大阪のコロナ致死率は東京より高くヨーロッパ並み 政府の分析資料を入手 (1/2)〈dot.〉 | AERA dot. (アエラドット)
引用
「 新型コロナウイルスの世界の感染者は、
米ジョンズ・ホプキンス大の集計で
累計2億5千万人総人口は78億7500万人を超え、死者は累計505万人に達した
ワクチン接種が進み日本の感染状況は落ち着きつつあるが、
英国やドイツで感染者が急増するなど「ブレークスルー感染」が欧州で広がっている。」⇒W。日本でもブレークスルー感染は起きる。末端の物価上昇が顕在化している一方で、実体経済の状況も悪く経団連から検疫体制を緩める要望が出ている。
来年の参議院選挙をにらんで小手先細工のような経済浮揚にもつながらない給付金配布が政治課題になっている。バイデン政権や欧州の財政拡張、景気刺激政策に最もストレートに反応するのは、独自価格決定権がまだ残存し、世界的な過剰流動資金の投機先にもなる原油価格を中心とした原材料産品でアリ、その影響が直撃するのが日本経済。 他方、世界市場からの中国分離策の影響を大きく受ける汎用品市場の物価上昇が顕在化する。そういう先の見通しもあって給付金配布。
「コロナ治療にあたった大阪市内の医師はこの結果についてこう語る。
「東京のほうが、大阪より人口が2倍近くいて、陽性者も2倍弱と多い。それなのに致死率が高いのは、医療体制の違いですね。大阪では東京より入院できない人、治療を受けられない人の割合が多かった。救急隊員から連絡がきても、病床がなく、断わるばかりでした。大阪は第4波の時、準備不足のまま、感染爆発が起こり、入院できない自宅療養患者があふれてしまい対応しきれなくなった。⇒W。云うところの医療崩壊があった。
その後も対応が遅くなるので、カクテル療法の期限が過ぎてしまい、重症化を招くという例を私もいくつか経験した。東京と大阪で死亡者数が100人しか差がない結果をみても、よくわかります。初期治療ができれば、多くの人が重症化しなかったと思うが、ベッドがなくて遅れてしまった。大阪府のコロナへの見通しが甘かったということでしょう」⇒W.もともとあった医療インフラを経費削減のため大胆にカットし住民の目に留まる施設整備に回した、と言われている。
一方、1%を切る致死率だった東京は、最大のヤマであった第5波でも医療崩壊することなく踏みとどまったという。その要因は2つあると厚生労働省関係者が分析する。
「1つは当時、全国で初めて、療養施設に指定した都内のホテルで抗体カクテル療法導入に踏み切った小池都知事の判断があります。その後、都内180のホテル療養施設に拡大し、カクテル療法を行い、投与後14日の症状改善率95.2%まで上げました。2つ目は、大阪など多くの都市が野戦病院の新規建設に舵を切りましたが、開設が遅れて9月末と感染のピークからずれ込んでしまった。都は既存施設である味の素スタジアムなどを活用する形で、感染ピークである8月中に医療ステーションを開設できたことも大きい」
W資料。世界の総人口は78億7500万人
2005年
東京都健康安全研究センター年報,56巻,369-374 (2005)
日本におけるスペインかぜの精密分析 ( flu.pdf : 520KB, Acrobat形式 )
1918年から1920年に流行したスペインかぜは,全世界で患者数約6億人で,2,000万から4,000万人が死亡。 W。新型コロナよりも毒性や感染力が弱く、集団免疫状態で収束したのではないか?,引用 報告書「第1回目の流行では,全国民の37.3%がスペインかぜに罹患したことになる.」
感染率。死亡率の高さは世界戦争や予防薬や治療法の欠如、劣悪な衛生環境によるところが大きい!
引用、報告書「スペインかぜ流行当時は,これがウイルス性疾患であるということが明らかになってはおらず,ましてやウイルスの変異を検出確認する手段もなかった」
引用 東京都健康安全研究センター年報,56巻,369-374 (2005)
「スペインかぜはヒトにおけるA型インフルエンザウイルスによる流行であることが,後になってからではあるが,科学的に確認された最初の事例である.A型インフルエンザウイルスは元来鳥類を中心に保有されていたウイルスで,少しずつその遺伝子を変化させ,現在流行している香港型やソ連型に変異してきた.最近問題視されている鳥インフルエンザウイルスはA型の1つであり,濃厚接触によるヒトへの感染例が報告されている.
