見守りケアの人は2022年4月21日(木)グループホームに旅立った。グループホームは同じ町内にある。彼女と夫が自営の製造業を営んでいた住居兼作業所から大きな道路を隔て直線距離で200mも離れていない。その前に子育てした官舎も至近距離。その地域から同じ町内の集合住宅に引っ越して20年余りして、グループホームに入った。
早朝、その方面に向けて散歩していた時にフト、彼女の人生の足跡は1キロ平方キロの65年に留まっている事実に気づき、唖然とした。
コレは近代以前の庶民の生活圏である。地域に生活できる環境があれば庶民は狭い共同体(ムラ)を生活拠点としての近隣に地縁血縁関係ができる程度だった。
かくいう自分の出身も地縁血縁関係は狭い地域に限られていた。
中世の先祖は承久の乱 - Wikipedia
に出陣し首魁と兵は壊滅し、守備する残党は拠点の城を抵抗することなく勝利した側の任命した新守護に明け渡し、逃亡中の山中で追い詰められ一族の後継者の切腹と残党の武装解除を引き換えに農民として生きながらえる道を選んだ。
先般、滋賀県の氏名発祥の神社を訪ねた。
新入生である研究会に入った時、かなり上の学年の女性から、**会があるから参加してください、などと当然のように案内状を渡されたことがあった。その女性は京都か滋賀の出身だった。
「何をばかなことを今さらやっているのか」と相手にしなかった。
今から思うとその女性が当たり前のように**会に誘ったのは、自分の出身であれば系図から帰農した一族の末裔であるとはっきりと知っていたのだろう。こういうことを続ける人たちにとって大事なことは系図である。自分たちがどの流れ所属するのか、と特定することと、継承されている固有の家紋である。
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戦場の現場に臨む中世武士にとって家紋は一族への報償を確定してもらう目印(旗)である(当然、戦場では武勲を認定するものがいた。報償の決定権は大将にあったが、疑義を訴え再評価を望むこともできた。)
引用。
「ストーリーは、前巻は季長が8名の郎党を率い(雑用係数名、他は近親者家来でかためた騎馬武者)て文永の役に出陣して戦い、その後、一番駆けの武功に対する恩賞が出ないことを不服として鎌倉へ赴き、安達泰盛と直談判を行って恩賞地と馬を与えられる様子が描かれ、後巻では、海東郷の地頭として出世を果たした季長が弘安の役に出陣して戦う様子が描かれており、~」⇒昔の高校の日本史の教科に載せられていた有名な絵。単純に蒙古襲来と鎌倉幕府の戦いを説明するためだけに載せられていた。教科書の日本史、世界史はうさん臭い。
宮本常一は、この絵巻について次の点を指摘する
- 日本軍は陣鐘も陣太鼓も用いていない。それに対して蒙古軍はすでに集団戦法が発達していること。⇒W。中世武士の主力は長弓を最大の武器とする騎馬武者。W。戦闘現場の最前線は歩兵(足軽、雑兵)を主力とする集団戦に代わっていった。その場合、一族郎党の象徴である<家紋>の旗を目印に武勲を個別に評定し報償を与えることは薄れていった。「人は石垣、ヒトは城」(石垣に武勲はない!)⇒そして今に至る。最前線、末端の兵士のアイデンティティーは政治共同幻想の中にしかない。
- ここからいつものように脱線する。
- 戦闘現場の武勲が個別に報われた中世の方がある意味、兵士にとって死に甲斐があった(極悪非道残虐なことができた)。戦争は駄目だ!まして隣同士が戦うのは絶対にダメ。人間の知性を放棄した、動物レベル!にその時点で陥っていると思った方が良い!しかし、真面目な人が狭い動物的狭路に陥ってその道をまっすぐ進む。そこに、もともと暴力や残虐選好の群れが加わり戦時分野が拡大する。
- かつてのベトナム戦争のときも戦争には反対したが、南ベトナム解放戦線が正しいとは一度も思ったことはなかった。しかし、ベトナムに平和を!でもなかった。戦争をする自国の政権を倒さなければ戦争準備や戦争は止まらない。今のベトナムの惨状(開発独裁国家資本主義)をみれば間違いではなかったと思う。当時の南北ベトナムがあそこまで血をがながさなければならなかったのか、今にして疑問が脳裏をかすめる。武力敵対する者同士が相手のことを偏って認識しないで、総合的に深く知れば、命がけで戦うような次元には至らない。
- 近親憎悪に達したウクライナのゼレンスキーはプーチンとともに処罰されるべきだ、あえていう。
- プーチン政権と同じくゼレンスキー政権も倒さなければ戦争は長く続く。
