定される.この現象を位相固定という.ニューロンが集団で特定のガンマ波に位相固定すると,ミリ秒の精度で同期した発火となりシナプス後細胞に活動が伝達されやすい.そのため,ガンマ波への位相固定は領域間の効率的な情報伝達に貢献すると考えられている. 

海馬体-嗅内皮質では,遅いガンマ波と速いガンマ波の2種類の周波数帯のガンマ波が観察される

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CA1野の錐体細胞シナプス可塑性を阻害すると,遅いガンマ波への位相固定が減弱し,場所細胞の形成も遅れることが明らかになった.こうした結果と,ガンマ波の領域間の同期を考慮すると,空間学習の際の海馬回路の挙動が推定された(図4b).シナプス可塑性は,細胞レベルにおいては,個々のニューロンの時間的あるいは空間的な発火パターンの形成に寄与するとともに,回路レベルにおいては,記憶形成の際にCA3野→CA1野→嗅内皮質という経路の情報伝達を選択的に増強する役割をもつと考えられる.

                         引用終了

W。この回の学習で54打席無安打の日本記録を達成中の阪神タイガースゴールデンルーキー佐藤輝明選手のコンタクト率が悪すぎる要因は打撃技術や経験、精神の在り方の問題を超えた脳内の打撃関連神経がプロ野球仕様になっていなかった、とわかった。

それは関西学生野球時代の突如の不振(大学3年秋打率1割9分台)において明らかだった。レベルの低い関西学生野球リーグで相手チームにマークされ打撃不振に陥った。ましてやプロではということである。(もっともスタミナ不足や精神状態悪化もある)

 であれば、イロイロな提言、批判は打撃関連脳内部位がプロ仕様に至っている選手に対して発せられるべきで、その域に達していない佐藤選手にはお門違いということになる。黙って見守ってあげるべきだ。あれこれ言ううのは人格破壊につながる。

認知症と嗅覚の関係を調べてみた。嗅覚皮質は記憶を司る海馬の直近に存在し、認知症の中核症状である記憶障害、見当識障害の発現よりも先に、鼻の奥にある嗅神経の細胞がダメージを受けることがわかってきた。⇒W。正確に言えば、海馬に隣接する嗅内皮質が先に老衰する。動物的自然現象であると同時に脳の発達しすぎ人間的な自然現象だ!

においが分からない原因は?原因としてあげられるのが、鼻の病気やかぜ、加齢、認知症などです。

W。見守りケアの人。流し台の下から取り出した鍋から強烈な臭いが発していた。当方は息もできないほど「ウッ」という感じだったが、本人はあっけらかんとまったく匂わないというので唖然とした。

研いでかなり日にちの経った米を鍋に入れたまま流し台の下に放置していたのだ。

手の込んだコメの焚き方をする。洗米し水切りしたコメをざるに入れて数時間干す、その後、沸騰させた湯を冷ました水を入れて炊飯する。まともに炊けると非常においしいご飯が炊けるが、失敗が多くなった腐敗させた洗米は干しの段階のモノを炊飯し忘れたもの。)なお、見つけて処分しようとしたが私がやるというので任せて置いたら、そのままにしておいたようだ。後日、ヘルパー責任者がやってきて、どうしようかなどと云うので、Wが出向いて処分した。

 後からその匂いを想像すると、琵琶湖の鮒ずし(フナのなれずし?)の匂いは、こんなものじゃないかな、と思った。研いだ米に蓋をして暗部で腐敗させると(常温暗所だから発酵は抑えられている⇒琵琶湖名物フナのなれずしは付け込む樽に酵母菌が普茶いうしているの発酵作用が働き殺菌作用もあり食い物になる。)、何とも言えない嫌な臭いが発するのか。

