反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

代表就任から民主支持に転じたモノとして筋を通したら小沢支持しかない。

 個人的には民主党支持にケジメをつける時が来ている。今回の代表選をその機会としたい。
もちろん党員でもサポーターでもないし、頼まれてもそんなものになるうつもりはなかった。
小沢代表就任前は民主党には全く関心がなかった。前原代表の時の偽メール事件も、そんな事がるのかと、何の関心もなかった。民主党は統治者の立場に立つ政党で、支持者層も日本のエスタブリシュメントに連なるか、そのおこぼれにあずかる連中であると、認識していた。事実、自分のおかれた政治環境から、民主党の政治路線にハッキリと舵を切るモノたちがいたが、そんな連中には批判的だった。ああいう政治立場に魅力は一切感じなかった。私は他者を管理する立場からの社会活動には参加しない原則である。
そんなことをやるくらいなら、黙って黙々と一市民として生活する道を選ぶ。人の解放の道筋の一切閉ざされた運動はやらない。そういう運動は結局、自分の利益に運動を従属させることになる。 
 
 自分の立場は無党派市民運動であった。
 そんな自分が民主党支持に転じたのは小沢一郎が代表就任によって、自公政権に一貫して戦う政治姿勢を明らかにし、事実行為として実行しだしてからである。
 
 それまでの民主党政治に無関心だったのは、民主党自民党の政治的境界線が曖昧に見えたし、民主党政治家のよくいう政策、なるモノは自公政権を倒して自分たちの政権を実現させてから実行できるモノ。それ以前にアレコレ語るその政治姿勢に大きな違和感を覚えた。
 もし、民主党政治家のいうような政策の効力があれば、何より自公政権が実行するであろうと。自公政権では実行できない、政策。これは彼らに不都合な側面の強い政策である。
 
 小泉、竹中市場原理主義政策は日本が独自の利害を追及しなければならない局面が多くなっていく時代に逆行して、アメリカの利害に日本政治を追従させ、その結果として特権者、富裕層、大企業とそれ以外のモノたちとの格差を拡大する、と理解し激しい怒りを持っていた。
 
 2005年の小泉主演、マスコミ演出の郵政選挙は、格差の拡大する時代の支配層の国民多数へのイデオロギー支配の実態を明確に提示するものであった。
吐き気のするようなおぞましい事態だった。踊らされた国民は自ら天に唾していると思った。
一部の都合のよい利害追及の政策、制度を国民共通の利害であるかに偽装するためには、マスコミの宣伝洗脳が必要でマスコミは意識的にその任を全うした。
 
 その結果が衆院選の圧勝であった。
しかし、この日本で市場原理主義の政策を実行すれば、急速に格差が拡大するばかりでなく、国民の生活や精神風土さえも破壊する事がが明らかになった。
 
 市場原理主義の本家、アメリカンバブルの破たんも明らかになった。世界市場は先進国経済の停滞、新興国経済の急成長から、戦後史を画する地殻変動期に突入している。
 
こんな時、小沢一郎氏は生活が第一の適切なスローガンを掲げ、民主党を政権党に導いた。
 
 政権獲得後の鳩山政権の8カ月間で私と小沢支持派の意見の違いが出てきたが、これは原則の違いというよりも、その実行力に疑問を持つモノと持たないモノの違いと総括できる。
 
 現状のマスコミマスコミ報道への厳しい態度、特捜検察の政治介入の反国民性、反日本性など小沢支持派と同じ立場に立っている。
 
 官直人が総理になった時、それでもいいと思っていたし、小沢氏への態度も仕方ないと理解していた。
元々、マニュフェスト選挙には疑問であったし、政策が実行できるモノとも思っていなかった。
 
 自民党公明党の様な日本の支配層の利害を直接、間接、代表する政党を長期にわたって政権の座につけない。
このことこそが日本の政治構造、統治機構を変える道だ、というのが私の基本認識である。
これが実行されて、国民の多くの利害にかなう。
 この点で小沢さんの基本戦略は物凄く理解できる。 
 
実行は当然、戦後形成されてきた支配層の反抗を受ける。支配層の意思を代弁する政党に戦略的打撃を与えようとする、政治志向が小沢さん政治決断として敢然とあるから抵抗を受けている。
 小沢氏への攻撃の本質はここにある。
 
だが、小沢氏側にこれに立ち向かう、体制が未熟だった。支持者たちの言論はこの点に口を閉ざしているから、説得力が今一乏しい。主張に幅がないし、柔軟性がない。そういう事では同調者は広がりを持たない。
 
 今回の代表選挙。小沢氏への支持が広がりは官総理の消費税発言による党内外での政権党の代表、ひいては一国のトップとしての政治能力に大きな疑惑が広がりが根底にあると思う。
その結果としての小沢氏待望の側面も強くある。
 
 だが、持論を性急に持ち出したのは、政治家として根本欠陥であるが、確信犯だという。
さらに、その発言の裏に、消費税を論議する議員グループが120数人の規模で民主党内で会合を開いていた事実がある。これを政治的基礎としての官発言である。
 私は正直、参院選民主党に投票する事をためらった。地方区では小沢派と言われる落選議員に投票した。
 
 鳩山政権当時から、小沢支持者の間からは、前原らへの厳しい意見が出ていた。
私は民主党に全く関心がない人間の弱みとして、彼らの事は全く知らなかった。
官氏は小沢支持者がずっと以前から厳しい姿勢で臨んでいたグループに支持されている。
 
そして今解ることは、これらのグループは完全な統治者として国民に臨む立場を鮮明にしている。
ということは今の社会秩序、経済秩序をアカラサマに保持し国家運営を決意した、ということだ。
 
 統治される側の人間として、そういうモノたちを支持する意味はない。
 
代表選に出馬した小沢さんは負けるだろう。マスコミの宣伝扇動にさらされている投票資格者は官直人と小沢一郎を同一線上において 比較できないだろう。それができたら、小沢氏が勝利する。政治家としての力量は余りにもかけ離れている。
 
 あの参院選政治勢力同士のこれからの日本の政治方向を大きく左右する政治決戦だった。
この認識が持てないから、官直人は統治者丸出しの消費税を簡単に持ち出した。10%の具体的数字まで言及するのはそのためである。
 自民党、その他は市場原理主義政策を何ら諦めていない。これと戦い、勝ってこそ自分たちの政策実行ができる。負けたら政策決定過程が手間取る。自民杜などの言い分と妥協しなければならない。
 
 そんな単純な事も解らない。いや、国民への統治者として官僚や自民党と同じ立場に立っているから、政治決戦の意味が曖昧になり、政策的整合性ばかりに目がくらんだ。
 一国のトップとしての政治家としての能力はない。
 
 民主党を政権の座につけた小沢一郎を代表にして、戦っていく。これが私にとって民主党支持の原点を実現してもらうことである。
 結局、自民やその他の政治潮流に同化してしまう先が目に見えているのだから、小沢一郎で戦っていくべきである。
 また何より、政治能力のあるものが代表になるべきである。
 
 ただ政権を握って国民を統治しているだけの政治には政治を渇望する者に深い絶望を与える。
小沢氏が敗れ、反小沢の面々が引き続き、表に出るようになれば、積極的な民主支持者は民主党から離れて行くだろう。