反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

アメリカ格付け会社って何だ!会計事務所と共にアメリカンバブルの片棒を担いだ所じゃないか。

 根拠薄い、債権格付けなるモノを持って、管政権を批判してはいけない。
偉そうな知ったかぶりもやめるべきだ。検索をひも解いて難しいことを解ったつもりになって、知らないと勝手に決めた政権担当者を批判してはいけない。
 政治の世界はそんな甘いものじゃないよ。政治家はあなたが思っているほど、馬鹿でもない。
 マスコミの侮りに乗ってはいけないよ。
 
 正攻法で行こう。謙虚に。自分で判断する。ブログに書いて多くのアクセスが得られるなんて、本質的にどうでもいいことだ。
 インターネットのために自己解体されている方が見受けられる。残念である。
 
 管政権は徹底的に批判すべきだが正攻法で行かないといけない。瑣末な問題はどうでもよく日本国民のこれからの大きな政治選択の観点から、この政権の役割、そして、その後の政権が多くの国民にとってどういう意味を持つか、今現在において国民一人一人が内面から考えなければならないのじゃないか。
 
 日本がこのような無様なアメリカ屈従結果になったてしまったのも、明確な理由はある。
 
日本とアメリカの関係は経済レベルでは疎遠になっている。決して同盟と呼ばれるものでない。確かに額面では対米資本流失額はいまでも大きいが、実質金額でどうかということである。少ない金額で多くのモノが買えるところろかえないところの差は余りにも大きすぎる。だから額面でみたら誤り。
 
 もちろん実体経済における、結び付きは自由貿易制度を世界がとる限り、近隣諸国との経済相互作用が拡大する。
こんなことあまりにも当たり前すぎて。
 ただし、この問題は中長期的な視野立つと中国共産党がどうしたこうした、北朝鮮がどうのこうのではないということだ。
 もっと先が足早にやってくる。
 それらが崩壊して、楽観的に考えるの誤りだろう。あくまでも朝鮮民族漢民族のと日本との関係が続いていく。もっと反日本的政権にならないとアメリカが保障してくれるとでもいうのかな。その時はアメリカの力は世界でもっと相対的になっている。そういう時期まで割と早い時間で到達すると思う。
 そこまで考えて現在の東アジア政策をやっているのは小沢さんだけなのではないか。
 
 アメリカ当局は経済下部構造で自分の利害半から離反していく日本を戦後培った政治力、軍事力を最大限発揮してつなぎとめていくしかない。ところが日本国民多数の利害はアメリカの繋ぎとめと、反するものである。ここに戦略的な相反する矛盾がある。この関係をイデオロギーで隠ぺいしようとしているのが、マスコミや支配層の一部である。
 日本国民は今後、力が後退していく、アメリカといっしょになって、利益を世界から得られようはずがない。何より、世界の覇権で飯を食うアメリカ(ドル世界基軸性)が自国のために大人しく従順な日本から搾り取る。
 言い換えると、日本は戦後継続支配しているアメリカだから屈従し、世界におけるアメリカの現実を見ていない。
 
 で、世界経済レベルで見たら発展の必然にあるところと、停滞しかないところは今やはっきりしている。
この関係は世界戦争でもしない限り逆転できない。
 
 問題は国としてはそういうことになるが、国民としてはどうかということである。
 
発展する特定の中進国の国民と先に発展した国民の多数とは経済的立場は近付いていくだろう。
この真実に庶民レベルでどうしても反発したい感情があるが、グローバルる資本制で行く限り、押しとどめることができない。
 グローバル資本は足もと国民の一部を富ませるが、国民多数を発展可能な市場の国民生活に近づけていく。
 
 そのための重要政策選択を政治員会に求めている。
 
小沢一郎氏の政治路線はこの道の選択を国民規模で一度、政権交代した機会に考え直し、リセットして見ないか、というものだったと理解する。
 
 国の統治機構や基本路線の見直しによって、少しでも国民生活が良くなる方法があるのじゃないかという、真摯な試みである。
 
 政府がこの世界多極化の時代、各々の国が自国利害をむき出しにしている時代、政治的に屹立しなければ、大きな国の餌食になる。もう経済一辺倒でやっていける時代は終わった。
その意味で冷戦体制崩壊後、日本程、経済規模の大きな国で一番無防備で戦略性の乏しい国は世界に存在しないであろう。
そういう国民は辱めを受け、国民の本来受け取るべき、利益をむしり取られる。日本国がどうしたこうしたは、事実ではない。本当は国民多数の問題である。 
 日本の国は多くの日本人から離れて、一部のモノの利害を貫く機構になっていく。
 
このままいけば、戦争をやらない限り、日本国民は日本支配層のつく大ウソに気づくしかない。
自分の生活をまっすぐ見つめたら何が起こっているか理解できる。
小泉竹中の比ではない事態が進行していき、その事態をマスコミや御用は決して覆い隠せない。
 
そういう事態を準備する役割を仰せつかったのが管政権である。
 
 小沢さんへの弾圧は異常、極まるものである。
起訴をする本当のところ主体さえ不明確。起訴内容も法外ないい加減な感情的なもの。
 日本はそういう半民主主義的国であるという証明に過ぎないが。
田中角栄起訴と比べてもよくわかる。特捜は警察審査会を使った。
 
 小沢さんという一個人の政治家に「正当」にも日本の置かれた国家的矛盾が集約された!
これは解る人にとっては一番わかりやすい原理的真実が目の前に提示されたということになる。
昔からの支持者は固まるし、私の様なモノも小沢さんを強固に支持せざる得ないようになる。
 もっともそれ自体、実に次元の低いことである。
 
政治に足を踏み込んだ経験値が国民規模で足りな過ぎる.。
これから少し時間をかけて、回り道をしてでもやってもらうしかない。
 日本国民は二度目の敗戦を迎えるしかない。そういう事態が大掛かりに進んでいる。歴史的進行は早まる。
実際は奴隷の言葉でしゃべり、奴隷の屈従に甘んじる国民が増加していく。本人にその意識がない分だけ現代の真正の奴隷である。
 国民国家が世界化した時点から国は滅んだことがない。いつも最大限の被害にあったのは国民だけだ。