@さらには,鳥インフルエンザウイルスがヒトや他の動物のウイルスと交じり合い,遺伝子を大きく変化させ,ヒトに感染するウイルスに変異することも懸念されている.」⇒W。15年ほど前に新型コロナウィルス発生を予言している。
2.スペインかぜによる死亡者の年齢分布
「世代マップを詳細にみると,男子では1917-19年においては21-23歳の年齢域で大きなピークを示したが,1920-22年には33-35歳の年齢域でピークを示している.」⇒W。免疫暴走があって活動的な世代の死亡率が高くなっていると思われるが、素人なので。
結論
引用
「スペインかぜの1回目の流行は
>1918年8月下旬から9月上旬より始まり,10月上旬には全国に蔓延した.流行の拡大は急速で,11月には患者数,死亡者数とも最大に達した.
>2回目の流行は1919年10月下旬から始まり,1920年1月末が流行のピークと考えられ,いずれの時も大規模流行の期間は概ねピークの前後4週程度であった.
W。感染の波はピークを境に約2か月間だった。であれば、ピークアウトの時期を探すことが大切になる。
>この前後4週間という流行期間は,通常のインフルエンザ流行の場合と同じであった.」
【2021年】最新世界人口ランキング 日本は前年比40万人減、高齢化がより顕著に | ELEMINIST(エレミニスト)
W注①、国別、【2021年】世界人口ランキン
8位 | バングラデシュ | 1億6630万人 |
9位 | ロシア | 1億4590万人 |
10位 | メキシコ | 1億3030万人 |
11位 | 日本 | 1億2610万人 |
12位 | エチオピア | 1億1790万人 |
13位 | フィリピン | 1億1100万人 |
14位 | エジプト | 1億430万人 |
15位 | ベトナム | 9820万人 |
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山国、日本
「国土の2割しかない平野部に人口の9割が住んでいるとのことですから、平野部における人口密度は1,504人/平方キロメートル(1キロメートル四方に1,504人が住んでいる)。」
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W。1500人/キロ平方よりもすくないが、いずれにしても多い。
東京23区 15,345人/km2 大阪市(24区) 12,218人/km2
ソウル特別市 (韓国) 17,000人/km2中野区で21,896人/km2。
香港 6,688 人/km2
W。狭隘な平野部でヒト、モノ、カネが僅かな付加価値であって回転率よく動き回れば、結果的にGDPは稼げる。しかしその便利な日常は人それぞれの個性を消失させる。
ヒトと同じで安らぎを覚えるのか、人と違う希少と困難に快楽と価値を見出すのか。
国 | 人口 | 可住地面積 | 人口密度 |
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韓国 | 48,332,000 | 34,946 | 1383 |
日本 | 127,156,000 | 114,622 | 1109 |
ドイツ | 82,166,000 | 237,810 | 346 |
イタリア | 59,870,000 | 201,870 | 297 |
イギリス | 61,565,000 | 213,048 | 289 |
フランス | 62,342,000 | 387,640 | 161 |
スウェーデン | 9,249,000 | 128,310 | 72 |
アメリカ | 314,658,000 | 6,103,372 | 51.6 |
カナダ | 33,573,000 | 5,992,170 | 5.6 |
オーストラリア | 21,292,000 | 6,198,540 | 3.4 |
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「研究要旨
人口動態統計と内務省発行の「流行性感冒」を用い,日本におけるスペインかぜについて詳細に分析した.
1回目の流行は1918年8月下旬から9月上旬より始まり,10月上旬には全国に蔓延した.流行の拡大は急速で,11月には患者数,死亡者数とも最大に達した.
2回目の流行は1919年10月下旬から始まり,1920年1月末が流行のピークと考えられ,いずれの時も大規模流行の期間は概ねピークの前後4週程度であった.」
W。「1872(明治5) 年の日本の総人口は、3,480万人。」
↓単純に列島内での人口扶養力が間に合わず東アジアに対外膨張。
1936(昭和11)年には、明治初期の人 口の倍となる6,925万人
↓50年後。工業産品販売の内外膨張に特化した特殊な時代とみる。
1985年 約1億2000万人 プラザ合意受諾⇒日本バブル⇒円の金融資本膨張は阻まれ
新興工業国急台頭によって工業製品の競争条件悪化
W。下表、当時の総人口約6000万人の40%がスペイン風邪感染。死者は約40万