反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

小沢一郎衆議院議員元民主党代表への政治弾圧。(その1)

 国の大きないく末、大多数の国民の中期長期的将来がかかったTPP参加が管政権の様な、党内に実質的に最大野党を抱える異常な政局偏重政権によって決定されようとしている。
 鳩山政権末期、自ら期限を切った形で普天間海兵隊基地の自民党時代と変わらない、辺野古新設、基地拡大が決定された、事とダブってくる。
 
 ところが今現在では海兵隊グアム、ハブ基地化構想はアメリカの財政難から期限内での実行は暗礁に乗り上げているという。財政難から基地建設費用が足りないのは決定前からから解っていたはずで、これでは何のための期限を切った決定だったのか?理解に苦しむ。
 
 米軍トランスフォーメイション再編はアメリカンバブル崩壊前に決定されたものでその後の情勢でアメリカは世界への軍事展開によって自国有利な経済情勢を作らなければならないほど追いつめられている。
 
 今また、同じような事態が管政権のTPP、6月期限参加決定で繰り返されよいうとしている。
 国家官僚とアメリカ当局の談合が背後にあって、その掌で政権が踊っているとしか思えない。
日本の土俵、スケジュールで無くアメリカ側が作ったモノ。
 
 やっていることは同じ。時間をかけて議論すべき問題に拙速に答えを出させよう、出そうとしている。
いずれも真っ先に思いつくのはアメリカの利益第一だ。
 
 これに消費税増税、小沢追放策動と来るのだから、管政権は何か自民党がやりたくてもやれなかったことを率先してやっている。
 それに不可解な事案も内外で立て続けに連発し、国民感情は民主政権はコリゴリ、アメリカ従属の政権よきたれ!といった方向に流れるように仕組まれている。
 
 私は、早い段階から民主政権では普天間県外移設は不可能論に達していた。それでも民主政権を固く支持していくつもりだった。革命主義者ではない、また大きな政治に感情を交えない、のでその辺の区分けはできる。
 
人民革命の領域の問題を民主政権に担わせる無理を察してのことだった。
 
 民主政権への期待は自民党の戦後支配がもたらした癒着関係をそぎ落としてほしい。これが私の最大の眼目だった。マニュフェストは信用していなかったが、カネのかからない政治改革だったらできないことはない。だからこそ、その梃子になる昨夏の参院選の意味は大きいと考えた。
 
 カネのかからない政治革命は国民の応援があれば、やろうとすればできる。しかし、そのことによって当面の国民の生活が良くなるかどうかは、正直言って解らない。
 
 が、やらなくてはならない時が歴史の転換期にはあるのではないか。
それが成立してずっと後に、国民生活が良くなるのではないか。
 政権交代とその後の政治によってその政治改革を行うチャンスが日本国民に与えられた。
 (私は遅すぎたと思っているが)
それが小沢さんの想いだったと思う。だから退陣して泥をかぶり、民主党に起死回生てほしいと願っていたと思う。
 
 ところがあろうことか、舞い上がった管らは党内の消費税増税議員120名を基盤として参院選の最大焦点を消費税問題にしてしまった。
 
 民主議員の3分の1は純然たる市場原理主義者である。突如増税を言い出して、よくあれだけの負けにとどまった、と思う。政権交代の意義を大切にしたかった、有権者の想いが含まれていたとみる。
私自身、迷ったが見限るのに躊躇して民主に投票した。
 民主内市場原理主義者は政権展望なき実利のない野党議員であっただけに、そのイデオロギー性は却って根深い。
 
 
管らは予め、負けるために選挙に臨んだようなものだ。
 
ということは、自ら種をまいてその後の政局の混乱を生みだした。
 自らの政権基盤の脆弱性を見つめていない。訳のわかった民主支持者なら参院選で敗北すればその後の政局がどう推移するかぐらいわかっている。
故に、消費税増税選挙にした責任者の退陣を要求する。
 