- ポピュリスト(プーチン、ゼレンスキー)を選択するとこういう事態になる、という教訓が今、目の前で展開されている。東アジアを長期経済スパンで見ると日本列島はユーラシア大陸側に沈み込んでいる。コレはウクライナを含むソ連圏のヨーロッパ地殻への沈み込みと同じ経済政治軍事現象である。日本がポピュリストに引きづられると庶民の苦しみがふかくなり、ロシアウクライナ事態に近づく。
- 欧米その他はウクライナを援助するが、この戦争の停戦させるような動きはしない。
- いつまでも戦場のままにしておく。
- なぜなら、この戦争はヒトとモノの(労働力、資源原材料、安価な製品)供給地域である新興国群の台頭に対してウクライナを盾にロシアを弱体化させることで、それらを一挙に自らの従属下(金融、軍事支配下)に置くことがかかかった戦争であるからだ。この思惑は帝国の戦争の時代には民主的な言辞に置き換わる。20世紀の世界戦争と同じだ。
- ユーゴスラビア内戦のように直接手を出せないのはロシアが核、資源大国だからだ。
- ロシアウクライナ戦争が続いている間に、東アジアの日本列島とユーラシア大陸との経済地殻沈み込み現象のストレスが今以上に過大にたまっていくと、世界情勢は苛烈なものになる。
- 物価はもっと上がり庶民生活は苦しくなる、経済は停滞する、資源原材料の調達は困難度を増す。
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- 日本軍と蒙古軍の弓の違い。⇒W。長弓は下馬して射的。蒙古軍は騎乗から射的できた。この図は中国経由の渡海輸送の都合上、馬が足りなかったものと思われる。
- 蒙古軍は多く投げ槍を使っているが、日本軍はほとんど用いず、長刀を使うのは雑兵に限られる。⇒W。武士の発祥は軍事貴族(といっても貴族からの落ちこぼれ残虐非道を職とするもの)
- 蒙古軍はこの時、鉄砲を使っている。
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一次的な歴史資料は700年以上の歴史の激動によってほぼ散逸し現存しないか、あるとしても筆写したものだろう。本家といわれる家の蔵は軍事基地と間違えられて所蔵されていた文物は焼夷弾で焼き尽くされた、ときいた。もっとも手に入れた栄誉を具現化するために偽物をかき集めた可能性が大きい。弾圧が続く中、敗残兵は山の中で食って行くのに精いっぱいだったが、帰農とは実態の定かでない表現で、実際のところ、様々な手段を駆使して自ら生き延びてきたのだろう。武士とは残虐非道を職業とする人たちであった。
長い歴史の中で分家したり様々な事情で姓が変わることがあるがこの地方の苗字のルーツは山にこもった残兵が追い詰められ命乞いをし農民になって生き延びた末裔以外にない。そして山から下りた一派が都市に出て何かの商売で一山当てて、縄張りの緩い土壌の悪い地域に土地を買って箔をつけるために家紋を掲げるようになった。生まれた地域の神社仏閣の類は全部廃れていた(歴史的に新開拓地であった)、僧侶は街の真ん中の寺からやってきた(旧城下町の寺の檀家であり近隣の寺の檀家ではなかった。)という事実からもこの想像は間違いでないと解る。
もう今となっては、中世以降の郷土史を調べようにも信頼できる歴史資料は散逸してしまっているのだろう。
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>むかし、代表的な自分の苗字のルーツを探る本を出した人がいた。アメリカでルーツ探しの流行した後だったと思う。本屋の店頭に本が並んだとか(結構部数を伸ばした)、マスコミの取材をうけた、とか偶に耳にし、それとは似つかわしくない本人の破天荒な佇まい(入れ墨、映画俳優的美男、格好をつけてきっぷがよすぎる、ヒトを食った口達者、唯我独尊)を目の前にすると理解しがたい違和感があった。あまりにも個性が強烈過ぎて何を話してよいやら間が持たない、二人っきりになると一緒にいたくないな、とうずうずした経験がある。
@しかし、今に至って彼の心境がわかった。破天荒な果てに無所属過ぎて居場所が分からなくなっていたのだ。
>そういえば、見守り介護のヒトの佇まいから疑問に思って出身地の歴史を調べたことがあった。
背後に低山を控え平坦地は狭くリアス式の湾状が続く地形地なので先住民は漁師(兼海賊?熊野水軍)で後から来た人たちは農業しかできなかった。この地方は平家有力武士で唯一生き残った大将の逃亡先であった。
「平家の落人違うの?」と聞いたことがあった。「神社では平家祭りをしていた」と。よく聞きくと途絶えていた平家祭りを復活させたらしい。
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@今日の朝は雨の中、工夫を凝らして道路に散った落ち葉をかき集めた。合羽を着ていても汗でずぶぬれになった。労働時間も何倍も超過した。