その匂いは同じ発酵したコメでも麹の上品な臭いとかけ離れている、まさに腐敗臭そのモノ。

         麹の作り方

前日準備

1. お米を洗う 2. 洗米したお米を水に漬ける

1日目

3. 洗米したお米の水を良く切る 4. お米を蒸す 5. 蒸したお米に種こうじをふりかける(種切) 6. お米を布に包んで保温する(引き込み)

2日目

7. 麹の手入れ1回目(切り返し) 8. 布に包んだお米を麹蓋に移す(盛り) 9. 麹の手入れ2回目(中仕事) 10. 麹の手入れ3回目(仕舞仕事)

3日目

11. 麹の完成(出麹)

>琵琶湖の鮒ずしや今回のケースは洗米の発酵過程において、窒息、腐敗させているので何とも言えない腐敗臭を発するのだ。もっとも鮒ずしの場合、付け込んだ樽に発酵酵母菌が住み着いているので殺菌作用が働き、腐敗を抑え込んでいるのだろうか?

鮒寿司 - Wikipedia

 以下の解説を読むと、WがTVでみた塩切り」後、飯に漬け込む製造過程であった。勘違い!

夏の土用の頃まで塩漬けにした後、フナを取り出して水で良く洗い塩抜きをする。塩味が少し残る程度で塩抜きを終え、次にをフナの身の中に詰める。この飯には塩を混ぜる。

桶の中にフナだけでなく飯も交互に敷き、フナは身の内と外から飯に囲まれた状態で敷き詰められる。落とし蓋の上から重石をかけ冷暗所に保管する。乳酸醗酵には、空気を遮断することが重要であり、重石をした後に桶に水を張ることが行われてきた。」一口大に切り分けて食卓に上げられた鮒ずし/白く見えるのは乳酸発酵した米飯。黄色く見えるのは卵。

W。見るからに珍味。

 同じような嫌な臭いのする食べ物に関東圏のクサヤがある。アレは伊豆諸島方面の特産でムロアジを長年付け込んだ樽で発酵させ日干しにしたもの。大昔居酒屋で仲間から勧められて喰ってみたが、わざわざこんなモノを喰う必要はない、とその場で断言した。

 このヒトは前から臭いはあまり感じられないとわかっていた。

流し台のシンクの三角コーナーの容器から腐敗した臭気が立ち上っていたことがあって、指摘すると本人は激しく反発した。この時は近所の人も居合わせた。今想えばナルホド、その臭気が全く感知されないのであれば当方の臭い臭いという言い分は不当な言いがかりになる。それ以来、三角コーナーの容器の掃除はWの仕事になっている。

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W.左右の鼻の穴の壁は奥で合流し上気道へ。臭い感知の神経は副鼻腔内?

W.ある耳鼻咽喉科院では内視鏡の実況映像で見せてくれるところもある。不動産屋のおっさんみたいな雰囲気だが、名医じゃないかな。

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下の図で臭気を司る脳皮質の位置がはっきりとわかる。記憶の<イソギンチャク>海馬のすぐ隣にある!

39. 学習と記憶;海馬の新生ニューロン - 論文・レポート

W。怪しい匂いのするおかずを喰うケースがある。どんどん廃棄すること。

W.認知症の方の焼死事故は動きが超緩慢だったせいばかりではなかったのだ。火災の焼けこげる臭い、煙の臭いをいち早く感知できなかったことも原因だった。嗅覚を完全に喪失していたのだ。

火災事故対策が必要!