しかし、居直ったこの時点から、軸足は完全に党内や支持者大衆ではなく、マスコミや野党勢力アメリカにおいている。
 
 だが、挙句の果てに民主党を解体的危機に落とし込めるならまだしも、戦後の国民のよりどころとなっていた経済主権さえ放棄するようなTPP参加を表明しようとしている。
 表現の適格性を欠くが、実際のところ、その罪は普天間基地問題の比ではない。
 
 戦後日本に政治主権はなかったが、経済主権が確保されてきたから、日本人のアイデンティテイーは辛うじて確保されてきた。それがなくなれば、日本人としての自然的なまとまりを欠いてくる。徹底した個人主義、経済合理主義が蔓延る。言うまでもなく、今ある格差社会の比で無い社会、万人が万人と競争する社会になる。
人権自由乏しい格差社会
 覇権なきアメリカ型社会、資源なきカナダ、オーストラリア社会の出現で多くの国民にまともな生活を保障できるのかどうか。
 
 ゆえに格差の実態を覆い隠すために上からの人為的統合が必要となってくる。当然テレビを筆頭としたマスコミで天皇一家が取り上げられる機会が多くなる。
 特定の事件、特定の人物をマスコミがことさら取り上げて、国民間のフラストレーション解消しようとする。
民族排外主義が横行する。
 明治維新後、神仏混淆の日本人的宗教観を否定して天皇教を強制した官僚政治の現代的再来が必然化する。実質的強権支配は必然である。マスコミが勝手にピーチク、パーチク囀っていても、自由とは関係がほとんどない。
 
 経済主権とは経団連企業の国境なき資本蓄積構造の保障ではなく、国内の中小零細企業、地方、農業、多くの国民生活の特定国家の経済情勢、政治的意向に依存しない「自立」である。これが輸出依存度14%に数字に表れていた。
 TPPは日本国民多数の生活が海外経済情勢、特にアメリカに依存する条約になる。
 
それは真っ当な経済圏構想ではない。
 
 日本国民の国際的な生活圏の確保ではなく、自らの経済生活を不自由にする道である。
アメリカに似せた社会を日本で作る道である。が、日本はアメリカの世界性はない、カナダやオーストラリアの様な天然資源に恵まれていない、ヒトの要素しかない政治主権なき敗戦国である。
 かくして、働いて貢物を捧げる本当の意味での奴隷国家が完成する。
この関係で利益を得る者はアメリカとその買弁奴隷支配者である。
金融さえ押えとけば、搾り取る方法はいくらでもある。
 副島さんがいうように500万人の富裕層がアメリカ投資ですってんてんにならなければ、日本の政治改革は進まないというのは残念だけど一理ある。
  
 代表選の出馬の際、小沢さんは言った。「政治家には負けると解っていても戦わなければならない時がある。
 政権獲得後の民主党はどういう道を選択してもいつも背水の陣を覚悟しなければならなかった。
戦わなければ楽である。
 が、背水の陣にあることは変わりはない。
 利用されるだけ利用され、用済みなれば、背後の泥水にたたきこまれる。
国民の多数を道連れにして。
管政権は打倒するしかない。
 
 管らがやっている民主政権の「改革」はどれも次の新しい政権では一掃される。
 
 政権交代した民主党の主要改革は民主政権が本当の政権としての基盤を固め権力を維持できて初めて実現可能なものである。
 
 
 
 >>アメリカ軍は戦争に勝って、日本を軍事基地として占領している!日米安保はその後日本の独立と引き換えに締結されたもので、本質は当初にある。当然その世界帝国主義性から陰陽の政治的占領にまで拡張されている。
 その状態で、冷戦、冷戦終結から、アメリカ一国支配の一時期まではこの歴史的特殊事態から日本国民は利益を得ていたから、それでよかった。
 
 ところが、そういう特殊事態が崩壊し、世界は多極化し、力の相対化したアメリカの一国利益追求が顕著になって、このままの関係では日本国民の多くの利益が得られそうにない、というところから、日本政治支配層の中で日本のいく末をめぐって路線対立が発生している。
  
 アメリカの大いなる矛盾、(戦後の世界帝国としての覇権に見合った経済力の喪失)の渦に日本が引き込まれる危険を保守層一部も察知している。正確にいえば、多くの日本国民の利害をアメリカに差し出さなければ、ならないことを察知している。日本の政治的自主性が必要になってきている。
 