>6月から週に2回はグループホームに差し入れをした。大きなスーパーに行くとあれもこれも、になって大量の差し入れ品を買ってしまう。帰宅して点検するとびっくりし持っていくのが気が引けるほどだが、本意はホーム内で友達ができたと伝え聞くので、余ったものを周りの人にあげたら、近所づきあいですぐモノをあげて気が済む本人を満足させてあげればよい、と思ってのことだった。
>入所者の中で外との連絡が途絶えた人はホーム内で肩身の狭い思いをする。
@この前差し入れに行ったときに偶々、責任者らしき人が出てきたので、本人の中の様子を尋ねることができた。
@想像していた通り面会はしない方が良い、という回答だった。
@これからは大量差し入れは止めることに決めた。それよりも差し入れを続けることだ。自分よりも長く生きていてほしい。
>少し話した感触では結局、在宅の頃大勢のヘルパーさんが入ってくるようになって、自分のような第三者がいることを面倒くさがっていたころと同じ状況にある、と感じた。
>前例主義、通常運転の継続のタコつぼ状態で異例は色眼鏡で見て排除傾向に走る。
>社会や経済が硬直化するとこういう状況が蔓延し、特例を包摂したときのフレキシブルなプラスパワーが抜け落ちていく。日本の社会組織は横の連携が薄くた骨壺状態の中でみんな一所懸命真面目几帳面にやっている。そういうタコつぼのどこかに入らなくてやっていけない。
>自治会で雇っているシルバー人材センターのおじさんたちは早朝6時半に出勤する。
以前、自治会がゴミ出しにうるさすぎるので、朝早く出てきてごみ置き場のそばに張り付いているから、細かいことが気になる、他にやることがいっぱいあるのでそういう無駄な労力は省くべきだと思い、おじさんたちは何時に出勤しているのか、と聞いたことがある。6時半と判明したので、そんなに早出する必要があるのか、と聞いたことがあるが明確な回答は得られなかった。
おじさんたちがたいして必要もないのに早出出勤するから仕事の発注者兼監督も7時ごろ出てこざる得ない。おじさんたちは最低賃金で働いているが発注者兼監督はほぼボランティアの状態。真面目過ぎる両者がサービス労働してもその恩恵は大したことがない。むしろお互い賃金成りに合理的に働いて、余裕を持った方が周囲も本人たちも和む。現場の日本人はこういう方向に暴走するから労働の生産性が上がらない、消費が増えないという合成の誤謬が起こる。
@昔、日本が元気だったころの社会組織にはフレキシブルな連携によるパワーが発揮された。しかし今や無党派の力は所属なしということで行き場がなくなった。行き場がなくなっただけでは済まずに集団立ち枯れしていった。
@しかしよくよく考えてみるとこんな閉塞社会のシャバにいて、実質何もやることが見当たらないまま、何とか働かなくてはならないのなら、グループホームで自分の世界にいてギリギリの身の回りの世話をしてもらえる彼女の拘束された境遇とどこがどう違うのだろうか、同じじゃないのかと思えてくる。
>竹ぼうきと塵取りをもって雨に濡れた雨合羽の中の衣類を汗でびしょぬれにして、街路樹の落ち葉を集め、あるいはこれからの炎天下、寒風に晒されっぱなしの朝、自分の人性は原始労働に行きついた。
@帝国下の社会組織はタコつぼ状況だが、連携しているのは帝国支配層だ。
>こういう時にどうしたらいいか、と具体的に考えた。
@だれかどこかを探しても何もない。個人に帰るしかない。
>日常を自分から変えていくしかない。
>ということで掃除にでなければ、差し入れが続かないことに気づいた。
@ここまで記事を書いていると解ってくることがある。
@自分もたこつぼ入りしたということだ。
もっとも。おじさんたちの早朝出勤は止めてもらうようにまた提案する。そもそも規則一点張りでいざというときに役立たない共同体は駄目共同体だ。
@長文記事を書くのもやめる。生活リズムが狂う。この2か月あまりで進んでやることは何もないと解った。やりたいことは全部やってしまった。3回目4回目はもういい。
@滋賀への電車往復時間と経費で得たものは既視感だけだった。行きたいところにはすべて勝手気ままに行った。日本と世界のこれからの動きは予想した。誰が何と言おうが日本列島の政治経済地殻はユーラシア地殻に沈み込んでストレスが溜まっている。大きな違いは中国の経済規模と日本の金融資産は大きく庶民に負担を負わせる余地があることだ。そのストレスが断続的に解放されるのか一気的に解放されるのかは、今後のリアルな推移による。米国をハブとする東アジアの個別安全保障体制が帝国の軍事同盟なのかどうかは、支配層だけの問題である。もうここでじっとしていることに決めた。