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気になる嗅覚と認知症の関係

日本の認知症患者に最も多いアルツハイマー認知症の症状は記憶障害から始まるといわれてきました。脳の中の記憶をつかさどる海馬という部位が萎縮することにより記憶障害が起きるのですが、

>それより前に、鼻の奥にある嗅神経(きゅうしんけい)の細胞がダメージを受けることがわかってきたのです。⇒W。厳密に言えばこの説明が間違っている。後で挙げる研究書を読めばわかる。「鼻の奥にある嗅神経(きゅうしんけい)の細胞がダメージを受ける」のではなく海馬の隣にある臭いを司る皮質が老衰する(海馬の老衰よりも先に)だからアルツハイマー型の痴ほう症の場合、記憶障害よりも先に嗅覚が弱くなる~理屈の上では~このことは認知症の解説書にはあまり書かれていない~ところが、人間は嗅覚が弱体化してもほかの脳機能が発達しているので日常生活動作を左右するような問題が発生しない。しかし、嗅覚を頼りにしている動物だとその失陥は空間認知機能に大きな悪影響を及ぼす。後で挙げる論文は実験用ラッドによる研究であり、人間にストレートに当てはめることはできない。

嗅神経は鼻から吸い込んだにおいの粒子を電気信号に変えて脳に送る(W。電気信号の出力は臭い皮質から送られてきている?)働きをしているため、嗅神経がダメージを受けると、においが感じられなくなります。このことから、においに鈍感になったら、アルツハイマー認知症の初期症状が疑われるのです。最近では、においの認識により認知症を早期発見する検査方法などの開発も進められています。

 

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W.ここから本題に入る。臭いを感知しないこと、と居場所認識ができないこと、の関連性を学的に究明している。実際に起こっていることで、症状への一層の理解の助けになる。

海馬体-嗅内皮質における空間認知システム

2015/01/08
北西卓磨・松尾直毅
大阪大学大学院医学系研究科 分子行動神経科学)

海馬体-嗅内皮質における空間認知システム : ライフサイエンス 領域融合レビュー

要 約

引用

内側側頭葉の海馬体-嗅内皮質には,場所細胞,格子細胞,頭部方向細胞が存在する.これらのニューロン,壁やオブジェクトなど外界のランドマークを基準とした空間選択的な発火を示し,動物の空間認知をささえる“地図”としてはたらくと考えられている.⇒W。眠りから目覚めると一瞬、居場所が分からなくなる。その場合、室内のランドマークを探し当て、それを目安に記憶を紐解いていくと、自分の居場所を認識できる

 室内のランドマークの基準が認識できないと、自分の居場所を認識する糸口がなくなる。その際、沸き起こる恐怖心は大きい!身近なヒトに助けを求めるのだ!この構造を理解する必要がある!

 

 また,外界の変化や連合学習に対する活動パターンの様態から,空間記憶やエピソード記憶にも関与すると考えられる.

 近年になり,空間選択的な活動パターンを生成する回路機構および細胞機構の解明にむけ多彩な研究アプローチが適用されるようになり研究が加速している.」

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1.場所細胞の発見

 “いま自分がどこにいるのか?”という空間認知は,われわれが生きていくために重要かつ基本的な感覚である.空間のなかでの自分の居場所を認識することができなければ,知らない土地を旅することはもちろん,毎日の通勤すらままならない.空間認知能力の低下は認知症の中核症状でもある.空間を正しく認知するために,脳はどのようなしくみを備えているのだろうか. 

    場所細胞(place cell)

1971年,O'Keefeらは,空間のなかでの動物の位置に反応して活動するニューロンが存在することを発見。

海馬に留置した微小電極を介してラットが部屋のなかで自由に活動するときの神経活動を計測したところ,

>ラットが部屋のなかの特定の場所で特定の方向をむいたときにだけ活動するニューロンが存在することを見い出した.

そののち,方向選択性は実は平面的な広がりのある部屋では弱く(ただし,1次元の通路状の環境では顕著な方向選択性がある),動物が特定の場所を通り抜けるときにおもに活動することがわかった.これが場所細胞(place cell)である(図1a).⇒W。マーキングは特定の場所、記憶作用と同時に嗅覚ニューロン誘発海馬と臭い皮質隣接し海馬の弱体化以前に臭い皮質の脆弱化が発生する!