 これが自民内紛を含めた政変の底流だと考える。
 
 国民生活に根を張った保守政治家の中に国民多数に響く改革者が生まれるのは必然だった。
 
国民の一部しか代表していなかった革新やその亜流的存在ではこの間の政変を主導できなかった。
 
国民は政治支配層の分裂の中に「改革」を見いださなければならなかった。
 
 そこで政権交代。(この事情はドイツ、フランス、イギリス政界と比較すればよくわかる)
 
 で、あれば、本当のところ、その程度の「改革」は支配層としても飲める改革のはずである。
ネット上での小沢さんの会見を聞いても、原則的な民主主義保守政治家のモノとしか思われなかった。
それがどうして革命家の様に政治弾圧されるのか。小沢さんが特殊ではなく日本が特殊なのだと思う。
 
ところが、それを強権を使ってまで拒否するところに東アジアにおける戦後日本の置かれた特殊性がある。
 
 何のため、鳩山政権は期限を切って普天間基地問題で生き急ぐように自殺したのか。
 
 そして今回はTPP参加に期限を切っている。
 
 何処かで誰か、政権担当者以外のモノの画策が進行し、その掌で政権が踊っている、とでも考えなければ辻褄が合わない。
 
 さらに、日本の周辺の重大事態が立て続けに発生している。
 
 1)鳩山政権時の韓国哨戒艇撃沈事件。
 2)尖閣中国漁船船長逮捕事件
 3)北朝鮮、韓国島砲撃事件
 
どこからどこまでに作為があったなどということは、国家の最重要問題が絡む以上、検証は今の情報過多の中でも不可能。
  
 が、話題のネットサイトでは、キャンベル米高官と韓国高官との間で交わされた、情報交換のあからさまな事実が報じられている。
 小沢鳩山体制にはアメリカは余りにも違和感があり、管岡田の次の指導者との関係を密にする必要があるというのである。
 
 アメリカの日本戦後史の決定的瞬間における謀略事件。
共通するのは国民の政治反抗が頂点に達した時発動された、非合法政治暴力であるという点だ。
当時、アメリカがやったという世論はまき起こらず、反抗するモノが悪いとする様な世論がマスコミによって形成された。GHQの検閲下にあったマスコミとしては当然のことであったが。
 
 しかし事件で最も利益を得る者が事件の本当の犯人である。
 
過去の歴史はその通りだった。もっとも後から解った時には既に遅い。今現在わからなければ。
 
 最近、以前からネット上でいわれてきた議論を信じるようになってきた。
アメリカ関与の謀略は戦後革命運動、労働運動を対象とした冷戦突入期の特殊事態として受け止めてきたが、間違っていた、と思うようになった。
 
 政権交代前後から今までの事態はそういう観点が一番ぴったりとくる。
 
アメリカはやはり必要な時は非常手段を用いるのだ。ただし現在はむき出しの暴力を使わないだけだ。
戦後の利権癒着層の奥深い蓄積がそれを可能にしている。
特捜検察やマスコミにやらせる。
 
 TPP参加に反対する論陣を張っている中野(京都大学出向の経産省官僚)さんは言った。
「私は同じ官僚になるのだったら中国やアメリカの官僚になりたかった」
本当の国家的政策の自主的決定権はない、仕事にやりがいを見出せないということだ。
 
 日本に天下、国家はない。アメリカがその代わりをしている。アメリカとの関係でしか世界が見えなくなっている。
ついこの間までアジア諸国に経済圏構想を語っていたモノがアメリカがTPPに乗ると手のひらを返したように参加の論陣を張る情けなさがある。勝手に「国を開く」とか、「平成の開国」とか理由づけをし、簡単にその気になれる。古い表現だが事大主義そのものだ。辞書を引くとこうある。「自分の主義主張を持たず、勢力の強いモノにしたがって、自分の安全を守ろうとする考え方。この用語は李朝末期からの朝鮮政治を批判したものである。
 だが、問題はアメリカが強いモノであり続けられるかどうかであるが。