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図1 場所細胞と格子細胞
(a)場所細胞は,動物が環境のなかの特定の場所を通り抜けるときにのみ活動する.動物の移動の軌跡を灰色の線で細胞の発火活動の位置を赤色の点で示す.場所細胞が発火を示す場所(赤色)を場所受容野とよぶ.場所受容野の位置は個々の場所細胞により異なる.
(b)グリッド細胞は,環境のなかの複数の場所で活動し,この場所が正三角形をしきつめた格子の頂点に位置する.
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場所細胞が発火活動をしめす場所である場所受容野は,場所細胞ごとにさまざまである.たとえば,ある場所細胞は部屋のある角で活動し,別の場所細胞は部屋の中心で活動するというぐあいである.したがって,多数の場所細胞を集めると,場所受容野が動物の歩きまわる環境全体をおおいつくす

また,場所細胞のきわだった特徴として,特定の感覚情報に依存しないことがあげられる.たとえば,暗闇にして視覚情報をうばっても場所細胞の活動はもとどおり維持される.嗅覚,触覚,聴覚の情報も不要である4)

さらに,動物をカートに乗せて動かしても場所選択的な活動は生じることから,

>歩くという運動指令の情報も必須ではない5)

したがって,場所細胞の活動は特定の感覚情報により一義に決まるのではなく,さまざまな情報を統合した結果として,脳が内的に生成する空間認知を反映するものと考えられる.

@このような特徴から,場所細胞は認知地図の神経基盤であると提唱された6)

マウス,コウモリ,サルでも場所細胞がみつかっている。

場所細胞は哺乳類に共通の普遍的な空間認知システムを構成すると考えられる.

       解読に時間を要するため次回にする。

2.場所細胞の解剖学 図2 海馬の構造

3.場所細胞と記憶.じつは,海馬にはさまざまな感覚情報も入力しており23,24),ものの位置や匂い25),時間26) により発火頻度の変化するニューロンが存在する.

4.格子細胞内側嗅内皮質に格子細胞が存在することを発見した(図1b).2人はO'Keefeの研究室で学んだのち,当初は場所細胞の研究を行っていたが,しだいに海馬への入出力を担う嗅内皮質に目をむけるようになった.嗅内皮質と海馬は背側どうしおよび腹側どうしが密に連絡している

嗅内皮質のニューロン場所細胞とは異なり環境のなかで多数の受容野をもっていた.この受容野の配列をみきわめるため,より大きな環境を用いて記録を行ったところ受容野が正三角形をしきつめた格子の頂点に規則的に配置することを発見し,格子細胞(grid cell)と名づけた28)

W。動物にとって嗅覚が大事だが、人間は退化しているということか。

W。人類は海馬以上に発達した脳に比べて原生的な海馬の老衰が先行し、認知症を発症している。認知症は頭の老衰だ!

>>格子細胞の受容野のあいだの距離は環境によらずおおよそ一定である.また,格子細胞は場所細胞とは異なり,どの環境でも活動しつづけ経験による影響をさほどうけない(ただし,論文30,31) も参照のこと).これらの性質から,彼らは,格子細胞は普遍的な距離の指標(動物的な自然なのだが人間だけは例外!だが臭いは距離の指標にはなっている。臭いは自然と距離感を測る要因)であると提唱している.

5.そのほかの空間選択的なニューロン

W.読み込んでいくと非常に面白い。科学が人間的な(動物的な)事実と照合している。

6.空間選択的な神経活動の回路機構および細胞機構

W。この辺りから難しくなって速読できない。

7.ガンマ波に着目した回路機構の解明図4 新奇の環境における海馬体-嗅内皮質の回路活動のモデル

おわりに

W。ざっと読んでみたところ、脳が発達しすぎた現生人類には

海馬体-嗅内皮質の回路活動のモデルをストレートに当てはめることはできないような感じがする。

>しかし、認知症と海馬ー臭い皮質の回路不全の関係は明らかだ。人間は嗅覚だ弱体化してもほかの脳内細胞の力を動員して活動できるようになった。